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ジャマイカと『SUPER8』
カレーを探しに出かけて行ったジャマイカへの旅で最も印象に残ったのは、カレーの味ではなかった。オールスパイスの木の枝でスモークされた香り高いジャークチキンと市場に流れるレゲエミュージックである。どちらにも「ここに来なければ出会えない何か」があって感動した。
「今まで僕が食べてきたジャークチキンは、ジャークチキンじゃなかったのかもしれない」と思ったし、「大音量で音楽がかかる市場は初めてかもしれない」と思った。
その土地の気候や風土、住む人々が生み出すグルーブ感がある。他所から来た人間が手にすることができないものだけれど、その地を旅した人にはお裾分けされるささやかなプレゼントだ。
エミール・クストリッツァ監督の映画『SUPER8』の冒頭に「オリジナリティとは何か?」について語るインタビューシーンがある。「モノマネしてレゲエを演奏したってホンモノにはなれっこない」という主旨のセリフがあって、つい最近訪れたジャマイカのことが頭をよぎった。
監督の息子、ストリボールがドラムスを担当するバンド「ノー・スモーキング・オーケストラ」のツアーを撮ったドキュメンタリー映画。ジプシー音楽に様々なサウンドを融合させた新しい音楽 “ウンザ・ウンザ”を引っ提げてあちこちを回る。ステージパフォーマンスとメンバーのインタビューで構成されるシンプルな構成がいい。
お茶目とシリアス、陽気さと疾走感が織り交ざるロードムービーで、特に各メンバーから語られる言葉が印象深い。
ジャマイカでは、誰もがアーティストであるかのように生き生きとし、まるで他人のことなんか気にしていないかのように伸び伸びと生活しているようだった。実際、現地へ頻繁に行き来するミュージシャンが言うには、道端を歩いているおじさんですら、ユニークさとプライドを併せ持っているようだ。「ボブ・マーリーもすごいけど、俺も負けないくらい才能あるアーティストだぜ」なんてセリフを聞くこともあると言う。
周りを気にせずに自分らしく生きる人々の姿を見て、思い出したことがあった。旧知の仲である編集者から厳しい言葉を聞いたことがある。
「水野君は最近、つまらなくなった」
もう5~6年以上前のことだし冗談交じりの発言だったけれど、いまでもときどき思い出す。「みんなが求める水野像に忠実に優等生を演じているよね。昔はもっとはみ出していて魅力的だった」と。うっすら自覚していることではあった。いつから僕は周りの目や評価を気にするようになってしまったんだろう。
ノー・スモーキング・オーケストラが奏でる自由で独創的な音楽が、映画の中で何度も鳴り響く。そのたびに僕はワクワクし、憧れ、そして凹んだ。気持ちがいいほど真っ直ぐに音楽に取り組むメンバーたちを見ていると思わずにやけてしまう。時に技術と真摯に向き合い、時に無邪気にじゃれ合い、時に真剣にケンカする。
どんな取組みにもユーモアを忘れない。誰のものとも違う自分たちだけの音を手にした男たちに迷いはないのだろう。思わず「いいなぁ」と嫉妬の入り混じった感情がもれ出そうになる。
映画にはイングランド出身のロックミュージシャンで、パンク・ロックバンド「ザ・クラッシュ」のボーカル兼ギタリスト、ジョー・ストラマー(Joe Strummer)が登場した。彼らの音楽を絶賛している。
「イギリスじゃみんな同じだろ、ギターとドラムで……。勝てないよ。独特の味がある。この手のものが必要なんだ。だからエミールのもつギリシャとユダヤがまじりあった音楽が好きだ。過去と未来の橋渡しをする音楽だよ」
この部分を何度も巻き戻しをして、繰り返し観てしまった。観ながら、自分のカレー活動を重ね合わせる。
「インドじゃみんな同じだろ、油とスパイスで……。勝てないよ。独特の味がある。この手のものが必要なんだ。水野の作るカレーが好きだ。過去と未来の橋渡しをするカレーだよ」
そんな風に誰かに言ってもらえる日は来るのだろうか(来るわけねえだろ!)。妄想するのは勝手だろう。才能の足りない人間が夢を見るために使える特権だ。
僕自身がカレー活動をするとき、常に意識しているのは、「日本人の僕が作る日本のカレーとしての姿」である。自分らしいカレー、自分にしかできないカレーを求めて20年以上やってきた。でも簡単じゃないんだ。そしてまた、あの言葉が頭の中に浮かんでは消える。
「水野君は最近、つまらなくなった」
映画の中では、各メンバーのインタビュー時に幼少期の映像が織り交ぜられる。モノクロでガサガサと荒れた映像を観ながら考えた。そういえば、僕はどんな子供だったんだっけ……。幼いころから僕はずっとお調子者だった。みんなが真面目にすればするほどふざけたくなった。
中学時代のことだ。全校集会で校長が挨拶をしているとき、列の一番うしろで仲間たちとはしゃいでいたことがある。その後に起こったことは今も忘れない。校長室になぜか僕だけが呼び出された。学年主任の先生が、校長と僕の目の前でいきなり泣き出したのだ。「学年のお手本にならなきゃいけないはずのお前が率先してふざけるなんて、先生は情けない」と。
息が止まりそうになるほど驚いた。
僕もその場ではもらい泣きしたものの、後で独りになって別の感情が沸き起こってくる。「なぜ自分がみんなのお手本にならなきゃいけないんだ。勝手に買いかぶってもらっちゃ困る」。そう、そういえば僕は昔から優等生にはなれない子供だったのだ。
スクリーンには“ウンザウンザ”が警戒に流れている。飾らず演じず、自分のルーツから沸き起こるものを素直に表現した結果、生まれた音楽。そうか、独創性は戦略的に生み出すものではなく、自ずと生まれてくるものなのかもしれない。
件のジョー・ストラマーは、かつてこう言った。
「Punk is attitude. Not style.(パンクはスタイルではなく姿勢なんだ)」
コピーしたり演じたりすることで自分らしさは生まれない。もう優等生はやめよう、と思った。「誰に何を求められているのか」なんて気にしたことがなかった20年前の自分のように、カレーを携えて活動していこう。どうせ振り切ったことをする勇気なんかないんだから、せめてお調子者だった自分を殺さず隠さずいようじゃないか。また誰かの期待を裏切ったり、身近な人に号泣されたりしてもさ。
ヤーマン! ジャマイカで食べた、あのジャークチキンのような唯一無二な味わいを出せる日が、いつかの自分に訪れますように。
映画の最後でバンドメンバーが渡し船に乗って話すセリフがある。
「この国は時間にルーズなので、小さなボートで渡るのが早い。風や雨が打ち付ける時、暇つぶしにアコーディオンを弾く。人生は美しいと自分に
言い聞かせるために」
これだけ自由気ままにバンドの姿を描いておいてさ、こんなふわっとつかみどころのないセリフで映画を締めくくるなんて……。エミール・クストリッツァ監督はズルい男だなぁ。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
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- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
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