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パキスタンと『さらば冬のかもめ』
サングラスをかけてくればよかったと思うほどの陽気だった。西荻窪のとあるカフェを久しぶりに訪れ、扉を開けて足を踏み入れたとたん、よろめいた。外のまぶしさと店内の落ち着いた明かりとのギャップで一瞬、視界がチカチカしたからだ。カウンターの真ん中あたりの席に腰掛け、景色がハッキリしてくるとご無沙汰していたオーナーシェフ・Yさんの顔が目の前にあった。チキンカレーを頼み、さっきの続きを頭に巡らせる。
世のため、人のため、という言葉についてである。あれが僕にはいまいち受け入れられない。そんなことをくよくよ悩むようになったのは、46歳という年齢のせいであり、その感覚が解せないのは僕が大人げないからか、または僕の想像力が乏しいからなんだろう。もっと言えば、映画『さらば冬のかもめ』を観てしまったのがいけなかったのかもしれない。
海軍の下士官バダスキーとマルホールは、罪を犯した若い水兵メドウズを護送する任務を命じられる。さっさと終えて残った時間を好きに使おうとしたふたりは、近い将来に獲得する自分たちの楽しみのために仕事につく。ところが、ダメダメなメドウズに次第に心を傾けてしまう。行動派のバダスキーの気持ちは揺れ動き、そのたびに理性派のマルホールがたしなめる。未成年でありながら8年の刑に服するメドウズの将来を憂う気持ちは膨らみ、ついにふたりの気持ちは彼に寄り添うのだ。
酒や賭け事、女、ケンカ……。ハチャメチャな数日間は青春そのものだ。 “自分のため”だったはずの任務に“彼のため”が紛れ込む展開が、僕を悩ませた。
10年以上前に「イートミー出版」という自費出版レーベルを立ち上げた。無料で配布するものも販売するものもあるが、どちらにせよ、赤字のプロジェクトだから、作れば作っただけお金が減っていく。それでも作るのは、“自分のため”やりたいことに取り組んでいるからだ。
一方、商業出版(最近、この表現を覚えた)の世界でも50冊以上のカレー本を出させていただいている。こっちでは“読者のため”、とか依頼をしてくれた“出版社のため”、という気持ちが介在する。とはいえ、“自分がやりたいから”がやはり先にある。全くダメな大人なのである。
そんな僕が、いま、新たにイートミー出版から1冊の本を出そうと考えている。しかも、この1冊に関しては、あろうことか“自分がやりたい”よりも “あの人に喜んでもらいたい”が先にあるのだ。夜中にふと思いつき、僕の中の行動派バダスキーと理性派マルホールは、深夜にバトルを繰り広げた。結果は? バダスキー強し。僕は“あの人のため”に本を作ることにしたのである。
映画では僕が一方で期待し、一方で恐れていたことが起きてしまった。護送の任務が目的地まであとわずかとなったとき、寒空の下でソーセージを焼きながら会話するバダスキーとマルホールのふたりには言いようのない哀愁が漂う。少し離れたところで思いつめたように黙っていたメドウズがゆっくりとその場を離れ、そして、逃げ出した。
ピストルを片手に全速力で追いかけるバダスキーはやがてメドウズを捉え、馬乗りになってメドウズを殴り続ける。「見逃してほしい」と懇願するメドウズに対して一切の容赦をしない。裏切りが許せなかったのか、仕事を全うしようとしたのか、何か別に思うところがあったのかは計り知れない。
なぜバダスキーは殴り続けたんだろうか。あれは、何のため、誰のためだったんだろうか。僕はいま、それをパキスタンの都市カラチのレストランで思い出している。パキスタンに来たのは生まれて初めてだ。このご時世、危険を伴うかもしれない土地にわざわざ足を運んだのは、知りたいことがあるから。
ニハリと呼ばれるユニークな牛肉のスパイス煮込み料理である。それがいったい何物なのかを突き止めたかった。「ニハリについて調べてほしい」と誰かに頼まれたわけではない。「ニハリのことを知りたい」という人が、どこかにいるかどうかは疑わしい。でも、僕には興味がある。誰のためにもならなさそうなことを探る行為にメラメラと闘志が沸くのは、今に始まったことではない。すなわち僕は自分のためにパキスタンへやってきた。
海にせり出す巨大なバルコニー席から暗い夜空を眺める。視線を落としていくと手前の海面はライトアップされ、無数のかもめが泳いでいる。ときおり、モーターボートが通りかかるといっせいに、盛大に、かもめたちが飛び立った。あれを観た後に旅したカラチの海で“冬のかもめ”に出会うなんて。変な偶然に思わず苦笑してしまう。
護送を終えたふたりがメドウズを引き渡すシーンは、拍子抜けするほどあっさりとしていた。うなだれるメドウズは軍人に引きずられて監獄への階段を上り、その後ろ姿をバダスキーは無表情で一瞥する。別れには感慨も涙もない。「えっ」と小さく声をあげてしまうほどあっけなく、逆にそれが頭にこびりついた。
メドウズが全身に傷を負っていたことから、バダスキーとマルホールは尋問を受ける。メドウズが逃亡を図ったのか、それともふたりが虐待をしたのか。あのとき、バダスキーの「逃亡はしていない」という嘘は、きっとメドウズのためである。じゃあ、なぜ彼が逃げようとしたとき、見逃してやらなかったんだろう。逃がせば自分たちがとばっちりを受けるからだろうか。
淡々とストーリーが進むロードムービーにまで目的や理由を考えようとするのは健全な行為とはいえないだろう。自分が悩んでいることを別のことにまで転嫁させてはいけない。「知ったこっちゃねえよ!」とバダスキーの言葉が聞こえてきそうだ。
本を作ることにした。あの人が喜んでくれるのなら。少しでもあの人の助けになるのなら。夜中にふとそう決めた直後に僕はひとりの仲間にメッセージを送った。「あの本、やることにしたよ」「わかった」。シンプルなやり取りをしてパキスタンへやってきたら、映画に登場しない第三の男が待っていた。行動派バタスキーでも理論派マルホールでもない。逡巡派のジンスケーという男だ。その本を作って本当にあの人は喜んでくれるのだろうか。本当にあの人の助けになるのだろうか。ジンスケーは悶々と悩み始めたのである。
頭の中で回想する『さらば冬のかもめ』は、ラストシーンに突入する。バダスキーとマルホールが外を歩きながら「あんな仕事、二度とごめんだな!」と吐き捨てる。そうだよな。バダスキーはきっと最終的な目的なんて考えてはいない。その瞬間に自分が直面していることに素直に反応しているだけなのだ。目の前に助けたい人がいれば助けるし、その人が裏切れば怒る。ひと段落して面倒な仕事だったと振り返れば、その瞬間に自分のための感情が沸き起こる。極めてシンプルに生きているのだろう。
そういえば西荻窪のあのカフェのYさんだって同じだ。黙々とカレーを作っている。お客さんは絶えずやってくるのだから。ただひたすら次の一皿を準備している彼に「いったい、それは、誰のために?」だなんて、聞くだけ野暮なのだ。
何のため? 誰のため? だなんて悩んでいるうちは、まだまだひよっこだ。いやいや、ひよこじゃなくて、かもめだよ。ま、なんでもいいや。逡巡派ジンスケーは、本を作ることに決めた。だからやる。もう悩まない。“世のため、人のため”には動けないけれど、“あの人のため”なら頑張れる。そうだ、それでいいのだ。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
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