ニューヨーク。
あのときは、とっても貴重な経験をさせてもらった。
メジャーリーガーに付き合って、不動産物件を探しにいったのだ。
時は2005年の春のことで、ロサンゼルス・ドジャースからニューヨーク・メッツに移籍した石井一久投手(現・楽天ゴールデンイーグルス ジェネラル・マネージャー)に、
「淳さん、一緒に行きます?」
と誘われて、こんな機会は滅多にないなーーと、マンハッタンの物件を4軒ほどお供したのだった。
最初に行ったのは、「トランプ・ワールド・タワー」。11年後、摩天楼に冠名がついている不動産王が、まさかアメリカ大統領になるだなんて、誰も想像できなかっただろう。
やたらと天井の高い部屋を見学していると、不動産の担当者がこう話していた。
「ここには、ヤンキースのジーターさん、松井さんも住んでらっしゃいます」
そのあとはマンハッタンを北上していき、ロフト付きの物件や、小さいながらもバルコニーがある物件、40代の夫婦がオフィス兼自宅で使っている「SOHO」物件を見ていった(個人的には、この夫婦がデスクを並べて仕事している雰囲気が良かったので、自宅を設計するときに再現しようと試みた)。
NYに住み、仕事をしている人たちの生活の場を見られたのは、いま振り返っても貴重な体験だ。
不動産ツアーが終わると、カフェでお茶をした。球場に通うには、あそこがいいな。でも、あのバルコニーも捨てがたい……。みんなで気分が浮き立っていたことを覚えている。
2005年といえばクリントン政権時代で、アメリカは絶好調だった。
この年のアカデミー賞受賞作は、クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』だ。アメリカ社会は繁栄を謳歌しつつも、『ミリオンダラー・ベイビー』のような内省的な作品にも高い評価を与えていたことになる。いろいろな意味で余裕があったのだと思う。
1990年に学生旅行で初めてNYに行って以来、冒頭の不動産ツアーも含め、十数回はNYに足を運んだ。野球やバスケット、芝居や映画を観たかったことがあるけれど、もっと深いところでこの街に惹かれているような気がしていた。
それはきっと、旅行者がひとりでも退屈せず、居場所を確保できる街だったからだ。
カフェ、デリ。ひとりでも居心地がいい場所がNYにはたくさんある。
映画のそうしたシーンを観逃すはずはないし、私もお上りさんだから、映画に出てくる場所に足を運んだ。
『恋人たちの予感』(1989年)で、メグ・ライアンが「フェイク・オーガズム」を見せたのはKatz’s Delicatessen。
NYを訪れたとき、このお店に行ったら「ハリーとサリーが会った場所」と看板が下がっていて思わず苦笑。
ここで、「映画時計」の針を、1970年代に戻してみるとNYの様相は一変する。 1970年代のNYを描いた作品でパッと思い浮かぶのは、ロバート・デ・ニーロ主演の『タクシードライバー』(1976年)だ。
バーナード・ハーマン作曲によるサックスのメインタイトル。暗闇に浮かぶタクシーのヘッドライト。
テレビ(荻昌弘解説の「月曜ロードショー」)で観た中学生の私にとって、この映画の刺激は強すぎた。ジョディ・フォスター扮するティーンエージャーの娼婦、デ・ニーロのモヒカン刈り、そして大統領候補の暗殺未遂。実際に、この映画に刺激を受けた男が、レーガン大統領の暗殺未遂事件を起こしてしまったほどだ。
『タクシードライバー』が描くNYは、魔界を覗くような感じだった。
この映画の影響はいまだに強く、ホアキン・フェニックスがアカデミー主演男優賞を獲得した『ジョーカー』(2019年)は、舞台として1981年のNYを再現しているとされるが(”The New Yorker”誌で映画評を担当しているアンソニー・レイン氏が映画内の看板から推測)、『タクシードライバー』の影響も色濃く感じられる。
『タクシードライバー』、『ジョーカー』はNYのダークサイドを反映しているが、私は学生時代からこの街に住む人たちの生活感がにじみ出るウディ・アレンの映画が好きだった。
いまでも大好きなシーンは、1979年公開、『マンハッタン』のオープニングだ。
ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』が流れる中、NYの街並みが次々に映し出されていく。
中でも、カクテル光線に照らされたヤンキー・スタジアムを俯瞰でとらえた映像は、いま観てもゾクゾクする。野球好きにとって、ヤンキー・スタジアムは憧れの場所だから。
私にとってウディ・アレンの映画はスタイル、そして憧れの街の教科書のようなものだった。
アニー・ホール。
マンハッタン。
ブロードウェイのダニーローズ。
ブロードウェイと銃弾。
ハンナとその姉妹(たぶん、彼の作品の中でいちばん好きな映画)。
ニューヨーク・ストーリー。
マンハッタン殺人ミステリー。
世界中がアイ・ラヴ・ユー。
1980年代から1990年代にかけ、アレンは傑作を連発していた。
ウディ・アレンは、映画の中でもよく歩いていた。忘れられないのは、『ハンナとその姉妹』(1986年)で、自分が悪い病気にかかっていると信じ込み、クリニックに行く場面だ。思い出しただけで、笑いがこみあげてくる。
劇中に登場するお店にも憧れた。
『マンハッタン』に登場するElaine’sがいちばん有名だろうが(2011年に閉業)、『ハンナとその姉妹』ではジャズクラブの名門、Café Carlyle(アレンとダイアン・ウィーストの傑作デート場面)も舞台になった。
アレンはNBAのニューヨーク・ニックスのファンで、会場のマジソン・スクエア・ガーデンではいつも特等席に座っていた。試合のある日は、ロケが早く終わるという。これは本当の話。
ただし現在、アレンには厳しい目が向けられている。養女が絡んだミア・ファローとの愛憎劇、幼児虐待。2017年秋からの#MeTooムーブメントから、彼も自由ではない。2020年3月には、自伝の出版が取りやめにもなった。
それでも、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(1997年)で見せたNYの四季の移り変わりの美しさは、やはり彼でしか撮れないものだったと思う。
彼の映画の影響で、NYは地下鉄やバスを使いつつ、ずいぶんと歩いたものだ。
セントラル・パーク。
ジェシカ・チャステイン主演の『モリーズ・ゲーム』(2017年)では、彼女が扮するモリーが、父親役のケビン・コスナーと和解への話し合いの場所となっていた。
セントラル・パークから、マンハッタンを南へ。
2017年には長編ドキュメンタリー、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の舞台にもなった公共図書館も好きな場所だ。
『ゴーストバスターズ』(1984年)では、オープニングショットがこの場所で始まる。
2001年の夏、図書館の近くにある「ライブラリー・ホテル」というホテルを選んで泊まった。いま思えばデザインホテルの走りだったが、このホテルの部屋は数字ではなく、図書分類によって名付けられていた。
政治や社会学、芸術といったように。
私はジャーナリズムを希望したのだが残念ながら空いておらず、あてがわれた部屋が……「オカルト(Occult)」だった。
壁には『エクソシスト』に出てきそうな絵。書棚には恐ろし気な本が並び、とてもじゃないが寝られたものではない。翌朝、「値段が高くなってもいいから」と言って、部屋を変えてもらったが、落ちついた先は「数学(Mathematics)」で、これまた、ちんぷんかんぷんだった(ライブラリー・ホテルは、いまも営業している)。
年齢を重ねるにつれ、自分の興味がヨーロッパの街にシフトしていたのだが、amazonプライム・ビデオのオリジナルドラマ『モダン・ラブ ~今日もNYの街角で~』を観てから、またNYに行きたくなった。
特に第1話、書評家のマギーがカフェで仕事をしているシーンがとても好きだ。「家じゃなく、やっぱり外で書き仕事をするんだ」、と思って微笑んでしまった。
かくいう私も、外で原稿を書くことを好む。
しかし、コロナウイルス禍によってNYからは映画、芝居、ミュージカルの灯が消え、カフェ、レストランも閉店を余儀なくされている。
NYで生計を立てる人たちにとって、大きな危機が訪れている。
早く、この危機が去りますように。
ニューヨークに、再び活気が戻りますように。
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