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「この作り方」をスタンダードにするために
― 今作では、「トランスジェンダー監修」の若林さん、「LGBTQ+インクルーシブディレクター」のミヤタ廉さん、「インティマシーコーディネーター」の浅田智穂さんと、3名の方が監修に入って映画制作が行われました。
― 日本映画では、昨年『エゴイスト』(2022)で初めて 「LGBTQ+インクルーシブディレクター」という肩書きがクレジットに入りましたが、性的マイノリティの人々を映画の中で描く時、当事者にどれだけ寄り添うことができるのか、そのためには制作現場の体制をどう整えていくべきなのか、現在は過渡期にあると感じています。
若林 : はい。
― その中で、今回『52ヘルツのクジラたち』の制作を通して感じたこと、前進していると希望に思えたことがありましたら、教えてください。
若林 : 僕から言う?
志尊 : まず僕が言うから、その後、違うと思うことがあったら訂正して。
若林 : オッケー、そうしよう。
志尊 : これは、俳優を代表しているわけではなく、一個人の意見なんですけど。知らないから悪気がなく傷つけてしまうこともあるし、たとえ知っていても、間違った発言をしてしまうことはある。それよりも大事なのは寄り添うことで、「どんな気持ちなんだろう」と理解しようとしている人が、どれくらいいるのかだと思うんです。
今作をつくりあげる中で、僕がとても大きい存在だと思ったのは杉咲花さんなんですよ。彼女が、「作品内でトランスジェンダー男性が登場するなら、その役を演じる志尊くんだけが寄り添うなんてダメだ」「作品全体で、作品に携わる人みんなで、寄り添うことが大事なんだ」という意志を作品に関わった当初から強く持っていて。
― 杉咲さんは、成島監督やプロデューサーチームと共に脚本の改稿作業にも参加し、『エゴイスト』を監修したミヤタさんの正式参加を提案するなど、現場の体制を整えていくプロセスにも深く関わったとお聞きしました。
志尊 : はい。これからは、この作り方がスタンダードになっていかなきゃいけないと、今は感じています。宣伝もそうだと思います。
作り手だけじゃなくて、こうして取材してくださるライターさんひとりひとりにも、理解して寄り添っていただきたいですし、Netflixなど外資のコンテンツ制作を見ていても、リスペクト・トレーニングを含めて、どういう熱量で向き合うかということが大切だなと。今が変わる時だなと思います。
― リスペクト・トレーニングは、Netflixが撮影現場に導入した取り組みで、「相手に敬意を払えているかどうか」という観点からチーム内でディスカッションを行うトレーニング方法ですね。
志尊 : 今作のチームで、環境を整えられることが立証されたから、それをいかに活用し広げていくかが一番大事だなと。表現する側のエゴだけに突っ走るのではなく、丁寧に当事者の声を聞きながらつくれたことは、作り手としても一歩前進できたと思えました。
今後僕が携わっていく作品でも、このようなアプローチをしましょうと声をあげていけると感じています。
若林 : 素晴らしすぎて、僕もう言えることないです(笑)。
志尊 : でも、これは僕が制作の内側から言ってることだから。佑真君も制作者として関わってるけど、当事者として思うことをバンバン言って。
若林 : うん。 「当事者の役は当事者が演じるべきだ」という議論もずっとあるんですけど、原則としては誰が演じてもいいと思うんです。ただ、今の日本は、トランスジェンダーの役をほぼ全てシスジェンダー(※出生時に割り当てられた性別と性自認が一致している人)の俳優さんが演じられていて。そうなると、誤った偏見が生まれてしまう可能性があるのです。
― 例えば、どのような偏見でしょうか?
若林 : 今回のアンさんは、トランス男性の役をシス男性である淳ちゃんが演じてくれたんですけど、これまでは、映画やドラマの中だと、トランス女性の役をシス男性が演じることが多かったんです。
出生時の性別に基づいた人がキャスティングされるので、そうすると、「トランスジェンダー=異性装」という誤ったイメージがついてしまう恐れがあります。
― トランスジェンダーについて正しく認識されていないからこそ、当事者が演じるべきだという意見もあるのですね。
若林 : はい。ただ、トランスジェンダーの当事者で、例えば多くの観客や視聴者に注目してもらえる知名度のある俳優がどれだけいるのかとなると、とても少ない。そうなると、シスジェンダーの俳優がキャスティングされるので、トランスジェンダー俳優が経験を積む機会もなくなって、人材が育たない、という悪循環が生まれてしまいます。
志尊 : うん。
若林 : その悪循環を断ち切るという課題もあるんですが、ただ、個別の議論でいうと、本作で実際僕がアンさんを演じられたかというと、できなかったと思うんです。自分で言うのは恥ずかしいんですけど。今回アンさんを演じるためには、間違いなく淳ちゃんの表現力が必要だった。
だから、監修させていただいて、二人で役をつくる経験ができたことは、すごくありがたかったです。
若林 : 僕も、役者として出演させていただけたことも、とても感謝していて。こうして、映画の主要な登場人物じゃなくても、例えば学園ものだった時、クラスに一人はトランスジェンダーの人がいるとか、そんな形でトランスジェンダー俳優が起用される機会が増えていったら、少しずつ変わっていくんじゃないかなと感じました。
その一歩に、この作品がなれるのではないか、と希望を持っています。
― 若林さんは、ジェンダー監修や俳優のお仕事の他に、講演活動なども行っていますが、その中で今回、映画だから表現できたこと、伝えられると感じたことはありましたか?
若林 : 企業や団体の研修にも携わらせてもらう機会があるんですが、そこで僕が話すと “当事者の僕”と“非当事者のみなさん”という感じで立場が分断されてしまうと感じることがあります。でも映画って、同じアイデンティティを持っている・持っていないに関わらず、登場人物に感情移入することがありますよね。
「この人のこの気持ちはわかるな」と、感情の部分を読みとって自分に反映することができるのは映画だからこそだと思います。
志尊 : うん。今回の映画は、「トランスジェンダー男性のアンさん」だけではなく、社会に潜む様々な問題や偏見の中で、「声を発することのできなかった人たち」を描く作品です。映画を観て、ひとりでも多くの人が、その問題に目を向けてくれたらいいなと思いますが、映画を通して何かを伝えたいわけではないんです。
まずは作品に携わる人みんなで考え、つくりあげた映画を観てほしい。そしてそれぞれに感じてほしい。そこに尽きるのではないでしょうか。
志尊淳、若林佑真の「心の一本」の映画
― 最後に、お二人にとっての「心の一本」の映画を教えてください。“人の心に寄り添うこと“について、深く考えた作品などありましたら。
若林 : あ、じゃあ、淳ちゃんトリで、僕が先に行かせていただきます(笑)。一番大好きな映画は、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)なんですけど。
志尊 : へー! まだ観たことない。
若林 : 絶対観て! ほんまに観てほしい。目ん玉、取れんで!
志尊 : (笑)。泣けるってこと?
若林 : 泣けるとかじゃない。そんなレベルじゃない。『クレヨンしんちゃん』の映画すごいよ。子ども向けと思ってるやろ?
志尊 : そうかも。これも僕の中にある偏見だね。
若林 : そう!
志尊 : 昔、保育園の先生とデートした時に…。
若林 : え!? どういうこと? これ、記事の見出しとして使ってください!
― (笑)。
志尊 : 初恋の保育園の先生と映画観に行ったの。それが、『クレヨンしんちゃん』と『名探偵コナン』だったな。
若林 : 待って待って、先生と? そうなんだ…。びっくりした(笑)。で、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が一番好きなんですけど、今の自分のクリエイティブにすごく刺激になったという意味では、『リトル・ガール』(2020)ですね。
― 『リトル・ガール』は、フランス北部に住む7歳のトランスジェンダー女性のサシャと、彼女を支える家族、学校や周囲へ働きかける母親の奮闘を見つめるドキュメンタリー映画ですね。
若林 : サシャがバレエ教室に通ってるんですけど、衣装を配られる時に、男の子の衣装を渡されるんです。その場面で、サシャはどういう顔するのかなと思って見ていたんですが、僕の想像では「子どもだし素直だから、悲しいという気持ちを出すのかな」と思っていて。そしたら、微笑んだんです。
志尊 : …そっか。
若林 : 誰にも気を遣わせないための笑顔を見せるんです。これがリアルなんだな、と衝撃的で。これからも俳優という仕事をしていく上で、どこまで自分の想像を疑いながらつくっていけるんだろうと考えました。自分が経験したことがないことは、想像するしかないんですけど、その時に、心に留めておこうと思った映画でした。ぜひ、この映画も観てほしい。
志尊 : 『リトル・ガール』ね。観るよ。
― 自分の中にある常識を疑う、という作品でもあるんですね。志尊さんはいかがですか?
志尊 : ここ5年位で、映画館で観て最高だなと思ったのは、『トップガン マーヴェリック』(2022)なんですが、偏見を持たないとか、人の心に寄り添うという意味で心が動いたのは、『しあわせの隠れ場所』(2009)という映画です。ここ数年よく観ていて。
― 『しあわせの隠れ場所』は、過酷な少年時代を過ごしながらも、ある家族との出会いによって自らの才能を開花させた、元アメリカンフットボール(NFL)選手、マイケル・オアーの実話を元にした映画ですね。マイケルを迎え入れた家の夫人役を、サンドラ・ブロックが演じています。
志尊 : 身体の大きな黒人の少年が、周囲から差別され偏見を持たれて疎外されているんだけど、父親の顔を知らず、母親とも引き離された彼を、ある裕福な家庭の夫婦が家族の一員として迎え入れるんです。その家のお母さんが本当に最高で。偏見も全部ぶっ飛ばしてやれ、みたいな感じで。少年がどんどん才能に目覚めていく姿も含めて、すごく温かい映画なんです。
本当の親子じゃないのに、親子のように関わりを持っていくことも含めて、みんながこのお母さんと同じ心を持ったら、どれだけ幸せな世界になるのか、と思います。
若林 : 知らなかった! 僕も、観てみます。