僕は何度も見ている『夜空はいつでも最高密度の青空だ』という映画をこれから先、言葉で説明することは出来ないと思う。だけど、映画を見終わった後、いつも優しくなりたいと思う。大切な人をもっと大切にしたいと思う。
弟が東京に来た。
初めて1人で東京に来た弟は、今にも東京の人混みに飲み込まれてしまいそうだった。
そんな歩くたびに人にぶつかってしまう弟を見ていると上京したての自分を思い出した。東京は足並みを揃えないと、すぐに人とぶつかる。早すぎず、遅すぎず、丁度いいところを歩かないと、歩けない。
弟とラーメンを食べた。
久しぶりに会ったにも関わらず、ラーメンが来る間、弟はずっと携帯を触っている。
寂しかった。だけど、携帯を見ながらニヤニヤしている弟の顔を見て、きっとスマートフォンで遠くの誰かとくだらない話をしてるんだなと思った。誰かと繋がってるんだな、と思った。もちろん弟が僕とずっと話さなくなってしまうのは嫌だけど。
僕は東京に来て2年半が経った。
この2年半、僕は人との出会いが無かったら生きてこられなかったと思う。僕がもうダメかもしれないと思っていた時、救ってくれたのは映画や小説じゃなかった。
家族や東京で出会った友達だ。
だけど、今の時代スマートフォンでいつでも誰かと繋がれるのは、幸せなことだと思う。
10年前くらいに会った事のある友達から僕のインスタグラムに「ヒロトくん、応援してるよ」ってコメントが来たんだ。それは携帯で簡単に打てる文字ではあるけど、僕は嬉しかった。
正直、自分はSNSで誰かの言葉に救われているところもあると思う。
映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」にはこんな言葉がある。
“君に会わなくても、どこかにいるのだからそれでいい。
みんながそれで安心してしまう。
水のように春のように君の瞳がどこかにいる。
会わなくてもどこかで息をしている。
希望や愛や心臓を鳴らしている。
君が泣いているか絶望かそんなことは関係ない君がどこかにいる。心臓を鳴らしている。それだけでみんな元気そうだと安心する。
お元気ですか、生きていますか?”
相変わらず、東京には全然慣れない。というより慣れたくない。
駅のホームのアナウンスで、誰かの命が1つこの世界から亡くなったことを聞かされるのには慣れたくない。たとえ、隣の駅で人身事故が起きても僕にできることなんて何もない。
ただ、歩いて、いつもより長い時間をかけて歩いて帰ることしか出来ない。
そんな道でいつも思い出すのは、大切な人たちの顔だ。
出会いと別れが永遠に続いていくこの街で、あなたともう1度、会って話をしている。それはものすごい確率の偶然で、運命で、きっとそれが1番の幸せだと思う。
来年、弟は上京する。
きっと今はまだ想像もつかないだろうけど、素敵な出会いが絶対にある。
そんな仲間達と、この東京を生き抜いて欲しい。
そういえば、弟が東京に来た時、彼女へのプレゼントを買ってたなぁ。下北沢のビレッジバンガードの前で1時間くらい待たされて、弟は悩みに悩んだ結果、結局お揃いの無地の白Tシャツを買っていた。そんなの別に東京じゃなくても買えるじゃないかと思ったけど。必死になって彼女のプレゼントを考えている弟を見て、何か忘れていたものを思い出させられた気がした。
君が彼女のことを死ぬほど思い、買った無地の白Tシャツが羨ましかった。