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理解よりも、「想像」から始めてみる
― 草野監督は、今作の脚本を執筆している段階から、主人公・純のイメージとして神尾さんを思い浮かべていらしたそうですね。それがオファーにつながったと。
草野 : はい。浅原ナオトさんの原作『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を読んでいた時、表紙に描かれていたイラストの純にすごく惹かれていたんです。
― 『ペンギン・ハイウェイ』(18)のキャラクターデザインなどを手がけたアニメーター新井陽次郎さんの描かれたイラストですね。
草野 : その純を思いながら脚本を書いていたら、神尾くんが浮かんできて。隠し事を持つ、どこか影のある表情と、まっすぐな透明感。そういう純の内面的なイメージにもぴったりで、神尾くん以外考えられなくなったんです。
神尾 : ありがとうございます…。
― 純は、自分がゲイであることを家族や友人に隠しながら、周囲に合わせることで日常の平穏を守っているという高校生です。その役は神尾さん以外考えられなかったという草野監督の言葉を聞いて、いかがですか?
神尾 : 僕は、純という人物を自分がちゃんと理解できるのかなという不安がありました。セクシュアルマイノリティの方々が声をあげ、「性の多様性」の認知が少しずつ広がりを見せている中で、自分が純を演じるというのは、怖さもありました。
草野 : 僕も今回の映画化にあたって、自分がこの作品を背負えるだろうか、という怖さがありました。だから、すぐに監督することは決められなかったんです。プロデューサーと会って、ちゃんと話して、お互いに同じくらいの思いを持っているのかどうか、確認してから決めました。
― 今作の前原美野里プロデューサーは、若者の心情を丁寧に紡ぐ青春映画を撮れる監督にオファーしたいと思っていたところに草野監督の『世界でいちばん長い写真』(2018)と出会い、依頼されたそうですね。草野監督は、『にがくてあまい』(2016)という作品で、同性愛者である男性キャラクターを描かれた経験もありました。
草野 : はい。今までの自分は、こうした題材を扱っていながらも、まだまだ全然届かせることができてないな、それは自分の意識が未熟だからじゃないかという、くすぶっている思いもあったんです。当事者や今の世の中に、もう一度ちゃんと向き合いたかった。
― セクシュアルマイノリティの当事者である、原作者の浅原ナオトさんとのディスカッションを重ねながら、草野監督自ら脚本づくりをされたそうですね。
草野 : 僕は原作を読んで心を揺さぶられたし、今まで気づけなかったような言葉もいっぱい綴られていたので、当事者や今の世の中にもう一度向き合うには、とても良い原作だなと思いました。同時に、みんなが何も考えずに、映画を観たあとハッピーに帰れる…という作品になるはずもないというか。かなりいろんな意見が出てくる映画になるであろう、ということはわかっていたので、そこへの覚悟はありました。
― 『にがくてあまい』に出演された林遣都さんへ、少し前に取材させていただいたのですが、「心の一本」として今作をあげられていました。神尾さんが純にしか見えなかったと。
草野 : えーー嬉しい!
神尾 : 嬉しいですね…。
草野 : 神尾くんは、本当に最初から純としてそこにいてくれたので、何も言うことがなかったんです。だから現場であんまり話してないよね(笑)。
神尾 : そうですね(笑)。撮影中に、僕、途中で監督に聞きましたもんね。
草野 : 良かったから、あえて声をかけなかったんです。何か言うことで、神尾くんがぶれちゃったら嫌だから。そしたら、僕があまりに何も言わないから不安になっちゃったみたいで…謝りました(笑)。そのくらい、現場ではずっと「純がいるな」と思えたし、それを撮っていたという印象でしたね。
― 草野監督から、純を演じるうえで神尾さんにリクエストしたことなどはあったのでしょうか?
草野 : 純は、恋人である誠さん(今井翼)のことが本当に好きだから、誠さんといる時に、ちゃんと好きだって思えていればそれでいいから、って本読みの時に伝えた気がします。
神尾 : はい、覚えてます。現場でも、学校でクラスメイトといる時と、誠さんと二人でいる時とでは違いました。学校のシーンでは、共演者の方と目を合わせたりすることもできなかったんですけど、誠さんといる時は、不思議と目を見たくなるし、表情も自然と柔らかくなるというか。
草野 : 僕が神尾くんにした演出って、結局そのひとつだけだったと思います。
無知を放置することが、誰かを傷つけてしまう
― BLカルチャーなどがエンターテイメントとして昇華される一方で、多様な価値観を受け入れることへの壁はまだ厚い…という現状に、今作は一石を投じているように感じました。生身の相手と対峙することで、自分の中にある偏見や壁と向き合うようになった高校生たちの姿を通して、お二人の意識に変化は生まれましたか?
神尾 : 向き合い方に変化が生まれたというよりも、フラットな状態に戻してもらった、という感覚かもしれません。今まで自分の中に固定概念みたいなものがあって、でも本当にこれでいいのかな、この向き合い方で合ってるのかな、と思っていたところから、この作品を通して、最終的にはまっさらな状態に戻してもらったというか。
― その人の価値観や立場などの表層的な面だけにとらわれず、向き合える状態になったということでしょうか。
神尾 : 純を理解する過程がまさにそうだったんです。最初は、自分がイメージする純を膨らませていって、目線とか仕草とか、動きの部分ばかりに目がいってしまってました。でも、お互いの秘密を知って急接近していく紗枝(山田杏奈)や幼馴染の亮平(前田旺志郎)と現場で対峙していく中で、感覚なんですけど、自分の中で純としての歴史が見えてきた気がして。
― 純のセクシュアリティを理解しようとするのではなく、辿ってきた人生を想像してみたのですね。映画でも、純の秘密を知った紗枝が、「理解はできないかもしれないけど、想像したい」と伝えるシーンがありました。
神尾 : はい。全部僕の想像なんですけど、でも純としてのバックグラウンドが見えてきたんです。
今作に関わる以前は、人に対して、どこか自分の中で決めつけちゃっていた部分もありました。この人はこうだから苦手、とか。その一面しか見ていないのに、そこだけで人を判断して距離を取ってしまったり。でも、それじゃだめだな、まずは知ろうとすることが大事なんだなと思うようになりましたね。
草野 : 僕も、自分の普段の日常の言葉遣いにしても、他者への想像力を働かせることを意識するようになりました。自分がつくるものもそうだけど、容易に人を傷つける可能性があるんだと。そういうことに対しての責任は、より強く感じるようになりましたね。
― 原作者の浅原さんは、今作へ「『好きな相手が同性でもいいと思うよ』では片づかない複雑な内面を書いた物語は、多くの方の共感と好評を得て、映画化にまで至りました。その複雑さはこの映画にもしっかり残っていると思います」とコメントを寄せられています。
草野 : この映画では、いい奴、悪い奴、という描き方はどの役に対してもしていなくて。何かがもし悪いんだとしたら、知らないままでいること、無知を放置することなのかなと思うんです。悪いこと、というと言葉が強いかもしれないけど…その言動が誰かを傷つける可能性がある、ということを想像できないこととか。そういうことについて、考えながら撮っていました。
― 大人になればなるほど、相手のことをわかりたいと思いながらも、摩擦を恐れてつい距離を取ってしまう気がします。
草野 : 僕も、普段の生活では摩擦がなく平穏に過ごしたいと思って生きているんですけど、作品づくりとなると…結構ぶつかります(笑)。そもそも人付き合いがそこまで多くないので、ぶつかるシチュエーションが少ないんですけど。
神尾 : 僕は、完全に距離を取っちゃうタイプでした。ずっと「わかりあえないならもういいや」っていうスタンスだったんですけど、一方で、「これでいいのかな」という思いもずっと持っていて。「もしかしたら、もっと知ることができたらもっと理解できることがあるかもしれない」とか。
出会った時は距離を感じたけど、何年後かに現場で再会したら、「あれ、意外とわかりあえるな」ということも、実際に結構あったんです。これはどういうことなんだろう、ってずっと考えていて。そうしたら、今作で「摩擦をゼロにしたくない」という言葉があって、「こういうことなんだ!」と。
― 摩擦を避けて距離を置いていた相手とも、本心でぶつかり合うようになったら、新しい関係性が見えてきたと。
神尾 : はい。ずっと自分の中でモヤモヤしていたことが、言語化された感覚があって。発見がありました。今は、相手のこともよく知らずに、門前払いみたいにすることはやめよう、というマインドになっていますね。
神尾楓珠、草野翔吾監督の「心の一本」の映画
― 最後に、お二人にとっての「心の一本」の映画を教えてください。何度も観ている大切な映画、お守りのような映画でもいいですし、自分とは違う価値観について考えるようになった映画がありましたら、そちらでも。
神尾 : 多分…映画を観ている本数が、監督に比べて僕の方が絶対に少ないので、僕の方から答えてもいいですか?
草野 : いやいやいや! 今、すごいプレッシャーで汗が出てきちゃいました(笑)。
神尾 : 僕、アニメーション映画がすごく好きで。『おおかみこどもの雨と雪』(2012)は、繰り返し観ている映画です。小さい頃に観た時は、キャラクターたちの成長とか別れが泣けるなという印象だったんですけど、大人になって観たら感じ方が変わっていて。
― 二人の「おおかみこども」を育てる母親を主人公とした、細田守監督のアニメーション映画ですね。どのように、感じ方が変わったのでしょう?
神尾 : もともと都会で暮らしていた花(宮﨑あおい)が、子どもを連れて田舎に移り住むんですけど、それって大きく価値観が変わることじゃないですか。一から人間関係を築かないといけないし、子どもも育てないといけないし、子どもたちが狼だってバレちゃいけないし。
その葛藤をひとりで全部背負って生きていく、という強さに心を打たれて。自分の限界を勝手に決めてしまいがちだけど、こんなにも柔軟に価値観を変化させながら生きることができるんだな、と人間の可能性への見方が大きく変わりました。
― マイノリティな立場に置かれた人が、人生をどう選択していくのか、という意味では、今作『彼女が好きなものは』とも似ている部分がありますよね。
神尾 : 隠し事をしながら生きている、というところですよね。
草野 : すごく立派な理由で…僕、何も言えなくなっちゃいました…(笑)。俺そんなに語れるかな。ちょっと、頭真っ白になっちゃった。
えっと…お守りのような映画、で頭に思い浮かんだのは、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』(1995)です。以前セルビアに行って、エミール・クストリッツァ監督に直接サインもいただいたんです。そのDVDを我が家に神棚のように祀っています。
― それは「心の一本」ですね!
草野 : 一番観返した回数も多いと思います。なんていうんですかね…僕、観返すと、最初にテロップが出た段階からもう泣いちゃうんです(笑)。悲しくて泣くとかじゃなく、胸が熱くなって泣くような。
― 『アンダーグラウンド』は、エミール・クストリッツァ監督自身のルーツである、ユーゴスラビアの50年に渡る紛争の歴史を、寓話的に描いた作品ですね。
草野 : 映画へここまでの熱量をかけることができ、それを観客へ伝えることができるのかと。自分もそういう映画が撮りたいと思うんです。
― 同じ監督側として、創作意欲を掻き立てられるような存在なのでしょうか?
草野 : どちらかというと、自分の映画を撮り始めると観なくなっちゃいますね。仕事の合間とかに、なんとなく観たくなるような存在です。何度観ても、エネルギーをすごく感じます。
― クストリッツァ監督自身もボスニア戦争で家や家族を失っていて、映画が抱えている背景も社会的情勢もとても苦しいのですが、感傷的に描くのではなく、音楽や映像が持つ圧倒的なエネルギーやユーモアで魅せている作品ですよね。
草野 : そうですね。僕も、映画に限らず、ユーモアって武器になるものだと考えていますし、想像力のある種の発露だと思うんですね。そういう部分でも、『アンダーグラウンド』に惹かれますし、憧れます。
神尾 : 僕は『彼女が好きなものは』に参加させていただく中で、草野監督が持っているユーモアとシリアスのバランス感覚ってすごいと思っていたんです。この映画は、観る側も当事者となるので、観たあともっと重いものが心に残るのではと思っていたのですが、完成した作品を観たら、そういう感覚にはならなかった。草野監督の観てきた映画に、そのルーツがあるんですね。