目次
プロレス団体・新日本プロレスを代表する人気プロレスラーとして活躍中の棚橋弘至さん。今や、そのフィールドは、役者業からタレント業、執筆業などへも広がり、プロレスファンならずともその活躍を知るスターです。そんな棚橋さんですが、実は2006年に初めてチャンピオンになってからの4年間は、プロレスファンからひたすら嫌われ、客席からブーイングを浴び続ける“嫌われもの”だったといいます。
42歳となる今年、初の主演映画『パパはわるものチャンピオン』で演じた悪役レスラーは、あたかも自分の人生をなぞるようだったと話します。その役どころは、かつてはエースだったレスラーが、ケガをきっかけにして悪役に。自分の職業を子どもに隠したまま戦い続けるというもの。
現役トップレスラーの棚橋さんが「自分に近い」と思ったのはなぜでしょう?
チャンピオンなのに、嫌われもの。
トライ&エラーしか道はなかった
― 棚橋さんは、現役プロレスラーでありながら、タレント業や執筆業などとマルチに活躍されています。さらに今回は、初めての主演映画『パパはわるものチャンピオン』で、「ゴキブリマスク」というリングの嫌われ者・ヒール(悪役)のレスラーを演じられました。普段、棚橋さんはベビーフェイス(善玉)として人気を博していますが、観客からブーイングを浴びる悪役レスラーを演じられて、いかがでしたか?
棚橋 : 今回映画の中で僕が演じた「ゴキブリマスク」=大村孝志という人間は、かつてはエースだったにもかかわらず、けがで苦しみ、それでも大好きなプロレスの世界で生きていくために、以前までとは違うスタイルを模索して、もがきます。ゴキブリマスクが経験する一連のシチュエーションは、僕、棚橋弘至のこれまでの歩みと重なり合って、撮影中はフラッシュバックというよりも、僕の「まんま現在進行形だな」と感じましたね。
何かを成し遂げようと思ったら、ゴキブリマスクのようにどんどん違う方法を試して、 “トライ&エラー”を繰り返していくしかない。
― 棚橋さんの人気・実力ともにトップとしての華々しい面ばかりについ目が向いてしまうんですが、ご自身にも“トライ&エラー”があったということですか?
棚橋 : もちろんです。たとえば、実は僕にもブーイングを浴び続けた時期があるんですよ。「IWGPヘビー級王座」という団体で一番のタイトルを獲得して、チャンピオンになった2006年から4年間ほど、ひょっとすると、ゴキブリマスク以上にブーイングを浴び続けていました。当時、僕は新日本プロレス伝統の“ストロングスタイル”(強さを最重視する実力主義のスタイル)を捨てて、誰もが楽しめるような“新時代のプロレス”を模索していました。それは当時、プロレスの人気が低迷し、集客率が下がっていたからです。
しかし、その僕の行動と、加えて単純にファンの人たちが興奮するような試合をするレスラーとしての技量が足りなかった僕へのアレルギーが、ストロングスタイルを強く愛する昔からのファンの方たちの強烈なブーイングという形となって出てきたんです。
― チャンピオンなのに、ブーイングを浴びていたなんて…歯がゆい時期だったとお察しします。でも棚橋さんがそうして“新時代のプロレス”を模索したからこそ、「プ女子」(「プロレス女子」の略)という言葉が生まれるほど、性別関係なく多くの人から愛されている“今のプロレス”があるんですね。
棚橋 : 時代に対応しないとだめだろうともがいていましたが、今思うと、あの頃僕が試していたことは10年早かったんでしょうね(笑)。とはいえ、一生懸命いい試合をしていたら、自然と集客が上がるかというと上がらないんです。つまり、それは観客に飽きられてしまっているということです。だからお客さんに来てもらうにはもう、“トライ&エラー”するしかないぞと思って、当時は僕も無我夢中でしたね。
― 2006年当時、チャンピオンとしてプロレス人気を盛り上げようともがき、また40代に突入した現在も、若手レスラーも台頭する中でも第一線で活躍し、もがき戦い続けていらっしゃる。たとえ逆境に陥っても、戦う情熱を絶やさないその理由は、一体どこにあるのでしょう?
棚橋 : もちろん家族のため、ファンのためっていうのもあるんですけど、それ以上にあるのは“初期衝動”です。僕は高校生の時にプロレスを知って、好きになりました。そのことで、本当に人生がものすごく楽しくなったんです。プロレスの専門誌を買ったり、試合を観に行ったりするようになり、自分から能動的に行動するようになりました。プロレスがあることで、僕の人生はこれほど豊かになるんだって実感したんです。
きっと世界には、僕みたいなヤツはもっといるに違いない。そういう人たちにプロレスを届けたい。そういう人に「プロレスっておもしろいね!」って言ってもらいたい。その喜びを僕自身が体験しているからこそ、戦い続けられる。だから、モチベーションはプロレスへの初期衝動…なあんて、ちょっと、いい人過ぎましたね。これじゃあ、『パパはいいものチャンピオン』だな(笑)。
― 人生を変えてしまうほどのプロレスのおもしろさって、棚橋さんは何だと考えていますか?
棚橋 : プロレスってすごくユニークな競技なんです。なぜかというと、ファンの人たちは勝ち負け以上に、実は「リングの上でどう戦ったか」その過程を大事に見ているからです。なんならリングに至るまでの過程も、ずっと見守り続けている。もちろん勝ち負けは大切です。しかし、もし負けてしまっても、精いっぱい頑張った選手にはファンからの称賛の声が集まるし、「次こそは頑張れよ!」と熱いエールもかけられる。ある意味、これほど、敗者を称える競技はないかもしれません。
「よく泣きますよ。」
喜怒哀楽をみせるから、いいプレーができる。
― 映画の中では、リングの外を出たレスラーの日常、家族との関係性も描かれます。ゴキブリマスクの妻(木村佳乃)は、父親の職業が悪役レスラーであることを納得できない息子(寺田心)にいろいろと腐心しますが、あれは現役レスラーからするとリアルな描写ですか?
棚橋 : 「大人になっても好きなことを続けられるのはすごいことなんだよ」という、木村さんが心くんに言う台詞が素敵で印象に残っています。だけど、あそこまで理解のある奥さんはいるかなあ……(笑)。ただ、うちの妻も、試合で家を出るときは毎回、「危ないことをしないでね」っていう一言をかけてくれます。そのたびに、「…いや、危ないことをしに行くのにな…」って思いながら試合会場に向かうんですけど(笑)。でもあの言葉は、そんなことはわかっていて、それでも「無事に家に帰ってきてね」というメッセージだと受け取っています。家に帰るまでが遠足、ならぬ、家に帰るまでがプロレスということですね。
僕には二人の子どもがいるんですが、映画のゴキブリマスクと同様、海外遠征や試合がなくても地方プロモーションなどで家を空けることが多いんです。子どもがまだ小さい頃は、帰宅すると「え! もう喋ってる!?」「わ! 歩いている!!」と、子どもの変化に驚くことの連続だった。そんな子どもたちが初めて、「パパ頑張ってね。けがしないようにね」と手紙をくれたときは、こんなに家を空けていても自分のことを思ってくれているのかと、読みながら泣きましたね。その手紙は、今でも宝物で大切にとっています。
― 子どもの手紙を読んで、泣いてしまうチャンピオンは人間的で素敵です。よく泣かれるんですか?
棚橋 : よく泣くんですよ(笑)。映画のクランクアップでも、撮影中の想いがあふれ出てきてしまって号泣しました。息子役の寺田心くんは、スタッフの方たちにしっかり挨拶をしていたのに、その隣で僕は…。実はリングの上でも同じなんですよね。僕が勝った試合なのに、感極まってしまって涙で話せなくなったりとか…。勝っても負けても泣くという(笑)。喜怒哀楽の「喜」と「怒」と「楽」をリング上で出すレスラーは多いけど、僕はさらに「哀」も出してしまう。それは、僕にはオンとオフがないからです。“24時間ずっとオン”だから、人前で隠す部分もないというか。
― ええ!? では、リングの中と外、いつも同じテンションでいるということですか?
棚橋 : 同じです。というのも、リングというのは360度、全方位から全部見られているじゃないですか。そこで、ちょっとでも無理をしたり、自分を偽ったりすると、「あ、棚橋、無理してるな」「あいつ、演技してるな」と思われてしまう。“24時間オン”の状態で、ずっと“素の棚橋弘至”でいることは、転じて余計に疲れてしまわない強みにもなるんです。だから、リングの上でもナチュラルでいるようにしています。
― 日常に“オンとオフがない”ということは、棚橋さんの“人生の10割がプロレスでできている”、という感じなのでしょうか?
棚橋 : うーん、そうですねぇ…いや“9割プロレス、1割家族”かな。でもその“1割”が、僕にとっては本当に大きくて。家族と過ごす時間に支えられているからこそ、僕自身も大好きなプロレスを一層盛り上げようと頑張れるし、リングの上で体を張って戦えるんだと思いますね。
棚橋弘至の「心の一本」の映画
― 今回、映画初主演に挑むにあたって、戦うレスラーの映画はご覧になりましたか。リングでの名演技が見られる映画と言えば、『ロッキー』(1976年)や『レスラー』(2008年)、『カリフォルニア・ドールズ』(1981年)など数々の映画がありますが。
棚橋 : 『レスラー』は、落ち目のレスラー、そしてふがいない父親として苦悩するミッキー・ロークの演技が印象的でしたけど、実は今回、洋画よりも邦画をたくさん観たんです。映画は観るのはすごく好きで、ときには映画のセリフを自分のマイクアピールの参考にすることもあります。海外に行くとき、飛行機の中で寝ずに4〜5本続けて観るくらいなんですけど、何を観たか忘れがち(笑)。
― (笑)。では、忘れられずにいる “戦う男の映画”はありますか?
棚橋 : やっぱり、マーベル・コミックの一連の映画化は好きですね。あのシリーズの何がいいかというと、絶対に観客を楽しませてくれる前提があるところ。“いい意味で”、観るハードルがすごく低いところが好きですね。一つのエンタテインメントに携わる者として、これらの映画からも学ぶところが多くあるように思います。
僕は特に『アイアンマン』(2008年)の主人公トニー・スタークが好きです。それは演じている、ロバート・ダウニー・Jr自身のキャラクターも含めて、主人公が型破りでめっちゃヤバいところ、あれが「かっこいいな」って思います。普段はチャラいし、やさぐれ感があるのに、大事なときには“ちゃんとヒーロー”なんですよね。あとは、もちろんアクションもすごいですけど、やっぱりマーベルシリーズの根底に流れる正義感のありようが好きですね。つまり、主人公の持っている正義が、必ずしも万人にとっての正義じゃないということです。
― 万人にとっての正義じゃない、正義。
棚橋 : それは、実はプロレスにも言えることなんですよ。プロレスファンに必ずしも善玉のレスラーが人気があるかというとそうではなく、ヒールこそ愛されることもある。善悪二元論では決してなく、“正義の見え方”が立場によって変わっていく展開のおもしろさが、マーベルとプロレスには共通していると思います。プロレスファンの中には一貫して、ヒールを愛し続けるファンもいます。そういうファンが多い試合の日は、ヒールのレスラーの方が“ヒーロー”で、かえって僕の方が“ヒール”なんです。試合と観客の反応によって善悪の立場が変わることは、『パパはわるものチャンピオン』の中で描かれますが、それもプロレスの醍醐味だと思いますね。
― 単に「強いから」「善玉だから」といって、ファンがついていくわけではないんですね。マーベルもそうだと思いますが、プロレスにおいて、レスラーやファンのありかたに多様性が認められているところが、今の時代にすごく合っているエンタテインメントだと感じます。その中で、ブーイングを受けた時期を経て、人気も実力も現在トップクラスにいる棚橋さんは、今のプロレスの象徴的な存在なのかもしれませんね。
棚橋 : 僕が今の地位に立つことができたのは単に「強い」からではなく、「慢心することがない」というか「慢心できない」からだと思います。誰かと比べるのではなく、自分で自分のことを「弱い」と思うから練習するし、努力する。僕は結構、自己肯定の波と自己否定の波が2分毎にやってくるタイプなんです。「俺ってサイコー」と上がったと思ったら、その2分後に「サイテー」と落ち込む瞬間が必ず訪れるから慢心できません。
あと世の中には、僕ができないことができる人がたくさんいるじゃないですか。たとえば今日取材に来てくださっているみなさんも、人に話を聞いて記事を書く、という今の僕にはできないことをしている。自分にできないことをしている方々に出会って、日々「すごいなぁ」と尊敬しているから、慢心している暇はやっぱりない。だからこそ…、自分で言いますけど、僕は「100年に一人の逸材」なんです(笑)。