僕にとって旅行といえば、車で行くものだった。
小さな頃、お父さんの実家がある徳島に里帰りするときはフェリーにも乗ったことがあるらしいのだけど(その頃はまだ明石大橋ができる前だった)、物心付く前のそんな記憶はぼんやりとも残っていない。飛行機に初めて乗ったのも高校生の時の修学旅行だったから、「空や海の旅行」は物語のなかのもので、小さな僕にとって宇宙にロケットで行くこととそんなに大差がなかった気がする。そういった旅は全部、「タンタン冒険旅行」シリーズでの旅行のようにワクワクしてカラフルでおしゃれなものだった。憧れの旅と、自分のものとしての旅。
バンドを組んですぐに、遠くの町まで演奏をしにいくようになった。中ぐらいの大きさの車に楽器のケースと物販のダンボール、そしてその上にみんなの荷物。丈夫なケースに入ったものから順に積まれたその山とメンバーとスタッフで、車はいつもパンパンだ。高速道路の景色やパーキングエリアのお土産売り場。深夜に食べるセブンティーンアイス。誰かのフランクフルトの匂い。また高速道路の景色。名前も知らない町から名前も知らない町。その生活の灯り。飛行機も深夜バスも、4・5人で会話するには向いていないし、新幹線は先を急ぎすぎていてゆっくりと考え事をするには落ち着かない。
今は新幹線であっという間に着いてしまう旅をすることも、飛行機に乗って遠くの町に出かけたり遠くの国へライブに行ったりすることも多くなったけれど、旅はやっぱり車がいい。もちろん時間はかかるし、疲れもする。でもそれだって旅にとっては少し必要な気さえもしてくるのだ。窓の外を流れていく風景を眺めながら他愛のない話をすることや、夜中にハンドルを握りながら音楽を聴いてぼうっと考えごとをする時間のなかには小さなヒントがたくさん散らばっている。旅ほどその過程が大事なものって他にあるだろうか、なんてことまで考えてしまう。
旅の映画、いわゆるロードムービーといわれるものは沢山ある。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ペーパー・ムーン』、『ストレイト・ストーリー』など自分にとって特別な映画は多い。そんな中でも僕が特別に好きな3本『リトル・ミス・サンシャイン』『ネブラスカ』『アンソニーのハッピー・モーテル』は、どれも車での旅をもっと好きにさせてくれる映画だ。
レンタルショップでひときわ目を惹く黄色のDVDジャケット、マイケル・ダナとデヴォーチカによるカラフルなサウンドトラック、出発のシーンで流れるスフィアン・スティーヴンスの「シカゴ」で彩られるのは、『リトル・ミス・サンシャイン』。キュートなオンボロなバスに乗ったこれまたキュートな家族が、娘が出場する全米美少女コンテストのために、アリゾナの田舎町からカリフォルニアを目指す物語だ。彼や彼女たちはこの車の旅で大きなものを失くし、諦め、そして笑う。なんだかシリアスに見える場面になっても、次の瞬間には誰かがそれを笑ってどうにか受け入れる。そうやって家族はもう一度、家族にもどっていく。DVDの特典映像で観られるカットされたエンディング、帰り道のサービスエリアで食事をとる家族と西日のカットは魔法がかかったように美しくて大好きだ。
『ネブラスカ』は、物語のラストにある町を通り過ぎていくトラックのシーンが愛おしくて、何度もDVDを巻き戻して観てしまった。ゆっくり流れていくカットのそのひとつひとつが、まるで音楽のようで、何回観ても泣きそうになってしまう。息子が老いた父親と共に長く殺風景なハイウェイをまっすぐに車で走る姿と、これまで知らなかった父親の過去や家族への思いを知った後に帰り道を走るカット。表情は映らなくてもその後ろ姿だけで僕たちは、そこにある優しさを感じることができるのだ。
ウェス・アンダーソン監督の近年の作風と距離があるからか、『アンソニーのハッピー・モーテル』はなかなか話題にあがることのない映画なのだけど、初期のウェス作品が大好きな僕にとってはとても思い入れのある映画。サウンドトラックにおけるマーク・マザーズボーとのコラボレーションもこの映画からすでに始まっていて、僕が大好きな世界のそのはじまりを体験しているようで今でも観返すたびに無性にワクワクしてしまう。「家族」というものを描くウェス・アンダーソン作品のなかで唯一と言っていいほど血縁や親と子というキーワードが見当たらない作品ではあるのだけど、登場人物のアンソニーとディグナンの関係は、友情というよりは兄弟の絆を感じさせる。
そう考えると3本とも「家族」というテーマが物語の大事な要素になっているのかもしれない。日常生活を離れて車で遠くまで旅することで何かを見つける家族と家族のような絆を発見する若者たち。
僕はどうだろう。家族と離れて暮らすようになって、もうすぐ10年が経つ。今の4人でバンドを始めたのは6年前のことだ。長いような気もするし思ってたより短いような気もする。台湾や韓国というお隣の国にもライブで行けるようになったし、イギリスでもツアーをすることができた。イギリスの高速道路から眺める殺風景な景色は、僕がずっと憧れ続けている映画のなかの風景と似ていて、それだけでもう泣きそうになってしまった。自分がそういう風景のなかに入り込むことがあるなんて。そんな遠い「いつか」と思っていたことを僕たち4人は沢山見てきた。CDやレコードを作ることも、大きなフェスに出ることも、憧れのアーティストと一緒に共演することもそうだった。でも一番僕が憧れていたのは、なんてことはないバンドで「旅」をすることだったのかもしれない。
人は車に揺られ、うんざりしたり眠たくなったりしながら色々なことを考えたり話したりする。ひとりでも、だれかとでも、ときには家族(のような関係の存在と)とも。そんな時にふと、一番大事なことに近づいたりするのかもしれない。いつもなら頭をひっくり返して考えても触れられないようなことに、そっと触ることができたりもする。それはもしかしたら僕らが旅にでる理由のひとつなのかもしれないし、僕たちが映画を観る理由のひとつでもあるかもしれないのだ。
どこかとどこかのあいだ 退屈が足をしびれさせる 縁取られた景色 見知らぬ街 顔を近づけてみても その街の匂いや音は分からない 時間はまだかかるみたいだ 夕日が落ちるのを僕は見逃すだろう 大きな橋も きらめく水面も どこまでも広がる草原も 風が止む音も 本当はそこになかった景色も
そのとき僕はふと触れるだろう 遠く彼方に忘れていたこと 近くに感じていながらも 掘り出されることのなかった真実を
午後のまどろみのなかでだけ 僕はそれに触れることができる