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それぞれにある「人との適切な距離感」
― 新垣さんと早瀬さん、瀬田さんの3人で取材を受けられるのは、今日が初めてと伺いました。お会いされるのも久しぶりですか。
新垣 : 久しぶりですよね。
早瀬 : 実は、瀬田監督とはつい一昨日くらいに会ったんです(笑)。
新垣 : そっか! ずるい!(笑)。
瀬田 : 最近、会ったね。
早瀬 : 結衣さんとはこないだの取材でご一緒しました。
新垣 : そうだったね。
― 今作では不器用で人見知りな小説家の槙生と、天真爛漫で人懐っこい朝の2人が、槙生の姉であり朝の母である実里の死をきっかけに始める同居生活を通して、相入れないお互いの面も受け入れながら、だんだんと変化する様子が描かれていました。
― 槙生は人見知りですが、自分と他人の境界がはっきりしている分、例えば友達にいたら付き合いやすいタイプの人間ではないかと思いました。それは、槙生が朝を引き取ることを決めた葬儀のシーンでの、「あなたを愛せるかどうかはわからない。でもわたしは決してあなたを踏みにじらない」という朝にかけた言葉にも表れている気がします。
新垣さんご自身は、そんな槙生のスタンスを演じながら、どう感じましたか。
新垣 : 人との距離感を大事にしている槙生のスタンスはすごくわかります。「共感」ってすごく大事なことだし、必要なことだと思うんですけど、人は一人一人違うから、100%相手と同じ気持ちになるのは難しいというか、ありえないことだろうと、いつからか漠然と思うようになって。
― わかります。私も若い頃、ものすごく気が合う友達と自分を同一視して、甘えすぎたり遠慮がなくなって雑に扱ってしまったりして、仲違いをしてしまった経験があります。
新垣 : 経験も必要ですよね。槙生が人との距離感を大事に保とうとするのは、実は一人一人とすごく向き合ってしまう人だからなのかな?と思っていて。人と真面目に向き合ってしまうからこそ、自分をすごく消耗させてしまったりもする。
そういう経験を経て、自分にとってはこの距離感が必要なんだって思っている人なのかなと。それが自分のことも相手のことも大事にすることに繋がるというか。だから、自分がどういう人間なのかを自覚している人だし、そんな自分を受け入れつつ、朝との出会いで、その自分の大事にしている距離を保てなくなったりして。
― 朝との出会いで、槙生の生活は大きく変わっていきますよね。
新垣 : そのなかで、二人にとっての“心地良い距離”を見つけていきながら生活をして、二人が一緒にいることで、見える景色も広がっていく。そんな暖かさを、演じながら感じていました。
― 槙生も新垣さんも35歳で、私も同世代なんですけど、いま仰った「経験が、その人の人との距離感をつくっている」というお話し、すごくわかります。重ねてきた経験によって難しく考えすぎてしまったり、「こじらせてしまう」ことだったりもあるかと思うんですけど、槙生はいつも自分の気持ちや感じることをさっぱり、けれどはっきりと伝える人で、それは自分の半分くらいの歳の朝に対しても変わることがありませんよね。
新垣 : そうですね。そうやって人との距離感を上手にとれるようになるまでには、もちろんネガティブな経験もしてきたんだと思います。そういう失敗も受け止めながら、心健やかに日々を過ごしていけるスタンスや、自分自身を確立していったんじゃないですかね。
― その槙生のスタンスを崩すのが、わからないと思うものに対しても素直に向かっていく朝です。朝の、人へのまっすぐな向き合い方を、早瀬さんはどう受け止めましたか。
早瀬 : そうですね…私は朝を演じたとき、15歳で同い年だったのもあって、シンパシーを感じる部分は多かったです。劇中、亡くなった両親と暮らしていた家に槙生ちゃんと片付けに行った際、二人があるきっかけから言い争うシーンで、槙生ちゃんが「違う人間だからわかりあえない」って言うのに対して、朝は「なんで?」って伝えるんですが、私も同じ気持ちになって。だから、槙生ちゃんのスタンスへの朝の感じ方は、私と同じな気がしていました。
朝にとって槙生ちゃんが「わかんない存在」だからこそ、その槙生ちゃんが大切にしている「距離感」も壁を突き破ってすごい勢いでかき乱すことができるのが、朝だと感じていました。
― あのシーンは、朝のエネルギーが爆発するようでしたね。朝は、これまで出会ってきた大人たちとは異なるスタンスで自分に接してくる槙生にもまっすぐにぶつかっていました。
早瀬 : そうですね。演じていても純粋に、「なんで槙生ちゃんがそんなこと言うのかわからない、理由を言ってくれても良いじゃん」って思っていたので、朝の想いを私も受け止めて、そのまま素直に疑問をぶつけている感じでした。
― それと対比して、終盤の海辺で槙生と朝が二人にとって関係の深い人物について語り合うシーンは、二人のとつとつとしたお喋りが心地良い場面でした。あのシーンをつくるにあたっては、どういうことを考えていらっしゃったんですか。
瀬田 : 細かく、なにか「ここで感情がこう」という説明はしていないです。大きな流れと動きだけ決めて、カットをあまり割らずに撮っていった感じです。
新垣 : 「このセリフのときにあの階段の何段目にいましょう」みたいなことはちゃんとリハーサルしましたけど、二人の気持ちのお芝居に関しては、すごくスルっとできたシーンでした。
一緒に両親と過ごした家の整理をしていたときは、あんなに「わからない」ことに苛立ちを感じていた朝が、槙生に対して穏やかに、自分には想像も及ばない槙生の経験や想いを聞けるのって、かなり成長・変化しているなと。槙生の言う「わかりあえない」ってことを、朝なりに受け止めたんだなと思いました。
― 朝が、自分とは異なる他人の想いを受け止められたセリフでしたね。
新垣 : 二人で一人の人間、同一人物のことを話しているんですけど、それぞれその人のことが全然違うように見えていて。でも、それぞれの感じ方を否定するわけではなく。
自分の感じている「その人」は変わらないけど、お互いに話をすることで、お互いの見方が、見えるものが広がっていくのが、すごく素敵だなと感じたシーンです。朝もすごい、グンとこっちに近づいてきてくれたような、大きな変化を感じましたね。
瀬田 : 槙生も朝も話しながら、互いの思っていることが聞けて。二人とも、“変わる”じゃないですけど、同じ人物について、別の側面を知っていくところだと思います。
新垣 : 自分が見ていたものだけがすべてじゃなかったんだなって。
瀬田 : 「わからなさ」に立ち向かったシーンになったと思います。この映画では、「わからないけれど、それでもわかろうとする」ってことを大切にしていました。
朝と槙生が二人で朝の家に行った際に、朝は槙生ちゃんの考え方が理解できないよって出て行ってしまうんですけど、それでも二人の関係がそこから積み重なっていって、それぞれいろんな人に出会って、いろんなものを見て、「わからないことをわかるようになっていく」というか。
― わからないことをわかるようになっていく、ですか。
瀬田 : 「わからなさを、わかろうとすること」ですかね。相手のことはわからないのかもしれないけれど、そのことについてわかるようになる、そういうところまで描けたらいいなと。
二人が海で語り合うシーンも、「知っている人でも知らないところがあるし、知っていると思っていても実はわかっていなかったりする」っていうことを二人が知っていければいいなと思って、撮っていました。見る人によって正解はいろいろあると思うんですけど。原作は本当に素敵な作品なんですが、その原作の要素を映画にするときに、二人に大きな影響を与えた人の不在と、しかし二人がいることで立ち上がってくるその人という存在についても描けたらと思っていました。
積み重なる時間と経験
― さきほど瀬田監督は「槙生と朝がそれぞれいろんな人に出会って、いろんなものを見て、わからないことをわかるようになっていく」と仰いましたが、そうやってお互いに変化をもたらす槙生と朝の出会いは、劇中で夏帆さんが演じる槙生の友人の醍醐が言ったように「エポック」だったと言えますね。ご自身のこれまでのキャリアでエポックをもたらしたと思うような、作品や人との出会いについて教えていただけますか。
新垣 : 私はそういう、「ターニングポイント」ってなくて(笑)。ちょっとズルい答えかもしれないんですけど、これがずば抜けてというよりも、積み重ねで今があると思っているので。
― 積み重ね、ですか。それこそ、今作で描かれていた槙生と朝の変化と同じですね。
新垣 : この仕事って特に、一緒に作品に携わるメンバーが短い期間でどんどん変わっていくこともあって、ものすごい人数の方に出会っていると思うんですよ。そこで受け取ったものって計り知れなくて、覚えていなかったとしても自分のなかに積み重なって、いまの自分があると思っているんです。あったんだと思うんですよ、エポックは。でも、全部がそうと言っても過言ではないくらいの日々を過ごしてきたなと思うので、「これ」と答えることができないです、という答えで(笑)。
― 一つ一つ大切にされてこられたんですね。
新垣 : そうですね。
― そんなお話をお聞きしたあとにお二人に聞くのはあれなんですけど…。
全員 : (笑)。
早瀬 : そうですね…でも私にとっては、『違国日記』に出会えたことが、エポックだったんじゃないかなと思います。こんなに素敵な監督と結衣さんと、一か月間ずっと一緒にいて、たくさんのことを一から手取り足取り教えてもらって。私にとって自分を成長させてくれた特別な作品です。
― 早瀬さんはインタビューで、役が決まったときのことについて、「ホッとした」とコメントされていました。「嬉しい」ではなくその「ホッとした」というのは、どういう感情だったのでしょうか。
早瀬 : オーディションを何回か繰り返して、少しずつ朝を知っていくたびに、朝への想いが強くなって、どうしても受かりたいと思っていました。あとやっぱりマネージャーさんや家族がすごく応援して、期待してくれていたので、「受かりたい」だけでなく「受かんなきゃ」っていう気持ちもあって。
なので受かったときは、「ああ良かった、私が朝になれるんだ」ってこれまでのことを受け止める気持ちと、これから朝を演じることで周りの期待に少しずつ応えられるのかもしれないなっていう気持ちで、すごくホッとした気分でした。
― 瀬田監督はいかがですか。
瀬田 : 新垣さんがおっしゃったように、思い返せばすべての出会いがエポックなのですが。今の自分が映画をつくっていることに関して言えば、大学時代に、映画のことを教えてくださった先生がいて、その人が映画の面白さを教えてくださって。素朴な回答になってしまうんですけど(笑)。
― 「映画を撮る」面白さを、ですか。
瀬田 : いや、「観る」面白さからです。そのなかで徐々に映画の批評を学んで、つくり手はどう考えてつくっているんだろうと思って、映画をつくることに興味をもちました。
新垣結衣、早瀬憩、瀬田なつきの「心の一本」の映画
― いまお聞きしたお話だと、瀬田監督は先生に出会うまではたくさん映画をご覧になってきた、と言うわけではなかったのでしょうか。
瀬田 : 映画を観るのは好きでしたけど、めちゃくちゃたくさん観ていたことはなくて。意識して観だしたのは、大学に入ってからです。
― 学生時代に観て、心に残っている作品などありますか?
瀬田 : さきほどお話しした先生に、フランスのヌーベルバーグ(※)を授業で最初に見せられて。ゴダールやトリュフォーが好きですね。ヌーベルバーグの初期の映画にはどこかで影響を受けていると思います。
※ヌーベルバーグ:フランス語で「新しい波」という意味。1950年代後半にフランスで起こったムーブメント。
― なにか一つ作品を挙げるとしたらありますか。お二人におすすめのものなど。
新垣 : 教えて欲しいです!
瀬田 : そうですね…ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)ですかね。あと好きなのが『はなればなれに』(1964)です。
新垣 : 観たことないです!
瀬田 : アンナ・カリーナが出ている作品で、「街に出て映画を撮ろうよ!」という映画の運動が起こった時代につくられた作品でもあります。
― それが「ヌーベルバーグ」ですね。『勝手にしやがれ』はジャン=リュック・ゴダール監督の初の長編作品で、ヌーベルバーグの記念碑的作品と言われています。同じゴダール監督の名作『はなればなれに』は、冬のパリを舞台に、3人の男女が織り成す恋模様や犯罪計画をコメディカルに描いた名作です。
瀬田 : それまで映画ってずっとスタジオでつくられていたんですけど、ゴダールやトリュフォーといったフランスの若者たちが、「被写体と街があれば映画は撮れる」って、少人数のスタッフで街に出て映画を撮りはじめたんです。あとトリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959)も、初めて映画に出たちょっと不機嫌な男の子が主人公の作品で、好きです。
― 『大人は判ってくれない』は、トリュフォーが“ヌーベルバーグの旗手”として知られるようになった作品でもありますね。
瀬田 : 映画の自由さを教えてくれた映画です。
― 新垣さんと早瀬さんのお二人はお好きな作品や、最近観て良かった映画などありますか? 新垣さんは、以前『リトル・フォレスト』を挙げられていましたね。
新垣 : そうですね。いまパッと出てきたのは、『星の子』(2020)ですね。
― 『星の子』は作家の今村夏子さんの同名小説を映画化した作品で、宗教に傾倒する両親と、その娘の姿を描いた作品です。とても良かったですよね。
新垣 : あの作品も、「人によって見えているものが違う」ということを感じて、そういった部分はこの映画と通じるものがあると思って。観たあとに、「はあ~~」って声が出ました(笑)。
― 確かに、人によって見るものが違う、大事にしているものが違うということが描かれていました。
新垣 : そうですね。そこが繋がる気がして、今浮かんだんだと思います。
― なるほど。早瀬さんはいかがですか。
早瀬 : なんだろう…。
最近観たのだと、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(2023)ですかね。現代の女子高生が戦時中にタイムスリップして、特攻隊員と恋をするっていう話です。
― ご自身でも、ああいうラブストーリーもやってみたいなと思われたりしますか。
早瀬 : そうですね、いつかはそういうものも…(笑)。
新垣 : やるでしょうね! それは楽しみだな(笑)。