落語界に「上司」という言葉はなく、先輩は「兄さん」、もっと上は「師匠」と呼ぶ。その人口はあまりにも多い。なぜなら定年がなく、死ぬまで現役でいられる、逆ピラミッド型の世界だからだ。最近は多少薄れてきてはいるが、基本的に上の言う事が絶対。セクハラ・モラハラ・パワハラなんていうのも当たり前…どころか、その三つで成り立っていると言っても過言ではないと思う。
他所から見れば「ありえない!」と思われるかもしれないが、私は上から歯に衣着せずにものを言われる、昔気質な落語界が大好きだ。
世の中、あってもなくてもいい商売というのはいくらもあるが、我々噺家などという生きものは昔から「なくてもなくてもいい商売」なんて言われている。誰も「やってくれ」なんて頼んでいない。自分がやりたいからやっている。そんな世界で生きていきたいのなら、全てが修行であり、我慢が付きものだ。
芸事の世界ではこれが当たり前だと思うが、世間一般ではどうだろうか。もちろん、パワハラを良しとしたいわけではない。でも今の世の中、周囲の目を気にしすぎて、上司も部下も言いたいことが言い合えないで、ストレスが多い生活を送っている人がいっぱいいそうだ。
さて、映画はもっぱら家で観る私だが、この『セッション』という映画は公開当時、予告編に惹かれて映画館へ足を運んだ。
アンドリューはジャズドラマーになろうと、アメリカ最高峰の名門音楽大学へ通っている。ある時、校内で一番の指導者フレッチャーの目に留まり、彼のスタジオバンドの一員になる。アンドリューの親族は揃って優秀で、やっと自分も一流になる足掛かりができたと思ったのも束の間、このフレッチャーの教育方針というのが、とんでもないパワハラ指導だった。アンドリューが必死に、まさに血の滲む努力をして足掻いていく姿に、なんとも心を刺激されるのだが…。
観ていて気になったのは、生徒が皆フレッチャーにひたすら怯えている事。私は人の顔色を伺うというのがどうも好きになれない。協調性も大事かもしれないが、本当は周りの目すら気にしてられないほど夢中で何かをやった時に初めて、その人間の真価が発揮されるんではなかろうか。
数年前に上方(*)の桂文枝師匠とご一緒になる機会があった。私は初め、「気に入られたら嬉しいなぁ」という余計な邪念を持ってしまっていた。それで、師匠のお弟子さんの、桂三度さんが楽屋に来ると、真っ先に「師匠の嫌がる事を教えてくれないか?」と尋ねた。すると「高座では師匠イジり、お客さんイジりは嫌がります。あと、下ネタは嫌いです。それから無駄にマクラが長いのも、あんまり好きじゃありません。もし気にしてくださるのでしたら、高座上ではなるべく紳士的な振る舞いが良いと思います」と教えてくれた。「マクラ」とは、落語の本編の前に喋っている小噺や漫談や、人によっては本編にあまり関係ないフリートーク。それが無駄にダラダラ長いと嫌がる事があるという。
これには困った。まだ私の高座を観ていない読者の方もいると思うので一応言っておくと、落語は古典を演らせてもらっているが、マクラでは下ネタ、客いじり、そして、出口も見つけてないのに入口だけで見切り発車をする、フリートークをやってしまう事が多い。特にお後の先輩をイジったりして、なんとか自分の存在をアピールしようとする事もしばしば。その全てを封じられてしまっては何もできない!
考えた挙句、別に文枝師匠に向けて落語を演るわけではない。お金を払って観に来てくれているのはお客さんだ。彼らを楽しませられるように、できる事を頑張ろう。「もうどうとでもなれ!」と、せっかく教えてもらったご法度の全てをやった。
手前味噌ながら、その時の高座はウケにウケ、その後の大喜利でも、文枝師匠をイジりにイジり、お客さんは大いに笑ってくれた。ふと一緒に舞台に立っている三度さんを見ると、もう呆れて真っ青な顔をしている。ところが、文枝師匠はというと、こちらの失礼に怒るどころかドンドン乗ってくれ、爆笑のうちに幕を閉じた。
終演後、数々の失礼を侘びに行くと、「最近、あなたのようなイケイケが少なくなったから、今日は本当に楽しかったよ」と、そう言ってくれた。
その日を境に、文枝師匠は何を勘違いしたのか、私を気に入り、大阪など遠方まで呼んでくれるようになった。昨年の私の真打昇進の興行では、無償で、というより赤字になりながらも、大阪から東京は新宿の寄席へ来て、口上にまで並んでくれた。今では私だけでなく、東京の若手みんながお世話になっている。本当にありがたい。
私も芸歴十五年を経て、今では後輩が増えてきた。このまま落語界のしきたりに甘えて後輩に遠慮なく接していると、いつか痛い目を見るのかもしれない。でも上司も部下も、余計に気を遣い合っていると変に畏まってしまったり、緊張してしまったり。上下の枠に囚われて、もっと大事な関係性に気付きにくくなってしまうような気もする。
まったく世知辛い世の中だ。
そんな、周りに目を向けてばかりいないで、多少は自分で自分のわがままを許して、楽しい人間関係を築けていけたら良いのになぁ。そういえばアンドリューも、なりふり構わずにやってようやく最後、フレッチャーと対等に、人間同士として向き合えていたよ。
とにかく三度さんのアドバイスは、自分には余計だったと思って過ごしている。
そんな私は一昨年、文枝師匠に呼んでもらって兵庫県に行ってきた。二千人の大入り満員、メンバーは師匠と三度さんと私。トリの師匠の前に出番をもらい、「よぉし! やってやるぞ!」と開口一番、「私が終わったら後は、ただのおじいちゃんが出てきます」、そう言った瞬間…生まれて初めて「シーーーン」という音を聞いた。高座を降りて文枝師匠の楽屋へ行くと「そうかぁ…そうだよなぁ…俺おじいちゃんなんだよなぁ…」、その日は打ち上げまでずっと気を落としてしまっていた。
皆さんも、やりすぎには注意をしてもらいたい。
*上方…「上方落語」の略。東京を中心に演じられる「江戸落語」に対して、大阪・京都を中心に関西で演じられる落語のこと。
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