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ポルトガルと『リスボン物語』
ポルトガルへ行こうと決めたのは、そこにカレーがあるはずだと思ったからだ。
旅は多くの人にとってそうであるように、僕にとっても非日常である。ただ、旅に求めるのは“何ごとも起こらない非日常”だから、旅先での予定をぎゅうぎゅう詰めにはしないようにしている。そこにカレーが?程度のことがキッカケで身軽に空を飛べるのがいい。
ヘルシンキ経由リスボン行きの航空券を買って旅の計画を始めると、知り合いの料理雑誌編集者から連絡があった。
「ぜひ、ポルトに行ってください!」
僕が訪れるちょうどその週末は、ポルトガル北部の都市、ポルトで年に一度の“イワシ祭り”があるという。
「こんないいタイミングでポルトガル行きを決めるなんて、水野さんは持ってますね!」
メールの文面からも嬉々としていることが手に取るようにわかる。僕はどちらかといえば“持っていない”ほうだという自覚があるが、そこまでなら、とひとまず計画に盛り込んだ。
カレー仲間でポルトガル料理店「クリスチアノ」のシェフをしている佐藤くんにポルトガルに関する情報を聞いてみたら、どっさりと関連書籍を貸してくれた。トートバッグの中にDVDが2枚入っていたのは、オススメの映画も聞いてみたからだ。
「映画はあんまりないですよ。『リスボン物語』(1995年)くらいしか……」
その言い方がいかにも気乗りしていない感じだったから、つられた僕も「ついでに……」くらいの気持ちで『リスボン物語』を手に取る。監督の名前を見て小さく声を上げてしまった。ヴィム・ヴェンダースじゃないの! 大学時代に僕はこの監督にかぶれていた。と言っても『パリ・テキサス』(1984年)を見てググっとハマり、『アメリカの友人』(1977年)を見てドップリ浸かり、『ベルリン天使の詩』(1987年)を見てマイブームの終わりを悟った程度のファンだったのだけれど。
大学時代からロードムービーが好きだった。いま思えば、モラトリアムな自分をかっこよく肯定するためのツールだったような気がする。「ヴェンダースを好きな自分が好き」というダサい若者だった。
もう1枚のDVDは、『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』(2012年)という短編企画もので、4人の監督の中にもう一人、僕の好きなアキ・カウリスマキがいた。そして、ヴェンダースの描くポルトガルも、カウリスマキの描くポルトガルも見事に“何ごとも起こらない非日常”があってドキドキした。
「これがヴェンダースの世界なんだよなぁ」
「これがカウリスマキの色なんだよなぁ」
昔のダサい自分が舞い戻ってきて、精一杯背伸びして知ったかぶった独り言を口にする。
思いのほか激しく揺れた飛行機がリスボンの空港に着陸するころには、映画のことはすっかり忘れていた。
生まれて初めてのポルトガルである。ホテルにチェックインしたのは、夜11時を過ぎ。レストランを見つけて入り、バカリヤウ(干し鱈)とジャガイモを炒めて卵でとじた料理をほおばる。微発泡の白ワインを飲んで少しだけポルトガル気分に浸った。
翌朝、電車に3時間ほど揺られてポルトへ向かう。車窓から見えるのどかな田舎の風景はいつまでも続き、僕は眠たくなった。電車に乗るほとんどの客が終点のポルトまで降りようとしなかったのは、この街のイワシ祭りが目的だからだ。ホームを歩いてエスカレーターに乗ると、目の前にいる女性のリュックからオモチャのハンマーが覗いている。通称ピコピコハンマーというやつである。もしや、これは……。
「ハンマーで頭を叩くのよ、私なんて何百回叩かれたかわからないわ」
ポルトガル料理研究家の友人からの忠告がよみがえった。街角のいたるところでハンマーを売っている。郷に従え、とばかりに1本買ってホテルにチェックインすると、部屋のベッドの上に同じハンマーが準備されていた。この街はいったいどうなってるんだ!?
その夜に起きたことを説明するのは簡単だが、あの夜の心境を説明するのは困難だ。どの道からも白い煙が立ち上り、炭火で焼いたイワシの香りが漂っていた。ハンマーを手にした人々でごった返し、すれ違いざまに片っ端から頭を叩かれる。もちろん僕も叩き返した。年に一度、この祭りの日だけは誰の頭を叩いても無礼講、ということになっているようだ。街中にピコピコ、ピコピコ、と気の抜けた音がこだまし、深夜0時になるとドウロ川にかかる一番大きな橋で花火が上がった。世界中の毎日がこんなだったら、どれだけ平和なことだろう。
得難い体験をした、と思う反面、いったい僕は何をしにここまできたんだろう? と少し凹んだりもする。僕は、カレーを探しにポルトガルまでやってきたのである。僕は、何事も起きない非日常を求めているのである。それなのにポルトで最もエポックメイキングな出来事が起こる夜に居合わせるだなんて。
翌日、リスボンに戻った僕は、懸命にカレーを探し、旺盛に食べ歩いた。まるでイワシにウツツを抜かしたひと晩を取り戻すかのように。
ポルトガルでは、カレーのことをカリルという。CURRYのことをCARILと書く。だから、CARILを探し、CARILを食べた。どこにでもあるわけではない。というか、滅多に見かけない。何軒も訪ね歩き、外に出ているメニューをくまなく探し、その文字が見つからなければ次へ行く。ロンドンのパブでCURRYを探していたときに似ている。たまにCARILを見つければ、喜んで入店し、注文する。喜んで食べるのだけれど、別に喜べるような味わいではない。
インド料理店で気になる料理を食べてみたり、缶詰バーでカレー風味の缶詰をつまみに酒を飲んだりした。リスボン最大の書店へ行き、ポルトガル料理本を手にソファに座り、目を皿のようにしてCARILの文字を探しまくったりもした。
ポルトガルでの数日間、カレー以外の料理も食べたが、唸るほどうまい料理に巡り合えたとは言いにくい。そういえば、出国前にポルトガルに行くと言ったら、行ったことがある人が何人か口をそろえて言ってたっけ。
「でもね、普通だよ」
あれやこれやおすすめ料理やレストランを紹介してくれ、最後にそう付け加えるのだ。うん、普通だよね。僕も現地でおおいに賛同した。でも、普通がいいときも、あるんだよな。そう、何事も起こらない非日常とは、この“普通だよな”という感覚のことなのかもしれない。そのおかげなのか、僕はすごく機嫌がよかった。この国が好きになった。
1週間に満たない滞在中に僕が過ごした忘れられない時間がある。丘の上にある公園でベンチに座って向こう側の丘を眺めた午後のひととき。7つの丘でできていると言われるリスボンのほんの断片を目にしながら、ぼーっと考えた。
ヴェンダースの見た景色と僕が見た景色はまるで違うものだ。それでもあの映画に共感したのはなぜだろう?
帰国後にもう一度『リスボン物語』を観た。録音技師フィリップ・ヴィンターと親友の映画監督フリッツというふたりの登場人物が繰り広げるやり取りを通じて、ヴェンダースは「映画とは何か?」を問いかけている。同じように僕は、リスボンの街中を彷徨い歩きながら「カレーとは何か?」を自分に問いかけた。……なあんて、かつて憧れた監督の目線に無理やり自分を重ねてみる。
たまたま僕はあそこへ行ったけれど、正解を見つけたわけではない。ポルトガルという国は通過点に過ぎなかったのだ。カレーを巡る旅はまだ終わらない。そうか、要するに僕は、僕の中にある“カレーロードムービー”の主役を演じてるってわけなんだな。ヒューヒュー! なかなかイカシてるぜ。
終わった旅の妄想は、いつだって自分に優しい。だからまたこの日常を抜け出したくなるのだろう。
- 夢かうつつか、カレーと向き合う日々/『WALK UP』
- なぜ絵を描くのか?なぜなのか?/『世界で一番ゴッホを描いた男』
- そこに到達するまでの旅が心に残る。/『アルピニスト』
- 若い頃にしたことやしなかったことの夢だ。/『ダゲール街の人々』
- 美しい光は危険なんだ。おいしいカレーもね。/『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
- ケキッキは、ケキッキだ。それで、いいのだ。/『カメラが捉えたキューバ』
- 臆病なライダーが、カレーの脇道をひた走る。/『イージー・ライダー』
- 気を抜くんじゃないよ、あの男が見張っている。/『世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜』
- 失ったものもいつかは取り戻せる、 といいなぁ。 /『パリ、テキサス』
- 1つさ。 それに頼れば、ほかはどうでもいい /『シティ・スリッカーズ』
- 嘘でも言ってくれ 「見せかけなんかじゃない」 /『ペーパー・ムーン』
- 誰かにもらった正解よりも、自ら手にした不正解 /『80日間世界一周』
- 笑いの裏に苦悩が隠れ、 怒りの裏に孤独が潜む。/『スケアクロウ』
- 指した手が最善手。別の人生は歩めないのだから /『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
- 希望はいつも足元にあり 仲間はすぐそばにいる /『オズの魔法使』
- 「何のため?」…なんて悩んでいるうちは、ひよっこだ。 /『さらば冬のかもめ』
- 独創性は生むより生まれるもの、なのかもなぁ。/『SUPER8』
- どうして探しモノは見つからないのだろう?/『オー・ブラザー!』
- 答えは見つからず、理由は説明できないのだ。/『ブロークン・フラワーズ』
- 寸胴鍋をグルグルとかき混ぜる、身勝手な男。/『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』
- チラ見せに魅せられて、魔都・上海。/『ラスト、コーション』
- スリルは続くよ、スリランカ。/『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
- 普通だよね、好きだよ、ポルトガル。/『リスボン物語』