鍋に砂糖とレモン水とハチミツを入れて火にかける。鍋の底からぐつぐつと泡立ち始め、だんだんと粘り気が出てくるが、ぐっと堪えて焦げる一歩手前まで熱していくとキツネ色が見事なキャラメルのできあがり。あつあつのを手で絡め取りながら口に入れて溶かしていく。熱がなくなれば硬くなる菓子だから、鍋から下ろしたあとの少しの時間は特別に贅沢な時間。
レバノンの首都ベイルートが舞台の映画『キャラメル』は、小さなヘアサロンで働く4人の女性を中心に物語が進む。紛争のイメージが強く、中東文化も色濃いレバノンの作品だけど政治的なメッセージはなく、レバノンに生きる女性の生活を垣間見ることができる貴重な一本だ。
この映画ではキャラメルが、「食の一面」と「道具の一面」の2面性を持って登場する。
家族のいる恋人を持ち、心悩ませる美しい女性ラヤール(ナディーン・ラバキー)が、出来立てのキャラメルを慣れた動きで練って口へと運ぶ…官能的なシーンにうっとりしていると、後にはその練ったキャラメルを使った脱毛シーンが始まる。舞台となるヘアサロンでは、脱毛も人気の施術の一つで、男女問わず脱毛に訪れる。脱毛の道具として、カミソリでもレーザー治療でもなく、キャラメルが使われるのは中東にあるレバノンならではだろう(この映画以外でキャラメルが脱毛に使われるのを見たことがない)。
肌にあつあつのキャラメルをぺとりと付けたらすぐにピリッ! と勢いよく剥がすのを何回も繰り返す。施術中は小さな悲鳴が聞こえてくるが、終わればみんな爽快な顔をしている。そんな表情からキャラメルにより剥がし取られたものは、いらない毛だけではない気がするのは私だけだろうか。
キャラメルを作る工程にはいつも駆け引きを感じる。使う道具は鍋と木ベラのみ。火にかけて煮詰め、どのくらい混ぜるかどのくらい焦がすかは自分次第。キツネ色に色付いてきたら、今だ! というタイミングを見極めすぐさま火を止める。
一歩間違えれば焦がしてしまうかもしれない緊張感や熱さ故の危険性は、キャラメル作りでしか持てないスリリングな時間だ。でも最後には甘さも美味しさもあるから、また鍋を手に取り、作りたくなってしまう中毒性があることも忘れてはいけない。
キャラメルは甘くて美味しくて美しいだけではなくて、人を焦がし痛める道具にもなり得る性格もある。だから女性という性を語るのにふさわしい菓子素材のように感じる。女性には、特有のしなやかさや柔らかさ、艶やかさがあると思う。その外面の内側では「社会的に女性はこうであるべき」と立場を強いられる現実に、生きづらさを感じる人もいるだろう。
レバノンでは、未婚の女性はひとりでホテルに宿泊できないとか、処女であることが結婚条件の一つであるとか、宗教上のしがらみや男女不平等の現実が突きつけられる。そんな中、社会的に、というところにとどまらず、家庭から、自分からの解放を願い生きる女性たちも多い。もっと軽やかに自由であって欲しいのだと、この映画から彼女たちへ、世界へと届くメッセージは大きいに違いない。
「息苦しさに繋がるような、もやもやっとしたお腹のあたりにあるかたまりを脱毛のついでに絡めとって捨ててください。」そう願いながらあの“キャラメル脱毛”に通うレバノン女性も少なくないかもしれない。 ーー日本人だけど、同じ女性として、人間として私にも抱えるもやもやがあるから“キャラメル脱毛”試してみてもいいでしょうかーー 多分それは痛くて甘い、体と心のカウンセリングに代わるものにもなるはずだから。