久しぶりにあなたに手紙を書いています。お元気ですか?
私は、少しぼんやりしています。毎日湧いてくるニュースを追うのにも、本を開くのにも疲れてしまいました。先の見えない日々の中で、みんなが“答え”を探し回っているように思えます。もちろん、私も“答え”を探しているうちの一人です。正直に言うと、自分が今何を感じているのか、何をしたらいいのかが分からずに、立ち往生って感じです。
でもそんな中、久しぶりにつけたラジオは心地よかったな。目を閉じたままでも聴けるし、料理をしながら耳を傾けてもいい。何より「あ、いいな。誰の歌だろう」とか「ふーん、そんなことがあるんだ」なんて具合に、偶然の出会いがひゅうんと舞い降りてくるのがいい。
そのときラジオで紹介されていた『「僕の戦争」を探して』という映画が気になったので観てみました。原題は『Living is easy with eyes closed』。「目を閉じれば生きるのは簡単」という意味かな。舞台は1966年のスペイン。主人公の、ビートルズを熱愛する中年の小学校英語教師(私は彼に、“ビートルズ大好きおじさん先生”とあだ名をつけました)が、ジョン・レノンを探す旅に出て再び帰って来るという内容なのだけど、なんというか観ていて思わず微笑んでしまうような素敵な作品でした。気軽に旅行にも行けない毎日ですが、ちょっとだけ清々しい気分をお裾分けしてもらいました。
映画は、ビートルズ大好きおじさん先生が小学生と一緒にビートルズの「Help!」の歌詞を朗読するシーンから始まります。
「助けて! 誰か来て」
「助けて! 誰でもいい訳じゃない」
「今よりずっと若かったころ 誰の助けもいらなかった」
「でもそれは過去のこと 今は自信がない」
「助けて! 落ち込んでるんだ」
「一緒にいてくれないか」
「助けて! 地に足をつけたい」
私はこれまで何度も耳にしたことのある曲が、こんな歌詞だったとは知りませんでした。あれほど成功した有名なバンドでも、心の奥では誰かの助けを求めていたなんて。不安な気持ちを抱えているのはみんな同じなんだなあと、ちょっと親近感が湧きました。
私はジョン・レノンが亡くなった翌年に生まれたので、タイムリーに聴いていたわけではないけれど、家にはビートルズのレコードが全部揃っていたし、他にも彼らと同時代に人気があったローリング・ストーンズやボブ・ディラン、ピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックスなんかのレコードが沢山ありました。
小学生の頃、父のレコードコレクションの中から、私が好きな曲をカセットテープに録音してもらい、A面とB面を飽きもせずひっくり返して聴きながら子ども部屋で過ごしたのを思い出します。ビートルズの中で私のお気に入りは「Across The Universe」と「Blackbird」という曲でした。そういえば、「Because」という曲がかかるといつも途中でテープを早送りしてしまったっけ。まるで誰もいない森の中に迷い込んでしまったようなひんやりとした気持ちになってすごく怖かったのです。今聴くと、なんて美しくて切ない曲だろうと思います。
こんなふうにビートルズは子どもの頃からよく聴いていたけど、どんなことを歌っているのかはちっとも知りませんでした。「Help!」だけじゃなく、他の歌詞も読んでみたら新しい発見があるかもしれませんね。今度、父にレコードを貸してもらおう。
さてさて、映画の話に戻りましょう。
ビートルズ大好きおじさん先生は、あるときスペインで映画を撮影中のジョン・レノンにどうしても伝えたいことがあって車で旅に出ます。その道すがら偶然出会った若い女の子を乗せ、さらにヒッチハイクの男の子も拾い、三人で一緒に旅をすることに。女の子も男の子も誰にも打ち明けられない悩みを抱えていて、行く宛もなく家を飛び出したのです。
そんな二人の若者に、主人公がこんなことを言う場面がありました。
「歌は人を救う。自分が感じていることを他の誰かも感じたことを知る。すると孤独でなくなる。誰だって“助けて”と叫ぶことがある。一生に一度はね」
そして車の窓から顔を出し、ありったけの声で「ヘーーーールプ!!」と叫んで見せました。女の子も男の子も(そして私も)思わず笑顔になりました。
きっとこのおじさん先生も、生徒の前では“先生”だし、若い二人の前でもこうして陽気に振る舞ってはいるけれど、誰かに弱音を吐きたいこともあったでしょう。そんなとき、いつも大好きな歌に助けられて来たんだなと思いました。
「歌は人を救う」――この言葉を聞いて、あなたに手紙を書きたくなりました。私がこれまでに救われてきた歌をあなたに送りたいと思います。よかったら、ゆっくり聴いてみてください。
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無条件に優しい気持ちを思い出させてくれる歌があります。
エラ・フィッツジェラルドの「Take Love Easy」やビル・エヴァンスの「Peace Piece」、ホーギー・カーマイケルの「Stardust」なんかを聴くと、いつも心が落ち着きます。それから「Mack The Knife」という歌を知っていますか? きっと一度は耳にしたことがあるはず。いろんな人がカバーしていますが、私はダイナ・ショアとパール・ベイリーのちょっとコミカルなデュエットが大好きです。
肌身離さずお守りのように聴いていた歌もあります。
レディオヘッドのアルバム『OK Computer』と『Kid A』を聴くと、今でも電車の小さな窓から毎日見ていた街の風景が心に甦ります。二十代の頃、朝の満員電車の中で身動き一つできないままじっと耳を澄ませていたのはそんな歌たちでした。
三十三歳の頃、初めて人を“疑う”ということを知りました。底なし沼のような日々から抜け出せなくなり、気づいたら私はボロボロでした。そんなとき聴いていたのは斉藤友秋の「心」という歌。あの頃、私の心は何も生えない荒れ野のようでしたが、そんな不毛の土地に少しずつ新しい芽が出てきました。あの歌が、辛抱強く小さな種を一緒に撒いてくれたのだと思います。今ではまた怖れずに“信じる”ことができます。
最高の気分転換になる歌もあります。
「うじうじ悩んでいてもしょうがない!」と、何もかも投げ出したくなるときってありますよね。そんなとき、私はよくフランスのアニメ映画『ベルヴィル・ランデブー』の主題歌を大音量でかけて踊りました。歌が終って汗だくになると、ちょっとだけ世界が変わったような気がしたものです。
それから、細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美の音楽ユニット・HISの「日本の人」はとにかく歌詞が素晴らしい。一緒に歌っていると、自分の悩みなんてちっぽけに感じてくるから不思議です(夕方になったら「蛍の光」の代わりに日本中でこの曲を流してほしいくらい)。
何かについて深く思いを巡らすときの「水先案内人」のような歌もあります。
ここ何年かよく聴いているのは、ニコラス・ジャーがジョン・レノンの命日に合わせて作ったトリビュート・ミックスの「Our World」。一時間もある長い曲ですが、聴いているとだんだん深い海に潜っていくような気分になります。
こんなふうに挙げてみると、歌は目に見えない友だちのように、いつもそっと寄り添ってくれていたんだなと思います。
映画の最後、旅から帰って来た主人公が、誰もいない教室で佇む姿が心に残りました。黒板には「Living Is Easy with Eyes Closed」と書いてあります。これは、ジョン・レノンが「君のクラスに捧げる」と彼にプレゼントしてくれた新しい歌の一節だったのです。
どんなときも口ずさめる歌。遠くにいる大切な誰かに手紙と一緒に送りたい歌。深刻になりすぎたときに「Take it easy」って自分自身を笑えるような歌……。そんな歌が一つあったらいいなと思いました。
あなたも手紙と一緒に好きな歌を送ってください。こうしてなかなか会えない今、歌は「触れ合うことなく触れ合えるもの」だと思いませんか? それでは、また元気に会える日を楽しみにしています。
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