目次
あけっぴろげな居間と隣の工場と祭の香具師。
『男はつらいよ』には僕の原風景が詰まっている
― 素敵な社長室ですね。まるで「大人版のこども部屋」みたいです。また、この大きい窓から、原宿・竹下通りを上から見渡せる景観も素敵です。
設楽 : 社長室は誰でも入れるように、入口の近くにしているんですよ。奥にあると、誰も入ってこられないでしょ。くるまやと同じでいつもオープン(笑)。
― 『男はつらいよ』に登場する団子屋「くるまや」と同じく、オープンな社長室ということですね。設楽さんは『男をつらいよ』を全作観ている、この作品の大のファンとお伺いしました。
設楽 : 僕のSNSのアカウントは「タラちゃん3」なんだけれど、それは「寅ちゃん」からきてるんですよ。
― 「寅ちゃん」のイメージで「タラちゃん」なんですか!?
設楽 : “BEAMSの設楽社長”なんて呼ばれてしまうと、もう「社長」というだけで、とっつきにくいイメージになってしまうじゃないですか。だから、「“社長”じゃなくて、“タラちゃん”と呼んでください」と言ってるんです。でも、年下の人になると「流石に“タラちゃん”とは呼べないので、“タラさん”と呼ばせてください」って言われちゃいますね。
― それで「タラちゃん3(さん)」なんですね。
設楽 : 僕は、子供の頃から映画が好きで、特に高校・浪人・大学生時代は映画ばかり観ていました。生まれも育ちも新宿なのですが、当時は新宿の伊勢丹あたりに、まだたくさん映画館があって、3本立てなんかをよく観ていましたよ。いずれは映画関係の職にも就きたいと思っているような、映画青年でした。
でも大学卒業後、広告代理店に就職したんです。それは、クリエイティブな職業に就きたいけれど、大学では経済学部に所属し、美術や建築などを専門的に学んだわけではない僕にとって「クリエイティブな業界で何ができるか?」と考えた時の選択肢のひとつでした。
― ものづくりに携わりたいと、青年時代から考えていらっしゃったんですか。
設楽 : それで、その広告代理店の入社試験の時、自己アピールで披露したのが、寅さんの口上だったんです。
― なんと! 自己アピールで寅さんの口上を!?
設楽 : もう賭けです(笑)入社するために賭けにでたんです。
「私、生まれも育ちも東京新宿です。姓は設楽、名は洋、人呼んでフーテンのタラと発します…」と。
― すごく、お上手ですね! それは相当目立ったんではないでしょうか。
設楽 : 半分の面接官は「…うーん…」となってましたが、クリエイティブの職に携わっている面接官は「ほう…」となっていたようで(笑)。他の面接を受けている学生は、学ラン着て「体育会系の部活所属です!」などと定型のアピールをする人が多かったですから、異色ではあったと思います。
設楽 : ふざけていると思われて落とされるか、面白いと思ってとってもらえるか、一か八かの勝負だったのですが、寅さんのおかげで入社できました。
― まさか、寅さんの口上で入社したとは…(笑)
設楽 : それからは、社内での忘年会や飲み会があると、周りから「寅さんのアレを!」とリクエストがあって、啖呵売(たんかばい)の口上を披露していましたよ。
― 口上は、入社試験のために覚えたんですか?
設楽 : いや、自然にです。映画を観ているうちに、いつの間にか覚えてしまったんです。当時は、『男はつらいよ』が上映される前に、館内で流れていたんですよ。「角は一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅白粉(おしろい)つけたお姐(ねえ)ちゃんに、下さいちょうだいでお願いしますと…」今でも言えます(笑)。
― 口上が身に染み付いているんですね。
設楽 : 子供の頃、僕は「香具師(やし)」になりたかったんです。
― 縁日・祭りなどで、品物を売ることを生業にしている人ですね。なぜ、香具師に?
設楽 : お祭りが大好きだったんです、子供の頃から。でも、こんなにお祭りが好きなのに、近所で開催されたときしか行けない。そう思ったときに、「香具師になったら、毎日日本中のお祭りを味わえる!」と思いつ
― 寅さんを演じる渥美清さんも、小さい頃に香具師に憧れてノートに口上を書き写していたそうですね。そこから、山田洋次監督はインスピレーションを受けて“車寅次郎”を生み出したと伺いました。
設楽 : そうなんですね。僕は、口上を好きだったけれど、子供の時はお祭りで聞いても覚えられなくて。『男はつらいよ』で寅さんの口上を聞いて、覚えることができたんです。
第1作公開当時のことはよく覚えていますね。ちょうど、高校生から浪人生になった頃で、予備校に通っていながらも、映画にはよく行ってましたから(笑)。
― では、第1作は映画館で観られたんですね。
設楽 : はい。渥美清さんが好きだったんです。当時、森繁久彌さんとか渥美さんが出演している喜劇映画を好んで観ていました。ホロっとできる人情味あふれる映画というのかな。その流れで、『男はつらいよ』を観に。そして、惚れたと(笑)。
第1作で、寅さんが「封建主義」を「ふうけんしゅぎ」と言うシーンがあるんですが、そこでお客さんがドッと笑うんですよ。でも、その時僕はなぜみんなが笑うかわからなかった。僕も、「ふうけん」と読むと思っていたんです(笑)。
― (笑)。寅さんと同じだったんですね。
設楽 : 僕は、新宿にある淀橋市場の青果市場の真ん前で育ちました。家の隣には親父が営んでいる小さい段ボール工場があって、ガチャンガチャンと作業する音を聞いて毎日生活していたんです。親に「工場には危ない機械が置いてあるから、入っちゃいけないよ」と言われても、こっそり入ってダンボールの切れ端を拾って、それでおもちゃをつくって遊んでいましたね。
― 裏にタコ社長の営む印刷工場がある“くるまや”と同じような環境で育ったんですか。
設楽 : 『男はつらいよ』には、僕の原風景が詰まっているんです。工場の職員さんは、家に住み込みで働いていましたから、みんなと一緒に生活していました。
BEAMSは現在、何千人という人が働く会社となりましたが、それだけ大きくなったとしても、どこか僕が小さい頃に体験したような、タコ社長の工場のような、温かい雰囲気を大事にしていきたいんです。そのことが、この会社で働く人や、お客様をハッピーにすることと繋がっているのではないかと感じています。
BEAMSは、“くるまや”のような
コミュニティでありたい
― 設楽社長が以前テレビに出演された際、「おしゃれとは、相手の気持ちをわかったり、隣の相手の気持ちを肯定・リスペクトしたりするという態度」とおっしゃっているのを拝見しました。
設楽 : 僕が「タラちゃん」と呼んでもらいたいのは、どこか「親しみやすさ」という隙をつくりたいと思っているからなんです。寅さんは、やはり相手の気持ちを受け入れることができるからこそ、親しみやすく、誰からも愛されるのではないでしょうか。
『男はつらいよ』50周年プロジェクトのキャッチコピーが「いま、幸せかい?」ですね。BEAMSも“Happy Life Solution Company”というコンセプトがあります。「Are you happy?」と周りの人を喜ばせたり、胸をキュンとさせるような企業でありたいという想いを込めているんです。自分たち自身も、周りの人も“ハッピー”と感じてもらえるようなコミュニティでありたいと思っています。
― BEAMSは、コミュニティという場であるということですか。
設楽 : BEAMSという名前は、社名でも店名でもブランド名でもなく、「一緒にいると面白いことが起きる集団」というようなコミュニティとして通ずるように、この先なっていければと思っています。
『男はつらいよ』を観ていると、くるまやでみんなと一緒にご飯を食べたくなりますよね。
― あの中の一員になって、ワイワイしたくなります。
設楽 : 僕は、BEAMSに入社した社員に「自分で初めて買った服は何か?」と聞きます。それは、服でなくてレコードやCDでもいいんです。思春期の時に、自身が「いい」と思ったものは必ず自分に残っているんです。そして、その原点はすごく大事にしなければいけないと考えます。
我々はファッションという、どんどん新しいものを取り入れ、変化し続けなければいけない業界にいます。その“新しさをよし”とする世界で感じるのは「新しいものの中には、必ず懐かしさがある」ということです。
― だから、自身の原点となったファッションや音楽などの文化を、新入社員に尋ねるんですね。
設楽 : 原点を大切にしなければ、なにかを人の心に届けることはできないと思っています。『男はつらいよ』も、49作、そして50作と時代によって変わり続けながらも、根っこのところは変わらないと感じます。
― 「男はつらいよ」とBEAMS JAPANは、「男はつらいよ ビームス篇」と題して、コラボレーションしていますね(第1弾は2019年7月31日(水)〜8月27日(火)開催、第2弾が2019年冬開催予定)。
設楽 : BEAMS JAPANは、「日本発のいいモノ・コト」を世界に紹介しようというコンセプトで始めました。コラボレーションでは全国を旅してまわった寅さんをアイディアソースとして、日本各地のこだわり雑貨やウェアを販売しています。
― 先ほど「原点」というお話が出ましたが、BEAMS JAPANではそれを発信しているわけですか。
設楽 : 今回、「男はつらいよ」で新たに商品をつくろう! と呼びかけたところ、「寅さんなら、参加したい!」と多くのデザイナーや職人の方が手をあげてくれました。
改めて、寅さんは不思議な存在だと思います。ミッキーマウスのように皆んなが知っていて愛されているけれど、描かれたキャラクターではない。超人のスーパーヒーローでもない。ただの人間なんです。けれど、みんなをつなぎ、アイデアを掻き立てるんですよ。
― 「男はつらいよ 湯のみ」のイラストを描きおろした加賀聡さんも『男はつらいよ』シリーズの無類のファンということですね。
設楽 : そういうことって、我々のような存在でないとできないと思うんです。例えば、今回のように「男はつらいよ」をテーマに、様々なところと組んで新しいものを生み出すということは。BEAMS JAPANを始めてから、ファッションだけではなく、映画やアニメなど様々な業界の方と一緒に新しいものを生み出させていただいています。
― 先ほど、BEAMS JAPANに伺ったんですが、親子で訪れているお客さんがいました。二世代で『男はつらいよ』のファンで、Tシャツを買いに来たとおっしゃっていたんです。BEAMSも1976年に創業し40年以上が経っています。親子で愛用されている方も多いのではないでしょうか。
設楽 : 歴史があると言っても、100、200年という老舗ではないのですが、親子で訪れていただけるのは嬉しいことです。変わらないものがあるから、親の世代にも楽しんでいただける。変わるものがあるから子の世代も楽しんでいただける。その両方を上手く取り入れていきたいと思っています。
そして、また“変わらないもの”の価値を感じてくれた新しい世代が、BEAMSに、親子で、孫で来てくれればいいですね。
BEAMS 設楽洋の「心の一本」の映画
― 設楽さんの『男はつらいよ』シリーズの中で、一番オススメの作品「#推し寅」を教えてください。
設楽 : 悩みますね…。リリー(浅丘ルリ子)が初めて登場する第11作『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973)もいいですし、歌子(吉永小百合)が初めて登場する第9作『男はつらいよ 柴又慕情』(1972)もいいですが……やはり、第1作の『男はつらいよ』(1969)が鮮烈な印象で残っています。
さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)の結婚式のシーンが素晴らしくて。多分、あの時は連作のシリーズになるとは考えていなかったでしょうから、一本勝負のつくりになっていると思うんです。そして、それがそのあとのパターンになっていくという。この作品は、僕が『男はつらいよ』に惚れ、全作観るようになった原点でもありますから。
― 原点になったという意味で、第1作が「#推し寅」ということですね。
設楽 : 僕が、好きで全作観ているのは『男はつらいよ』と「007シリーズ」だけです。「007シリーズ」は、やっぱりショーン・コネリーが演じるジェームズ・ボンドが好きなんですよ。…原点となったものが好きなのかもしれないですね(笑)。
― 寅さんとジェームズ・ボンドがお好きと。
設楽 : 僕は、新作の撮影に立ち会わせていただきました。憧れの山田洋次監督にもご挨拶させていただけましたし、『男はつらいよ』の世界を体感できて感無量です。新作が、ますます楽しみですね。
…欲を言うならば、通行人の役でもいいから、出てるか出てないかの役でいいので出演したかったんですよ…。チラッとでいいんです。「えっ、どこに出てたんですか?」って言われるぐらいの感じで(笑)。
― 『男はつらいよ』の住人になりたかったんですね。
設楽 : 「まわり道をしたから、見られた花もある」ということを、僕は『男はつらいよ』を通して、寅さんから教わってきました。今僕は経営者として、「右にいくべきか、左にいくべきか」いつも判断しなければいけない立場にいます。正しい判断を、時にくだせていないかもしれない。でも、温かい判断はしているだろうと思うんです。
「右に行ったら儲かるかもしれない。でも、左に行ったら楽しいじゃないの」そういう寅さん的な経営を、僕はBEAMSで行っていきたいと思います。