ドーナツという食べものは不思議な力を持っていると思う。ただ小麦粉を揚げただけのお菓子と言ってしまえばそれまでだけど、そんな素朴なお菓子に私たちはなぜ惹かれるんだろう。
その最大の魅力はあの「穴」にあるんじゃないかと考えている。あの穴はドーナツを揚げるときの熱の通りを良くするため科学的に考えられた形だけど、結果、意図せずみんなに愛される奇跡の穴となった。ドーナツはただの丸じゃない、穴がある。それがポイントなのだ。
わたしはいつからか心に穴があいている。飼っていた猫の死を受け入れなくてはいけなかったときからか、自分と母に大きな違いがあることを感じたときからか、想いが叶わない恋を目の当たりにしたときからか、嘘をつかなくてはいけない現実を知ったときからか、その穴はいつからあいているのかわからない。
たぶん最初は針でプスっと開けたくらいのとても小さな穴だったのだろうが、歳を重ねるごとに少しずつ大きくなっていったような気がする。
映画『チョコレートドーナツ』(2012年)の原題は『Any day now』だ。Any day nowは“もうすぐ”の意味。そんな言葉を邦題にどう変換するか考えるだけでむずかしそうだけど、『チョコレートドーナツ』というタイトルへ着地させたことは偉業であると、この映画を観た人であればみんなきっと納得する。
麻薬依存の母親が育児放棄したダウン症の男の子マルコ(アイザック・レイヴァ)と、ルディ(アラン・カミング)とポール(ギャレット・ディラハント)というゲイのカップルが出会い、一緒に過ごし、マルコを養子にしたいと行動する。1970年代のアメリカで、実際にあった話に基づいた物語だ。
母親にまともに愛されたことがないマルコがルディたちとはじめて3人揃って食事を共にする日、マルコは「ドーナツが食べたい」と言う。ルディは「そんな体に悪いもの」と答えるが、ポールは「たまになら害にならないよ」とチョコレートドーナツを用意する。パクリと頬張るマルコのその口から「ありがとう」という言葉があまりに自然と出てくるシーンに胸が熱くなる。このとき見えることのないマルコの心の穴が少しだけ塞がったような気がした。
愛を求める子供、社会で認められたい同性愛者、自分の存在を守りたい大人。ただ求め、愛され、守りたいだけなのになかなか叶わない現実が知らぬ間に心に穴をあけていく。
その穴は普段は静かに在るだけだからなかなか気づかないけれど、スースーっと風が通ることがあって、そんなときだけ知らされる。現代に生きるわたしたちみんなが抱えているかもしれない、寂しいとか苦しいとかそんな簡単な言葉では表現できないようなむずかしくてもやっとした感情や想いが、この穴の中にはある。
わたしはドーナツが大好きだ。それがあまり体に良くないことも、ハイカロリーで栄養バランスが悪いこともわかっているけれど、それでも食べたいと思ったときはドーナツを買いに出かける。
もしかしたら無意識のうちに心の穴からこぼれ落ちるなにかを止めたくて、ドーナツを手にしているのかもしれないと『チョコレートドーナツ』を観たときに気がついた。
なにかを“食べたい”と思う欲求に正直になっていいときがあると、食べたいものを食べた方が良い日があるんだと教わった。
ドーナツを掴み、心の穴を覗こう。そして、ドーナツの穴を食べてしまえば心の穴もきっと消えてなくなる、かもしれないから。
きっとドーナツはわたしたちの心の穴を覗くことができる魔法のお菓子なんだって、わたしはずっとずっと本気で信じているのだ。