映画『アイデン&ティティ』には主人公中島にだけ見える(ボブ)ディランが存在する。
そしてディランは中島にいつも助言をする。そして僕もディランに助言されたかの様にバンドを組みたくなっていた。
高校生活最後の、シルバーウィークの終わりの頃。
僕と同じ学校の山際君は、上京資金を貯めるために学校が終わればすぐにバイト先に行き、夜21時までひたすら地獄の様に忙しい定食屋でひたすら働いていた。そのせいで学校では1限から6限まで大爆睡。体育の授業だけ全力でやるという生活が続いていた。
僕らは今日もバイトを終えて、2人で誰もいない薄暗い商店街を自転車に乗り、銀杏BOYZの「あいどんわなだい」という曲を全力で歌いながら帰っていた。
このまま高校生活が終わるのが怖かった。
「これバンドでやりたいなぁ。」
「バンドやっちゃう?」
「けど、2人じゃできないよ。」
僕はその時すぐに同じクラスの仲のいい、大学受験をしない絶対暇であろう西尾に電話をした。
「バンドやりたいんだけどさ、ドラムやらない?」
「まじ!? やるやる! やった事ないけど死ぬ気でやる」
そしてギターは、情報処理科にいるギターが上手くて有名な田島くんを呼んだ。床に昨日剃ったであろう髭が散らばってる西尾の汚い部屋に、4人で集まりバンド名を決める。途中で田島の気分が本当に悪くなり、西尾のお姉ちゃんの部屋でバンド名を決めた。
“平成チェリーナイト” これが僕らのバンド名に決まった。4人とも、朝起きてバンド名を思い出してみたらやっぱりダサいバンド名で、僕はこれからこのバンド名でやっていくのが恥ずかしくなりそうだと思ったよ。
卒業ライブをする事に決めた。
カラオケで歌を歌えないタイプだった僕は、人前で歌を歌うこと自体どうやるかわかんなかった。バンドメンバーにカラオケに連れていかれた。
映画の中で、ディランは言った。
“犬が自由に走るなら どうして僕たちにはそれができない”
自由にやればいいんだ。初めて人前で歌った。とにかく全力で。もう喉が壊れてもいいと思った。
そんな僕を見てバンドメンバーが「いいじゃん」と言ってくれたんだ。
スタジオに行くお金があんまり無かったから汚い西尾の部屋にアンプを置き大音量で練習した。そして週1くらいで地元に唯一あるスタジオで練習をした。
喧嘩もした。バンドには喧嘩もつきものだ。
『アイデン&ティティ』の中で結成されるバンドSPEED WAYだって、喧嘩をしてバンド解散の危機にあった。劇中でSPEED WAYが喧嘩した後にベースのトシが言う。
「でも、今のなんかバンドっぽかったじゃん。ほら、ビートルズだってさ、ジョンとポールの喧嘩別れだしさ」
ジョンとポールが喧嘩したようにSPEED WAYのジョニーと中島も喧嘩したように、僕と山際も喧嘩をしていた。
ライブは一瞬だった。
あんなにも練習したのにライブは一瞬だった。ほとんど覚えていない。覚えてるのはライブが終わった後に僕の声が出なくなっていたこと。ライブ終わった後に山際だけめちゃくちゃ可愛い後輩と写真を撮っていたことくらいだ。
結局夢だったオリジナルの曲を演奏することは、変な歌詞しか書けなくて諦めた。
僕ら平成チェリーナイトは活動休止した。
僕と山際は東京へ。西尾と田島は名古屋へ行った。
あれから1度も4人でスタジオに行ってないなぁ。
あっ、そうだ。この前成人式で地元に帰ったら、急にメロディーと歌詞が降ってきたんだ。またいつか平成チェリーナイトを再結成した時には、オリジナル曲をやりたいなぁ。
上京して4.5畳の最悪な部屋を選んだのは『アイデン&ティティ』の中島の家を真似したからだ。あそこの家で過ごした2年間は、ちょっとでも中島に近付けた気がして嬉しかった。
そんな僕も山際君も上京して2年が経ち、20歳になった。2人でお酒を飲んで、ふらふらと家まで帰り、久しぶりに『アイデン&ティティ』を一緒に見た。
見終わった頃には朝の4時になっていた。
世の中はアカデミー賞授賞式の話題で持ちきりだ。
そんな夜、こんな夢を語った。
2人でアカデミー賞を取る。
僕は最優秀賞主演男優賞。映画の照明を勉強中の山際は最優秀照明賞。文字に起こしてみるとすっごく恥ずかしい。
引っ越しをして6畳になった僕の部屋の風呂場で、2人で歯磨きをしながら話す。
「けど、俺がもし役者やめてお前と1からバンドやるって言ったら、お前も照明の仕事やめてついて来てくれる?」
「うーん、多分やっちゃうなぁー」
今はもちろん役者がやりたい。そしてこれからもずっとやっていきたいと思ってる。
けど、もしも。もしもだよ。本当にそんな事はないと思うけど、自分が本当にバンドをしたくなったら1からやればいいと思う。そこで我慢するなんて、多分、ロックじゃない。
“みんなの心の中にもきっとロックは住んでる。そのロックはきっと言うだろう。やらなきゃならない事をやるだけさ。だから上手く行くんだよ。”
そうだよな。中島。