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ただ「目の前にいる人」のために在りたい
― 戸田彬弘監督は、お二人が演じた市子と長谷川という役について、杉咲さんと若葉さんだからこそ託すことができたとコメントされていました。今作では、突然失踪した市子の悲しい半生と底知れない人物像が、恋人である長谷川が彼女の行方を追う中で浮かび上がってきます。
― お二人にとって市子の生き様を演じながら辿っていくことは、どのような体験でしたか?
若葉 : 僕は、台本をもらった時から、杉咲花という俳優が演じる市子にとてつもなく興味があって。それを間近で見たい、と思っていました。
僕は、そういうことに関して取材の場などでも正直に反応するようにしていて、共演してすごいと思った人以外には言わないようにしています。小さな嘘を積み重ねていくと、僕が本当にいいと思った時に伝わらないというか、全部嘘になっちゃう気がするので。で、杉咲さんは、一個次元が違うところにいるな、という感覚を受けました。 杉咲さんは、本当に奇跡みたいなことを連発するんですよ。
― 「奇跡みたいなこと」は、どのシーンで起こったのでしょう?
若葉 : 全てのシーンで、です。杉咲さんのすごいところって、3テイク目くらいから、急に表情が変わって、何にも感情が動いてないみたいになるんです。
杉咲 : (笑)。
若葉 : これはもう最初のテイクで決まりじゃんって。それは上手いとか下手とかじゃなくて、それだけ鮮度を大切にしているってことなんですよね。
上手にやることって実は簡単で、平均して60点とか70点を全ての演技で出しておくことだと思うんです。でも、杉咲さんは、技術ではなく細胞レベルで役に向き合っているから、何回も演じればもちろん鮮度もなくなるという。究極だなという気がしました。
杉咲 : 若葉くんじゃなかったら、ああいった表現にはならなかったと思います。それに私も、若葉くんこそ再現できないお芝居をされる方だと思っていて。その瞬間に感じたことを、ただ受け止めてくれる方なんです。
若葉 : 二人とも、安定感はないってことだよね(笑)。
杉咲 : そうだね(笑)。 私は演じ手として、いいシーンにしたいとか、いい表現をしたいという気持ちになってしまう瞬間がどうしてもあるのですが、若葉くんの前に立ってるとそういった欲が消えて、まるで全てが偶発的に起こったことのように思えてくるんです。
それはきっと、若葉くんが、他者にどう思われたいというような欲求や損得ではなくただその時目の前にいる人のためにそこにいてくれる人だから。本当に信頼していました。
― 若葉さんが演じた長谷川は、警察の後藤(宇野祥平)と一緒に、かつて市子と関わりのあった人々から証言を得ていきますが、その中で、3年間一緒に暮らしてきた恋人の知られざる一面や、壮絶な過去を受け止めていくことになります。
若葉 : 僕は、観客と一緒に市子の過去を知っていく役だったこともあり、とにかく新鮮に全てを受け止めなきゃいけないと思っていました。
だから、市子の過去パートもほとんど台本を読まずに現場に行っていたんです。
― ということは、自分でもどんな芝居になるのか、全く予想がつかない中で現場に立っていたということでしょうか?
若葉 : そうです。「こんな演技をしよう」と自我を出して、形骸的な表現にした瞬間から、一気に作り物みたいな作品になっちゃうだろうな、と感じていたので。…誤解を恐れずにいうと、役に対して何も考えていなかったです。現場に来て、その時起きたことに反応しようと。
― それは…反射神経が試されそうです。
若葉 : でも、普通に生きてて、反射神経を意識することってないじゃないですか。だから、それすらも役者的感覚だと思うんですよ。そういうことは、とことん排除したいなという思いで現場にいました。
杉咲 : 私も、プランを持ち込んで現場に行くことは徹底的に避けて、現場で感じたことに素直でいたい感覚で過ごしていました。
― いざ現場に立ってみて、どんなことを感じ、どんな想いが湧き上がりましたか。
杉咲 : 自分ではどうすることもできない環境に身を置いている市子が、「この人と一緒にいたい」と感じることであったり、夢ができること、眩しい方へ導かれていくことに引き裂かれるような痛みを感じて。言葉にならない感覚でした。
撮影の期間は、減量をしていました。何かが満ち足りない感覚でいることが必要だと思ったんです。
― 杉咲さんは、今作の中で市子が長谷川にプロポーズされるシーンが好きだとコメントされていました。市子はそのプロポーズを受けた後、突然失踪しますね。
杉咲 : あのシーンは自分でも演技をしていて驚きました。ああいった感覚になる想定はしていなかったので。
― 長谷川からプロポーズされた時の市子は、幸せそうでもあり、同時に何かを察して覚悟したような、ひとつの感情としては言い表せない複雑な表情をしていた印象を受けました。その真意を、観客は長谷川と同じく終盤で知ることになりますね。
杉咲 : 市子を演じていて、長谷川くんに見つめてもらえる世界にいるということは、なんて幸福なことなのだろうと思いました。それと同時に、婚姻届をもらうというのは、こんなにも痛みが伴うことなのだなと。それは、現場に立ってみて初めてわかったことでした。
その日、私は撮影が早く終わったのですが、帰りにスーパーで3食分くらい買ってしまいました(笑)。
若葉 : なんで? ストレスで?
杉咲 : ストレスじゃない、お腹空いて(笑)。とてもエネルギーを使ったシーンでした。
― 今作の多くの場面は、和歌山県で撮影されていましたね。蝉の声や、突然の夕立、ジリジリと焦燥感が募るような日差しなど、夏という季節が映画の中で効果的に使われていましたが、猛暑の中での撮影も過酷だったとお聞きしました。
若葉 : 本当に暑かったです。しかも僕、いつもロケ先のホテルであまり寝れないんですよ。今回の和歌山ロケでも、本当に毎晩寝れなくて。
杉咲 : どうにかしてあげたい。
若葉 : その寝不足もあって、不覚にも熱中症みたいになってしまった日もあって…。でも、撮影が進んでいくごとに、自分の寝不足と、市子の過去を知っていく長谷川の疲弊がリンクしていたので、途中からもう寝なくてもいいやと思ってました。
杉咲 : 確かに、恐ろしいほどに生命を感じる蝉の声や暑さからも体力を奪われていく感覚になりましたし、その度に重たいものを背負わされて、役と重なっていくような感覚がありました。
若葉 : 暑い中、蝉の声が鳴ってる心地よさを感じるとともに、シーンによっては煩わしさもあって。それが、役者としての温度を一個上げる作用になったかもしれませんね。
あと、花火大会もありましたよね。
杉咲 : 見に行ったよね。現場のすぐ目の前で。あれ、見に行ったんだっけ? 音が聞こえたんだっけ?
若葉 : 見た見た。覚えてないの?
杉咲 : (笑)。
怒りや悲しみという感情を
簡単に出せないから、苦しいんだ
― 今作では、市子と関わる多くの「他者」が登場し、それぞれの「市子像」を観客は長谷川とともに見ていくことになります。若葉さんは、今作に寄せて「軽薄に人間をカテゴライズして“わかっている”と安心したがる人に観て欲しいです」とコメントされていましたね。
若葉 : 僕がいつも思うのは、例えば、通り魔殺人事件とかが起こった時に、事件の犯人に対して、犯罪心理学の専門家みたいな人たちが出てきて、「この人は生い立ちがこうだったから」とか「こういう趣味を持っていたから」とすぐにカテゴライズしますよね。それで、「だからこの凶行に至ったんじゃないか」みたいな結論に繋げてしまう。
もっと複雑に絡まったものがあったはずなのに、安易にわかったつもりになって、みんなで安心する。そういう、何の解決にもならないことを繰り返している気がするんです。
― 人間がは白か黒かではなく、もっと「複雑」であると。
若葉 : はい。他者を簡単に判断するような人は、きっとこの映画の市子を観た時にも、同じように「この子はこういう家庭環境だったから」って言いますよね。でも、そんなに簡単じゃない。
隣にいる人が、ある日突然姿を消したり、凶行に及んだりしてしまうかもしれない。その感覚を持っていないと、真に捉えたいものを取り逃がしてしまう気がして。この映画が、そうして軽薄に誰かをカテゴライズしてしまう人たちの、想像力を喚起するきかっけになったらいいなと思います。
― 長谷川は、市子と3年間一緒に暮らしながら、彼女の過去を何も知りませんでした。お二人には、市子と長谷川の関係性はどう映りましたか?
若葉 : 僕は、長谷川が3年間市子の過去に踏み込まずにいたのは、優しさというよりも、むしろ臆病だったからなのかなと感じていて。
杉咲 : うん。
若葉 : そこで一歩踏み込んでいたら、何か違っていたかもしれないですよね。僕自身も、そう思うことが実際にあるし。相手をカテゴライズすることも簡単だけど、実は、同じように一歩引くことも簡単なんですよね。
― 関係に波風を立てたくない、という恐れもあるのかもしれませんね。
若葉 : 怖くて踏み込めないことって、多分山ほどあるじゃないですか、生きてて。それが恋人でも友達でも。それって、果たして相手のためなのか自分のためなのか、と考えると、僕は自分のためなのかなという気がして。
杉咲 : 市子の立場から考えると、深く踏み込んでこない長谷川くんとの関係は心地よかったと思うのですが、必要以上に相手に立ち入らない長谷川くんは、ある意味すごいなとも思いました。
― 自分に近しい人であればあるほど、その人が抱えている複雑さや矛盾、自分とは異なる価値観が出てきた時に、受け入れるのが難しくなるように感じます。お二人は、そうした場面に出くわした時はどのように受け止めていますか?
杉咲 : 自分と違う考え方や、見覚えのないものに触れたとき、驚いたり戸惑ったりすることは、不自然なことではないと思うのですが、そこから他者への否定に繋がってしまうことって、結局は相手に「こうあってほしい」「そうじゃないと安心できない」という自分の勝手な都合な気がして。最近はそういった考え方の持つ「鋭利さ」みたいなものについて、考えるようになってきて。
― 今作で市子を演じたことも、考える機会のひとつになったのでしょうか?
杉咲 : そうですね。今作や、近年関わる作品からも気付かされるが多いですし、ヒントをいただいている気がします。「わからなさ」こそ日常だと思うし、考え方や好きなものって、その人だけが決めていいもので、だからこそ誰に対しても興味深く感じたり、尊重できたりする人間でいたいなと思うんです。
若葉 : 僕は、近しい人の中に自分と違う考え方や、意外な一面を見つけると、わりと嬉しいなと感じる方です。そもそも、人との関係ってそういうものだと思ってるので、拒絶もないし。自分が知りたいと思ってる相手ということは、自分が興味がある人ということなので、たとえその人から意外な一面が出てきたとしても、驚かないし、知ることができて嬉しいという気持ちになりますね。
― 驚きや戸惑い、という自分の「感情」が先行するのではなく、「事実」としてありのままに受け止めるのですね。
若葉 : そうだと思います。相手に何かを強要することも、自分の理想通りであってほしいと願うこともないですし。でも僕は、相手に対する驚きとか、怒りとか悲しみという感情を抱えた時、人間は発露させるのではなく、無意識に抑え込んでしまうものと思っているんですよね。
― なるほど。
若葉 : 人って、怒る時も、一瞬ブレーキかかるじゃないですか。「これ、俺怒っていいのかな」とか「今怒ることが正しいのかな」って考えてしまう。それが普通ですよね。だから、映画を観ていても、登場人物が、怒りとか悲しみを外に出しすぎているように感じることがあるし、それに冷める瞬間はあります。何か悩みを抱えている主人公とかが、人前で涙流したり怒ったりしてたら、「それだけ感情を爆発させられるなら、あなたはちゃんと一人で生きていけますよ」って思っちゃう。
感情が出せないから、みんな苦しいんですよ。そう感じることが多いですね
杉咲花と若葉竜也の「心の一本」の映画
― お二人は、『市子』が第28回釜山国際映画祭のジソク部門に出品されたことにあわせ、10月4日に行われたオープニングセレモニーのレッドカーペットへ戸田監督と共に参加されていましたが、いかがでしたか?
若葉 : 僕はご飯食べまくってました(笑)。
杉咲 : 修学旅行みたいに楽しかったですね。ずっとみんなで一緒にいた(笑)。
― アジアの映画人が集まる華やかな場所でもありますが、現地で心に残った出来事はありましたか?
若葉 : ソン・ガンホさんに会って、握手しました。「来てくれてありがとうございます」って言ってくださって、「こちらこそありがとうございます」って答えて。
「こんな距離にソン・ガンホがいる…」って、なんか現実感なかったですね。いつも映画の中で見ていた人なので、いざ直接会ったら、実在するんだ、って思ってしまって。
― ソン・ガンホさんの出演作で、特に好きな作品を挙げるとしたら?
若葉 : わー、難しいな。僕、結構『グエムル-漢江の怪物-』(2006)が好きなんですよね。金髪のソン・ガンホさんがかっこよくて。もちろん、『殺人の追憶』(2003)も大好きですし。
杉咲 : 私は、『市子』の上映後、メディアと一般の観客の方が同じ会場に入って行う、質疑応答の時間が印象に残りました。進行用の台本もなくて、司会者の方が、その時自分が感じたことを伝えてくださったり、観客に質問を聞いたりするのですが、次々と客席から手が上がっていて。
若葉 : うん。
杉咲 : 観客の皆さんの、自分の感想を直接伝えることに臆さない姿がすごいなと思って。「自分」という個人の視点をもって、とても素直に映画を受け止めてくれていて。そんな姿勢に圧倒された、良き時間でした。
― では最後に、お二人の「心の一本」の映画を教えてください。
若葉 : あーどうしよう!
― 最近ご覧になった映画の中で心に残った作品はありましたか?
杉咲 : 私は、『こちらあみ子』(2022)です。
若葉 : 一緒です。
杉咲 : え!(笑)
― 打ち合わせしてないですよね(笑)?
若葉 : してないです(笑)。僕も『こちらあみ子』です。
杉咲 : そういえば前にも話したかも。映画を観た頃!
若葉 : 公開時期じゃないですか?
杉咲 : ちょうど『市子』の撮影時期だったかな?
― 『こちらあみ子』は、芥川賞作家・今村夏子さんのデビュー作である同名小説を森井勇佑監督が映画化した作品で、広島に暮らす、少し風変わりな小学5年生の女の子・あみ子の行動が、周囲の人たちを巻き込み、否応なしに変えていく様子を描いた作品です。特に心に残っているのは、どのような部分ですか?
杉咲 : なんでしょうね…。予告編やポスタービジュアルを見た時からとても気になっていたんです。あみ子を演じた大沢一菜さんの、人間としてのエネルギーにとんでもなく目を奪われてしまって。
若葉 : 理屈抜きに、心に残るよね。
杉咲 : メイキングもすごくよかった。
若葉 : え、観てない!
杉咲 : DVDを買ったんですけど、メイキングの中に、あみ子役オーディションをしているところも映っていたりして。森井監督があみ子を演じた大沢一菜さんとずっと同じ目線になるように喋っているんですよね。体を縮こませたり、寝転がったりして。
― あみ子が、大好きな幼馴染の男の子に、クッキーのチョコレートの部分だけ舐めてあげてしまう場面など、一度観たら忘れることのできないシーンが多いですよね。
若葉 : 素敵ですよね、あのエピソード。
杉咲 : あみ子の表情が本当に魅力的なんですよね。