目次
磯村勇斗さんは今作で、綾野剛さん、舘ひろしさんらと肩を並べ、クレバーな現代っ子ながら、上の世代からもらった愛情を大切にしている半グレの青年を演じています。
かつて自然と触れていた作品たち。そして、意識的に吸収するようになった作品たち。磯村さんはこれまでの人生で、映画から何を受け取ってきたのか、たっぷり伺いました。
「板に付いたら先輩後輩は関係ない」
芝居から生き様までをも学び受ける
― 『ヤクザと家族 The Family』で磯村さんは、令和の時代をクレバーに生き抜いていく半グレの翼を演じました。役を体現していくにあたり、どんなことを意識していましたか?
磯村 : もうただ翼として生きられたらいいなというだけですね。綾野(剛)さんや共演者の皆さんとの撮影を経験する中で、その場の空気だったり、見つめ合う視線だったりが積み重なり、翼ができあがった気がしています。
― 現場で生まれた部分が大きかったと。
磯村 : そうです。ロケが行われたのが、僕の出身地・沼津だったのもあって。工場の煙とか、地元ならではの匂いを小さいときから嗅いでいたんですが、翼もそうなんだろうなと。現場で改めてその匂いを嗅いだときに自分の中で、映画では語られていない翼のバックボーンが一気に作られて、ここでずっと暮らしてきたんだという説得力が生まれました。
― 翼にとってヤクザは、少年の頃から身近な存在です。彼らが2012年に一部改正された暴対法(*)により、大きく衰退していく姿も見ながら、翼は自分の生きる道を選びとっていきますね。
磯村 : 彼はスタイリッシュで、現代的。ヤクザのことが嫌いで、古臭いと思っていますが、一方で賢兄(綾野演じるヤクザの主人公・山本賢治の愛称)たちからもらった愛情を大切にしている。半グレとしてしか生きられなかった背景を持ちながらも、今を強く生きているんだなと感じました。
― 今作は、ヤクザや半グレの生き様を、1999年・2005年・2019年という3つの時代にまたがって描いたクロニクルです。翼より上の世代である、柴咲組組長・柴咲(舘ひろし)や、彼に拾われて組員となる賢治たちヤクザは、磯村さんの目にどう映りましたか?
磯村 : 「自分とは遠い人間だ」とは全然思いませんでした。ヤクザの姿が今とは違った時代に、柴咲のような優しさを持ち合わせた組長がいて、きっとそのバランスがあるからこそ柴咲組が成り立っていたのではないかと感じていましたね。
― 先ほど「共演者の皆さんとの撮影を経験する中で役ができていった」とおっしゃっていましたが、主演の綾野さんをはじめ、翼と敵対するヤクザ・加藤を演じた豊原功補さんや、汚職刑事・大迫を演じた岩松了さんら各世代の演者に、一番若い世代として挑んでいましたね。
磯村 : クランクインが豊原さんとの共演シーンだったんです。翼が加藤の家に乗り込むという、非常に刺激的な初日で。豊原さん演じる加藤の醸し出す威圧感がすごくて、一気に映画の世界観に引き込んでいただけた感じがありました。翼のファイトスタイルは、敵の圧力を真正面から返すのではなく、一歩引きながら戦うというもの。それをどう作り上げるかのヒントが豊原さんとのシーンで見えたので、すごく感謝しています。
綾野さんとはたくさんのシーンをご一緒しましたが、本当に偉大な俳優だなと、これからの日本映画界を背負っていく方なんだなと、改めて思いました。
― 綾野さんは、磯村さんのちょうど10歳年上ですね。現場を共にする中で、受け取るものが多くあったと。
磯村 : 翼が賢兄に憧れるのと同じような眼差しで、現場ではずっと姿を追っていました。自分のことだけじゃなく、周りに対する気配りもすごくて、人としても素晴らしい方なんですよね。
僕が段取りで見せた芝居に対して綾野さんが「翼にはこっちの方が合っているんじゃないか」と提案してくださり、監督ともお話しして「たしかにそっちの方が翼らしいね」と納得したことが何度かありました。綾野さんが一番、映画の世界や全部の役を理解しているように感じて、それがすごいなと。
― 劇中、翼の母・愛子(寺島しのぶ)が経営する食堂で、あることを決心した賢治が去り際、翼とハグを交わすシーンがとても印象的でした。
磯村 : あのシーン、たしかハグのことは台本に書いていなかったんです。綾野さんから抱きしめてくれたと思うんですが、もう、賢兄の気持ちがそうなったんでしょうね。僕はただそれを、翼として受け止めたというだけです。
― 今作の現場で多くのものを受け取ったということですが、先輩たちと共演する現場と、同世代が多い現場との違いはありますか?
磯村 : 自分より人生経験が多い先輩とご一緒できるのは刺激的です。プライベートやオフの時間に聞くお話も面白いですし。今回の現場で岩松さんとは対立する役を演じられて楽しかったんですが、撮影の合間には以前ドラマ『時効警察はじめました』で共演したときのことをお話しできて、また少し距離が縮まった気がしてうれしかったです。
でも同世代は同世代で、一緒にものづくりを楽しんでいけるよさがあるし、大きくは違わない気がします。俳優として板に付いた瞬間は、先輩後輩関係ないと僕は思っているので。
小津安二郎、オダギリ ジョーらの映画から
画面越しに受け取り続けてきた「本気」
― 『ヤクザと家族 The Family』の撮影は出身地の沼津で行われたとのことでしたが、磯村さんは小さい頃からご家族の影響で、映画がお好きだったそうですね?
磯村 : いや「映画が好きだな」とはっきり認識したのは多分、18歳で上京してからです。それまでは、「ただ観ている」って感じだったかな。
― ただ映画を観ている、ですか。
磯村 : うちは小学校から帰ると、テレビのチャンネルが必ず『午後のロードショー』とか、映画番組に合っていたんです。だから友だちと遊ぶ予定や、サッカーの練習がない日はよく観ていました。『金曜ロードSHOW!』ももちろん観ていたし。
― 身の周りに自ずと映画があったと。どういう作品が印象に残っていますか?
磯村 : 1作挙げるなら『トレマーズ』(1990)かな。『午後のロードショー』で何回も放送されていて、よく観ていました。地中から怪物が現れるパニック映画なんですが、子どもながらに怪物の気持ち悪さとか、恐怖が迫り来る感覚とかが好きで。怖いというより、面白いと思って観ていた気がします。あの頃テレビで放映していた作品って、突っ込みどころもあるB級洋画も多かったから、楽しめていたのかもしれません。
― 小学生のときからすでにB級ならではの面白さを理解していたんですね。テレビ以外でも映画は観ていましたか?
磯村 : 中高生になると、レンタルショップでDVDを借りてきて、兄と一緒に週末2〜3本観ていました。別にルール化していたわけじゃないんですが、1週間に1回くらいは観ようと。
『ソウ』(2004)とか『9INE ナイン』(2009)とか、スプラッター・ホラー系の洋画は、兄と観てハマっていきました。犯人の正体を巡る、ストーリーの仕掛けが面白かったですね。あと自分が生き残るために他人を犠牲にするとか、人間の“エグい部分”を観られるところがある意味、爽快だったというか。
― ご家族以外に、たとえば友だちと映画の話をすることはありましたか?
磯村 : 高校生のときには芝居を始めていたので、それを知っている同じバスケ部の友だちから「面白い映画ある?」と聞かれるようになりました。お互いに、いい作品を観たら情報交換し合っていた気がします。
― 磯村さんは中学校の授業で、監督・主演を務めて作った短編映画『ヌマズの少女のハイジ』をきっかけに俳優を目指し、高校入学後は沼津演劇研究所に入団。50〜70代の団員の方たちと舞台活動をしていたそうですね。当時、俳優になる夢は公言していたんですか?
磯村 : 全員にじゃないとはいえ、「俳優をやりたい」と伝えていました。周りは多分、小さい子どもが「警察官になりたい」「ケーキ屋さんになりたい」って言うのと同じような感覚で受け取っていたんじゃないかな。研究所に入ってからは、「本当にやりたいんだね」とわかってもらえましたけど。
― 思春期は一番、人の目を気にしがちな年頃だと思います。たとえば演技することや、大分年上の方たちと一緒に活動していることについて、恥ずかしいみたいな気持ちはなかったですか?
磯村 : いやなかったですね。国語の授業で教科書を音読するとか、そういう目立ち方は嫌いだったんですけど(笑)、芝居することや、大人の方との活動に抵抗はありませんでした。演技に興味があって「知らないからやってみたい」っていう気持ちで、がむしゃらだったんだと思います。羞恥心は何もなかったんですよね、やりたいからこそ。
― 大学では演技を学ぶため演劇専修のある学部に進学し、上京されます。先ほどのお話ですと、初めて「映画が好きだ」と認識したのはその頃?
磯村 : そうですね。いろんな作品を観て、より「面白いなぁ」と思うようになりました。ミニシアターにも行きましたが、大学の図書館でDVDを無料貸し出ししていたので、古い映画を借りて、皆でよく回し観して。同級生もよく観ている人ばかりで、「あの監督が」「この俳優が」と話し合うのが面白かったですね。
― たとえば、どういう映画を回し観していたんですか?
磯村 : タイトルはなんでしたっけ……、月にロケットが刺さっている(笑)……、『月世界旅行』(1902)。それと、列車が駅に到着する……、『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896)。
― おお……! 両作とも映画創生期のモノクロ・サイレント時代に作られた、歴史に残る不朽の名作です。
磯村 : そういう、映画の授業を受けないと知る機会がないような作品も観ましたね。あとさらに派生して、その頃から邦画にも触れるようになったんです。結構オールジャンルを観ていた気がします。
― 環境が変わり、俳優の夢がよりリアルになるにつれ、洋画だけでなく邦画にも目が向くようになったんですね。
磯村 : オダギリ ジョーさんのことがすごく好きだったので、よく出演作を観ていました。当時受けていた授業で、映画専修の人がカメラを回し、演劇専修の僕らが芝居をすることが結構あったんですけど、僕は高校生のときから演劇に携わってきたから、いざやろうとすると演技が大きくなりすぎてしまって。映像の演技と、演劇の演技は違うということに気づき、「自然に」という言葉に敏感になりました。そんなときにオダギリさんの演じる姿を観て、まさに自然だなと確認できたり。
― 『アカルイミライ』(2003)や『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)など、オダギリさんの佇まいが印象深い作品は数多くありますよね。磯村さんご自身も、出演する映画やドラマを拝見していると、それぞれの役を“まとう”かのように、自然に演じ分ける方だなと感じます。
磯村 : 20代前半までは役を作り込んで、計算して……、というスタイルだったんですけど、あるときやめたんです。凝り固まるだけだし、「自然に」という言葉が当てはまらなくなっちゃう気がして。準備ももちろん大事ですけど、それをそのまま現場に持っていくことはしないと決めました。今は役と真正面からぶつかるだけというか、いかに向き合えるかだと思っています。
― 以前あるインタビューで、小津安二郎監督の『東京物語』(1953)を「セリフを言うだけが俳優の仕事じゃないと教えてくれた」として、思い入れのある一本に挙げていましたね。それも同じ頃に観たんですか?
磯村 : 観たのは大学在学中より少し後、今の事務所に入ってからだから、5〜6年前くらい。『東京物語』から『秋刀魚の味』(1962)まで、小津映画にハマった時期がありました。小津監督は好んで赤いアイテムをよく画面に置いていて、それを探すのがまた楽しくて。
― 通な楽しみ方ですね。小津映画のどんなところに魅了されましたか?
磯村 : 人間模様を見事に描き出しますよね。定点カメラでの長回し(撮影を途切れさせずにカメラを回し続ける撮影方法)ショットが多いので、ものすごくこう……、セリフがない瞬間を捉えている。僕はそれがすごく好きで。『東京物語』で、何も喋っていないお父さん(笠智衆)の顔をずっと映しているシーンがあり、すごくじんとくるんです。間を大事にしている監督なんだろうなと思って、それが素敵だなと。
― サイレント作品から小津映画まで、クラシックを観るよさはどこにありますか?
磯村 : 小津監督に限らず黒澤(明)監督の映画もそうですが、自分が知らない時代に接することができるので。昭和の俳優は今と全然スタイルが違う気がして、皆さん勢いがあるというか、荒々しく生きていた気がするんですよね。もちろん芝居は繊細だけど、役へのアプローチが今とは違っているように感じて、その辺りは想像するだけで面白い。本当に役になろうとしてぶつかっているように見えます。任侠ものに出ている俳優は、もう皆本当にヤクザなんじゃないかなって僕は思ってるんですけど(笑)。それくらい役に説得力を持たせるには、やっぱり経験が要るでしょうし。
― 『仁義なき戦い』(1973)の菅原文太さんや松方弘樹さんなど、すごい迫力ですよね。
磯村 : それに昔はフィルム撮影だから、1フレーム(1コマ)撮るごとに代金がかかっていて。今はデジタルが主流で、何回でもやり直しができるけど、当時は自分が一言間違っただけで大金が飛ぶかもしれない。そういう、ものすごい緊迫感がある中でいいものを作ろうとしていたことが、画面から伝わってくるんです。
― 自分がまだ生まれてもいない時代の作品を観ることで、映画界の先人たちから教わるものがあると。
磯村 : やっぱり気が引き締まりますね。俳優部だけじゃなく技術部も含め、全員の本気が伝わってくるので。それが昔の映画を観るよさかなと思います。
2020年、コロナ禍の夏。
劇場で観た、ある映画の一言に救われた
― 映画やドラマへの出演に加え、WOWOW30周年記念企画『アクターズ・ショート・フィルム』では監督にも挑戦し、ますますお忙しい中だと思いますが、最近も映画は観ていますか?
磯村 : 観られるときには観ています。劇場にも、こういう(コロナ禍の)時期だったり、時間がないときもあったりして、前より回数は減っていますが、行っていますね。
― 最近、特に印象に残った作品はありますか?
磯村 : 石井裕也監督の『生きちゃった』(2020)です。それこそ劇場で観ました。(仲野)太賀と若葉(竜也)さんの芝居も、手持ちカメラで撮っていく感じもすごくよかった。時間も予算もなかったらしいんですが、それでもあのクオリティの映画を撮ることができるんだって驚きがありました。
― 石井監督は低予算の中、脚本・監督だけでなくプロデューサーも兼任されるなどして、映画の原点に立ち返ろうと今作に挑んだそうですね。先ほどは古典を観るよさについてお聞きしましたが、同世代の監督・俳優の作品を観る場合、視点は変わってきますか?
磯村 : 距離感が近いので、生々しさが違うというか。やっぱり「自分も、もしかしたら現場にいたのかもしれない」とかって考えますから。「いずれ太賀や若葉さんと共演したら」「石井監督の作品に出たら」って想像すると刺激になるし、自分をより磨こうと思えます。
― 磯村さんはサウナ、グラフィックデザイン、料理など多方面にアンテナを張っていて、多趣味なイメージです。その中で、映画はどういう存在でしょう?
磯村 : 知らず知らずのうちに、自分の人格を作っている気がします。血肉になっている感じっていうのかな。性格とか人生観とかそういうものに、今まで観てきた映画が少なからず影響していると思うんです。
ファッションとか、好きな女性のタイプとかもそうで。たとえば『アメリ』(2001)を観たら、「ショートボブに赤リップの女性ってかわいいな」って好きになっちゃったり(笑)。少なくとも僕にとって、映画は自分の感性や価値観を磨き、人生を豊かにしてくれるものです。
― 映画を観ていると、そのとき悩んでいたり考えていたりすることの答えが、不意に見つかったりもしますよね。
磯村 : パッと入った劇場や手に取ったDVDで観た作品がそのまま、ちょうど悩んでいることの答えだったり、自分では考えつかないようなアイデアをくれたり。そういう運命的な瞬間が、映画の魅力というか面白さの一つなのかなと思います。
― 運命的な瞬間を体験した作品を、ぜひ教えてください。
磯村 : ……最近、なんかあったんだよなぁ。(しばらく考えてから)2020年の夏に劇場で、『はりぼて』(2020)っていうドキュメンタリー映画を観たんです。監督も担っている記者が二人、主人公的な立場で作中に登場するんですが、彼らのうちの一人がラスト、記者仲間たちの前でジャーナリズムについてある一言を言うんです。その言葉を聞いて、「うん、やっぱりそうだよね」って思ったんですよ。
― 『はりぼて』は、富山県のローカル放送局・チューリップテレビが、市議会のドンたちの不正に立ち向かおうとする様子を、同局の若手記者が自ら映画化した政治ドキュメンタリーですね。ネタバレになるので詳しくは伺えませんが、終盤の言葉は、どう磯村さんの中で腑に落ちたんでしょう?
磯村 : なんて言ったらいいのかな……、コロナ禍になって、その初期は特に情報がいろいろ錯綜していましたよね。「何が本当に正しいんだ?」「医療現場はどうなっているんだ?」って思っても、僕自身の目で見ることができないからわからない状況で。届く情報をすべて鵜呑みにしていいのかと疑問を持っていたんです。そんなときだったから、『はりぼて』の記者の一言にこう、少し救われた。正しいのかどうかなんてわからないけれど。思っていたことと同じだったから。
― 映画に自分を肯定してもらえたと。
磯村 : そうです、そうです。2020年、そんな出来事がありました。
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