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桜に閉ざされた街、
箱庭のような作り物感のある場所。
― お二人は東京都の真ん中に位置し、新宿から電車で45分の場所にある街・国立に縁が深いと伺いました。
三浦 : 僕は出身が国立です。
中川 : 自分は、父が10年前に国立にクリニックを開いた関係で、よく訪れていました。前作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(2015)の脚本は国立で書いたんです。
― わたしも大学時代、国立に通っていた時期があります。美しくて整った街ですよね。
三浦 : 自分が育った街だからということもあるかもしれませんが、国立は“住む街”というイメージがあります。住宅街が広がっていて、いわゆる遊ぶところではないですね。
中川 : 清潔で、治安もよく、おしゃれ……、なんだけど、ものすごく開かれている訳ではない街。ちょっと閉じた雰囲気もあると感じます。あと、学生街でもありますよね。
三浦 : 国立って桜並木が有名な街でもあるんです。国立駅南口からまっすぐ南にのびる“大学通り”と、その先に東西にのびる“さくら通り”は両脇に桜が植えられているんです。だから、桜に囲まれた街なんですよね。
今回、僕が出演した『四月の永い夢』の舞台となった国立は、恋人の突然の死から脱せないでいる主人公が暮らす街です。主人公が置かれている状態である“人生の春に閉ざされて、出られない”というイメージに、すごく合う街だと思うんですよね。
― 国立は、桜に閉ざされた街……、なるほど。
中川 : 三浦さんのおっしゃるとおりですね。先ほど「閉じた雰囲気がある」と言いましたが、国立ってどことなく作り物っぽいというか、“箱庭”(小さな箱の中に様々な要素のミニチュアを並べ、庭園などのように見せて楽しむもの)っぽい感じがある街なんですよね。
今回、自分が監督した『四月の永い夢』の主人公の初海(朝倉あき)は、恋人の死が原因で教師を辞めた後、蕎麦屋でアルバイトをしながら毎日を過ごしています。いわばモラトリアム状態です。彼女は、学生時代から住み続けている国立に今でも住み続け、無意識に成長を拒み、自分の世界に閉じこもっている。「4月の春のなんとなく暖かい気分」の中から出られないでいる状態なんです。その象徴として、外界から半ば閉ざされているような国立の“箱庭感”が合うのではないかと考えました。だから、初海の心象風景を描くために、この映画は国立が舞台でなければなりませんでした。
三浦 : 春の桜にとらわれた街ですね。
― この映画の中の国立は、実際よりも一段と美しく見えるような気がします。
中川 : 景色をいかに美しく切り取れるかについては意識して撮影していました。僕が映画づくりにおいて、とても大事にしているのは、どんなにネガティブなテーマの作品だったとしても、「この映画の中に入りたい」と憧れるような気分をもたせたいということです。自分も観客として、そういう世界観の映画を劇場で観たいと常々思っているので。見慣れた風景を素敵に見せてくれる映画を観た後は、現実の風景まで輝いて見える気がしますよね。
街の“再解釈”をして、
観た人が憧れるような場所を創り出す。
― 今までに「この映画の中に入りたい」と憧れた映画はありますか。
三浦 : 僕は映画の世界に入れるなら、まったく自分が想像つかないような架空の世界に行ってみたいです。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)ですね。あんな架空の街に行けたら、面白そうだな。この世界は一面砂漠に覆われていて、みんな思い思いの車に乗り、ギターをかき鳴らす人がいれば、ドラムをドンドコ鳴らす人もいる。あれほどユニークな世界観の映画は滅多にない。
― 『マッドマックス』の世界には、どの登場人物として入りたいですか。
三浦 : ニュークスという、スキンヘッドで全身白塗りのキャラクターですかね。実際の自分とはかけ離れているキャラクターだから、なってみたいな。
ニュークスは、最初は悪者の手下だけど、あるときから主人公たちの味方になるという、本作の“もう一人の主人公”と呼ばれるキャラクターですよね。役者としてニュークスのような役を演じてみたいと思いますか?
三浦 : 『マッドマックス』に、出演はしたくないですね! 役者としては、興味ありません(笑)。もし本当にニュークスになれるのなら、あの世界に入ってみたいというだけ。僕は『マッドマックス』の自分だけでは想像し得ない世界観が好き過ぎて、劇場公開中に3回も観に行きましたから。
中川 : え、3回も観たんですか?(笑)
三浦 : しかも3回のうちの1回は、爆音上映です(笑)。そして、爆音上映を観た場所は、偶然にも本作に登場する映画館・立川シネマシティなんです。
中川 : それはいい話だなぁ(笑)。僕も“異世界”を体験できる映画の中に入ってみたい。『耳をすませば』(1995)の世界に入ってみたいです。『マッドマックス』のように架空の世界が舞台の作品でも、『耳をすませば』のように現実の世界が舞台の作品でも、実写でもアニメでも、いずれにせよ映画を観る人は“異世界”を体験したがっているんだと思います。
― 『耳をすませば』は、東京都多摩市にある聖蹟桜ケ丘という、実在の街を舞台にしていますよね。でも、“異世界”なんですか?
中川 : 自分は聖蹟桜ケ丘の近所に住んでいるので時々行くけれど、実際はそこまで特徴的な街というわけではありません。でも『耳をすませば』の中ではすごく豊かな世界に見える。
ジブリ映画をはじめアニメーションは“街の再解釈”を発明したと、僕は思っています。“街の再解釈”とはつまり、つくり手側が実際の街の風景の情報を取捨選択することで、見慣れた街の景色を「その世界に入りたい」と憧れるような景色にするということです。
― 映画の舞台となった場所を訪れる、聖地巡礼も流行っていますね。
中川 : そうですね。大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』(2016)の新海誠監督はまさに、その“再解釈”にかなり意識的なんだと思います。僕らがいつも見ている新宿の街が舞台になっていますが、切り取り方次第で、景色が実際の街より魅力的に感じるんです。
三浦さんのおっしゃった『マッドマックス』じゃないけれど、観客は映画の中の世界観を疑似体験したくて、わざわざ映画館に足を運びます。つくり手としては、振れ幅の程度に関わらず、いかに観客にとって魅力のある“異世界”をつくり出せるかが重要だと感じます。これからは、実写映画であっても「この世界に入りたい」と感じさせるための“街の再解釈”を行うことが必要なのではないでしょうか。
― わたしも『耳をすませば』を初めて観たのは小学生のときでしたが、子どもながらに、主人公・雫と主人公の気になる存在である天沢聖司が自転車を二人乗りしていたのには憧れました。
中川 : 実は、自分がこの作品を観たのは大学生のときなんです。
― えっ!? 監督は現在28歳なので、観たのは結構最近なんですね。
三浦 : それまでは観てなかったんですか?
中川 : 他のジブリ作品は比較的小さい頃から観ていましたが、『耳をすませば』だけ、長いあいだ観るのに抵抗があったんです。なんとなく気恥ずかしさがあったというのか(笑)。「結婚しよう!」で終わると聞いて、そんな充実した中学生たちの話なんて絶対に見たくないと思っていました(笑)。
初めて観たのは、大学のメディアセンターのブースで男一人、という状態です(笑)。
三浦 : それ怖いよ(笑)。
中川 : 実際に『耳をすませば』を観てみたら、素晴らしい映画でした。街や現実の再解釈という意味では、これは小さい頃から大好きだったのですが、山形が舞台の『おもひでぽろぽろ』(1991)も大好きでした。アニメーションを通して、普段の何でもない見慣れた風景が、輝いて観えるというマジックに気づくことができた面はあると思います。
↓後編では、人生において避けられない“喪失”について、またそこに映画がどう関わっていけるかについて伺います。