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ホーチミンとハノイと『オー・ブラザー!』
マイクを持って話す僕の目線にオーバーアクションするスタッフの姿。目の前には、生徒さんたちがずらりと50人。彼らの後ろで手をまわすジェスチャーをするスタッフは、「終了時刻が過ぎていますよ」という一種の非常事態を僕に伝えようとしているのだ。
「大丈夫、わざとだから……」
もちろん、僕は声には出さず、頭の中でそう返事して話し続け、15分ほど経過したところで話を終える。僕が主催する「カレーの学校」という講座では、授業の度に繰り広げられる光景だ。
話の脱線と延長は、僕が自覚している得意技である。時間に気づかないわけではない。カレーを通じて伝えたいことをダイレクトに話すだけでなく、あえて逸脱する方が効果的な場合だってあるのだ。
昔からお世話になっている大御所クラブDJが、とある“DJ養成講座”の講師をすることになった。初回の授業の冒頭で、集まった生徒たちを前にいきなりこう言ったそうだ。
「ここに来ている時点で君たちは、DJにはなれない」
その場の空気は凍りついたに違いない。「じゃあ、あんたも講師を受けんなよ」という誰もが頭に思い浮かべるツッコミはまあ横に置くとして、言いたいことはよくわかるなぁ、と深く共感した。
トップクラスのDJになるべき人は、生徒たちが養成講座を受けている間も、レコード屋を回り、クラブへ足を運び、自宅のターンテーブルに針を落とし、音楽にまみれているはずだから。DJに必要な素質や才能は講座では身につかないのだろう。「そもそもDJになりたくて養成講座に来ているようではアプローチがおかしい」と彼は壇上からエールを送りたかったに違いない。
どうして人は、目指しているモノに真っ直ぐたどり着けないのだろう?
謎だ。わからない。
映画『オー・ブラザー!』でミシシッピー州の片田舎に服役する囚人エヴェレット、ピート、デルマーの3人だってそうだ。脱獄の末に自分たちがまさかバンド「ずぶ濡れボーイズ」を結成し、爆発的にヒットするとは思ってもいなかっただろう。すべてがなりゆきで起こったことなのだから、それぞれが思い描いていた未来とはまるで違う。
珍道中で彼らが巻き起こす、巻き込まれる非常事態の連続に、何度笑ったことか。十字路に差し掛かり一人の黒人と出会うシーンなんかは、「ロバート・ジョンソンだ!」と思わず声を上げてしまい、「悪魔に魂を売ったんだ」なんて会話を聞いてニヤニヤしたりして。前を見て必死で突き進む彼らがたどる運命は、まるで予測不可能だった。
きっと目指しているモノにたどり着ける人は、世の中でほんの僅かしかいない。
「水野さんは、何がキッカケでカレーの世界に足を踏み入れたんですか?」
取材で必ず聞かれる質問だ。そのたびに頭に浮かぶ言葉は口に出さずにしまい込む。
「別になりたくてなったわけじゃない。気がついたら“カレーの人”になっていたのだから仕方がない」
そんなことを言ってしまったら、取材者や読者の期待には応えられないだろう。だからダークサイドの答えは表に出さず、準備していたサニーサイドの答えを差し出す。
「幼いころに出会ったカレーが今でも忘れられないんです」
これだって真実だけれど、ある側面からの真実でしかない。それでも質問してくれた人が浮かべる安堵の表情を見て、僕も安心する。まさか、「本当はボク、名探偵になるはずだったんです」だなんて、言えっこないじゃないか……。
つい先月、カレーを探しにベトナムへ出かけた。ホーチミンではいくつかのカレーを見つけたが、ハノイに移動したらカレーの“カの字”もない。現地在住の編集者に会ったら申し訳なさそうにこう言った。
「ハノイにカレーはないの。ハノイに代わって謝りたいくらい」
探しに行ったのだから、ないよりもあったほうがいい。とはいえ、探しているものが見つかるのと、見つからないのとは僕にとって同じくらい大事な意味があるのだ。だからこそ、見つかるかどうかがわからなくても旅を続けるのだ。カレーがないとわかることの収穫をどうやって伝えていいのかわからない。
どうして人は、探しモノをなかなか見つけられないのだろう?
不思議だ。やっぱりわからない。
警察に追われる3人組の身に降りかかる災難は非現実的なものばかりだし、遭遇する人物も目を疑うような行動ばかりする。「まあ、映画だからね」というような冷めた感情が沸き起こる余裕がないほど展開はめまぐるしく、細部にわたってユーモアがちりばめられている。気がつけばファンタジーの世界にどっぷりとつかり、「自分の人生も似たようなものかもしれないな」などと錯覚してしまいそうになる。
きっと探しているモノを見つけられる人は、世の中でほんの僅かしかいない。
「水野さんは、どこへ向かっているんですか?」
「僕は、いつかカレーの全容解明をしたいんです」
カレーとは何か? に明確な答えを出したい。それを探したい。そのためにカレーの活動をしているのだ。そう答えるとたいていは、キョトンとされる。もしくは、失笑をこらえているような顔を目の当たりにする。そんな顔しないでよ、こっちは本気なんだから。
「You seek a great fortune, ……(君たちは偉大な宝を探す仲間)」
線路をトロッコでゆっくりと進む盲目の老人と出会い、3人は探しモノ(隠した現金)をしていることを見抜かれる。呆気にとられていると、老人は構わず続ける。
「You will find a fortune, though it will not be the one you seek.(君たちは宝を見つけるだろう。だが、それは求める宝とは違う)」
この言葉がずっと頭から離れなかった。映画を観終わった今もなお。エンディングにも現れるあの盲目の老人には、いったいどんな未来が見えていたんだろう。探し求める宝の話は嘘だったと打ち明けたエヴェレットにピートとデルマーは取り乱す。短絡的な解釈をすれば、彼らは金は手にできなかったが “自由と仲間”という宝を手にしたことになる。望んでいたものとは違えど手にはしたのである。
もし人生とはそういうものだ、ということならば、カレーの全容解明という宝を追いかけている僕は、一生、カレーが何かを知ることはできないのだろう。でも、諦めずに全力で取り組まない限り、別の何かを手にすることすらできないのだ。
目指しているモノにはたどり着けず、探しているモノは見つからない。なんだか不条理だけど、受け入れるしかない。だからこそ、せめて前を向いて進むのだ、あの3人のように。映画全編を通して音楽も素晴らしい『オー・ブラザー!』では、ちゃんと歌で答えを示してくれているから気が利いている。
♪Keep on the sunny side of life♪
いつでもこの歌を自分の心から取り出せるように、サントラ盤を買っておくことにしよう。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
- そこに到達するまでの旅が心に残る。/『アルピニスト』
- 若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』
- 美しい光は危険なんだ。おいしいカレーもね。/『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
- ケキッキは、ケキッキだ。それで、いいのだ。/『カメラが捉えたキューバ』
- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
- 1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』
- 嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』
- 誰かにもらった正解よりも、自ら手にした不正解 /『80日間世界一周』
- 笑いの裏に苦悩が隠れ、 怒りの裏に孤独が潜む。/『スケアクロウ』
- 指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから /『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
- 希望はいつも足元にあり 仲間はすぐそばにいる /『オズの魔法使』
- 「何のため?」…なんて悩んでいるうちは、ひよっこだ。 /『さらば冬のかもめ』
- 独創性は生むより生まれるもの、なのかもなぁ。/『SUPER8』
- どうして探しモノは見つからないのだろう?/『オー・ブラザー!』
- 答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』
- 寸胴鍋をグルグルとかき混ぜる、身勝手な男。/『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
- チラ見せに魅せられて、魔都・上海。/『ラスト、コーション』
- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 普通だよね、好きだよ、ポルトガル。/『リスボン物語』