そろそろ温かいお菓子が食べたいと思うと同時に、あの夏の暑さが少し恋しくなる季節がやってきた。そんな二つの季節が心で交わるとき、あの映画を思い出す。
『とらわれて夏』という映画の中で、息をのむほど官能的にパイを作るシーンがある。
たしか3、4年くらい前、ケイト・ウィンスレット見たさに観た映画だけど、パイ作りのシーンが記憶にずどんと残り、パイと言えば…と、忘れられない映画になった。
それは、ケイト・ウィンスレット演じるアデルが彼女の息子と、偶然に家の中にかくまうことになった逃亡犯の男と3人でピーチパイを作るシーン。
夏の日の昼下がり、キッチンには光が射し込み、肌はじんわり汗ばむ。男は熟れすぎたピーチを頬張りながら、“いい考え”があると、ひと言。
「作っている時は電話が鳴っても出るな」なんてカッコイイことを言いながらパイ作りが始まる。3人そろってピーチの皮を剥き、大きめのボウルにひとまとめに入れたかと思えば、砂糖を手のひらにザザーッと乗せてピーチと絡める作業。一つのボウルの中で、三人の手が下から上へなめらかに往復し、たまにぶつかり、ピーチはいっそう水々しくしっとりとしていく。
おもむろにカップでざっくりと粉をすくい、そこにバターを投げ入れ、二本のナイフを持つ。男がアデルの後ろに回り、ナイフを持たせ、その上から自分の手をかぶせる。2人で一緒に真ん中から外へ切るように、の動きを何回か繰り返すことでバターと粉がさっくりと混ぜ合わさっていく。
「パイ作りにはめん棒よりも自分の手が最高の道具だ」とかなんとか、いわゆるお菓子の道具はほとんど使わずに手をすべらせ、力強く転がし、生地をのばしていく。
そうして出来たパイ生地をオーブン皿に敷き、上にはピーチを山のようにこんもりと盛る。いよいよ運命の瞬間は、ピーチにかぶせるもう一枚のパイ生地。大役を任されたアデルは手が震え緊張するが、男が耳元でささやいた「“屋根”をのせて」の一言が効く。
最後はオーブンでぐつぐつと焼きこまれ、決して綺麗とは言えないが見事なキツネ色のざっくりとした大胆なパイが出来上がる。
この映画はこの先ずっと1人で生きていくと思っていた女性が、思わぬ出会いから新しい“家族”を夢見る話だ。いつもどこかさみしげなアデルの家が、人質として始まった男との生活で、まるで暖炉に火がついたように光が灯り、あたたかい場所へ変化していく。
ゆっくりとスリリングに作られていく“家族のようなもの”を見ていると、パイの土台を作り、中身を入れ、屋根をかぶせる、そんな工程と重なる気がする。
パイが登場する映画はたくさんある。
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のいつも売れ残ってしまう“ブルーベリーパイ”や、
『ハロルドとモード』のハーブティーといっしょに楽しむ“ジンジャーパイ”、
『シェイプ・オブ・ウォーター』の“キーライムパイ”は美しいグリーンだけどおいしくはなくて、
『パターソン』の“チーズと芽キャベツのパイ”はある日のメインディッシュでオンリーワンディッシュ。
『恋人たちの予感』の“パイ・ア・ラ・モード”は、温めたパイの“横に”冷たいアイスクリームを添えて欲しいというこだわりの一品。
あのパイもこのパイも…それぞれのシーンを思い返してみると、恋人と、隣人と、夫婦と、友人と、そこには二人以上でパイを囲む風景があることにハッとする。
甘くてもしょっぱくてもいけるこのお菓子は、いつも家族をうつす鏡のように食卓に鎮座する。エピソードを繋ぎ、家を語り、家族を背負う、まあるいあたたかい食べもの。
ああ…パイって…母なる大地のようだ。
あたたかい大地が目の前に広がると、なにもかもが包まれ飲み込まれていく。おとといの悩みごとも、きのう傷ついた事実も、みんな甘い記憶になってまた新しく今日をはじめられる。
だから、一日の終わりになると、だれかが皿に焼いたままのパイを持って「いっしょに食べよう。」ってピンポンしに来てくれることを私は今日も待っているんだ。