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今を生きる人の佇まいを、映画を通じて未来へ残したい
― 中川監督は、『男はつらいよ』シリーズで描かれる寅さんの妹・さくらのような人物を、映画の中で描きたいという思いが入口となって、映画の世界へ進んだとお伺いしました。
中川 : はい。倍賞千恵子さん演じるさくらさんに、今でも憧れ続けています。映画好きだった祖父母の影響で、『男はつらいよ』シリーズが昔から大好きでした。長山藍子さんがマドンナとして出た5作目『男はつらいよ 望郷篇』(1970)と、池内淳子さんが出た8作目『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971)は傑作だし、あとやっぱり1作目の『男はつらいよ』(1969)は最強です。……、いや、寅さんの話を始めたら、終わらないですよ(笑)。
― さくらさんに、今でも憧れ続けているんですね(笑)。
中川 : 今も毎晩のようにDVDで観ています(笑)。シリーズの作品を観るたび思うのが、「映画って“死者の世界”だな」ということです。夜中、部屋を真っ暗にして寝転びながら観るんですが、『男はつらいよ』は渥美清さんをはじめ、他界された役者さんがたくさん登場します。でも映画には、彼らの生き生きとした瞬間が残されている。死者がまるで生き生きとダンスしているような世界を、生きている僕が観ているわけです。これこそ映画というメディアのひとつの本質だと感じるし、そこが自分にとって映画に興味を引かれる部分でもあります。
― “死者の世界”に魅力を感じるということですか……。
中川 : 映画を続けていこうと思う大きなきっかけが、すごく親しかった友人を亡くしたことにあるのも関係しているかもしれません。
今回、三浦さんに出演していただいた映画『四月の永い夢』のモチーフのひとつもまた“死”でした。現場では、三浦さんと死生観について、いろいろと話し合いました。
三浦 : そうですね。そのとき話したのは、人生は生まれたときがピークで、そこから常に失い続けるプロセスだという僕の考えです。寿命は減っていくし、体もどんどん動かなくなっていく。その失い具合を、ときに喜びを見出しながら、いかにゆるやかにしてつなぎとめていくかということが人生だと思うんです。
僕、学生時代に海でライフセーバーをしていたのですが、その時は人の命が失われるということが身近にありました。その1回1回が僕にとっての転機で、僕を変えたというか……、本来レスキューをする人間がそんなことではいけないと思うんですが、やはり死に向き合うたびに感じることが、たくさんありました。
― その経験は、三浦さんが俳優業を選んだことと結びついていますか?
三浦 : 直接には、結びついていないと思います。ただライフセーバーをしていると、普通に暮らしていたら自分と接点がないような、いろいろな人たちに出会えるんです。出会うたびに「この人の人生ってどんな感じなのかな」と興味がわきました。僕にとっては、そうした“人への興味”の延長線上に、芝居があるんじゃないかという気がします。芝居って、自分と違う人の人生を追体験することだと思うので。
中川 : そういう話を現場でもしましたね。僕自身も三浦さんと同じように、人生はあらゆるものが失われていくプロセスだと思っています。その中で、三浦さんは「失われていく速度をいかにゆるやかにして」つなぎとめるかとおっしゃいましたが、僕は、その方法が映画だと思っています。先ほどの“映画は死者の世界”の話にも通じますが、人生の瞬間瞬間を保存するのが映画なのではないでしょうか。
― 映画に撮られた人や風景は、ある意味、永遠の命を与えられるわけですね。
中川 : 映画という表現手段自体が、“生と死”や“人生”というテーマと深く結びついている気がするんですよね。
「人生は失うこと」。
その台詞に28歳の監督が込めた思い
― 『四月の永い夢』のテーマも“死”とおっしゃっていましたが、本作の後半で、主人公・初海(朝倉あき)に向けて、彼女の亡くなった恋人の母(高橋惠子)がかける台詞が印象的でした。
中川 : 「本当は、人生って失っていくことなんじゃないかなって思うようになった。失い続ける中で、そのたびに本当の自分自身を発見していくんじゃないかなって」という台詞ですね。
主人公のターニングポイントになる台詞ですが、これには元ネタがあります。押井守監督が人生観について話していた言葉と、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が息子さんを亡くしたことについて語った言葉を混ぜ合わせてつくりました。
この台詞以外は、基本的に自分から出たものであっても、高橋さんから発せられるこの台詞だけは、自分から出てきた言葉じゃない方がいいと思いました。
― なぜでしょうか?
中川 : 自分も朝倉さんも20代で、映画の主人公も20代という設定なので、20代の僕らの実感とは落差がある、もっと人生を深く経験した人から降りてくる言葉があの場面にはほしかったんです。
あの時点で「失うたびに、本当の自分自身を発見していく」という言葉をかけられたからといって、主人公が決定的に救われるということは多分ありえない。僕は、どんな名言であっても、その言葉を言われたからといって何か解決するなんてことはないと考えています。ただ、この場面で主人公は「いつか、この言葉がわかるような大人になりたいな」と感じられた可能性はあります。
20代の主人公がそう思える、説得力のある台詞にするために、あえて人生の先輩の言葉を引用したということですね。中川監督も三浦さんも朝倉さんも、今作の主人公と同じ20代後半〜30代前半の同世代です。また過去に監督の作品に出演し、親交が続いているという太賀さんも同世代ですね。三浦さんから見て、同世代の俳優から多くの支持を集める中川監督の魅力は、どこにあると思いますか?
三浦 : 多分、太賀も、僕もそうなんですけど、20代後半から30歳前半って、ちょうど「芝居を頑張らないといけない」と思っちゃう年代なんですよ。「こうやったら、もっと芝居がうまく見えるんじゃないか」とか「台詞に気持ちを乗せて、もっと乗せて」とか、そういうことを考えちゃう。
でも中川監督が書くホン(脚本)には、「芝居をしたら魅力が失われてしまうかもしれない」という不思議な感覚が起こるんです。台詞がすごくシンプルなので、行間で表現しなければならないところがとても多い。だから芝居を頑張ることや、台詞に気持ちを乗っけることが、必ずしもいいわけじゃないと気づかされるんですよね。
中川 : 三浦さんの“佇まい”を撮りたいということは、現場でも随分お話しさせてもらいました。
三浦 : そうですね。極端に言うと監督の現場では、その場にいてその台詞を言えばいいだけ、みたいな感覚があるんです。ただ、そこに生きていればいいというような感覚というか。現場にいても、作品を観ていても、そう感じます。そういう気づきをもらえる現場だからこそ、僕と同年代の俳優たちが監督の作品に出たがるんじゃないかと思いますね。芝居って、なぜかつい力が入って、頑張ろうとしちゃうんですよねぇ(笑)。
― 『四月の永い夢』での三浦さんの佇まいの芝居、素晴らしかったです。特にあの主人公・初海との初めてのデートの別れ際のシーンとか。
中川 : あのシーンの三浦さんは素晴らしいですね。三浦さん演じる青年・志熊が、初海の背中が見えなくなるまで見送った後に、心から嬉しそうにシュッと曲がり角に消えて行く。志熊が、初海に恋していることがありありとわかる、あの「シュッ」と行くさじ加減がなんとも……。
三浦 : 自分の作品なのに、そんなにほめていいんですか?(笑)
中川 : 自分のことじゃなくて、三浦さんが素晴らしいという話です(笑)。