目次
「子役」と「大人の役者」の境界で
心底悔しいと思った“ひとつの言葉”
― 今回伊藤さんが演じられた保育士の“ケロ先生”は、子どもたちの中での振る舞いが自然体で楽しそうで、「大人」と「子ども」どちらの顔も持っている人に感じました。朝登園してくる子どもを笑わせようとふざけてみたり、園庭を走りながら勢い余って転んでしまったり。
伊藤 : 実は、保育士さんが私の憧れの職業のひとつでもあったんです。私は9歳から子役として今のお仕事をしているので、他の職業への浮気心みたいな感情がちょっとあって(笑)、中学生の時に学校の職場体験で保育園に行った時から、ずっと憧れていました。
― 保育士さんになりたかったんですね! では、今作で大勢の子どもたちに囲まれた撮影は…?
伊藤 : 本当に楽しい現場でした! カメラが回っていない時も、子どもたちはみんな私のことを「ケロ先生」って呼んでくれて、「こっちで遊ぼう!」とか「お話ししよう!」と先生として接してくれたんです。現場の子どもたちが、私を先生にしてくれたような気がします。
― ケロ先生が、必死に仕事を終わらせて保育園へ迎えに来た父親・健一(山田孝之)に対して、寝ている娘・美紀ちゃんを抱きしめながら「子どもが抱えている寂しさ」を訴えかける場面が、物語のなかでターニングポイントのひとつだったように感じます。
伊藤 : あの場面、リハーサルではリュックを抱きしめていたんです。でも本番で、美紀ちゃんを演じる中野翠咲ちゃんを抱っこしていたら、体温とか表情とか、小さな身体から伝わるものが大きくて、自然と自分の感情が溢れてきました。
― ケロ先生は、立場としても「大人」と「子ども」の中間に立つような役柄でしたね。健一の苦労も同じ大人として理解しつつも、子どもに寄り添った立場から、時に現実的な厳しい意見を健一に伝えていく。
伊藤 : ケロ先生は、自身も父子家庭で育ったという背景もあって、大人にならなきゃいけない瞬間が人よりも早かった人だと思うんです。だからこそ、寂しさがお父さんに伝わらないように我慢している美紀ちゃんの気持ちに、つい自分を重ねていたのかなって思います。
子どもたちって、誰よりも本能的に目の前にいる大人の反応を見て、受け止めている。その瞬発力はすごいなって思うし、今回私の周りで遊んだり話をしたりしている子どもたちを見ていても、「ちっちゃい大人」がいっぱいいる感じなんです(笑)。みんな、大人が思っている以上に周りの空気とか状況を把握してるんだなって。
― 伊藤さん自身も、9歳から子役として今のお仕事をされていますが、早くから大人の社会に出ていたことで、他の同級生たちよりも早熟にならないといけない場面はありましたか?
伊藤 : 私は、今の子役の子たちに比べたら、言われたことをやるだけで精一杯だったと思います。でも、素敵な大人との出会いに、とても恵まれていたので、一応擦れることもなく、大人になれたのかなぁという気はします。
― 特に心に残っている「大人との出会い」はありますか?
伊藤 : あります。学生の役が続いていた時期に、ある人から「制服を着ているあなたしか想像できない」と言われたことがあって、それが心底悔しかったんです。
― 学校以外のシチュエーションで、大人である社会人を演じていくのが想像できない、という指摘ですか。
伊藤 : 確かに当時は、「これからは大人の役者としてちゃんとしなくちゃ」と思い始めていて、自分でもモヤモヤしていた時で。そんな時に、今作の監督でもある飯塚さんに出会えたことが、私にとってはとても大きかったです。
― それは飯塚監督だったんですね! これまでも伊藤さんは飯塚監督の作品に何度も出演されていて、監督も「他では見れない伊藤沙莉を毎回見せたいと思ってる」とおっしゃるほどの、深い信頼関係がお二人から感じられます。最初に仕事でご一緒されたのは、テレビドラマ『GTO』(2014)でしょうか?
伊藤 : はい。『GTO』も学園ドラマなので制服姿ではあったんですけど、あれは役者を育てる現場だったと思います。飯塚監督は、それまで出会った大人の中で一番厳しい方でした。
― 一番ですか!
伊藤 : 子役出身ということもあって、それまでの私は「言われたことをきちんとやる」という方法をとってきたんです。でも飯塚監督の現場では、「このシーンどう思う?」と、毎回自分の考えを聞かれました。演出や指示を待つだけではなく、役に対して自分からアプローチをする、ということを飯塚監督に鍛えてもらいました。あの現場で、大人の役者にしてもらったのかなと思います。
― 制服を脱ぎ捨てるために必要な「自分」は見つかりましたか?
伊藤 : 自分らしさは、まだまだ探し中です…。でも、自分らしい戦い方みたいなものは確立されてきました。
― 戦い方、ですか?
伊藤 : はい。私って、真っ当な正統派美少女というわけでもないし、可憐な女の子というイメージもないと思うんです(笑)。でも、周りの女優さんと比べて落ち込んだり、それを苦労として捉えたりするんじゃなくて、“振り切ること”にしたんです! 「可愛いって思われなくてもいいなら、全力で変な顔もするし、思い切ったリアクションもしてやる!」って。
― 「自分」を導き出すための方法が見つかったんですね。
伊藤 : ひとつひとつのシーンを「どう演じるか」考えるよりも、シンプルに体験として楽しむ、というのが自分のやり方なのかなと最近は思います。その人物を疑似体験しているというか。だから、どれが本当の自分かだんだんわからなくなってくる時もあるんですけど(笑)。
ある人と共演できなかった悔しさが、
これからの自分を支えてくれる
― 今回、飯塚監督だけでなく、山田孝之さんとも『悪の教典』(2012)やNETFLIXで話題となったドラマ『全裸監督』(2019)など、何度目かの共演になりますね。
伊藤 : 『ステップ』の撮影が『全裸監督』の後だったので、ギラギラした『全裸監督』の村西役と違って、娘を持つ父を演じた今作は「なんて穏やかな顔をされてるんだろう…!」と、そのギャップに驚きました。纏っている空気がパステルカラーで(笑)。
― 確かに、“メタリック→パステル”というような変化ですよね(笑)。
伊藤 : 山田さんは、役によって現場での雰囲気も毎回変わる方なので、それを目の当たりにする度にすごいなぁと思います。でも、最初にご一緒した『悪の教典』は私が18歳の時だったんですけど、階段ですれ違うくらいの一瞬だけでした。その後も、ドラマなどで何度かご一緒させていただいてはいますが、正面から向き合って演技をするというのは、実は今回が初めてだったんです。だから、今作の試写を観終わった時につい泣いてしまって…。
― 嬉しくて、ですか?
伊藤 : そうです。いつか、山田さんと1対1で向き合って、深く会話をするようなシーンを演じたい、と勝手ながらずっと想ってきたので、感慨深い気持ちになりました。
― 共演を願っていた、というお話が今ありましたが、伊藤さんは昔から、インタビューなどで「ずっと樹木希林さんに憧れている」とおっしゃっていました。「今の自分の芝居ではお会いできない、と思っていたら、共演が叶わないまま亡くなってしまった」と当時はおっしゃっていましたが、そこから時間を経て、今だったら、お会いしたい、共演したいと思いますか?
伊藤 : ぜんっぜん思えないです! もう本当に…樹木さんに、胸を張って「観てほしい」と思えるような芝居が、いつかできるといいなと思ってます。出演した作品は好きなものばかりだし、愛もあるんですけど、私の芝居に関しては、全然…追いつかないです。
― 樹木希林さんの出演された作品で、一番好きな作品を選ぶとしたら、何ですか?
伊藤 : 何だろう。樹木さんはもう、存在そのものなんですよね…。でも、あえて選ぶなら、私が高校生の時に観て衝撃を受けた『悪人』(2010)かなぁ。ちょうど、自分の芝居についてもモヤモヤしていた時期でもあったので、記憶に強く残ってます。
― 樹木希林さんは、ふとした出来事から衝動的に殺人を犯してしまった妻夫木聡さん演じる主人公の、祖母を演じていましたね。
伊藤 : 台所でお米を研ぐシーンの背中が…あの後ろ姿を見ただけで、「あ、この人泣いてる」ってわかるんです。その人が悲しんでいると伝えるために、涙を流すという演出もあるんですけど、涙はあくまでも「記号」であって必ずしも必要なものじゃない。顔が見えなくても、その人が気持ちで泣いていることが、身体から伝わる演技があるんだと、『悪人』の樹木さんを見て思いました。
― 今でも観返すことはありますか?
伊藤 : ふと思い出して観ますね。でも、辛くなってしまって最後まで観れないこともあるんです(笑)。「目の前で樹木さんの演技を全身で体感したかった」という悔しい気持ちが前に出てきちゃうんです。「あーーもう! ご一緒したかったなぁ」と…。
私は、自分の演技に満足したことが一度もなくて、多分一生満足しないような気もするんですけど、それは樹木さんに対する想いに支えられているところもあると思います。「こんな芝居じゃまだお見せできないな」みたいな。
― 本当に特別な存在なんですね。
伊藤 : はい。『悪の教典』のオーディションの時に、三池さんに「樹木希林さんみたいな、背中で泣ける役者になりたいです!」って言ったことがあるんですけど、「重ねてきたものが違いすぎるから、18歳の君が言っても無理だよ」って返されて(笑)。
― …厳しい!
伊藤 : バッサリ言われました。でも、それで私は三池さんのことが大好きになって。確かに、お芝居にはその人の人生や人間性がすごく出るのだなと、その時思いました。役者だけじゃなくて、歌や踊り、写真や絵など、表現と呼ばれるものは全部そうですよね。
この先の人生で辛いことがあったとしても、その経験を経ることで、いつか樹木さんみたいなお芝居に辿り着けるんだったら、生きることは楽しいことでずっとありえるのかなって。その気持ちを抱え続けて、生きていくんじゃないかなと思います。