PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば PINTSCOPE(ピントスコープ) 心に一本の映画があれば

cinecaのアイスクリーム・ノート ザ・ムービー vol.3

当たり前ではない味
『南極料理人』

(映画を題材に物語性のある菓子を制作する「cineca」を展開している、菓子作家の土谷未央さん。そのアイディアの源は8年以上書き留めている、映画の中のモチーフを細かく分類したノート。「クッキー」「傘」「ねこ」「お葬式」…様々なモチーフの中でも、「アイスクリーム」は別格だといいます。そんな土谷さんに、「アイスクリーム」から広がる映画の世界を教えてもらいましょう! アイスクリームのレシピ付。土谷さんを取材した連載「DVD棚、見せてください。」はこちら。
菓子作家
土谷未央
Mio Tsuchiya
東京都生まれ。グラフィックデザインの職に就いたのちに都内製菓学校で製菓を学ぶ。2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を制作する「cineca」を創める。製菓において、日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む手法をオリジナルのものとする。2017年頃からは企画や菓子監修、アートワーク制作、執筆業なども手がける。2022年春には、間が表象する造形、概念に焦点をあてた「あわいもん」を立ち上げ、店主として製菓と店づくりを行う。著書に『She watches films. She tastes films.』(aptp books)、『空気のお菓子』(BON BOOK)。
Instagram: @cineca

憧れの場所の一つに南極がある。海へ流れ出た大きな氷の塊、独自に進化を遂げた生きものたち、自然に圧倒され自分という存在の小ささを噛みしめにいつか訪れたい場所。

そんな憧れの地「南極」という言葉に惹かれて、映画『南極料理人』を観た。でも、映画の中に、氷山とか可愛い生きものとかは一切出てこなくて、映るのは南極地域観測隊の8人のおじさんばかり。と聞くと、ビジュアル的に面白くなさそうって思うかもしれないけど、最高に地味で…最高におもしろい。

そう、メインで登場するのは8人のおじさんとおじさんたちが食べるご飯。簡単に言ってしまえば、おじさんたちとご飯の映画です。観ればすぐさまお腹がすく映画。

おじさんたちはご飯を食べたら、仕事に行き、仕事から帰ったら、ご飯を食べ、眠りにつく。当たり前のことなんだけど、その当たり前を、当たり前ではない場所を舞台に描いたものだから、当たり前の尊さがすごい。食材が無くなっても近所にスーパーはないし、シャワーで使えるお湯の量は限られている。分厚い防寒服に帽子と手袋着用という動きづらい格好をしなくては外に出ることすらできない。有限の資源と狭い空間の中では息も詰まる。そんな息苦しさから束の間に解放される時間が、ご飯の時間。今日も明日も明後日も、仕事をしている時も、ご飯のことで頭がいっぱいのおじさんたち。その気持ち、すっごくわかる。

2020年5月1日現在、世界が通常運転ではなくなった今、私の毎日もご飯に支配されている。朝食を食べながら夕飯のことを。夕飯を食べながら次の日の朝食のことを考えている(うちは1日2食ルール)。今食べているご飯を目の前にして次のご飯は何にしようと考えている自分に気づく瞬間、自分に恐怖する。

南極のように、無防備な状態で外に出ると死んでしまうかもしれない世界では、唯一安全とされる限られた空間の中で、どう楽しみを持って生きたらいいのだろう。この映画が描くように、ご飯が心にもたらす幸福感は大きいはずだけれど、ご飯に支配されることなく、食事と生活のスイッチをどう設置したら良いものなのか。

お菓子は“ご飯よりも携帯しやすい”点を褒めてあげたいといつも思ってる。前に「テディベアなポップコーン」や「キャラメルが絡めとるモノ」でも書いたように、“食べる”こと以外に役割を与えられる強さがお菓子にはある。ポップコーンはその場を盛り上げるパーティーグッズにもなりえるし、キャラメルは中東にある国で脱毛の道具になったりもする。お菓子は、“道具”的な役割を担うことにポジティブなアイテムなのだ。

『南極料理人』で大好きなシーンがある。イチゴシロップを真っ白な雪原にドバドバと注ぐシーン。太陽の登る季節を楽しむために(南極には太陽が昇らない極夜というシーズンがある)、外に出て野球を始めるおじさんたち。広がる雪原を野球のグラウンドに見立てて、フェアゾーンとホームベースをイチゴシロップで描く。白が赤に染まり、さっそくスプーンで突いて食べる輩もいる。食べられる野球グラウンドと言った感じだ。

ときに映画は、既知のルールを易々と打ち破ってくるところがたまらない。真っ赤なイチゴシロップはかき氷にかけて食べるもの。という言わずもがなのルールを簡単に壊し、野球のグラウンドゾーンを描く白線の代わりを担う。

今、世界は、無意識下に存在する“これはこうあるべき”という当たり前を一度投げ捨てるチャンスかもしれない。食事の在り方、人との会い方、家での過ごし方、買い物の仕方、働き方、生き方…。今、手にできるものを工夫して、既存の存在意義を破壊する。『南極料理人』で調理担当の西村さん(堺雅人)が見せてくれたあのイチゴシロップの使い方のように、ピーナッツは箸置きに代わり、ベーキングパウダーは中華麺のこしを作るかんすいの代わりになったように、それぞれの持つこれまでの役割を変えてみる工夫がどれだけの新しい価値を生み出すのだろう。

そこに必要なものの一つが想像力だと思う。知っているはずのものを知らないもののように見る力、もの自体の懐の深さを覗き込む力。少しの想像と工夫で、ものの価値を一変させることができるかもしれない。既知にとらわれずに楽しむことを生活の中に見つけることができたとしたら、欲しかったスイッチを心の中に設置できるかもしれない。

ふと、子供の頃によく通った公園の砂場で、砂と水でお団子をつくったあの気持ちを思い出す。その気持ちに包まれていつものイチゴ氷を口にすると、真っ白な風景の中、躊躇なく、赤を振り撒き走るなんとも残酷な私の姿が目に浮かんだ。見えない風景をもう少し追って旅してみると、遠くには大きな氷の塊が浮かび、いつか行ってみたいと願う南極に着いてしまった。そんな物語を心に描いて、誰にも奪うことのかなわない、自分だけのおやつの時間を大切に。

◎レシピ:
「当たり前ではない味の“氷イチゴ”」

材料(3〜4人分)
水 500ml
イチゴシロップ 好きなだけ

◎つくり方

  • 1.水を凍らせる。
  • 2.かき氷をなるべく丸い形になるように、お皿に削り出す。
  • 3.野球ボールの模様を描くように、シロップをかけたら完成。

※かき氷もシロップも今まで使ったことのない器に盛り付けてみたり、メッセージや模様を描いてみたり、かき氷以外に見えるような工夫をして盛り付けることがポイント

FEATURED FILM
監督: 沖田修一
出演: 堺雅人, 生瀬勝久, きたろう, 高良健吾, 豊原功補
西村(堺雅人)は、ドームふじ基地へ南極観測隊の料理人としてやってきた。
限られた生活の中で、食事は別格の楽しみ。
手間ひまかけて作った料理を食べて、みんなの顔がほころぶのを見る瞬間はたまらない。
しかし、日本には妻と8歳の娘と生まれたばかりの息子が待っている。
これから約1年半、14000km彼方の家族を思う日々がはじまる……。
PROFILE
菓子作家
土谷未央
Mio Tsuchiya
東京都生まれ。グラフィックデザインの職に就いたのちに都内製菓学校で製菓を学ぶ。2012年に映画をきっかけに物語性のある菓子を制作する「cineca」を創める。製菓において、日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込む手法をオリジナルのものとする。2017年頃からは企画や菓子監修、アートワーク制作、執筆業なども手がける。2022年春には、間が表象する造形、概念に焦点をあてた「あわいもん」を立ち上げ、店主として製菓と店づくりを行う。著書に『She watches films. She tastes films.』(aptp books)、『空気のお菓子』(BON BOOK)。
Instagram: @cineca
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