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自分の人生を幸せにできるかは、“今の自分”次第
― 本作は、主演のアンセル・エルゴートさんや渡辺謙さん、アラン・プール監督やジョセフ・クボタ・ラディカ監督など、「Season1」に引き続き、日米のキャスト・スタッフが集結し制作されました。
― 劇中のセリフには日本語と英語、そして韓国語が使われ、またそれが一人の登場人物のセリフ内で行われていることが、観客としては面白かったのですが、演じる側は大変だったのではないかと思います。
笠松 : 「Season1」のときは、僕が英語を全くしゃべれなかったので語学という部分でも大変でしたが、 現場では疎外感や孤独感を感じてしまって、精神的な部分でも辛かったですね。それまで一切英語の勉強をしていなかったんです。
― 作品内での笠松さんは、英語が全然できないとは思えないほど、発音がきれいという声が観た人から挙がっていました。
笠松 : もともと僕は「別に間違ってたっていい」と考えるタイプではあったんですよ。演技も、学校に通って勉強したわけではないので、「正しい型」がわかっているわけではない。それでも、自身で経験することで、これが正解なのでは?と感じたことを信じてこれまでやってきました。
でも、やっぱり英語となるとビビってしまう自分がいて…(笑)。間違えちゃいけないんじゃないかって。
― 語学は他の壁とは違って感じたと。
笠松 : 間違えたら、はっきり「間違い」とわかるし、それがずっと残ってしまうよなと思っていたんです。でも、実際に撮影現場に入ると、英語でも日本語でも、やることは変わらないんだなと気づいて。
― 「Season1」は体力勝負の撮影でもあったと語られていましたね。逆に、体力があれば言語が変わっても勝負できると。
笠松 : そうですね。「英語が話せないことは作品づくりにおいてマイナスなことだ」という考えから、だんだんと変化し、「Season2」では精神的にも余裕ができて、たとえ間違っていたとしても、もっとスタッフや出演者と話してコミュニケーションを取りたいと思うことが増えました。
― 笠松さんは、本作をきっかけにアメリカの大手エージェント・CAAと契約し、今後の待機作としても、ジェイコブ・エロルディ主演のオーストラリアのオリジナルドラマシリーズ『The Narrow Road to the Deep North』への出演が発表されています。
笠松 : 僕は今、英語を一生懸命勉強していますが、もちろんまだネイティブの方のようには話せないです。それでも本作のように、英語を話す役もいただいている。それは、言語以外の面で僕を評価してくださったからだと思います。
ならば、間違いを恐れる必要はない。1周まわってそう思うようになりました。
― 経験したからこその「1周まわって」ですね。
笠松 : 英語の勉強は続けますよ。相手の伝えたいことを理解するため、より自分の考えを正確に伝えるため、必要ですから。
でも「Season1」のときを振り返ってみると、「Season2」で英語について「間違ってもいい」と思えるようになったことや、海外の作品へチャンスがあるのならやるべきという考えになったのは、自分でも驚くべき変化でしたね。
― 笠松さんは、海外の作品へ出演するため必要な、アメリカのエージェントと契約するにあたって、当時所属していた日本の事務所から独立し、個人事務所を立ち上げられました。
笠松 : どっちに行くのがいいんだろうって、すごく悩みましたけど、悩んでいるよりもやってみようと。僕が10年後とか20年後、もしくは人生の最期を迎えるときに「あー、いい人生だったな」って思えるといいんですけどね。
笠松 : 「TOKYO VICE」があったからこそ最高の人生だったと思えるのか、その逆か…。それは、今の僕がどう道を進んでいくのかにかかってると思うんです。だから、日々一歩一歩、ていねいに生きなきゃいけないなって思っています。
― Season1、2を通して「TOKYO VICE」は、笠松さんの人生のなかで、とくに大きな分岐点だったと。
笠松 : 「TOKYO VICE」によって僕の人生は狂わされたのか、幸せになったのか…(笑)。進んでいるのは修羅の道かもしれませんが、ワクワクしてることは間違いないです。
地球の裏側まで
届く作品をつくるために、必要なこと
― 海外のチームとの作品づくりを通して、笠松さんご自身で予測していなかった変化は他にもありましたか?
笠松 : あります、あります。「TOKYO VICE」のおかげで、数カ国ですが、いろんな国に仕事で行かせてもらい、その国の人たちと作品づくりをしました。そこで一番思ったことは、日本の映画やドラマの制作技術って、世界に誇れるレベルだということです。
実は、「日本って、他の国にすべてにおいて負けてる」と思ってたんですよ。
― 確かに「ハリウッド」と聞くと、恐れおののいて、日本はまだまだと思ってしまいます。
笠松 : でも、確信しました。俳優もスタッフも日本は相当レベル高いです、それは技術以外でも。
笠松 : 例えば、日本のスタッフさんたちがセッティングにかける時間はとても速いと感じましたし、現場で何をしなければいけないのかを考える力も、それを実現できる力も世界に負けていません。
― それは経験したからこそ言える説得力のある言葉ですね。今年のアカデミー賞でも、日本の作品は世界に負けていないことを多くの人が実感したと思います。
笠松 : 僕も、「TOKYO VICE」を経て、より面白い、刺激のある作品づくりに携わっていたいなと思うようになりました、それが修羅であったとしても(笑)。
作品を通して、僕のことを応援してくれてる人たちに、夢を見せられるようになりたいです。
― 笠松さんの姿に刺激され、海外に出ていく人もいるのではないかと思います。振り返って、「もっとこうしておけばよかったな」ということはありますか? これをしておけばいいよ、というようなアドバイスがあれば。
笠松 : 英語しゃべれたらよかったなーとか、もちろん思うことはあるけど、考え出すとキリがないですよね。「どこかの国の王に生まれたかった」とかも言えちゃうじゃないですか(笑)。
だから、僕は自分が持っていないものに思いをはせるのではなく、すでに今僕が持っているもの、例えば、僕の周りにいてくれる人たちのことを考えます。
笠松 : 両手に持てる数は決まってるから、ないものねだりをするんじゃなくて、目の前の、半径何メートルの人たちを大切にすることが、地球の裏側まで届く作品をつくる唯一の方法だと思うんです。
― 笠松さんは、現在オンラインコミュニティも運営されています。そこでの「俳優としてどう生きて行くのかは、そのまま、人間としてどう強く生きるのかに繋がる気がする。僕の葛藤の日々をそのまま共有する」というメッセージが印象的でした。笠松さんだけでなくメンバー自らが発信でき、意見交換できる場なんですよね。
笠松 : 僕自身が「何をやっていくのか」を楽しみにしてもらえたらいいなと思ったんです。まずは1年間限定ということでやっています。あと、たまにふと寂しい日があるじゃないですか。そういうときに、「大丈夫、大丈夫! 俺もめちゃくちゃ寂しいから。絶対大丈夫」って。そういう風に思いあえるようになれればいいなと思っています。
最初に土壌をつくって、僕がいなくてもメンバー同士で意見交換できたり、「笠松の人生」について語ってもらうようになったりするのが理想なんです。
― 「笠松将」という一つのプロジェクトだと。
笠松 : 正直、僕一人だけで、この先誰かにずっと応援し続けてもらうって難しいと思うんです。一人だけでできることって限られるし。世の中には新しいものがどんどん生まれてきますから。
― コミュニティのWebサイトには、「ファンの子から、お悩み相談が来る。俳優の仲間達から、死ぬほどの相談をされる。僕も、間違いなく悩める子羊であるし、先輩達や仲間とその答えを探し続けている」という言葉が載っていますが、もし俳優になるために上京する頃のご自身に何か伝えられるなら、どんな言葉を投げかけますか?
笠松 : 「そのまま頑張れ」です。間違っててもいいから、頑張れって言います。飲み会とかばっかり行ってるんじゃないぞって(笑)。
我慢するタイミングも、悔しいと思うことも多いですけど、プライドを持って自分を信じていいぞ、ってことですかね。
笠松将の「心の一本」の映画
― 最後に、笠松さんの「心の一本」となる映画を教えてください。
笠松 : 「TOKYO VICE」エグゼクティブプロデューサーのマイケル・マン監督作品から『ヒート』(1995)です。
― アル・パチーノとロバート・デ・ニーロという名優がW主演したクライムアクションの傑作ですね。続編の制作も報じられています。マン監督が原案・脚本も務めたテレビ映画『メイド・イン・LA』(1989)をセルフリメイクした作品です。
笠松 : 僕の人生は、「TOKYO VICE」で幸せになったのか狂ったのか、まだわからないという話をしましたが、『ヒート』ってまさにそういう物語だと思うんですよね。今自分が持ってるものが幸せなのか、不幸せなのかはわからないっていう。
僕は、彼に選んでもらったことで本作への出演が決まったのですが、実はそれまでマン監督の作品をあまり観ていなかったんです。『ヒート』を観て、こんなにすごい監督と一緒につくっていたのかとやっと気づきました(笑)。
監督からもらった手紙やプレゼントもとても大切なんですが、『ヒート』も何度も観返す大切な一本になっています。