周りより少しだけ遅れて我が家にやってきたDVDプレイヤーはまるで魔法の機械のようで、クリスマスプレゼントで買ってもらったスピッツの『放浪隼純情双六 Live 2000-2003』というDVDを、毎朝学校へ行く前の短い時間にリビングで流していた。VHSからDVDへの変化やカセットからMDへの変化は、小学生から中学生にあがった僕にとって、途方もなくワクワクするものだった。当時、学校からの帰り道に大きな図書館があったのも手伝って、この頃の僕は毎日のように新しいものに出会い、そのどれもが僕を違う景色のなかへと連れて行ってくれた。
レンタルビデオショップ「アラスカ」の、ヤクザ映画や『バトル・ロワイヤル』なんかが置いてある真っ黒なコーナーの隣で、『ジョゼと虎と魚たち』に出会ったのはその頃のこと。やけに日に焼けたパッケージばかり並べられたコーナーは、僕にとって新しい宝探しの場所になった。
『ジョゼと虎と魚たち』は2003年に公開された映画で、原作は田辺聖子さんによる短編小説だ。主題歌の『ハイウェイ』をはじめ劇中の音楽はすべてくるりによるもので、はじめてサウンドトラックをレンタルして聴いたのもこの映画だ。主人公の恒夫が車でもバイクでもなく原付きに乗っていることも、緑のトレンチコートも風が吹く海と砂浜も、生々しい肌色の男女も、くすんだフィルムの質感も、恒夫が最後に選択することも、そしてなにより、映画を観終わったあとの自分の心の中にざわざわと波打つ掴みどころのない感覚も、それまでにぼくが触れたどの映画にもなかったもので、僕を夢中にさせた。
もしかしたら『ジョゼと虎と魚たち』は僕がはじめて愛や恋の“複雑さ”や“分からなさ”に触れることができた映画なのかもしれない。それは2004年のことで、中学1年の時。夕日の景色を綺麗と思ったり、はじめてちゃんと女の子のことを好きになったり、はじめてエレキギターをジャカジャーンと鳴らしたりした年。色んなことが同時にはじまった年。周りのみんなも多分そうで、それは13歳という時間がなにかとなにかの間の時間、自分の中の世界と、外の世界が少しずつ交わっていく(そしてそのことに不安に感じたり苛ついたり戸惑ったりする)時間だからなのかもしれない。
何年に何を観たとか、何を聴いたとか、そんなことはずっと忘れないからすごいなと自分でも思う。もしかしたらそれは、僕が図書館もレンタルビデオショップもその風景や匂いを、音楽や映画や小説の中に栞を挟むようにそっと閉じ込めていて、それに触れればいつでもそれらを思い出せるようになっているからなのかもしれない。新しく触れたメロディやカットから、ある景色だったり匂いのようなものだったりを感じることもあるけれど、時間が経ってからそれらに触れたときにはやっぱりその当時の思い出が匂い立ってくるように思う。
それまで金曜ロードショーや日曜洋画劇場で流れるような洋画や、ジブリのアニメ映画ぐらいしか観ていなかった僕だったけど、ちょうどそのころ夢中になりはじめていたASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアンカンフージェネレーション)やスピッツ、GOING UNDER GROUND(ゴーイングアンダーグラウンド)や銀杏BOYZ(ぎんなんボーイズ)といった日本のロック音楽の影響で、なかなかテレビでは流れないような邦画や星新一のSF短編や海外のヤングアダルトもの以外の小説にも興味がではじめていた頃だった。なかでもスーパーカーとくるりというバンドは特に映画との関わりが強くて、『ジョゼと虎と魚たち』を観るきっかけも主題歌や劇伴をくるりが担当していたことだった。
僕は去年の夏に制作のニュースをみて以来ずっと劇場で公開されるのを楽しみにしていた映画『愛がなんだ』を観て、その1カット1カットの中に、僕が邦画を好きになりはじめた2000年台の雰囲気を感じとった。『ジョゼと虎と魚たち』とそのエンディング曲を思い出したりもした。なにを隠そう、この映画の主題歌は僕たちHomecomingsが書き下ろした『Cakes』という曲なのだ。
映画館のスクリーンから自分たちの曲が流れる、という体験は本当に特別なもので、音楽をやっててよかったなー、と思うと同時に、映画が好きで本当によかったなーとも思える瞬間だ。自分が作ったものが、誰かの作ったものと合わさることでひとつの作品になるというのはとても嬉しい。しかもそれが音楽とはまた別の、自分が大切にしているカルチャーだと余計に嬉しい。さらにいうと、それが自分のお気に入りの映画館ならなおさらだ。
『愛がなんだ』は、京都では単館系を中心に扱う、京都シネマという劇場で上映される。ウェイン・ワン監督の『スモーク』(原作は僕が大好きなアメリカの作家ポール・オースターだ!)やビル・マーレイ主演でセオドア・メルフィ監督の『ヴィンセントが教えてくれたこと』といった、のちに『New Neighbor』(僕たちHomecomingsとイラストレーター・漫画家のサヌキナオヤさんと共催している映画とライブのイベント)で上映することになる大切な映画もこの劇場で観たし、大好きなウェス・アンダーソン監督の映画を初めてスクリーンで観たのも京都シネマだった。今年に入ってから観たイ・チャンドン監督の『バーニング』もかなりガツンとくる一本だったし、これから公開になる『マイ・ブックショップ』や『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』もとても楽しみな映画だ。
そんな昔から通っている大好きな映画館のスクリーンから自分が書いた曲が流れると思うと、とてもワクワクするしそわそわする。エンドロールの途中で誰も席を立たないでくれー、とまだ公開になる前から心配にもなるけれど、映画の後味を台無しにしちゃうような曲ではない、と自信を持って言える曲を書けたと思う。登場人物の誰のことを歌った曲ではないけれど、登場人物の誰もが自分のことと思えるようにしたいと思って歌詞を書いた曲だ。エンドロールという、映画にとってとても大切な場面を任せてもらうことは、アーティストとしてとても光栄なことであり、自分が今までで作ってきた音楽と向き合うきっかけにもなった。
僕たちのつくる音楽にも、そして新聞の隅やインターネットの中に残るこんな文章にも、誰かのなにげなくて大切な瞬間や匂いが閉じ込められたら、そんなことを思いながら僕は今日もモノを作っているのだ。
小さな頃は はなれないでいる いつだって君の指が触れ続ける
短い話を繰り返す 何度目かの曲がり角 さっきあった目印はどこだろう そんなことが気になるのだけれど
いつでもそこで眠っていた 君の寝息がどこかから立ち上がる
寂しさや美しさを手で運べるように そんな風に分かるようになる 眠らずにどこへでも行けるような そんな日々を待っている 気にしてなくてもいいのだけれど
小さな頃は はなれないでいる いつだって君の指に触れ続ける
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※2021年2月25日時点のVOD配信情報です。