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自分の無意識を信じたら、
自分のリズムで動くことができていた
― 今作で市川さんが演じた基子は、同居する祖母の訪問看護師である市子(筒井真理子)に憧れ、慕う女性です。しかし、だんだん市子に対する思いに攻撃性を秘めていきます。自分の変化に基子自身も戸惑うという、複雑な心情の女性役でした。「人間が持つ、複雑な多面性を見てもらいたかった」と深田監督は語っていましたが、この役を演じることで引き出された新しい自分や、これまでにない体験はありましたか?
市川 : どうでしょうか…あ、すごく久しぶりに、今作の本番中、“映画の粒子”というか“空気の粒”のようなものを感じたことがありました。
― “映画の粒子”ですか? それは、どういう感覚なのでしょうか。
市川 : 私が映画に出演し始めてから、ごく稀に体感していた感覚なのですが…。うまく表現できないんですけど…、時間の流れが変わって、密度が濃くなるというか。他ではない感覚で。まるい粒のようなものが、ゆっくりと動いて浮遊しているような。そこには、現場のスタッフの方の視線や気持ちみたいなものも混ざっているような気がしていて。「あー好きだなー、この感覚」って。
― 日常で過ごしている時には味わえない、独特で特別な時間の流れを、撮影中に感じたんですね。
市川 : 本番中に自分の鼓動が聴こえてきて、そのリズムに合わせていました。本来の自分のリズムでいることができたのかな…。
― 今回それを体感することができたのは、なぜでしょうか?
市川 : 私は、基本的に周りから「ゆっくりだね」と言われることが多くて、「私は他の人よりも遅いんだ」という意識がいつもどこかにあります。だから、急がないと人と同じペースにならないと思っているので、特に撮影中は自分の本来のペースでいることはほとんどありません。でも深田監督は、撮影中に、私のリズムに委ねてくださっている感じがありました。
― 役柄も、ご自身と重なる部分が多かったのでしょうか?
市川 : いえ、実は基子の行動や考え方は、自分にはないものばかりでした。だから脚本をいただいたときは、全然理解できないところから始まったんです。
― そうなんですね!
市川 : 深田監督から、「ニート」や「ジャージ姿」など、いくつかキーワードをもらっていたんですけど、そこから連想して形づくることができるような、わかりやすい人物でもなくて。社会に馴染めずに家に引きこもっているけど、恋人という存在があったり、とても大切に思っている相手に、突然攻撃性を見せたり。頭で考えても理解ができないというか、点と点を結んで思考回路を辿ることができない…難しい役でした。
― 特にどのような部分が、自分とは違うなと感じましたか?
市川 : 欲しいものを強く求めている、一人の「生き物」という感じがしました。周りも気にせず、真っ直ぐに行動する強さがありますよね。基子は、私の中では女性とか男性とか、そういう性別で捉えられない感じがしていました。恋人の和道(池松壮亮)と一緒のシーンを撮影していても、どこか男友だちのような気持ちがしたり。
― 市川さんは、欲しいものや、手に入れたいものがある時はどうしますか?
市川 : 私は、もっと慎重派です(笑)。自分がこう動いたら周りにとってどうか、ということを無意識に考えてしまう方です。いつもそれだけではないのですが…。隣に同じものを欲しがっている人がいたら、そっと譲ってしまうかもしれません。
― 役作りはいかがでしたか?
市川 : 最初はずっと悩んでいて、現場でも探りながら演じていたんですけど…途中から考えるのをやめました(笑)。頭で考えずに、感覚的に自分が受け取ったものと監督を信じようと。脚本をいただいた時から、基子のことを考えると、お腹にずしんと重たいものがあったんです。完成した映画を観ても、その重たさで身体が痛くなるというか。その感覚だけ手放さないようにと思っていました。
― ずしん、というのは具体的にどんな感覚ですか?
市川 : 悲しいとか痛いとかはっきりした感覚じゃなくて、重たい…身体にのしかかるようなものでしょうか…。脚本を読んでも、演じていても、完成した映画を観ても、その感じがずっとありました。現場でも、何とも言えないものをずっと探している感覚があったんです。
そして、その中心に筒井(真理子)さんが演じる市子さんの存在が大きくありました。訪問看護の仕事をしている市子さんは、誰かのために行動したり、守ろうとしたりと、他人を受け入れるお皿がとても大きいからこそ、ああいう運命を呼び寄せてしまう女性なんだろうな。市子も基子も強いけど、少し違う種類の強さだなと思います。だから、ちょっとずつすれ違って不穏な方向に進んでしまったのかなって。
― 今回、筒井さんが演じた市子と市川さんが演じた基子は、どちらも複雑な多面性を持った女性ですが、お二人が接していた時のそれぞれの自分の欲望への向き合い方は対象的ですよね。
市川 : できあがった作品を観ていても、「あぁ、筒井さん綺麗だな…」って筒井さんを見つめている自分がいるんです。その筒井さんを見る自分の視点が、自分でも不思議な感覚で。
― 基子と自分のリズムが、同調してシンクロしていったのでしょうか?
市川 : 個人的にも、本当にそう感じているんです。でも、撮影中から自分の中で基子を探しながら、ずっと筒井さんに接していたところもあるので、その“基子目線の揺るぎない感覚”も残っているのかなぁと思っています。
筒井さんも、先日お話させていただいた時、「実は(市子という役柄の)こういう感じが嫌いじゃない」とおっしゃっていました。
― お二人それぞれが、感覚的に役と重なっていたんですね。シリアスな場面も多い今作ですが、現場も緊張感があったのでしょうか?
市川 : それが、深田監督が朗らかな方なので、現場は穏やかな雰囲気だったんです。私が基子の行動を理解できなくて、深田監督に「(基子は)こんなことしちゃうんですか?」とか聞くと、「そうなんです」といつもニコニコ答えてくださって(笑)。深田監督とは年齢も近いので、同級生のような感じもあって、安心できたのかもしれないですね。深田監督は、監督という前に人としてなんだかおもしろい方で、好きな映画の話とか、ゆっくりお話ししてみたくなるような方でした。
市川実日子の「心の一本」の映画
― 今作の現場で感じたように、市川さんが自分のリズムを取り戻せるような、大切な映画はありますか?
市川 : エリック・ロメール監督の映画です。その中でも、『レネットとミラベル 四つの冒険』(1986)は、1980年代のフランスを舞台にしていて、あの時代特有のノスタルジックな雰囲気とか、若い女の子二人が田舎で出会って仲良くなり、自分の大切なものを話したり、見せたりしていくあの感じが好きです。
― 都会のパリからやってきた少女と、フランスの田舎町に住む画家志望の少女、対照的な二人の女性の交流を描いた短編オムニバス映画ですね。
市川 : 私は、時代の空気みたいなものが感じられる映画が好きで、そういう意味でも、この作品の持つ1980年代の芋っぽい雰囲気が大好きなんです。かわいいとか素敵という意味で「イモい」という言葉をよく使います。“芋っぽくて愛おしい”という、私なりの褒め言葉です(笑)。
― 「エモい」ならぬ、「イモい」!
市川 : エリック・ロメール監督の映画は『海辺のポーリーヌ』(1983)とか他の作品も好きなんですけど、『レネットとミラベル 四つの冒険』は特別です。数年前に、映画館でロメール特集をやっていて、その時に初めて観たんですけど、スクリーンを見つめながら「大好きだ!」と思ったのを憶えています。理屈じゃなく、ただ惹かれる。そのよろこびがありました。
― 理屈抜きに好きと感じられる作品に、映画館で偶然出会ったんですね。
市川 : そういえば、深田監督って「日本のエリック・ロメール」って言われているそうで…。そのことを撮影の時にご本人にお伝えしたら、ロメールの映画に出演されていた女優さんとのツーショット写真を、すごく嬉しそうに見せてくれました(笑)。
― 深田監督は、エリック・ロメールに多くの影響を受けていると公言されていますね。ロメールは映画で女性を描き続けた監督でした。今作の『よこがお』も、未知な存在である女性を探求してみたいという深田監督の思いもあったそうです。
市川 : あぁ、そうなんですか…。撮影中、深田監督からは、女性「像」ではなく「人」を描こうとされていること、そしてそこには尊敬の念を感じていました。だから、描く内容はとても激しいですが(笑)、安心するところがあったのかもしれません。