目次
「自分にゆだねられている」
という緊張感を、どう楽しむ?
― 銀獅子賞受賞、おめでとうございます! 今回は、黒沢清監督はじめ出演者の皆様も現地ベネチアでの授賞式とはなりませんでしたが、オンラインで行われた公式記者会見で、蒼井さんが「行けなかったのは残念ですが、この状態でも“映画は世界へ届く”喜びをかみしめたい」とおっしゃっていたのが印象的でした。
蒼井 : まず海外の方に観ていただき、作品をコンペに呼んでいただけた時点で、「国内だけじゃなくて、世界の人に伝わる強度のある映画なんだ」ということがわかって、とてもうれしいです。そして、できることならベネチアに行きたかったです!
― 蒼井さんと高橋さん、黒沢監督が出席されたオンライン記者会見は大変和やかな笑いに溢れていましたが、撮影は一瞬も気の抜けない張り詰めた日々だったそうですね。映画の舞台は1940年。その時代を再現するために、セリフの一言一句、美術、装飾、髪型や衣裳に至るまで、キャスト・スタッフともに隅々まで細かいつくり込みが必要な作品だったと。
高橋 : 黒沢監督のもと、この素晴らしいスタッフワークで『スパイの妻』が出来上がったこと、そしてさらに受賞に繋がったこと、すべてを含めた「うれしさ」がありました。一連のことが奇跡のように感じられて、重ねて「うれしい」という感覚です。
― 黒沢監督も「映画作りの“緊張と喜び”を、これほど素直に感じることができたのは、私の長いキャリアの中でも久しくなかったことでした」とおっしゃっていました。作品自体も終始独特の緊迫感が続きますが、そのきっかけとなる、蒼井さん演じる聡子に高橋さん演じる夫の優作が問い詰められるシーンは圧巻でした。この撮影が行われたのは、クランクインからわずか2日目だったそうですね。
蒼井 : 意図したわけではなく、撮影スケジュールの都合上、やむを得ず2日目になってしまったようなんですけど、スケジューラー(スケジュールを組み立て、管理を担う役割)の方は「これ、絶対に怒られる……」と思って、できるだけ私たちに近寄らなかったらしいです(笑)。
高橋 : そうなんですか。僕はむしろ楽しかったです。優作が腹を決めて聡子と話す、まさに物語の核心に迫っていくシーンで、自分の中でお芝居のフォーカスが絞れた感じがしました。
― 優作は、出張先の満州で偶然、恐ろしい国家機密を知ってしまいますが、正義のため、事の顛末を世に知らしめようと奔走します。ですが、事情を知らない妻の聡子が、優作の浮気を疑い、嫉妬に駆られて優作をものすごい剣幕で問い詰めるというシーンですね。
高橋 : 撮影2日目に蒼井さんとあのシーンを演じられたからこそ、そこからさらに加速していけたような感じがします。
蒼井 : あのシーンは、本当にすごかったなぁ……。
― ワンカット長回し(撮影を途切れさせずにカメラを回し続ける撮影方法)でしたから、出演者の方の緊張感はただならぬものだったのではないかと。
蒼井 : 「逆じゃなくてよかった!」と思いました。私が長ゼリフじゃなくてよかった(笑)。
― (笑)。
蒼井 : 私はあんな長ゼリフが2日目に来たら、もう泣いています(笑)。
高橋 : けれど優ちゃんも結構長いセリフを話していましたから。
蒼井 : いや、やっぱりあのお芝居を2日目でやれるっていうのは、地肩の強さがあるからだと思います。
高橋 : いえいえ、なんだか楽しかったんです。優作と聡子が、画角(カメラで撮影した際、実際に写る範囲を角度で表したもの)の外に出て、背中を見せ、また外れて……という場面を長回しで撮れたことは、俳優冥利に尽きるというか。そのような一連のお芝居を、僕は「何度でもやっていたい」と思うんです。とても楽しかったですね。
― どういう部分が楽しいと思われるのですか?
高橋 : カメラが固定されていても、僕らは画角に収まりきっていないので、ある意味自由な状態なんです。とりわけ心情に関しては、僕自身がどう捉えるかにゆだねてくださっていたので。
黒沢監督には妥協がないので、何度か撮影して終わった時に「これで監督と合致したということなんだ」と、なんだかとてもうれしい気持ちになるんです。幸せな瞬間でした。
― 自分にゆだねられている分、緊張感もあるが喜びもあった、ということですね。
蒼井 : 私は真っ正面にカメラを置かれると、「きた!」って思うんです。あんなに真っ正面からカメラに捉えられること自体、あまりないので。黒沢監督の現場では「はい、どうぞ」って託されている感じがするんです。
― やはり、蒼井さんも自身にゆだねられていると感じたと。
蒼井 : 「うわぁ、もう逃げ場がないぞ」みたいな緊張感と喜びが湧いてきて。でも、緊張からある一線を超えると、ゾクゾクするんです。
高橋 : (大きく頷く)。黒沢監督が醸し出す柔らかい緊張の中に身を置く感覚で、本当に心地良かったんです。のびのびとお芝居させていただけました。
― PINTSCOPEでも以前、黒沢監督にインタビューさせていただきましたが、すごく穏やかで、物腰もとても柔らかい方でした。
蒼井 : そういう意味でも、この映画は黒沢監督にしか絶対に撮れない作品です。だから何より観ていただくのが一番です(笑)。
緊張を乗りこなす「バランス力」
― 蒼井さんと高橋さんは、タナダユキ監督の映画『ロマンスドール』(2020)から2回目の夫婦役となります。黒沢監督は、今作でスタッフ・キャストが素晴らしい仕事をする中でも「とりわけ蒼井優さん、高橋一生さんが、あの時代の夫婦が直面する信頼と疑心暗鬼の交錯を、強烈なリアリティを持って演じ切ってくれた」とおっしゃっていますね。
高橋 : また一緒にお芝居ができるというだけで、心強かったです。『ロマンスドール』の時もそうでしたが、蒼井さんとだと非常に有意義な新しい発見があるというか、「お芝居ってこういうことだよな」と思う瞬間がいくつもあるんです。それを感じられるのが、すごくありがたい。
― 以前、高橋さんは、蒼井さんとのお芝居について、「前回(『ロマンスドール』)はジャグリングのようだったけど、今回はチェスのような感じだった」とお話されていました。
蒼井 : 『ロマンスドール』の時はまさにジャグリング状態でしたね。
高橋 : 球を何個も投げ合っている感じで、しかもそれをテーブルの下でやっているような状態でした。
― テーブルの下! それは輪をかけてバランス力が問われていますね。
蒼井 : どっちも楽しかったけれど、確かに今回はチェスみたいでした!
高橋 : お互いの空気を感じながら、次にどう置くかを考える。
― 高橋さんは、蒼井さんについて「助走なしで急に飛べる」「スイッチのオンオフがない」ともお話しされていましたが…。
蒼井 : それじゃあ、崖から落ちてるみたいですよね(笑)。その辺りのスイッチのスムーズさに関して言うと、高橋さんの方がよっぽどすごいですからね! 例えるなら、「マニュアル車をオートマ車のように乗りこなすタイプ」。
― マニュアル車をオートマ車に!
蒼井 : どこで何速に上げていってるのか、全く切り替えがわからない。スーッと行って、スーッと着陸される。そういうタイプです。
高橋 : 「車の運転が楽しかったです」…ということにして、はぐらかしておきます(笑)。
蒼井 : 実際、大変なクラシックカーに乗りましたね。
高橋 : 実際に運転させていただきました。右ハンドルなのにギアが右についているんです。 運転好きな人間としては、たまらない瞬間でした。
― (笑)。
高橋 : 蒼井さんのお芝居も「なんでマニュアル車の運転をオートマでできちゃうの?」という感じでした。
蒼井 : 私はもう、ずっとフガフガいってますから。「できるかな? できるかな?」と思いながら、「やってみよ~う‼︎」みたいな感じです(笑)。多分、露骨に顔や態度として私は出てしまうんですけど、高橋さんは本当に出ないですから!
高橋 : そんなことはない(笑)。カットがかかった後、蒼井さんとは他愛もない会話ができるんです。僕は現場でお芝居の話をするのが苦手なので、本当にありがたかったです。
― 確かに今作のメイキング映像を見ると、蒼井さんと高橋さんが楽しそうに談笑されていたすぐ後に、真逆の空気感の緊迫したシーンを撮影されているお二人の姿に大変驚きました。
蒼井 : それぞれの方法で、いろんなバランスを取っているんだと思います。緊張だけじゃダメだし、かといって、今回は解放しすぎても違うと思うので。
高橋 : たとえフィクション、虚構の世界であっても、それをつくる者同士がどれだけ互いに納得し合っているかが、つくり出す世界の説得力になると僕は信じているんです。蒼井さん演じる聡子と、僕が演じる優作の間で交わされる会話に芯を感じられれば、それはきっと“本当”になり得るんだと思います。
蒼井優と高橋一生の
「心の一本の映画」
― では最後に、お二人の「心の一本の映画」を教えてください。
高橋 : 『生きる』(1952)です。なんだかずっと、この作品が心の一本としてあります。
― 黒澤明監督の代表作ですね。癌で余命いくばくもないと知った、勤続30年の市役所の職員が、市民のために小公園を建設しようと奔走する姿を描いた、ヒューマンドラマの傑作です。名優の志村喬さんが主人公・渡辺役を務めてらっしゃいます。
高橋 : 「表情で表しているわけではないのに、なんでこんなに伝わるんだろう」というお芝居が、中学生の頃からずっと好きなんです。
― 中学生の頃から!
高橋 : 『七人の侍』(1954)でも、刀が無数に刺さってやられそうな状況の中、そこから刀を抜いて走る志村喬さんが一番リアルで、怖い。けれどやっぱり『生きる』は志村喬さんの真骨頂という感じがするので、一本あげるならばこの作品です。
― 蒼井さんは以前取材させていただいた際、阪本順治監督の『顔』(2000)と塚本晋也監督の『双生児』(1999)とおっしゃっていました。
蒼井 : そうですね。その2本と『PiCNiC』(1996)が自分の映画の原風景です。
― 『PiCNiC』は、岩井俊二監督がCHARAさんと浅野忠信さんを主演に撮られた映画ですね。
蒼井 : あと今年のお正月に公開された山田洋次監督の『男はつらいよ お帰り 寅さん』(2019)も、「初めて映画館で寅さんに会えた」という意味では、私にとって「心の一本」です。「映画館で寅さんに会えるのは、こんなにうれしいものなんだ!」って、亡くなったおじいちゃんに会えたような気持ちになったんです(笑)。
― 確かに、『男はつらいよ』シリーズ49作品を観返す楽しみもありますが、新作としてまた寅さんに出会えるというのは、特別ですね。
蒼井 : 「映画館で会いたい人」という存在が、自分の中にもあることを気づかせてもらった作品です。
― 『男はつらいよ』を映画館で観ることを、お盆と正月の恒例行事にしていた方も大勢いらっしゃると思います。映画館、おうち映画と、映画の楽しみ方も様々に広がっていますが、お二人は普段、映画をどのようにご覧になっているのですか?
高橋 : 僕は、一旦スイッチが入ってしまうと仕事モードになってしまうので、「あとでもう一回観なきゃいけないな」という時もたまにありますが、基本は純粋に映画を楽しんでいると思いますね。
蒼井 : 街でロケをしているシーンを見ると、「一般の人が写り込まないようにするのが大変だっただろうなぁ」と思ったりするんです(笑)。カメラをこちらに向けて、なるべく人が通らない方を写しているなとか。
高橋 : 確かに、そういう職業病のようなところもあります(笑)。
蒼井 : コロナ禍で映画館に行けなかった時期を通じて、映画館でしか得られないエネルギーがあるんだなということに、改めて気づかされました。そして、「私は映画館で得るエネルギーが好きなんだ」ということにも。
高橋 : 日本人は、映画を映画館で観ることに向いているような気がするんです。良い意味で、その場の“空気”を感じ取ることができると思うので。『スパイの妻』のように緊迫するシーンが続く作品を映画館で観ているとき、見ず知らずの隣の席の人とも手を握り合っているような感覚になれると思います。
固唾を飲みながら「聡子、がんばれ!」とみんなで応援できるのは、素敵なことだと思うんです。もちろん自宅で映画を観るのもいいんですけれど。
蒼井 : うん。本当にそう思います!