目次
たくさんの力を借りながら
自分の「想像を超える」ものをつくる
― 先ほど、ファイナリスト選考会の企画プレゼンテーションが終わり、ファイナリストの5組が決定しました。今回の選考では、審査員のみなさん(今泉力哉さん、大森靖子さん、藤原季節さん、米代恭さん)で、どういうお話をされたのでしょうか。
今泉 : 脚本やプロットがこれからどれだけブラッシュアップされるかといったことや、実際に候補者のプレゼンを受けての印象などですね。その選ばれた人が実際に作品をつくることになったときに、いろんなスタッフとのやりとりのなかで、どういう化学反応が生まれて、その結果どんな面白い作品が生み出されるだろうかといったことを話しました。
大森 : 映画づくりのようにたくさんの人と仕事をしていくなかでは、「人の才能を刺激する才能」が必要だと思います。それは、脚本自体の面白さ以外に「この人にならついていきたい」と思わせる力や、「こんな面白いものがあったんだ」と感動させる力というようなものです。そういう視点も大事にしながら、私は選考していました。
自分が曲をつくるときは、プロットみたいないわゆる設計図のようなものをつくり、そのイメージを具現化しながら肉付けして曲にしていくために、才能のあるプロの力を借りることが多いんです。その過程と映画づくりは似ているのかなと。
― 今の時代のクリエイターは、自分の魅力を自分自身で演出し、PRしていく力も必要になってきているかと思います。そういったことは、「人の才能を刺激する才能」や人としての魅力に含まれるのでしょうか。
大森 : それをてらいすぎると逆に、「ああ、プレゼンを見せられているんだ」と思ってしまうかもしれません。それよりもクリエイターにとって一番大事なものは、「これをつくりたい」という気持ちだと思います。
以前、今泉さんの『tarpaulin(ターポリン)』(2012)という短編映画に、「音楽をやる人」として出演させてもらったことがあるんですけど、今泉さんの現場では「あ、これ私がやりますね!」と自ら進んで仕事を引き受けたくなるところがあって (笑)。今泉さんは「自分がこだわるところ以外は、任せます」というスタンスだったんです。だから、そのこだわり「これを作りたい」という核さえあれば、作品として成立すると思います。
― 大森さんは候補者のプレゼンの講評の際にも、「やりたいことが明確」と何度かおっしゃっていました。
大森 : やりたいことが決まっていれば、あとは周りが動くだけなので。それが監督という仕事に向いているってことなんじゃないかなと。
今泉 : ざっくり大きく分けて、監督には2つのタイプがあって。ひとつは、その人の頭のなかにやりたいことが全部あって、「それはこれです」って提示できて、周りがそれを形にしていくというタイプ。もうひとつは、中心になるものは考えてはいるんだけど、それを俳優やスタッフなど、いろんな人の力を借りて、より大きくして形にしていくというタイプです。
俺はいま大森さんが言ってくれたみたいに、「何か」は見えているけど、「全部」は見えていないんです。2つのタイプの後者のほう。撮りたいものを結構ふわっとさせて、みんなに手伝ってもらうタイプだと思うんです。仕切っていく側じゃなくて。だからいつも、脚本よりも完成した映画のほうが絶対に面白くなっていて、「え、こんな映画だったんだ」と思うんです。
大森 : うん、わかります。
今泉 : 今日のプレゼンでも、「脚本の詰めは甘いけど撮りたいものは明確」という人がいて、そういう人は自分で指示も出せるし、周りに助けてもらえるだろうなと思いますね。
大森 : 脚本の段階ではディテールまで具現化されていなくても、作りたいものの核はあって、その芯が強いっていうこともあったりするので。
今泉 : あとは映画監督とか俳優って、どこか特別な職業だと思われるけど、やっぱり普通に「一緒に仕事したい人かどうか」ってところを見ちゃいますね。そういう意味でいうと、プレゼンが上手いかよりも「人間力」を感じるかどうかの方が大切で。不器用でも正直な面が見える方が自分は惹かれたし、そのほうが安心して周りも監督の役割を託していけるんじゃないかと思いました。
今泉 : すごく器用にプレゼンできる人って、もしかしたら作品も器用につくることができて、「あ、脚本通りの、想像の範疇の映画ができましたね」となっちゃう可能性があるから、そこからさらに広がることはないのかな?という不安もあって。
― 音楽をつくる現場でも、周囲と協力して制作を進めることは多いかと思います。
大森 : そうですね。シンガーソングライターも全く同じだと思います。最後まで自分でアレンジを決めている人もいれば、「この曲は、この人に任せたら深く理解して、私の想像を超える“彩のあるもの”にしてくれるはず」と思って周りを頼る人もいますし。そういう意味では、頼る人・任せる人を選ぶことも、作品づくりの一つだと思います。
― 周りに任せながら、巻き込みながら、つくっていくんですね。
大森 : そうですね。わたしはもうずっと、そのタイプです。自分が核づくりを担って、あとは周りに任せて。それで何が出てきても「面白い」と言える人であろうって。「面白いね! 最高だね!」って言っていたら、作品ができていく。
今泉 : そこで「違う」となったときは、どうするんですか?
大森 : 「違う」ってなったときは、イメージを共有しますね。そのための方法の一つに、リファレンス(参照)曲を送るやり方があって。リファレンス曲を示すことで、どういうアレンジにして、完成形をどんなものにしたいかを示すことがあるんです。でも「リファレンスはこの曲です」って言ったら、もうその曲をコピーする感じになっちゃうじゃないですか。だから私はいつも、曲をアレンジしてくれる人にイメージとして写真や絵などを送るようにしているんです。
今泉 : あー、いいですね。
大森 : 「こんな感じでお願いします」って。曲は送らないけど、つくりたいもののイメージは一緒にしておく。そうすれば、お互いのイメージがあまりにもかけ離れることはなく、よりよいものになるので、そこさえ共有できていれば大丈夫と思っています。
ものづくりへのこだわりと
現在の制作を取り巻く環境の変化
― これからファイナリストとなった5組は、自身もプロとして、プロのチームと作品をつくっていきます。プロの現場で、チームで制作をしていくにあたって、大切なことはなんでしょうか。プロとアマチュアの違いなどはありますか。
大森 : そんなことを言えるような人間じゃないんですよね(笑)。
今泉 : 同じです(笑)。もう十何年も監督をとして映画をつくってきたのに、最近、昔から知っているスタッフさんに「今泉さん、現場でもうちょっとちゃんと指示を出してもらっていいですか」って言われて(笑)。周りに委ねるっていうことに甘えすぎていて。
大森 : 「このくらい言わないでもわかるだろう」ってなりがちですよね。
― 今泉監督はインタビューなどで、作品の仕上がりに関して「最後まで諦めない」ということや、意見が対立することがあっても、あまり譲らないとおっしゃっていますよね。
今泉 : 譲らないですね(笑)。自分が必要だと思った要素は、捨てないです。
― 制作を進めていくと、スタッフ同士厳しくぶつかってしまう場面や、こだわりを貫けない状況なども出てくることがあるかと思います。そういったことに対して、プロとしてはどのように臨むべきでしょうか。
大森 : それはもう「プロかアマチュアか」という話じゃなくて、「作品づくりにこだわるか、こだわらないか」の話ですよね。でもそこにこだわらず、他のものを優先させているプロもたくさんいます。
今泉 : でもこの選ばれた5組には、ぜひ自分の作品にこだわって欲しいですね。すごく難しいとは思うんですよ。プロの中に自分が素人みたいな感じで入った時に、そこで自分がつくりたいものとその人たちがうまくかみ合えば良いけど、みんな経験も知識もあるから、「ちょっとわからないからお任せしよう」ってなっていくこともあるじゃないですか。そうすると、例えば経験が豊富なカメラマンを中心に現場が回り出したりして。
― そうなると結果、全然意図していないものができてしまうかもしれませんね。
今泉 : 完成した映画を観て、「なんか自分が思っていたものとは違うけど、すごーい!」っていうのは、悔しい。でもそうなる作品も、5本もあったら1本くらいあると思うんです。そしたらまた、その反省を活かして次をつくれば良い(笑)。僕自身は、「周りがみんなプロで自分は素人」っていう経験はないのですが、相当大変だとは思います。それに対してはどうしたらいいかわからないけど。なので、みんな頑張って (笑)。
― 音楽や映像をとりまく制作の環境は、ご自身の駆け出しのころと今とでは大きく変化していると思います。それに対して良いと思うことと、逆にこの時代にクリエイターを志す人にとって大変だと思われることなどはありますか。
大森 : 音楽人としては、「現場」がないことは大変だと思います。今って、「歌ってみた」とか、自室で歌っている姿を撮ったものを作品だと言える環境がありますよね。その場合、目の前にマイクがあって、ずっと同じ声量でいいんです。でもそれと、ライブ会場で実際に観客を目の前にして、その人たちに届けるべき声を探る作業とでは、「伝える」ってことに関して全く違う表現になる。なので「目の前の人に伝える」という意味での歌手は減っていると感じていて。でも上手い人が多いのは事実なので、それはもったいないなとは思います。
今泉 : 「人に伝える」歌手が減っているってことですね。
大森 : うんうん。
― 映像作品だと、どうですか?
今泉 : 映像制作の昔と今の違いを言うと、今ってスマホでもプロと同じルックが撮れちゃうんですよ。それでいて演じているのは友達、とか。そうやって「プロのルック」と「素人の芝居」の齟齬が出てくるので、そのバランスをとるのは、すごく大変だと思いますね。俺らの頃は、撮るものもminiDV(小型ビデオカメラ用のテープ)とかの画質が良くないもので、その素人みたいな画質に素人の芝居だったから、まあものとしては成り立っていた。
大森 : それの良さ、みたいな(笑)。
今泉 : うん(笑)。でも、今は誰でも簡単に高性能のツールで撮ることができてそれっぽいものにはなるから、その分芝居の演出ができる人はめちゃくちゃ減っていると思う。
演出ができないというか、芝居に興味がある人が少ない気がして。俺はデジタルが始まった頃の、画質が悪いときに始めているから、芝居とか役者をどう演出するかということだけはすごくこだわっていて。そこはお金をかけなくても出来たから。演出に関しては負けない自信があるし、今そこだけで仕事になっている気がしますね。
あと自分がいまの時代に映画をつくっていて大変だなと思うことに、倍速視聴や途中離脱の問題などがあります。例えば、倍速視聴されないようにテンポを上げてほしい、みたいなことって、自分はまだ受け入れられなくて。倍速視聴する人向けにつくる作品もあっていいけど、しない人向けにつくるのがベースじゃないのかなって。
もちろん、いろんな作品があっていいと思うんですけどね。
今泉力哉、大森靖子の「心の一本」の映画
― 最後にお二人にとって、初心にかえりたいときに観るような「心の一本」の映画を教えていただけますか。
大森 : 私は『NANA』(2005)ですね。
― 『NANA』は漫画家の矢沢あいさんの人気コミックが原作で、カリスマ性のあるボーカリストの大崎ナナ(中島美嘉)と、平凡で恋愛体質な小松奈々(宮﨑あおい)という二人の“NANA”の、東京での恋と友情を描いた青春物語ですね。
大森 : 『NANA』はあの世代の女子みんなの原点じゃないですか。Ayu(浜崎あゆみ)と『NANA』、みたいな(笑)。無視してきた人はいないと思います。東京に行くっていう気持ちを描いているところも、自分の原点ですね。
― 東京への憧れが詰まっているんですね。
大森 : そうですね。劇中に、東京に出てきてからイチゴのグラスを買うシーンがあって、私も同じように買いましたからね。あと大崎ナナが、「てめえの男だろ、てめえで取り返せ」って言うところがあって。
今泉 : そこが、良いんだ!
大森 : めちゃくちゃ良いんです。ロックスターの容姿で、すっごく細い身体で「てめえの男だろ、てめえで取り返せ」って。
今泉 : 最高ですね! そういうの最高。
大森 : 最高のシーンなんです。そこがずっと心に残っていて。
― どんな時にご覧になるんですか?
大森 : いろいろ迷った時とかにも観ますね。結構観返してます。自分がプロデュースする人にも、なにかをやりはじめるタイミングとかに勧めていて、「こういう昔の映画、エモい」って言われてます。
― “昔の映画”なんですか!? 私大森さんと同世代なんですけど…。
大森 : 昔の映画ですよ!(笑)。10代の子からしたら。
― 今泉監督の、初心にかえる映画はなんですか?
今泉 : 昔はそんなに繰り返し観てはいなかったんですけど、ここ最近何度か山下敦弘監督の『リアリズムの宿』(2004)を観る機会があって。
― つげ義春さんの同名漫画および「会津の釣り宿」を原作とした『リアリズムの宿』は、顔見知り程度の間柄である坪井と木下と、そんな二人が訪れた先の温泉街で出会う敦子という女性の、三人の旅路を描いたロードムービーです。
今泉 : 北海道で上映イベントがあって久々に観たら、ちょっと過呼吸になるくらい感動して(笑)。ほぼ初対面みたいな二人がうらぶれた町を旅するんですけど、物語の序盤や途中では、ひどい出来事に遭遇するたびに険悪になっていた二人、最後にはそういった出来事をともに笑える関係になっていて。登場人物の距離の変化がすごくて、自分はこういうことを映画でやりたいんだなと思って。
― 本来やりたかったことを思い出すような。
今泉 : そうですね。初めて映画館で観たのがちょうど映画学校に入った頃で、自分がつくりたいものの空気がすでにそこにあったんですよ。そういう空気の映画がないと思ったから映画学校に入ったのに、もうあるから自分がつくる必要はないかも、って絶望して。そんな悔しさを味わった作品なので、自分にとっての初心にかえる映画ですね。