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「幸せのカタチ」に、正解も不正解もない。
模索した分、そこに形ができていく
― 今作は、かつて恋人同士だった男性二人の再会から始まる物語です。宮沢さんは幼稚園からインターナショナルスクールに通われていたということもあり、多国籍・多文化な人たちに囲まれ、ゲイやバイセクシャルの友達も多かったそうですね。
宮沢 : 幼稚園から高校まで13年間通っていたから、僕としてはその環境が当たり前で、特別だと思ったことはないんですよね。だから友達がセクシャル・マイノリティであることをカミングアウトしたとしても、まぁそれだけ長い間一緒にいれば何となく気づくので「そうなんだ」ぐらいの感覚でした。そういう環境にいることができた自分は、恵まれていたと思います。
― 恵まれていたというのは?
宮沢 : 僕はクォーターなんですが、そういう人が大勢いるっていうか、「自分が周りと違う」のが当たり前というか。むしろ「違っていたい」っていう感覚なんですよ。だから「自分の個性って何だろう」って常に考えていたぐらいで。そういう意味で、自分にとってすごくいい環境だったと思うんです。
今泉 : まさに今の話を、この作品を撮る前に聞きました。
宮沢 : 本読みの前に一度お会いして。
今泉 : 今作が描いている題材や(宮沢)氷魚が演じた役は、人によってすごく極端にチャレンジングに感じるかもしれない。でも、氷魚のようにそれを「当たり前」だと思っている人が演じるのであれば、当事者やその周りにいる人の痛みもわかるだろうし、彼らを受け入れる“優しい人”がいるっていう状況もわかっていると思うので、それは大きかったなと思います。
― 今作では、LGBTQへの偏見と無知にまみれた悪役が登場しないのも大きな特徴ですね。
宮沢 : 僕は、そういう環境下にいたから「当たり前」と思えたけれど、卒業して外に出ると、「みんなと同じでありたい」という雰囲気を強く感じるようになりました、特に日本では。人と少しでも違うところがあると、袋叩きのように言われてしまうこともある。それが、すごく辛かった。同じ方向を向いて誰かについていく方が楽だし、それはそれでいいのかもしれないけれど、それだとつまらないじゃないですか。
― 同調圧力の強い日本の状況を、息苦しく感じていたと。
宮沢 : 自分もそうだし、セクシャル・マイノリティである友だちは、もっとそれを感じてたと思います。それで、この状況をどうにかしたい、役者というお仕事に携わっている僕には何ができるんだろうって考えていました。だから、自分が何か発信できることがちょっとでもあればという気持ちがあったので、映画のお話をいただいたときは「絶対やりたいです」って。
今泉 : 自分もセクシャル・マイノリティの人が、周りに大勢ではないけれどいましたし、元から偏見を持っていたわけではないので大きい変化はありませんでしたが、映画をつくったことで、見えてきたものがあります。家族や人との暮らし方の距離に色々な形があることや、多様な性のあり方、例えばインターセックスという存在、を知ったりすることができたんです。
― インターセックスとは、「体の性に関する様々な機能・形・発達が、一般的に『男』『女』とされる典型的な状態と一致しない部分がある」状態のことをいいます。「DSD【Difference of Sex Development】(性分化疾患)」とも呼ばれていますね。
今泉 : 例えばLGBTQという言葉が市民権を得るといい面もあるのですが、さらにそこからこぼれ落ちる人たちがいるってことは、ちゃんと考えておかないととも思いました。
あと、ゲイといっても、一人一人違うわけで。映画を撮る前に取材を兼ねて何人かの人に会ったんです。ある一人の方は、台本を読んで「相手のことを“お前”って言わないかも。」って助言してくださって。でも、その後その方に新宿二丁目のゲイが集まるお店へ連れて行ってもらったら、そこでは「お前」って言い合っているのを目の当たりにして(笑)。
一同 : (笑)
― 何事も、一般論として一括りにしてしまわないように気をつけないといけませんね。
今泉 : 異性愛の人が一人一人違うのと同じみたいに、彼らも一人一人全然バラバラなんだなと。当たり前なんですけど。同性愛を描いた映画も、ひとつひとつ描いていることが異なるように。
― 今作は、LGBTQの恋愛だけでなく、変化しつつある家族の形、シングルマザーが直面する現状、古くから根付いている共同体の変化など、誰しもが自分を重ね合わせて感じることができる状況が散りばめられていました。その中で、宮沢さん演じる迅が職場の飲み会で「実はゲイなのでは?」と同僚に、みんなの前で問われた時を思い出すシーンがあります。あのような状況に居合わせたことは多くの人にあるのではないでしょうか。
宮沢 : 僕…小さい頃から、すごく生きづらい世界の中で生きてきた気がするんです。
今泉 : 迅という役が?
宮沢 : あ、僕が…。
今泉 : それは、クォーターということも含めて?
宮沢 : それは、やっぱり大きいですね。学校にいれば楽なんですけど、家に帰る途中とかボロクソ言われたし。火星人とか。
今泉 : 火星人!?
宮沢 : 僕と弟でスーパーに、よくおつかいに行ってたんです。その途中、近所の小学生とかに囲まれて「うわ」とか「変な奴がいる」って言われたこともありました。僕は親が芸能の仕事をしていたので、親に迷惑をかけてはいけないと思い、何を言われても何もできなかった。僕と弟は、「絶対何があっても、自分たちからは行動しないように」とずっと思っていました。
だから遠回りして3倍くらいの時間をかけてスーパー行って、こっそり帰るっていう事をしていましたね。「おつかいに行って」と頼まれるのがすごく嫌で。
― なるほど。宮沢さんにもそういう生きづらさがあったんですか。
宮沢 : 迅の気持ちがすごくわかるんですよね。逃げてるわけじゃないんですけど、知られたくないとか、この場にいたくないとかって思う瞬間ってやっぱりあるんですよ。だから、あのシーンは演じていてリアルにしんどかったです。
今泉 : いじめとかもそうだけど、言ってる方はちょっといじってるぐらいの気持ちで、別に大したことをしたと思ってないんですよね。そういう事の蓄積が、人を追い詰めていくと思うんです。迅は、ゲイであることを周りに知られないように、東京の会社を辞めて田舎に移住するんですけど、それはひとつの原因が理由ではなくて、そういう細かい日常の蓄積からだと考えました。
― それぞれの立場の生きづらさが描かれると共に、その生きづらさを受け入れてくれる人々の姿も描かれていました。脚本家のアサダアツシさんは、仕事仲間からかけられた「自分たちゲイが高校時代に見たかった、『恋愛っていいな』と思えるドラマをいつか書いてよ」という言葉を出発点に、この企画を構想したそうですね。
今泉 : 今回、映画の予告やポスターをつくる時に、「新しい家族の形」のように、“家族”っていう言葉を安易に使わない方がいいと思いますっていう話を結構したんです。家族にならなきゃいけないってことではないのかなと。“家族”っていう言葉は意外と具体的なようで抽象的だと思っていて。そしてある種の呪縛、束縛だとも思う。
― “家族”と言ってしまうことで、「〜するべき」という意味が含まれてしまうということでしょうか。
今泉 : お金がすごくあるとか、結婚しているとか、子どもがいるとか、それは幸せのひとつの形でしかないし、時代と共に変わっていくものです。今までは「これ」がよかったけれど、これからは「それ」と、選択肢が入れ替わったり、“良い”“悪い”になったりするのではなく、それもこれも“アリ”と選択肢がどんどん広がっていけばいいと思うんですよね。
映画から見えてくる、
幸せまでのストーリー
― 宮沢さんは今回、出演するにあたり、参考になる映画をたくさんご覧になったそうですね。
今泉 : あれ、アサダさんだよね。映画を挙げたのは。
― 脚本家の。
宮沢 : リストをもらって、色々観ました。その中にあった『クレイマー・クレイマー』(1979年)はすごく好きな映画でしたね。
― ダスティン・ホフマンが主演を務め、その妻役をメリル・ストリープが演じ、第52回アカデミー賞作品賞を受賞した作品ですね。あるひと組の夫婦が、離婚を通して徐々に自分にとって大切なものが見え、変化していく様を描いていたヒューマンドラマです。
宮沢 : わかり合えない二人は離婚してしまうんですけど、別れてから“それぞれの幸せ”を考えるようになるんですよね。夫婦としてはうまくいかなくても、お互いの人生にやっぱり相手が必要であって。一度幸せだと思った形が結果違ったとしても、そこで諦めずに新しい幸せの形を求めていく。そこが、僕がこの作品を好きな理由で。なかなかそうやって、自分の考えを変化させられない人たちの方が多いと思うんですよね。
今泉 : 『マリッジ・ストーリー』も、離婚していく夫婦を描いた映画なんですけど観ました?
― スカーレット・ヨハンソンとアダム・ドライバーを主演に迎えて描いた作品です。2020年のアカデミー賞に作品賞ほか6部門でノミネートされ、大変話題になっています。
今泉 : いや、悲しい…悲しかったですね。舞台の演出家の夫と女優の妻という夫婦が離婚していくんですが、本当はお互い、いがみ合いたくないんですよ。でも、弁護士がそこに介入すると、相手の弱みをついて闘わないといけなくなる。あと、自分が映画監督なので、作り手である夫の描写が刺さって。
宮沢 : 理解できちゃう(笑)
今泉 : 余裕がないときの自分を見てるみたいで…。
― (笑)。どちらも新しい幸せの形を模索する物語ですね。
宮沢 : あとは、『ブロークバック・マウンテン』(2005年)、『君の名前で僕を呼んで』(2017年)、『ブエノスアイレス』(1997年)などを観ましたね。
今泉 : 『君の名前で僕を呼んで』は脚本の最終調整をちょうどしていた時に公開していたというのもあって、アサダさんと「すごい新しい!」っていつも話していましたね。
― 『君の名前で僕を呼んで』は、ティモシー・シャラメが主演を務めた、男性同士のひと夏のエピソードを描いたラブストーリーです。
今泉 : 主人公のエリオ(ティモシー・シャラメ)は同性愛者だというのを周囲に知られる事に怯えていたけど、実際に知られてしまっても、誰も責める人がいないんですよね。主人公の両親や、ガールフレンドがかける言葉もすごく優しくて。自分もそうなったかもしれないことを示唆する父親とか。
― 「LGBTQ VS 社会」というよくある構図ではありませんでした。今泉監督は、そういう人間の関係性が印象に残っている映画はありますか?
今泉 : 一本挙げるとしたら、『ギルバート・グレイプ』(1993年)ですね。家族にめちゃくちゃ縛られてるお兄ちゃんの生き様の話で。すごく大好きな一本です。
― 家族を支える兄・ギルバート・グレイプをジョニー・デップが、知的障害を持つ弟をレオナルド・ディカプリオが演じた作品です。ギルバートは、父が自殺で亡くなった後、家族たちの生活を支え、小さな町を生まれてから一度も出たことのない青年です。
今泉 : 僕は実家が福島なんですけど、親の理解があるからこそ好きな仕事をさせてもらっていますが、父親の代はやっぱり「自由に好きなことを」とはいかなかったみたいで。
今泉 : 実は、大学を出てからわかったことなんですけど、父親も物を書いたりつくったりしたかった人だったみたいなんですよ。
― お父様が。
今泉 : 東京でシナリオを学ぶため、東京在住の親戚の家に住み込みで通おうとしたらしいんです。周囲には、技術とかを身につける専門学校に通う、と偽って。でも通い始めて2、3日でバレて、めちゃくちゃ怒られて荷物が強制的に送り返されらしいんです。
― そのことを、何がきっかけで知ることとなったんですか?
今泉 : 結構じいちゃんもお父さんも本を読む人で、実家に本がいっぱいあったんですよ。その中に「シナリオ」とか「小説の書き方」みたいな本もあったんですけど、僕、昔は小説とか本を全然読まなかったから気づかなくて。で、大学を卒業して、映画を撮る事に興味が出てきてから初めて本を読むようになって。久しぶりに実家に戻った時、本棚を見て「あれ、これは誰の、何の本なんだ?」ってなったんです。
自分が厳しくされたように、僕に対してそうなってもおかしくないんですけど、そうはしなかった。というのを、最近になって気づいたんですよ。その事を知らずにこの道を歩んでいたけど、父親がそういう経験をしたからこそ、僕もものづくりをしているのかもしれないと、今になって思いますね。