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自分の「愛の言葉」を探す、見つける
― 本作は、2019年に起きた “新宿ホスト殺人未遂事件”から着想を得て企画が立ち上がったと伺いました。
― 山本監督は、実際に裁判の公判記録もご覧になったとのことですが、この事件のどのような部分からインスパイアを受けたのでしょうか?
山本 : 脚本家のイ・ナウォンさんと公判記録を見たんですけど、記録されていた言葉から、当事者の女性が切実に相手のことを愛しているということが伝わってきたんです。
弁護人や検察官からの問いかけに対して、事実を述べているだけなのに、確かな愛の片鱗と言いますか、信じている強い思いが伝わってきて。そこから、どうしたら、映画の中でもこうした愛の言葉を描いていけるのか、ということを考え始めました。
― 「愛の言葉を描く」ですか。
山本 : はい。ただ、公判記録に書かれている言葉は、その人自身の言葉なので、僕たちが使うべきではない。自分たちの言葉を発見していかなければと。
事件そのものと少し距離を置くためにも、映画では主人公・沙苗が愛する人を刺した事件から6年後、という設定にして、言葉を探していくという過程を大事にしました。
― 沙苗の「私の愛し方ってそんなにダメなんですか?」のように、本作では登場人物がそれぞれ「自分の愛」について語る場面が多く登場します。日常会話とも少し違う、哲学的な言葉が印象的でしたが、脚本を受け取っていかがでしたか?
橋本 : 「愛」についての言葉も、登場人物に対する視点も、全ての解像度がすごく高い脚本だなと思いました。山本監督とイ・ナウォンさんが、ものすごいところまで突き詰めて編み出された言葉だなと。「二人が見ている景色はどんなものなんだろう」「私もそこに辿り着きたい」という気持ちになりました。
仲野 : 登場人物それぞれが自分の愛を信じたり、疑ったりという想いを抱えていて、反芻しながら愛を探していく。そうやって、「誰かを愛する」ということが多面的にいろんな角度から言葉にされていたので、愛ひとつだけをとっても、人間をこんなに豊かに描けるんだなと思わされました。
立場は違えど、愛することに翻弄された3人の人間模様が面白く感じましたね。
― かつて愛したホストを刺し殺そうとした沙苗(橋本愛)、服役後の沙苗と結婚した健太(仲野太賀)、謎めいた隣人の足立(木竜麻生)の3人が出会い交錯していきますが、山本監督は、この3人の交わりに、どのような期待がありましたか?
山本 : それこそ、いま太賀さんがおっしゃってくれたように、愛をどれだけ多面的に見ていけるかというところですね。
お互いに、相手の愛の形を理解できる瞬間はあっても、それでも自分が守ってきた愛の哲学を曲げることができない。わかりたくてもわかり合えない、そんな三者三様の愛が、次第に作用しあっていくといいなと思っていました。
― 先ほど山本監督から「自分たちの愛の言葉を発見していく」というお話がありましたが、橋本さんが演じた沙苗は、誰よりも愛の哲学をセリフとして話す人物でした。どのように、「自分の言葉」にしていったのでしょうか?
橋本 : 今回は、本読みの形式がすごく面白かったんです。私がこれまで経験してきた本読みの多くは、「演じようとする」ものでした。でも今回は、感情を込めずに「文字をただ読む」という音読から始まりましたよね。
山本 : 「読んでください」ってね。
仲野 : あんまりないよね。僕は初めてでした。
橋本 : 目も、今読んでいる言葉から先にいってはいけない、と。別の人が読んでいる時に、先を確認するため視線だけ次の言葉を追ったり、ページをめくったりすることってあるじゃないですか。でも、それはしない。今声に出されているところにだけ集中するという。
文字を読んでいるだけなのに、とても疲れるんですよ。「いまここに集中する」ということが、こんなにもエネルギーを消耗するんだなと思いました。
仲野 : 普段と読み方を少し変えるだけで、台本との向き合い方が大きく変わっていた気がして。それは僕にだけでなく、俳優部全体に感じたんです。ナウォンさんの言葉だったり、監督の思いやこだわりだったりが、自分のすぐ近くに感じられたというか。それは、新しい経験だなと思いましたね。
山本 : 最初はあまり感情をこめないで、手紙を読むような感じで「文字で書かれている言葉がどういう意味を持つのか」を理解してもらうために読んでもらいました。途中からは少し感情を入れてもらって、「ここに書かれている言葉を相手に届けるためにはどうすればいいのか」を、みなさんと一緒に微調整しながら行ったんです。
濱口竜介監督が用いられている本読みのスタイルですが、僕自身、ひとつ前に撮っていた作品でも、みんなでそうやって一行ずつ読んでいました。相手が話している時は相手の言葉に耳を傾ける、という作業が、自分の中に言葉を落とし込む方法としていいな、と感じたんです。
― 『ドライブ・マイ・カー』(2021)で濱口監督と共同で脚本を担当した大江崇允監督も『鯨の骨』(2023)の際に行ったと伺いました。
― そうしてご自身の中に蓄積された言葉を、撮影の中で実際に発してみて、いかがでしたか?
仲野 : この映画のセリフは、ひとつひとつが哲学的で強度が高いので、脚本だけに向き合っている時は、相手の演技のイメージよりも、その言葉自体がすごく前に出てきたんですよね。セリフの中に「怒り」や「悲しみ」のような表情があるなら、「相手はこう言うだろうな」と想像もつくんですけど。
だから、現場で、対面する人の発するセリフや芝居が新鮮に感じられたり、生々しく感じたりということがありました。
― なるほど。イメージしてない分、対面する相手の言葉や挙動をより現象として感じられると。
橋本 : そういえば、沙苗が木野花さん演じるメンタルクリニックのカウンセラーに、自分の考える愛について、ひとりで喋り続けるシーンがあって。あの時の沙苗の言葉って、自分の見えている世界を滔々と語るというもので。
― 夫である健太への愛と、かつて愛した隼人への愛が自分の中でどう違うのか、ということを、長いセリフで語る場面ですね。
橋本 : あれをどうやろう、というのは、現場に行くまで私自身もわかっていなかったんです。セリフが長いから、ずっと同じ画にならないように工夫した方がいいのかな、と考えたり。
でも、実際に撮影が始まって、セリフを口にしてみると、「あ、この言葉を発する時は目線がここになるんだ」とか「隼人との思い出を話す時は、上の方に意識があるんだな」とか、演じながら発見があって(笑)。自分の姿を、どこか俯瞰で観察しているみたいな感覚はありましたね。
「揺らいでいるんだな」ということが、セリフを通して自分でも感じられて。言葉によって、沙苗がどう動くのかが引っ張られている感覚でした。
「狂気」と「正気」は近いところにある
― 「言葉によって自分の演技が導かれていった」というお話がありましたが、本作では、沙苗と健太、健太と足立、足立と沙苗など、登場人物の1:1の対話が丁寧に積み上げられていく一方で、健太の「60秒見つめあうと世界が平和になる」という言葉のように、手と手を重ねる、視線を合わせる、など身体を通したコミュニケーションも、とても崇高な、特別なものとして描かれているように感じました。
山本 : あ、確かに。そうですね。撮影の中で、僕がみなさんにお話ししていたのは、セリフの言い方というよりも、基本的には動きの部分だったと思います。
仲野 : そうでしたね。
橋本 : 動きは結構ありましたよね。今回の作品は、言葉も強いんですけど、結構フィジカルも強かったなと私は思っていて。序盤は私、ダンスをしている気分でした(笑)。
― ダンス、ですか。
橋本 : はい。座る、立つ、という動作だけでも意思が宿るというか、神経を張り巡らせないと、沙苗になれない気がしたんです。あとは歩く速度も、沙苗の感情の動きに合わせて速くしたり遅くしたりと変えてみたり。
山本監督は動作に関して、針の穴に糸を通すような、繊細なニュアンスを大事にされていましたよね。
山本 : 特に沙苗の動きに関しては、僕から指定することが多かったですよね。言ってしまえば、窮屈な動きだと思うんですけど。
でも、相手と向き合って対話をするということを、すごくシンプルなカットバック(複数のシーンを交互に入れ込む方法)で撮っていたので、動きを限定しているからこそ、手を重ねたり、時折見せる僅かな所作が大切なんだなと、自分でも撮りながら思っていました。沙苗が動く瞬間に、物語が動いたり、何かを変えようとする意思が見えてきたりと。
橋本 : 私は、手を合わせるのも、目を合わせるのも、循環だと思っていて。相手からもらったものを自分の中に入れて、それを相手に返してまたもらって…という。
でも、沙苗と健太にとって大きな転機となるあるシーンの時に、「あぁ、まわってない」と思ったんです。
― 循環していない、と。
橋本 : はい。それは多分、もう健太が限界で(笑)。
― 隼人への燃え上がる想いを抱き続ける沙苗に寄り添う健太は、だんだん平常ではいられなくなってしまいますね。
橋本 : 沙苗が変わるのが、遅すぎたんでしょうね。でも、「その現実を作ってしまったのは自分だ」と沙苗が感じたからこそ、まだずっと送り続けなきゃいけない、見つめ続けなくちゃいけない、という。
あの時、健太さんはどう思ったのかなと気になって、現場で私聞いたんですよね?
仲野 : うん。
橋本 : その時は、「やっと見たかった表情が見れた」と言ってくれて。きっと、健太が沙苗に求めていたものが、初めて返ってきた瞬間だったのかなって。「この顔がずっと見たかった」って言われて、「よかった」って思いました(笑)。届いてるものはあったんだなって。
― それまでは、ずっと健太から沙苗に対して一方的に愛を送り続けていましたが、あのシーンで初めて、それが逆転しますね。
橋本 : 沙苗を演じている時、ずっと夢の中にいるような感覚だったんです。風邪をひいた後の、熱が身体にまだこもっているような状態で、健太からの言葉も核で捉えることができずに、ぼんやりしている。でも、そんな中でも、健太と過ごした時間がちゃんと沙苗の中に蓄積されていたんだな、ということが、あのシーンで私は感じられました。
仲野 : あのシーンでは、僕もどういう表情をするのがベストなのか、撮影をするまでわからなくて。わかりやすく答えを出すことが正解とも思わなかったし、自分でもどんな表情になるのかなって。
結果的に出た表情がうまくいったのかはわからないけど、僕の中では「愛を疑い始めた沙苗」と、それでもどうにか「愛を信じたい健太」になったのかなと。「循環してない」と感じても見つめ続ける、「信じられない」と思っても信じ続ける。そういう行為こそ、愛に近いような気がしました。とにかくずっと愛について考えていた、撮影期間でしたね。
― それは、今振り返るとどのような時間でしたか?
橋本 : 最初に脚本をもらって沙苗の愛に触れた時は、自分と全く違うなと思ったし、何となく彼女を裁いていた部分もありました。「もっとこうしたら幸せになれるんじゃないかな」とか、ちょっと上から目線で彼女の愛を見つめていた瞬間もあったんです。
でも、その距離感でいたら彼女を演じることはできないから、同じ目線に立つんですけど、そうなった時に初めて、「あ、沙苗はこんな高いところにいたんだな」って思いました。だから、沙苗からは私たちの方がおかしく見えるんだな、って。
仲野 : あぁ。
橋本 : 沙苗は、誰かから見たら狂っているように見えるかもしれないですけど、でもその狂気は彼女にとっては“正気”で。私たちにとっての正気が、彼女にとっては“狂気”なんだなって、その逆転する目線を感じたんです。
“狂う”って、何かを突き詰めた先の領域だと思っていて。ある一線を越えると、その線の手前にいる人たちからは狂っているように見える。でもその人にとっては、ただ突き抜けただけだから、普通だし、“正気”なんですよ。
仲野 : うんうん。
橋本 : 沙苗は、その状態で隼人への愛があったから、逆に「なんで誰もこの感情を知らないの?」「これを知らずにどうして生きられるの?」となるんですよね。それは、私自身初めての視点というか、「はじめて来たな、ここ」と(笑)。
山本 : すごい(笑)。
― 知ってしまった後に、戻ってくるのが大変そうです…。
橋本 : そうかもしれないです(笑)。でも、だからといって私自身がもともと信じている「愛」を疑うわけではない。自分の中で別人格が増えたみたいな感覚です。あの愛を知っている私もいるし、この愛を知っている私もいる、みたいな。
― 仲野さんは、この作品と役柄を通して、「愛」に対する考えに何か変化は生まれましたか?
仲野 : 「誰かにとっての正しさを、あなたが決めるべきではない」という言葉がすごく好きで。今、愛が言ったように……あ、ややこしいけど(笑)。
橋本 : 私ね(笑)。
山本 : (笑)。
仲野 : 他人から見たら過剰に見える沙苗の愛も、裁けないし、裁くべきではないし。結局はその人自身が納得できるかどうかであって、「愛とはこうであるべき」というものはないんじゃないかなと改めて考えましたね。こういう愛のかたちもあるし、日本映画にこういうラブストーリーがあってもいいよな、と思いました。
橋本愛、仲野太賀、山本英監督の「心の一本」の映画
― みなさんがこれまでご覧になってきた映画の中で、鮮烈に心に残っている「愛のかたち」はありますか?
山本 : 僕は、増村保造監督の『妻は告白する』(1961)という作品です。この映画の存在があったから、今回『熱のあとに』を何とか完成させようと頑張れていた気がします。
― 若尾文子さん主演の『妻は告白する』は、増村監督と組んだ数々の作品の中で“最高傑作”との呼び声も高い作品ですね。
山本 : 若尾文子さん演じる妻が、夫と、密かに恋心を寄せている夫の取引先の男性と3人で山登りに行くんですけど、その途中で事故が起きてしまって、3人が崖で宙吊りになってしまう。妻はそこで夫のザイルを切るんですけど、裁判の中で、それが止むを得ない措置だったのか、あるいは故意なのかが論点になっていきます。
― 自分が想いを寄せる恋人のために、夫を殺したのではないかと。
山本 : はい。でも、そうした他者からの抑圧や偏見の中でも、若尾文子さんが演じる主人公は、自分の中で信じている愛を貫いていく、という内容で。今回の映画を作る過程で、僕はこの作品に励まされて、自分の愛を貫く沙苗の姿を描くことができたと思っています。
― 撮影中、山本監督の近くにあった映画なのですね。仲野さんはいかがですか?
仲野 : 僕は、橋口亮輔監督の『ぐるりのこと』(2008)です。大好きな映画で、高校生の時に観たんですけど、当時の自分の結婚観とか恋愛観みたいなものにすごく影響を受けました。
― 『ぐるりのこと』は、一組の夫婦が、生まれてきたばかりの子どもの死を乗り越える10年の軌跡を描いた物語です。高校生の時に観たら、結構揺さぶられそうですね。
仲野 : はい、モロに影響受けちゃって(笑)。なんかこう、いろんな社会問題がある中で、人と人が寄り添い合うこととか、実はありふれた日常の中に幸福があることとか、自分なりの幸せのあり方とか、そういうことの大切さに気づいた作品ですね。
― 観る時の自分の年齢によっても、印象が変わりそうです。
仲野 : 大人になって観返すと、印象が変わりましたね。木村多江さん演じる妻の母親役の倍賞美津子さんが、リリー・フランキーさん演じる夫のことを、最初は「どうなの、あの男」とか言って、あまり認めていなかったんですけど、物語が進んで、娘を支えてくれている姿を見ていくにつれて、最終的には「娘をよろしくお願いします」と言うんです。
それを観て、木村多江さんが号泣するシーンがあるんですけど、それがもう、たまらなく感動して。自分の大事な人と大事な人が、仲良くなるとか、認め合うとか、寄り添うことって、すごい幸せだよなって。そういう幸せの感じ方って、わかるなーっていうのが、大人になってから、より感じましたね。
― 年齢を重ねたからこそわかる、愛のかたちですね。最後に、橋本さんはいかがですか?
橋本 : 私は…毎回同じ作品になってしまうんですけど、やっぱり、『エンドレス・ポエトリー』(2016)なんです。
― 当時88歳だったアレハンドロ・ホドロフスキー監督が、自叙伝的作品として手がけた作品ですね。以前、PINTSCOPEでインタビューをさせていただいた時も、ご自身に影響を与えた作品として挙げてくださっていましたが、大切な一本なんですね。
橋本 : はい。それこそ、あの映画で自分の中にある愛のかたちを覆されたので。「自分は愛されなかったから愛を知ったんだ」というセリフに、ものすごい衝撃を受けました。
仲野 : うん。
橋本 : これが私はほしかったんだ、って。与えられなかったからこそ、自分が欲しているものの形がはっきりとわかるというか。それって、すごく救いだなぁと思うし、大切にしている映画のひとつです。
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