目次
自由に表現するために戦う。
僕たちは「フリーダムファイターズ」
― 映画『タップ』でグレゴリー・ハインズが踊る姿を観て、タップがご自身の「生き方と結びついた」とおっしゃっていましたが、タップダンサーという職業がまだなかった時代、それをやり続けるという決心は容易いことではなかったのではないでしょうか。
熊谷 : 「死ぬまでタップダンスをやりたい」とは思っていましたが、「タップダンサーになれる」とは思っていませんでした。とりあえず、タップの本場ニューヨークに身は置きつつ、大学に通って、職について、趣味でタップを続けようと。学生時代、授業が終わるとタップダンサーが集まるジャズクラブを見つけては通っていましたね。
自分の行く道としてタップを職業として具体的にイメージできたのは、ブロードウェイ・ミュージカル『ノイズ/ファンク』の養成学校でトレーニングを受けてからです。この作品は、アフリカ系アメリカ人が奴隷船で運ばれてきた時代から現代までの歴史を、タップやヒップホップを通してたどっていくという作品です。
― ブラック・カルチャーの歴史をたどった舞台なんですね。
熊谷 : この作品に同年代のダンサーが出演しているのを観て、「これだ!」と思い、同作の養成学校のオーディションを受けました。そこでの経験は、自分がタップダンサーとしてこの先、生きていくということを決意させてくれました。それから、そのブロードウェイのオーディションに受かったもののVISAの関係で出演することができなかったんですが、それをきっかけに日本で初めてプロとしてツアーに参加することになりました。
その後、日本から仕事依頼がいくつか来たのですが、どれもタップの本質とはあまり関係ない仕事ばかりで「これはまずいぞ」と(笑)。
― どんな仕事だったんですか?
熊谷 : タップの文化や歴史とは関係なく「おもしろければ何でもいい!」という発想が先にまずある感じでした。
― 熊谷さんが伝えたいタップではなかったということですね。
熊谷 : だから、もう一度ニューヨークに戻って、6年ほどそこをメインで活動しました。改めて、日本でやってみようかと決めたのは26歳のとき。拠点を一時日本に移し、日本でタップをやっていこうということも決心しました。そこから少しずつ、ミュージシャンとのセッションなど新しいことにチャレンジすることで、踊れる場が広がっていきましたね。
― 熊谷さんにとっての「踊れる場」と「踊れない場」の違いは何ですか。
熊谷 : 自分が学んできたことを、表現できるかどうかですね。できない場合は妥協せずに「NO」を言います。タップ文化を築き上げてきた人たちが、差別によってどれだけ苦しんできたのか、そしてその壮絶な壁をどのようにして乗り越えてきたのかを、自分はアメリカで感じてきました。僕の先生は涙ながらにそのような彼らの歴史を教えてくれました。
そして、日本人である僕に学びを与えてくれた人たちが、死ぬまで踊り続けている背中も見ているわけですから、「タップならなんでもあり」というわけにはいきません。僕は、彼らと同じ境遇を経てタップダンサーになったわけではありませんが、だからこそ先人達の気持ちを大事にしながら歴史を背負っていきたいんです。
― 多くの人は、続けたいからこそ、なかなか選択することができないと思います。NOということで、続けられなくなる可能性もありますし……。
熊谷 : アメリカだと、日本人である自分には、例えば、着物を着たり、歌舞伎のメイクをしたりというような「アジア人のステレオタイプのイメージ」を期待されることが多いです。しかし、それは本来自分の表現したいことでなければ、はっきりと断ります。
エンターテイメントの世界では、ある程度既存のイメージの枠に収まることを求められることが多いですし、そこに乗っかってしまえばビジネスと割り切れば楽だと感じる人も多いのが現実です。でも、それをやってしまえばブラックフェイスの時代に逆戻りになってしまう。それよりも表現の自由のために、そしてアーティストとしての尊厳のために、決められた枠組みと戦うことが現代のアーティストの使命だと思います。
― ここでインタビューさせて頂いた監督や俳優など、多くのアーティストが、表現の自由のために如何に戦うかで、もがかれていると感じました。
熊谷 : 自分の表現が観客にとって受け入れられるものなのか、受け入れられないものなのか、そこを度外視していいのかという葛藤もあります。それでも僕らはそもそも自由に表現をしたいから、この世界に入ってきたわけで、自らの表現を突きつけるしかないんです。相手の要望と自分の願望のせめぎ合い、そこできちんと戦うこと。お客さんが求めてくることも大切だけれど、自分がワクワクすること、それを表現していくことに素直であることが大切です。
あらゆる先駆者達がそうだったように、僕たちはアーティストであり「フリーダムファイター」だと思います。歴史を切り開いてきてくれた人たちの精神を引き継いで、それを大事に表現していきたいんです。
行くか行かないか、それで人生が大きくかわる。
自分の身体と本能で、一瞬のチャンスも逃さずつかめ
― 熊谷さんは映画を観てタップを始め、その後渡米し、ご自身の手で夢を切り開かれていきました。今の時代、SNSも発達し、誰しもがアーティストになれる可能性を潜めている反面、その道を極め、探求し続けることは難しいようにも感じます。この道で生きていく、と覚悟を決める上で大事なことはなんでしょうか?
熊谷 : 僕が渡米した頃はインターネットもなかったので、『地球の歩き方』を熟読して、そこで得たヒントを頼りに自分の身体で行かないと何事もわからなかった。違うと思ったら次のところへ行く。時間はかかるけど、自分自身のたしかな感触を頼りに進んでいくことができました。今は情報が簡単に取得できるからこそ、最後が見えてしまうんですよね。そこに行けばどんなことが起こるのか、ある程度予測できてしまう。自分が本当に好きなことを選ぶのは、難しくなってきているのかなとも思います。
― 自分の直感が働いたら、先を考えすぎず動いてみる。
熊谷 : 僕はそう思いますが、時代も変わったので、他のうまい付き合い方があるようにも思いますけどね。今はネット上で表現を発信し世界の人に見てもらえる時代になりましたが、僕らの頃はタップダンサーが集まってセッションする場が、ニューヨークのジャズクラブにあって、そこに行かなければ見てもらう機会はそもそもありませんでした。その現場に行って実際に踊ることで、その場にいる人たちが評価してくれる。やるか、やらないか、それで人生が大きく変わったんです。
本来、みんながそういうチャンスは持っていると思います。一瞬一瞬、毎日のように奇跡がどこかで起きていて、それに気づき、そこから何かを得ることができるかどうかは自分の行動力ひとつだと思います。40歳を越えた今でも、そういう気持ちがあります。
― 熊谷さんが最初に渡米した際、グレゴリー・ハインズにタップを絶賛されたとお伺いしました。その出会いは、偶然だったんですか?
熊谷 : そうです、偶然出会ったんです。よく通っていたレッスンスタジオでばったりお会いして、次はないかもと思って図々しく話しかけたんです。すると「一緒に練習しよう」と言ってくれて1-2時間一緒に練習させてもらって、その時間は貴重でしたね。僕にとってはスターだけど、生身の姿はすごく人間らしかった。二人だけでのリズムの掛け合いの中で、僕は相手がグレゴリーでも打ち負かすくらいの心意気でタップを踊っていると、グレゴリーも本気で返してくれるのがわかりました。彼は本当にタップを愛し、タップダンサーを大事にしていたんです。
― 熊谷さんが映画の中で見て、憧れていたグレゴリー・ハインズとタップでセッションするなんて、それこそ奇跡のような時間ですね。
熊谷 : タップは小さなコミュニティだけど、温かく人間らしいんです。当時、僕はVISAが取得できず困っていて彼に相談をしたら、「なんとかしてやる」と翌朝7時に電話がかかってきたんです。「手紙を書く。次の日からカリフォルニアに飛び立つから、今すぐホテルに来てくれ」と。そしてホテルに行くと、推薦状の他に僕への個人的な手紙も手書きで置いていってくれたんです。本来のタップの文化は、そういう温かみがある。僕はタップのその温かみが好きなんです。
― 出会ってきた人や体感してきた文化など、熊谷さんが守りたいと感じる様々なものがミックスされて、熊谷さんのタップになっていることがわかりました。最後に、熊谷さんの表現に影響した映画や、大切な映画を教えてください。
熊谷 : 初めて映画館で観た『E.T.』(1982年)は、「アメリカに行けば何かあるんじゃないか」と思うことができた映画ですね。なんとなくE.T.は日本には来ないだろうなと思って(笑)。アスリートにフォーカスしたドキュメンタリー映画も好きです。『ジダン 神が愛した男』(2006年)は、動物観察みたいにジダンを追いかけているだけなんだけど、映像としても美しいし、そういうアスリートの姿勢を見ると踊りにもインスパイアされます。勉強というよりは、共感。
子どもがいるので、最近はよく子どもと一緒に観ています。PIXARの『リメンバー・ミー』(2017年)は、子どもより先に泣いていました(笑)。
― 『リメンバー・ミー』も、主人公の少年が伝説的なミュージシャンに憧れて、音楽の道を志す物語ですね。
熊谷 : 子どもも大人も、すべての人が共感できるポイントがあることが大事です。誰でもわかるお話の中に、真実を込めている。『リメンバー・ミー』では、メキシコのマイノリティー文化を描いていますね。子どもにもわかりやすく、間口は広いけれど、現在のアメリカ社会における移民差別などの問題についても考えさせられるようなメッセージが込められていると感じました。この映画のように、エンターテイメントでありながら真実を訴えるような表現は、僕も見習いたいと思います。宮崎駿監督やジブリの作品にもそのような精神を強く感じます。多くの人に観てもらうことは大事だけれども、妥協はしない。それが世の中を変えていくエネルギーになっていくのではないでしょうか。自分のタップで、それを魅せていく。それができれば本望です。
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