目次
限りある自分の時間を
「おもしろい」と感じることに注ぎ込む
― 最近、ある20代前半の人気俳優の方にインタビューをした際、尊敬する人としてオダギリさんの名前をあげていました。「矛先が常に自分ではなくて、作品や周りに向いている」とおっしゃっていて。
オダギリ : うれしいですね。僕は、誰かと一緒に“ものづくりをしている状況”が好きです。自分が関わる以上、少しでもいいものになって欲しいですし、胸を張って披露できるような作品にしたい。逆に言えば、自分にとってピンとこない作品には関わらないようにしています。もったいないじゃないですか、自分の時間が何ヶ月も、そういう作品にとられてしまうのは。
― 以前、オダギリさんはインタビューで「30歳を越えて、本当にやりたいと思えるものだけで勝負するべきだと思った」と、おっしゃっていました。現在オダギリさんは42歳、それから約10年が経っています。その想いは変わっていないと。
オダギリ : 40歳を過ぎて「いつまで俳優を続けられるのか」という時の流れに入ってきたのもあって、余計に関わる作品には厳しくなっているかもしれないですね。「あと何本」と考えているわけではないですが、おもしろいと感じる作品にだけ参加したいという気持ちは強くなっているかもしれません。
― では、今回オダギリさんが出演された映画『宵闇真珠』(2018)は、オダギリさんにとって“ピンときた”作品であるということですね。そのポイントは?
オダギリ : 僕達の世代からすれば、クリス(クリストファー・ドイル)は、ウォン・カーウァイ監督と共に90年代のアジア映画を牽引していた偉大なアーティスト。彼等から多くの刺激や影響を受けました。彼等がどういった感覚で映画を作っていたのかに興味がありましたし、そういう人たちの現場を、実際に見てみたかったというのが一番の理由でした。
― クリストファー・ドイル監督は、『欲望の翼』(1990)や『恋する惑星』(1994)などのウォン・カーウァイ監督の現場に、撮影監督として参加し、世界中で香港映画ブームを巻き起こした一人です。実際に現場を見て、いかがでしたか?
オダギリ : すごくおもしろかったです。彼らは本当に自由な精神で撮っているんですよね。映画ってどうしても、台本に描かれてある事を忠実に映像化しようとするじゃないですか。でもクリスや、他にも現場を経験した世界の卓越した独立系の監督は、現場で起きるアクシデントを楽しみにしているところがあるんですよ。
― オダギリさんは、ロウ・イエ監督の『Saturday Fiction(英題)』(2018)、キム・ギドク監督の『悲夢』と『Human, Space, Time and Human(英題)』(2018)にも出演されていますね。
オダギリ : 彼らは、即興的に現場で生まれるものや、台本から+αで広がっていく表現がとても好きで大事にしているタイプの人たち。僕も、そういうことが好きなタイプなので、息が合うんです。だから、一緒になって楽しむことができるんですよね。「ものづくりをしている」という実感があります。
― 今回の『宵闇真珠』でいうと、どういう部分が即興的だったのでしょうか?
オダギリ : そもそもセリフをあんまり覚えなかったんですよ。台本を読んだのも一度きりかもしれない(笑)。
― それは、かなり即興的ですね(笑)。
オダギリ : というのも、クリスに最初言われたんですね。「台本に振り回されて欲しくないから読まなくていい」みたいなことを(笑)。そもそも、僕の役の設定は最初ミュージシャンだったんですよ。台本を読むと、廃墟の屋上でギターを掻き鳴らすシーンがあったりして。今回衣裳は自分で用意したんですが、ミュージシャンを想定して、日本で集めて持っていきました。でも香港に着いて渡された台本では、役が芸術家に変わっていたんです(笑)。
僕が「あれ? ミュージシャンじゃないの? 衣裳はそのつもりで選んだんだけど」と言うと、「アーティストに変えた」と。で、完成した映像を観たら、アーティストでさえもなくなっていました(笑)。もはや「職業」が関係のない人物になっていたんですよね。
― 職業でさえも、即興で変えていくという自由さなんですか(笑)。
オダギリ : クリスたちにとって台本というのは、ひとつの例にすぎないんです。行き先が書いてある地図のようなもので、その行き方はどの道を通ってもいいんですね。
― 自分の現場で感じたことを大事するんですね。
オダギリ : 今作では、クリスの公私にわたるパートナーであるジェニー・シュンという女性が共同で監督しているんですが、ジェニーはどちらかというと理論派。逆にクリスは感覚的で説明をしたがらない。ジェニーは監督として撮影の前にシーンの説明をしようとするんですが、クリスが横から「(オダギリ)ジョーには余計なことを言わなくていい。好きなようにやらせればいい」と、止めるという毎日でした(笑)。
― 不思議なペアです(笑)。
オダギリ : あの現場にいる誰が抜けても、『宵闇真珠』という作品は生まれてこなかったという気がします。「ここにいる人、全員に意味がある」っていうことは、ものづくりの上で貴重なことだと思いますし、だからこそ楽しいと感じるのだと思う。そういうことが感じられる現場でしたね。
自分にとっての「楽しい」は何か?
常に問い続け、そこに前進していく
― 「おもしろい現場」とはいえ、海外製作の作品は、日本で製作される作品と比べて、言語や製作過程の違いなどといった壁もあると思います。それでも、海外の作品に多く出演されているのは、やはり海外を意識されてのことなのでしょうか?
オダギリ : 海外を、特別意識しているわけでは全然ないですね。ほんとうに、全然(笑)。ただ、自分が「おもしろい」と感じる作品に、海外のものが多かっただけのように思います。やりたいものがあれば、日本の作品にももちろん出ますし。それだけのことですね。
― オダギリさんにとって、「海外」と「日本」という境界はないと。
オダギリ : ただ、おっしゃる通り海外の作品は色んな壁だらけです。でもだからこそ挑戦したくなるのも事実なんですよね。
― と、いいますと?
オダギリ : 例えば、俳優からすると海外の作品の場合は言葉が通じない分、セリフに頼らない芝居をしなければなりません。日本語での芝居だと、言い方を少し変えればニュアンスも変えられますし、テンポや間を変える事でテクニック的に感情を伝える事も出来ます。でも海外ではそんなこと通用しませんよね。セリフ以外の部分で相手にしっかりと気持ちを伝えられないと成立しないんです。テクニックで説明する芝居ではなく、嘘なく気持ちを届けられるのかどうか。そういった俳優の本質的な部分を試されている気がするんですよね。
だから、海外の現場は、一回一回が勝負だと思って行っています。僕自身が役者として持っているものを、どう評価してもらえるのか、半分怖がりながらも、そういう気持ちで参加できるのが……うれしいんですよね。
― 役者として「挑戦できる」ということが、オダギリさんにとっての「おもしろい」でもあるんですね。現在は役者だけでなく、2019年に向けて長編映画の監督にも挑戦されています。監督だけでなく、脚本もオダギリさんが担当され、撮影監督には今回の『宵闇真珠』の監督のクリストファー・ドイルさんを迎えています。
オダギリ : もともと監督志望ではあったんですが、ここ10年程、そんな気持ちもすっかりなくなっていました。でも今回クリスやジェニーと現場を共にするにつれ、ふつふつと昔の気持ちが戻って来たんですよね。なんか楽しそうだな~って。
そんな時にクリスと飲んでいたら、「ジョーは監督をしないのか? やるなら俺が撮影してやる」みたいなことを言われて、「え? カメラやってくれるの? それは楽しそうだね」と盛り上がって。久しぶりに何か作品を作りたいと思うようになりました。何でもそうですが、楽しいと思える事をやるのが1番ですもんね。
― 現在のオダギリさんにとって、映画監督は「楽しい」ことのひとつなんですね。
オダギリ : 俳優は楽しいですし、映画づくりも好きなので“いい職業”に就いたとは思うけれど、他にも“おもしろい職業”はきっとたくさんあるだろうなって思います。
― オダギリさんにとって、おもしろそうだなと思う職業は、俳優以外にもたくさんあるということですか。
オダギリ : もちろんそうですよ。今まで自分でやってみたいと思った職業はいくつかあります。だから、人生を楽しむ為にはそういった挑戦もやらなきゃもったいないですよね。もしかしたら、そっちの職業の方が俳優業よりも合ってるかもしれないですし。
― 先ほどお話にあがった「クリスが感覚派で、ジェニーが理論派」というところでいうと、オダギリさんはどちらですか?
オダギリ : 両方じゃないですかね。意外と真面目な部分はありますし(笑)。いろんなことを考えますが、進む時は進むタイプです。
黒澤明監督の言葉が、僕の中に引っかかった。
真に国境を越えるとは?
― オダギリさんのターニングポイントになったような映画はありますか?
オダギリ : そうですね……映画ではなくて、黒澤明監督の言葉で僕の中に残っているものがあります。それは、「自分の国への理解を深めることが“国際的”なんだ」という言葉です。
― 映画ではなく、「自分の国への理解を深めることが“国際的”なんだ」という言葉がターニングポイントになったと。
オダギリ : “国際的”な俳優を目指したい人は多いと思います。でも、“国際的”というのは、どれだけ日本のことを深められたかだと黒澤監督はおっしゃっていると思うんです。黒澤監督ご本人がそうですよね。世界で一番有名な日本の監督ですが、多くは時代劇など日本を題材にしています。俳優で考えると三船敏郎さんや高倉健さんのような人が、本当の意味での“国際的”俳優なんだと思いますね。
― それは、オダギリさんも“国際的”な俳優を目指したいと思っていたから、その言葉が残ったのでしょうか。
オダギリ : 僕は10代の頃、アメリカに留学して芝居を学びましたが、もしかしたらそれ自体間違った考え方だったのかもしれません。それは、自分が暮らしていた日本のこともよく知らないのに、海外の方ばかりを向いていたから。それだといくら頑張ったところで、真に国境を越えることにはなりません。
― つまり、どういうことでしょう?
オダギリ : 自分の可能性を広げて、やりたいことを枠の外でやることは非常に魅力的だし、意味のあることだと思います。でも、まずは「枠の中でやれるだけのことをやったのか? きちんと突き詰めたのか?」ということが大事なんじゃないかと思っています。
― 枠の中でさえもできていないのに…ということですね。まずは足元見ろと。
オダギリ : そういう状態で枠の外に挑戦しても、なんというか…若さゆえの冒険にしかならないように思います。僕はその黒澤監督の言葉を聞いて、「国際的」ということを履き違えないようにしようと思いました。
もし若い頃の自分に会えるとしたら、そういうことを伝えてあげたいですね(笑)。