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身体に残された「痛みの声」を聴く
― 元日本ライト級1位という過去の栄光にしがみつき、世界チャンピオンへの夢を諦めることができないまま、スター候補の選手たちの“かませ犬”としてリングに立ち続ける末永晃。映画『アンダードッグ』はそんな晃の日常を中心に、前後編の4時間半にわたって“もがく男たち”を追い続けた物語です。森山さんはそんな晃をどう捉えましたか?
森山 : 最初に台本を読んだとき、「晃はどうして、こんなにも言葉を発さないのか」というのが、すごく気になりました。
― 確かに、今作で晃は多くの登場人物と関わりを持ちますが、主に話しているのは相手であり、晃は「言葉を受け止める」側という印象です。
森山 : 例えば1時間半や2時間の映画だったら、喋らなくても“ハードボイルドで寡黙なヤツ”として成立するのかもしれませんが、前後編(の4時間半)を通して本当に喋らないこの人は、ハードボイルドだから喋らないというわけではないだろうと。それが最初の印象で、「じゃあ、どうして喋らないんだろう?」と……脚本から少しずつひも解いていくためにも、ボクシングについて1から勉強しました。トレーニングをしたり、関連の映像を観たり。それまで僕は格闘技とかボクシングに関して、まったく知識がなかったので。
― 「ボクシングを知る」ことで、晃という人物像を探ろうとした。
森山 : ボクシングが持つ本質的な部分から、晃がどうしてこうなったのかというのが、後々になって見えてきた感じですね。ボクシングって、まず金にならない職業なんです。世界ランカー(ランキングに名前が載っている選手)になれば、ボクシングだけで飯が食えるようになりますが、日本ランカーだと……末永晃のような元日本ライト級1位の日本ランカーでも飯が食えない。そういった現状なんです。それって日本だけですかね? 海外だとまた違うのかな?
武 : いや、海外も同じような環境ですね。
森山 : となると、本当に限られた人間しかボクシングでは食っていけないので、つまり、そこに到達できない過酷な環境に置かれた人間がわんさかいるってことなんですよね。そんななかで、例えば晃はデリヘルの送迎、大村龍太(北村匠海が演じる、児童養護施設で晃と出会ってボクシングに目覚めた若きボクサー)は引っ越しのバイトをしてたように、他で稼ぎながら、毎日のトレーニングも欠かさず、試合前には過酷な減量もしないといけない。精神的にも肉体的にも、言ってしまえば……割に合わない。
― それでも、彼らはボクシングをやめようとしません。
森山 : それでも、やっぱりやめられない理由っていうのは……リングに上がって、四面を観客に囲まれて、その間だけはスポットライトを強烈に浴びながら、殴り、殴られる。実際に僕も(今作のため)ボクシングのトレーニングをしているときに、殴られて一度だけ脳みそがスパークしたんですよね、完全に。クラっとくるんだけど、それすらも快感になってくるというか……もちろん、殴られたくはないですよ?(笑)
でもその瞬間、脳内に分泌された何かの虜になるような感覚があったんですね。それはもちろん、相手を殴ったときにも快感としてあって。そういった原始的なものに、病みつきになってしまうのがボクサーの本質なのかなと思う。それが、肌で感じたことです。
― そうして体感しながら、「晃はどうして、こんなにも言葉を発さないのか」という疑問をひも解いていったと。
森山 : まあ…なんて言うんですかね…おそらく、日本ライト級1位だったときには、彼はもっと雄弁だったと思うんです。周りの人たちと普通にコミュニケーションをとるような人間だったけれど、日本タイトルマッチで負けたときの一発を受けて、失神して倒れてしまったことで……それまでうまくいっていたことが、どんどんうまくいかなくなっていった。それでも「元日本ランカーだった」というプライドがあって勝とうともがくんだけど、でも勝てない。そういった状況が続いて、自分の生活がどんどん立ち行かなくなるなかで……何かを言葉にしたくても、できなくなっていくというか…。
― 晃は周囲の人間から自分のプライドを貶めるようなことを言われますね。知り合いのボクサーには「あんたみたいな生き方、大嫌いなんだよ」と、ジムのオーナーには「もう一度輝きたいなんて思ってねーだろうな」と、かつてのライバルには「お前、もう二度とボクシングするんじゃねーよ」と言われても、何も言い返しません。
森山 : 誰かに何かを言われたときに、出てくる言葉がなくなる、もしくは相手の言葉を受け止められなくなっていく。転落人生が始まってから7年経っている設定ですから……当初はもっともがいていたんだろうけど、それがいまはある種、習慣化してしまったんでしょうね。
武 : (大きくうなずく)
森山 : 彼の“心の凪”は、そうやって経てきたことの表れなんじゃないかなと思うんです。かと思えば、タイ人のボクサーやバイト先の外国人労働者とかには、超軽口を叩くんですよ。本能的に「立ち向かえない」と感じた存在に対しては、声を発せなくなっているんでしょうね。
武 : おそらく若いときに素晴らしい成果を出して、早くから良い状況にあった人は、何かをきっかけに落ちていってしまうと、人生が落ちていく一方に思えてしまうんじゃないかな。僕も50歳を過ぎると、やはり確実に“衰え”というのはある。ただ、僕みたいな仕事は下積みに時間がかかるので、若いうちからスポットを浴びるようなことはほとんどないんです。
― 武監督は、工藤栄一監督、崔洋一監督、石井隆監督、中原俊監督、井筒和幸監督といった方たちのもとで助監督を務められ、2007年公開の『ボーイ・ミーツ・プサン』が初めての監督作品となりました。
武 : でも、ボクシングのようなスポーツの世界はそうじゃない。落ちていったときに、まず、自分の周りから人が減っていく。そうすると、気持ちを理解し合える、共有できる人がどんどんいなくなっていく。もちろん言葉は減るだろうし。当然、若い選手が台頭してくると人は有望なほうへ群がっていくので、孤立もしていく。誰かと一緒に練習している感じもなくなって、自分一人でマイペースにやるとかも出てくるでしょう。
― 晃も、夜誰もいなくなったジムで、一人トレーニングをする姿が何度も映し出されますね。誰に期待されているわけでもなく、むしろ絶望されているのに、それでもトレーニングを続けます。
武 : 例えば、若いときにはわからないけれど、ある程度の年齢になったら「いつかは俺って死ぬんだよな」、「これまでいろいろと面白い人生を歩んできたけど、いつかこれがなくなっちゃうんだ」という思いがよぎることはあるでしょう。でも、プロスポーツ選手って、ある日どこかで「引退する」というのがあるので、もっと早くにそれを感じてしまうんじゃないかな。
そうなったときに、晃のなかに虚無的な気持ちが生まれてきて、独り相撲をしているような感じになっていったんじゃないかと思うんです。
― 相手が見えなくなってくる…。
武 : 足立さんが書いた脚本で、晃は「家庭」と「ボクシング」と「アルバイト」という3つの場所を行き来しますが、そうなってくると、時間の経過とともに周りの人との関係性も間違いなく変わるよなっていうのは、脚本を読んでいた段階で僕も思ってたんですよね。それぞれの関係性は全部違うわけで、それが少しずつ変わっていく。
― 「家庭」では、別居して暮らしている息子(市川陽夏) 、「ボクシング」ではジムの会長(芦川誠)、「アルバイト」では不倫関係にある明美(瀧内公美)や腐れ縁のデリヘル店長・木田(二ノ宮隆太郎)などと、時間を重ねるなかでそれぞれの関係性が変わってきます。
武 : あと親父とかね(笑)。
森山 : ですね(笑)。
武 : あの親父がまたねえ(笑)。試合に負けて、ガラガラって家に帰ってきたときに見える親父の背中がさ、ちょっといつもとまた違うんですよ。親父がテレビを消して、無言で座って待ってて。いつも寝てる親父が、今日は起きてるぞ、みたいな。
森山 : そうなんですよね(笑)。ほとんど会話しないなかで、親父との関係性って大事だったというか。「あいつ(=父)のせいで」って思いたくなることって、晃にとってはいっぱいあっただろうし。そこもお互いにまったく言葉にしないので。
武 : あそこに帰って寝なきゃいけないって……なかなか帰りたくないと思いますよ。アルバイト先とかさ、車にいるほうがラクでしょ? あの家に帰らなきゃいけないんだって思うとね。
森山 : しびれますねえ…(笑)。
武 : 足立さんと話していたのは、「ボクシングの試合をみせるというよりは、ボクサーの日常をこの長尺で描くなかで、どれだけ変化をつけられるかだよね」ということで。本当に小さな変化でいいんですけど……それを、現場で森山さんと見つけていった感じかな。
森山 : そうですね。
武 : だから、同じ場所で同じようなシーンが並んだときが一番苦しくて。森山さんもそうだったと思います(笑)。もちろん、ボクシングの試合のシーンも肉体的には苦しいんですけど……。
森山 : デリヘルの送迎シーン(笑)。
武 : 「デリヘルの送迎」という行為は変わらないなかでも、感情がちょっとずつ動くので、撮影の仕方や、演者の目線の入れ方など、わずかな変化で見せないといけない。いま思うと、そこが一番の試練というか、撮影していくなかでの探り合いでしたね。
でも、僕は台本の段階から、そのわずかな変化が積み重なっていくところが面白いと思っていたし、一番描きたかった“最後の一日”に向けて必要な過程だったんです。
絶望のなかで託されたもの
― “最後の一日”とは後編のクライマックス、因縁のある晃と龍太が試合をする日ですね。
武 : その日の朝、晃は試合に向かうわけですが、そこから逆算して……ひょっとすると晃という人は、7年前、日本タイトルマッチをかけて戦って敗れ、人生がそこから落ちていったあの試合の朝も、こんな風に試合へ向かって行ったんじゃないかなって僕は想像したんです。だから、最後の一日もそう在れたらいいな、そこへ向かって行けたらいいなと思ったんです。
晃という人間が変わるとか、良くなるとか、そんなことじゃなくて、“ちょっと時間がかかってしまったけれど、血流がもう一度戻って来る”みたいなことをやりたかったんですよね。
― 「血流が戻って来る」ですか。
武 : 試合の朝に家を出た晃が、ついでにゴミを捨てるんですよね。それを近くで見ていた近所の人が、「あぁ、今日試合か~?」って聞く。本人や周りの人が「そういえば、前にもこんなときがあったなあ」って思うような、そういった、なんてことのない日常が戻ってくる感じを、僕は描きたかったんだなあって……コロナで(別作品の)撮影が中断したときに、強く思ったんです。
― 龍太との試合が決まってから、晃は自炊をするなど生活を立て直しますが、それまで生活感のなかった自宅に生気が宿っていく様は印象的でした。
武 : そういった日常って、意外と映画で描かれることがないんですけど、足立さんはボクサーたちの日常を書いてきた。だから僕は、ボクシングという競技よりも、ボクサーというものの日常に非常に興味を持ったんです。役者のみなさんとトレーナーの松浦慎一郎さんが練習している様子もちょっと覗かせていただいて、できるだけ拾えるものは拾ってと思っていました。
ラッシュを観たときにも、「俺はボクサーたちの日常を撮りたかったのかな?」と気づいた感じがしましたね。
森山 : 「血流が戻って来る」っていう意味では、最初に台本を読んだときに感じたのは……日本タイトルマッチをかけて戦って敗れたあのリングに、晃は身体か心を置き去りにしてきたんだなって。あそこからずっと、何かが止まっているんですよね。
武 : 止まってるね。
森山 : 身体なのか心なのかはわからないけど、いまの晃はそのどちらか一方だけを抱えて彷徨っている。本当に亡霊のようなイメージを抱いたので、そこからようやく……置き去りにした身体や心を取り戻すために、少しずつ積み上げていく時間っていうのは必要だったと思います。
― 晃に対して「なぜ、今の状況から脱するために、もっと動かないのか」、「とにかくやればいいのに」と安易に思ってしまうところもありましたが…。
武 : ははは(笑)。辛抱が必要な作品ですよね。
森山 : それこそ、俺も「とにかくやればいいのに」ってすごい思うんですけど(笑)、「やればいいのに」っていうのを晃はずっと繰り返したんじゃないかなって思うんですよね。「次こそ」、「もう一回やり直す」とかっていうことを散々やったけど、あのリングに置きっぱなしにしているもののせいで、ずっと何かがうまくいかないまま、気がついたら家族も離れ、どんどん落ちぶれていって。
その結果、何かを立ち上げようというエネルギーや気力すら持てなくなったんじゃないか。ちょっとした力を得て「立ち上がろうかな」と思った矢先に、違うものがかぶさってきて、また立ち上がれなくなるっていう……そういう連鎖をおそらくずっと経験してきているんでしょうね。だから、少しのきっかけをしっかりと掴み取れない状態にまでなっているんだろうなと思いました。
― そういう経験は、誰にでもありますよね。
森山 : ありますよねえ。
武 : あると思いますよ。人間、そんなにストイックになりきれないでしょう。海藤(佐藤修)が晃に「うらやましい」って言うでしょ? まだボクシングやってるんだろうって。
― 海藤は、晃が日本タイトルマッチで負けた相手で、今はすでに引退しているボクサーですね。
武 : 「うらやましい」っていうのは、本音かもしれないですよね。海藤は、一回負けた後、引退する。世界チャンピオンには、一回負けたら次はないから。でも、晃はまだそこに辿り着けていない。本人は、そこに行ってから引退したいんですよね。だから、お前は負けても(ボクシングを)やれるからいいよなって。
晃の「俺はまだやり続けてるよ」という姿は、ひょっとすると、何か“新しいカタチ”につながるかもしれないですよね。「負けたら終わり」じゃなくてもいい世界が、生まれ始めてるような気がするんですよ。実際に、負けても歳をとっても、チャンピオンになる人が出てきてるから。そういう可能性を生み出してるのかもしれない。
― 今作のポスターにある「無様に輝け」というコピーを改めて反芻したくなりました。最後に、お二人がこれまでご覧になってきた映画のなかで、「無様に輝く男の姿が描かれている」と感じた一本を教えていただけますか?
武 : いっぱいあるけどなあ……。『百円の恋』を作るときに、足立さんと「『レスラー』(2008年)みたいなものを作りたいね」と話していたんです。ミッキー・ロークが演じる太っちゃったレスラーが、プロレスでどさ回りをしているなかで、一瞬だけ輝くんですね。それを観たときに、「俺たちもああいうのをやってみたいな」と思ったことはありましたね。
森山 : 僕は…そうですね……いっぱいあるんだろうけど…。こうやって武さんと『アンダードッグ』の話を改めてするのが初めてな気がして、それで頭がぐるぐるしてるから…(笑)。
武 : そうそう。撮影前にこういう話をあんまりしないから。
森山 : しなかったですね。
武 : 役について、細かいところまで話しながら決めていくっていう感じじゃないからね。演出面でも細かい指示を出すことってほとんどないですし。演じる人が、ほかの演者との関わるなかで自然と出てくるものだと思うので。だから、演者とこういう話ってしないんですよ。
森山 : 映画はちょっと宿題にしてもいいですか?(笑)
武 : 俺もいま『レスラー』って言ったけど、他にもいいのがあったら出しますね。
【取材後、お二人に考えていただきました】
もう一本は、
『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(1976)
デリヘル店長 木田を彷彿させる主人公の生き様。
※2021年3月3日時点のVOD配信情報です。