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「ノストラダムスの大予言」や「トワイライト・ゾーン」に「人面犬」。噂話で広がる怪談にゾワッ!!
― 乙一さんも「子供だった頃のトラウマ本」を紹介している『怪と幽』vol.004(2020年4月発売)の特集は、子どもたちや、かつて子どもだった人々に贈る「こわ〜い本 ぼくらはお化けと育った」でした。お二人は、子ども時代、怖い話をどんな風に楽しんでいましたか?
似田貝 : 幼少時、お盆の時期に祖父母の家に親戚が集まると、みんなで怖い話をよくしていました。「亡くなった曾お祖母ちゃんの幽霊を見た」とか。
僕の祖父母は岩手県遠野市という、河童や座敷童などの伝説や民話で有名な土地の出身でして、お墓参りなどで帰省すると、「前に、あの淵で河童を見たよ」なんていう祖父の話を聞かされてきました。
― 遠野は、『遠野物語』(柳田國男がその地方に伝わる伝承を集め、記した説話集)で有名な場所ですね。
似田貝 : 河童を見たという話も、亡くなった曾祖母を見たという話も、僕を驚かせるための冗談なんじゃないかと半分は疑いつつ、その半面ではわりと真に受けていましたね。夏休みが終わって小学校に登校すると、友だちに「お祖父ちゃんが河童を見たんだって」と話を披露したり。
基本的には、怪談や妖怪に対して純粋に怯えていました。けれど、つねに気になる存在というか…(笑)。
― 『怪と幽』vol.4に掲載された、児童書『学校の怪談』シリーズの著者・常光徹さんインタビューで、「子どもが怖い話を好きな理由」について、「怪談といういわば闇の世界の一面に触れることで、無意識のうちに精神のバランスをとっているのかもしれませんね」と常光さんがおっしゃっていましたね。
乙一 : 小学校4年生くらいの時に、ちょうど「ノストラダムスの大予言」が流行っていて、「みんないつかは死んじゃうんだ」というのを感じていました。
― 「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」という予言ですね。
乙一 : それが「死」というものを、明確に意識するきっかけだったと思います。
― 「ノストラダムスの大予言」が、子どもの頃に「死」を意識するきっかけになったと。
乙一 : …ふと思い出したのですが、僕が保育園に通っている時に、友だちが亡くなるという経験をしたことがあるんです。友達が園に来なくなったんで、どうしたんだろうと思っていたら、事故で亡くなったということを聞いて。でも、当時は死ぬということが理解できなくて、「?」と思っていました。
母親に連れられて、そのお友達の自宅にお線香をあげに伺ったんですが、それでも理解できなくて「〇〇くんはいないの?」と言っちゃったんです。そしたら、その子のお母さんが泣き出してしまって…。なんか今、その記憶が呼び起こされました。
― 『小説 シライサン』でも、「大事な人の死」について語られるエピソードが出てきます。大事な人が死ぬと「死ぬのが、怖くなくなるんだ。あいつも、死の恐怖を乗り越えて、あの世にいるんだって思うとな、なんか、死を、受け入れられるんだよなあ」という言葉が印象的でした。
似田貝 : ちょうど『怪と幽』vol.4でも取り上げましたが、昭和の少年・少女誌には、妖怪や怪談の記事とともに異星人の侵略や隕石の墜落によって「滅亡する世界」が、今だとやりすぎと言われかねない“おどろおどろしいイラスト”を添えて掲載されていました。そういう意味でも、死に触れ、考える機会はたくさんあったんですよね。
― 塚本晋也監督にインタビューした際も、『はだしのゲン』を読んだ時、衝撃を受けてトラウマになったけれど、それはとても大事な体験だったと語られていました。
似田貝 : 人はどれくらいの年齢から、死というものを明確に理解できるのでしょうね。
似田貝 : つい先日、僕の従兄弟が亡くなった時、4歳の娘を葬儀に連れて行ったんです。実際に死者を目の前にし、冷たくなった肌にも触れました。火葬後に、骨になった従兄弟の姿を見て、「この子はどこまで理解しているんだろう」と思いましたね。今では地獄を描いた絵本に熱中しているので、もしかしたら結構理解しているのかもしれないなあと。
乙一 : 息子が今、小学校中学年なんですが、家で鍋やホットプレートを使うと、必ず熱い部分に触れるんです。それで怒られる。でも、その度に何度もわざと触れるんですよね。それでまた怒られる(笑)。
そんな息子を見ていて、怖い話やジェットコースターに乗るのって、こういうことなのかなと思いました。「世界と自分の関係性を再確認している」という動機が根底にあるんじゃないかなぁと…。
似田貝 : あぁ。なんとなくわかります。答え合わせをしているというような感覚でしょうかね。ちなみに『怪と幽』は、周囲から「ニッチな雑誌」だとよく言われるのですが、ゲームや漫画やアニメ…例えばジブリ作品をはじめとした多くの人が触れているエンタテインメントの中に、人知の及ばない存在はよく登場しています。定番と言ってもいい。だから、僕はニッチな雑誌を作っている意識は、あまりないんですよ。
乙一さんは、印象に残っているお化け的なエンタメ作品はありますか?
乙一 : 昔テレビで見た『トワイライト・ゾーン/超次元の体験』(1983)のプロローグが印象的で。それが、すごく理不尽なエピソードなんですよ(笑)。
― 『トワイライト・ゾーン/超次元の体験』は、人気SFテレビドラマシリーズ『トワイライト・ゾーン』を、スティーヴン・スピルバーグ監督、『アニマル・ハウス』(1978)のジョン・ランディス監督、『グレムリン』(1984)のジョー・ダンテ監督、『マッドマックス』(1979)のジョージ・ミラー監督がそれぞれ1話ずつ手がけた映画ですね。プロローグとエピローグは、スピルバーグと一緒に製作を務めたランディスが監督しています。
乙一 : タクシー運転手と乗客が、車で夜道を走っている中、テレビ主題歌の当てっこをしていて、「トワイライト・ゾーン」の話題になるんです。あれは怖かったよなと、感想を言い合っていると、助手席に乗っていた男が「本当に怖いものを見るかい?」と言って、悪魔に変身するんですよ! あまりの脈絡のない、凄まじい理不尽さに、怖くなったのを覚えています。物語を無視した、突然の暴力というような…。
似田貝 : 怪談やホラーには、因果関係がある作品が多かった。江戸時代の名作怪談も、恨みを晴らすために幽霊がやってくるものが多いですし。ただ都市伝説になると変わってきます。『トワイライト・ゾーン』も、アメリカの都市伝説をもとにしている話が多いですね。また、『学校の怪談』『新耳袋』『「超」怖い話』といった怪談実話には、因果関係のない理不尽なエピソードが多いです。
僕と乙一さんは世代が近いので分かってもらえると思いますけど、小学校ではトイレの花子さんや人面犬なんかが大流行していましたよね。
乙一 : 漫画雑誌『月刊コロコロコミック』で人面犬の特集が組まれていたのを覚えています。「街中で人面犬に出会ったらどうしよう」とか、本気で考えていました(笑)。
似田貝 : 20歳まで覚えていたら死んでしまうという「紫鏡(紫の鏡)」といった都市伝説もありました。そこから「赤い〇〇」とか「緑の〇〇」という新たな呪いをみんなで創作したり。
当時は『幽玄道士』シリーズ(1986〜1989)も流行っていたので、「お札を貼れば大丈夫!」とか呪いの解決策も同時に作って遊んでいた記憶があります。
今のようにネットがなかったので、噂話で広がる都市伝説が流行した時代でしたね。
似田貝 : 小説版の『小説 シライサン』でも、“シライサン”という呪いから派生した、別の呪いを作り出すエピソードがありましたね。
乙一 : あと、テレビ番組の『怪奇特集!!あなたの知らない世界』のコーナーがすごく怖くて、それが怖い話に触れた原体験だった気がします。
似田貝 : はいはい。『お昼のワイドショー』、そしてその後同枠で放送されていた『午後は○○おもいッきりテレビ』の中のコーナーですよね!
― 一般視聴者からの恐怖体験を、再現ドラマで構成したコーナーで、人気が高く、『午後は○○おもいッきりテレビ』で放送されている際は、子どもたちが長期休暇に入る夏休みに特集が組まれ、夏の風物詩となっていました。
似田貝 : 再現ドラマという手法も画期的で、とても怖かった。放送作家の新倉イワオさんがコメンテーターとして出演されていて、心霊現象に対する解説がとても優しいんです。だから、怖いんだけれど最後まで見ればホッとするというか。再現ドラマの恐怖に耐えきれずに途中でテレビを消し、最後まで見なかったときの方が、逆に恐怖が増したのを今でも覚えています。
乙一 : 確かに、怖い体験や目撃談などに恐怖していた記憶があります。
― 「あなたの知らない世界」も視聴者の体験談でしたが、都市伝説や学校の怪談なども、「友達の友達」のような近しい誰かの体験談でもありましたよね。自分と身近な話題が魅力でした。
乙一 : そういえば、僕が大学生の頃、先輩にネットで仕入れた怖い話を何気なく話したことがあったんですよ。夜道を二人で歩いている時だったんですけど、「こんな話があって…」という風に淡々と語ったら、おもいのほか先輩が怯えて。僕の拙い話でもそういう風に感じるんだと、人を怖がらせる面白さを感じたことがありましたね。
『シライサン』の呪いは
SNS上の言葉のようでも、ウイルスのようでもある
― 乙一さんは、デビュー作『夏と花火と私の死体』をはじめ、これまでにホラー小説をたくさん執筆されてきました。また、『怪と幽』でも寄稿されている“山白朝子”名義の作品では、怪談を書かれています。「怖い話」を表現するようになったのには、きっかけがあったのでしょうか?
乙一 : 正直なところ、デビュー作を書いた時は、ホラーを書いていたつもりはなくて。周りから言われて気がついたんですよね、「これはホラーだったんだ」って。死にまつわる話を書くのが割と好きで、それがたまたまホラーというジャンルだった感じです。
― 「恐怖」ではなく、「死」を意識されてたんですね。
乙一 : 『夏と花火と私の死体』では、登場人物たちが死体を周りから隠すために右往左往するイメージで書いたのですが、思いのほか「死体」が恐怖の対象として捉えられたんだと思います。
似田貝 : 「怖い」という感覚は人それぞれですよね。ホラー映画をギャグとして受け取る人もいますし。
― 『学校の怪談』の常光徹さんは、何を怖いと感じるかは「多分に歴史と文化の中で育まれた感性なんです」ともおっしゃっていました。それぞれの感性のもと、世界中に、そしていつの時代にも「怖い話」があるのはなぜだと思われますか?
似田貝 : その「怖い」が、面白いからだと思います。怖がるためには想像力が必要。想像することって楽しいじゃないですか。
昨今のコロナ禍で、疫病を鎮める存在として“アマビエ”が流行りましたね。でも、「アマビエっていうお化けの絵は疫病を除けるらしいよ」だけで終わってしまうのはもったいない。「アマビエってなんだろう?」「ルーツはどこに?」と、どんどん想像力や興味の幅を広げてほしいなと思います。例えば、妖怪の伝承がある場所に実際に行ってみる。もちろん、そこに妖怪がいるなんてことはない。でも、その土地や体験から得る情報がたくさんある。すると、さらに想像力が広がっていくんです。
― 『シライサン』でも、目が異様に大きい“シライサン”が、どこから誕生したのかを探り「目隠村」に辿り着くエピソードがとても怖くて、面白いですよね。
似田貝 : 『怪と幽』には、妖怪マガジン『怪』と怪談専門誌『幽』という2誌が合体して創刊されました。『幽』が追及する怪談は、基本的に怖いものです。でも『怪』がテーマにする妖怪は必ずしも怖い存在というわけではない。だけど、怖くないからといってつまらないわけではありません。“シライサン”という存在の謎が徐々に解明されていく過程で、恐怖とは別の想像力が喚起させられます。
乙一 : ああ、妖怪が怖くないというのはわかります。昔の人が、怖くて理解できないものに、キャラクターを与えて納得したものが妖怪なのではないでしょうか。そういう意味では、得体の知れないお化けは怖いです。
似田貝 : 自分の常識から外れるモノに恐怖を感じるわけですね。
― だから、目に見えなかったり、理解できなかったりするものを、捉えようと、お化けや妖怪にする。
似田貝 : 幼少期の“想像力の訓練”って大事だと思います。今、SNS上で繰り広げられる他人への誹謗中傷が話題に上がりますが、相手のことを想像することができれば、ああいうことにはならないんじゃないかな。
似田貝 : 僕はインターネットが怖いんですよ。ネット上の言葉にはいつもドキドキさせられます。
乙一 : 僕もSNSなどで、意図しないタイミングに自分の名前が目に入ると「ひっ」となりますね。例えば、何か気になることを検索しているときに、タイムライン上で不意打ちで「乙一」という字面を目にしたときなど(笑)。
― SNSなどでは、意図せず、そういう言葉に出会ってしまうことがありますよね(笑)。
似田貝 : 僕も仕事でSNSを活用していますが、恐怖心しかないですね。
― それは、なぜでしょうか?
似田貝 : 思いがけずに人の悪意に触れるから…ですかね? 結構ビビリなんです(笑)。誹謗中傷のようなコメントが目に入ると、単純に嫌な気持ちになりますし。それが他人への言葉であっても。
『シライサン』の中で、春男(稲葉友)が弟を言葉で傷つけたことを後悔するシーンがありますよね。
― 『小説 シライサン』では「何年たっても言葉は人の中に残り続ける。良い言葉は良い影響を与えるだろうし、悪い言葉は悪い影響を与え続ける。前者はその人にとって祝福となるだろう。後者はその人にとって呪いになるのだろう」という言葉があります。
似田貝 : その通りだなと思って。どうせなら“良い言葉”を相手へ投げかけたい、残していきたいです。子どもの頃のことでも、“悪い言葉”って鮮明に覚えているんですよ。だから、呪いになる。
― 『シライサン』で描かれるのは、異様に目が大きい“シライサン”の名を知ってしまった者は殺される、という呪いです。「自分が怪談を話すことで、知らぬ間に加害者になってしまっている」という呪いの特徴に、焦点が当てられています。それは、SNS上での言葉のようでも、ウイルスのようでもありますよね。
乙一 : 呪いが増えていくきっかけを言葉が使われたものにしようという意図は、執筆している途中から出てきました。SNSでいろいろな関係性が広がるのと、呪いが言葉によって広がっていく部分を重ねられたらいいなと。
KADOKAWA編集・今井(乙一さんご担当) : 今だからこそ生まれる物語なのかな、と原稿をいただいた時に思いました。“シライサン”という怪談は、口づてで伝わっていく中、少しずつ形が変わっていく様が描かれています。そのように、だんだんと改変されていくのもSNSっぽいですよね。SNSでは、部分だけが切り取られ、発言者の意図とは違った形で拡散されていくのもよく目にします。それが怖いんです。
似田貝 : うん。悪意を持って改ざんできてしまうのは怖いところ。WEBはもちろん、テレビや雑誌といったメディアも、編集によって切り取り方を変えることができますね。
― 乙一さんは、ご自身のSNSで「映画『シライサン』で一つ描きたかったのは、呪いという形容できない現象に対して、とある学問の論理的な思考で解決を導く展開でした。人間が知恵によって乗り越える様が、人間讃歌だと思ったんです!」とおっしゃっていました。
あと、映画「シライサン」で一つ描きたかったのは、呪いという形容できない現象に対して、とある学問の論理的な思考で解決を導く展開でした。人間が知恵によって乗り越える様が、人間讃歌だと思ったんです!
— 安達寛高 (@adachihirotaka) June 2, 2020
乙一 : そういうホラー映画を観たいなと思っていたんです。オチをうやむやにするのではなく、呪いという超自然現象、わけのわからない異様なものに対して、人間の力で打ち勝つということを描きたいなと思っていました。
― 『シライサン』では、呪いが広がっていく様を「呪いの感染」とみたて、感染経路を特定しようとする展開があります。だから、シナリオ執筆中、ウイルス感染についても考えていらっしゃったそうですね。
似田貝 : やっぱり、そうでしたか。映画のネバタレになるので詳しくは語れませんが、まさにポストコロナの状況に重なるような場面が…。
宣伝販促担当・石井 : 映画『シライサン』では、小説版が描いたその先が描かれていますが、それがまさに、感染拡大の防止と経済活動の両立を目指す現在の状況を思い起こさせます。
乙一 : シナリオを書いている時、映画『リング』が頭の片隅にあったからだと思うのですが、ウイルスや伝染病のことを考えていたので、まさか現在のような状況になるとは思っていなかったです。
似田貝 : そうですね…。本当に。
宣伝販促担当・石井 : 初めて映画『シライサン』を観たとき、“シライサン”はこの形からパワーアップする可能性を感じたのですが、それも変異するウイルスを彷彿とさせるなと、今になって気づきました。
似田貝 : 漫画版『シライサン オカルト女子高生の青い春』だと、シライサンは様々な能力を持っていますし。
宣伝販促担当・石井 : “シライサン”が単体ではなく、同時多発できる能力を身につけたら人類は大変ですね…。
乙一 : (笑)
― 『シライサン』が皆さんの想像力をかき立てているわけですが…(笑)
似田貝 : 『シライサン』は映画のほかに、小説版、漫画版があり、それぞれがオリジナリティ溢れる世界を描いているので、それぞれ違った想像力をかき立てられます。
― では、最後にお二人が恐怖に魅せられた“心の一本の映画”を教えてください。
似田貝 : それは、もちろん『シライサン』ですよ(笑)。ホラー映画をあえて外すと、かなり遡りますけど初代『ゴジラ』(1954)とか…。初めて観たときは怖かった。あの理不尽さがなんともいえない。
― ゴジラも妖怪やお化けのような…?
似田貝 : それよりも、神に近い存在でしょうか。
乙一 : 僕は、『女優霊』(1996)やデヴィッド・リンチ監督の作品など、いくつか頭に浮かんだのですが…。小津安二郎監督の『東京物語』(1953)ですかね。
― 名優の笠智衆と原節子が主演を務める、家族を描いた映画に恐怖を…?
乙一 : ある時、「『東京物語』って怖いよね」という話をされたことがあるんです。そう言われて改めて観ると、だんだんと、映画の中の世界が霊的な世界の光景に観えてきて。神様の世界のようでもあり、死者の世界が描かれているようでもあり、怖くなってきたんです。
映画に映し出される、戦後の日本で、白黒の世界に生きる人々。そこに、他にはない誠実さを感じました。その誠実さが、死者たちの住む霊的空間に見えたんだと思います。畏怖という感覚に近いのかも。
― 『シライサン』のプロダクションノートには、あるシーンのカット割りがまるで小津安二郎だったと記されていましたね。誠実さ…そこに繋がる美しさのようなものが、乙一さんにとっては「死」を連想させると。
乙一 : そうですね。「死の美しさ」のようなものが、そこにあるような気がしました。舞台が夏で、みんなが浴衣を着ながらうちわをゆらゆらしている感じに、幽霊のような浮遊感も感じて。
似田貝 : よくわかります。美しさの中にあるアンバランスな恐怖というのは、乙一さんの別名義である山白朝子作品に通じる美学を感じますね。…いいなあ、僕もそういうオシャレな映画を選びたかった(笑)。
乙一 : (笑)
↓『小説 シライサン』を読む!