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私たちは無常を生きている。 そのうつろいを肯定したい

写真家・映画監督 上田義彦 インタビュー

私たちは無常を生きている。
そのうつろいを肯定したい

今ほど「日常」を定義することが難しい時代はないのかもしれません。私たちの暮らしを取り巻くあらゆることが変化の中にあり、永遠に続くものなどないということを、日々突きつけられています。あったはずのものや時間がなくなってしまう時、それを受け入れながら生きていくためには、どうしたらいいのでしょうか。
サントリーや資生堂など、数多くの広告写真を手掛け、国内外で高い評価を得ている写真家の上田義彦さんが、構想から15年の歳月をかけて完成させた映画『椿の庭』(2021年4月9日公開)。絹子(富司純子)、渚(シム・ウンギョン)、陶子(鈴木京香)という三世代の女性の人生や、暮らしの中にある四季の移り変わりを通して、私たちの暮らしのすぐ近くに、命の美しさと儚さが潜んでいるのだということを丁寧に描き出しています。
この映画から見えてくるのは、変化の中に生きることを受け入れ、いま目の前の“瞬間”だけを肯定していく、上田監督の「生」を慈しむような視点です。この映画の構想の始まりとなったある喪失感について、そして、“いま”という瞬間を生きることについて。映画の舞台となった、海を望む高台の静かな一軒家で、お話を伺いました。

一時も止まっていない「瞬間」を
映画の中で捕まえたい

今日、お話を伺うこのお家は高台の上だからなのか、静かで、窓を開けていると鳥のさえずりや波の音が聞こえてきますね。

上田天気がいいですね、今日は。

ここは映画の舞台となった家でもあり、『椿の庭』の構想も、まさに上田監督の暮らしの中から生まれたそうですね。

上田…随分昔に住んでいた家が、築70年から80年くらいの、和洋折衷の家だったんです。庭に椿が咲いていて、春先に花が落ちるのですが、苔のグリーンの上に落ちる。その赤と緑のコントラストがすごく綺麗で。それを今でもずっと覚えています。

はい。

上田義彦 インタビュー

上田その家に住んでいた時、犬を飼っていたので散歩に出かけるんですけど、家からそう遠くない場所に好きな一角があって。ある日、そこを通り抜けると、いつもとは違う気配に気づいたんです。木が茂って鬱蒼とした少し薄暗い場所でした。でも、その日は明るくなっていたので「あれ」と思って見渡すと、木がなくなり、そこにあった家もなくなっていたんです。

ゴロゴロとした土塊と木の切り株だけが残っていて。自分の家でもないのに、すごく喪失感がありました。その気持ちを抱えながら家に帰って、ノートに書き留めたんです。

その時のことを、なぜ書き留めておこうと思われたのでしょうか。

上田僕は、旅に出たり飛行機に乗ったり、ちょっとした時間ができた時に、自分が思ったことを書く習慣があります。その日は、書いていくうちに止まらなくなっていました。そうだ、僕はその家に住んでいた人たちと一度も会ったことがないなと。堀の外から感じる静かな気配を感じていただけで。でも、そこを歩くたびにその気配から、何かしらの想像をいつもしていたんですよね。

一度も会ったことがない、その家に住む人たちについて思いを巡らせていたんですね。

上田はい。年老いた女性と孫娘の2人が暮らしていたんじゃないか…とか。孫娘というのは、当時うちの長女がまだ小さかったので、自然とその年齢がでてきたんだと思います。そんなことをつらつらと書いていたら、だんだんと小説のような形になっていました。

最初は、小説や映画など、何か形にしようと思って始めたことではなかったと。

上田全然思っていませんでした。でも、書いていくうちに、この独特の喪失感を言葉や映像にしたら、誰かと共有できるんじゃないかと思うようになっていたんです。

喪失感を共有する…。

上田多分、ある風景が失われる・壊れるということは、少なからず誰でも経験していることだと思ったんです。僕だけじゃないと。それは、「そこに住んでいた人たちだけの喪失感」ではなく、「周りも巻き込む喪失感」ですよね。そんな思いが重なって、だんだんと形になっていきました。

喪失感を誰かと共有するため書き留めたものが、『椿の庭』という映画になっていったんですか。

上田自分のものでもない、ある風景がなくなったということ。それは事件でも何でもない本当に小さな出来事なんだけど、そこにフォーカスすることで立ち上がってくる…。自分が撮ってきた写真もそうなんですが、日常を切り取る、と言いますか…。

例えば、4、5歳の子どもを目の前にして、それだけでも充分可愛いんですが、そこから目を離してしまうと、その一瞬を取り逃がしてしまう。時が経つと、すっかり忘れて思い出すこともできないかもしれないですよね。残像のようなものは覚えているかもしれないけど、ディテールまでは思い出せない。

そう言われてみると、愛おしいと思っていた時間を、思い出すこともできなくなるというのは少し怖いことでもあります。

上田でも写真があれば、忘れていたことも思い出しますよね。だから、一枚撮っておこうと思うんです。

上田監督は、妻である桐島かれんさんと4人のお子さんたちを撮影した、13年間の家族写真の記録として『at home』という写真集を出されていますね。


写真集『at Home』

上田それと全く同じで。日常の中で生まれる小さな「あっ」という瞬間、心が動くような瞬間の記録を、映画の中で積み重ねていくと、そこにこそ「存在」というものを見ることができるんじゃないかと思ったんです。うつろい、一時も止まっていない“ある瞬間”を「存在している」こととして捕まえられるんじゃないかなと。

なるほど、喪失感を見つめることで、そこに存在していた一瞬が立ち上がってくるのではと…。

上田ある風景がなくなってしまったという喪失感とか、家族のこの表情を撮っておきたいという気持ちとか、そういう些細な瞬間瞬間の連なりが日常であり、人間の生きている姿なのではないでしょうか。

事実関係や前後関係をつなぐようなストーリーを撮りたいのではなく、そうした同じところに留まっていない、変わり続ける瞬間を撮りたい。生け捕りにするというかね。それができたら、自分が映画を撮る理由はあるんじゃないかなと思ったんです。

日常も非日常もない
「無常」の中に生きている

今作は、絹子(富司純子)とその孫である大学生の渚(シム・ウンギョン)が住むこの“家”で、すべてが描かれていきます。うつろい、一時も止まっていない瞬間を捕えようとした時、ひとつの家、ひとつの家族を中心に置かれたのはどうしてでしょうか?

上田家族というよりも、人生の晩年を迎えようとする人間とこれから始まろうとする人間の命のコントラストでそれを描きたかったんです。閉じていこうとしている命と、これから咲こうとしている命のぶつかり合いを、ひとつの家の中で見つめたら、「身近なところにある真実」というものが撮れるんじゃないかと思いました。

庭の小さな虫の生き死にであったり、椿の花が咲いては朽ちる姿であったり。そういう小さな営みや、生と死の連なりの中にこそ真実があるのではないかと。

映画も、庭で飼っていた金魚の亡骸を椿の花に包んで土に還す、という場面から始まりますね。その後も、絹子の夫の四十九日や、亡くなった母親の記憶を辿っていく渚の姿など、まさに生と死の連なりが、ひとつの家の中で何度も浮かび上がってきます。

上田そうした暮らしの中にある命のコントラストを、何人もいる大家族ではなく、最小限の人間だけで静かに見つめたかったんです。孫娘の渚は、最初はもっと小さな少女を想定していたんですけど、ある人からシム・ウンギョンさんを紹介していただいて。そこで考えが変わりました。

渚は、大人の社会に一歩踏み出していくような、これから人生を咲かせていく存在として描かれていました。シム・ウンギョンさんにお会いして、どのように思いが変わったのでしょうか?

上田今から3年ほど前でしたが、まだ日本に来てまもない頃、通訳を介さずに、何とか自分の言葉で伝えようとしてくれる姿に、すごくどきっとしたんです。

はい。

上田彼女から出てくる言葉の一粒一粒に、意味や想いが込められていて、僕にまっすぐ入ってきました。本能的なことで生きているというか…すごく生き物の気配を感じました。

このままでいい、と思ったんです。そこからは最初に考えていた渚の年齢も設定もすべて変えて、彼女に想定し直して脚本を書いていきました。とても印象に残る出会いでしたね。

日常の中にある「身近なところにある真実」は、身近であるがゆえに、それを見つけるのは難しいことであるような気がします。

上田そうですね。そもそも、日常という言葉がわかりにくくさせているなといつも感じていて。日常でも非日常でもない、「無常」の中に私たちは生きていると思うんです。

上田義彦 インタビュー

常が無い、と。

上田「常」であることがない、変化やうつろっていく瞬間の中を生きている。

確かに、災害やコロナ禍などを経て、私たちを取り巻く「日常」の定義はずっと変化の中にあります。でも、私たちは「日常」ではなく「無常」を生きているんだということですね。

上田それは逆に言うと、「いま」しかないということなんです。前後がなくて、いまこの瞬間を生きている。生きるということはその連続なんですが、そこにだけ真実がある。そこにこそ、存在を感知することができる。

映像って、それが撮れちゃうというか、カメラを回すことで、目の前にある瞬間を「存在している」ものとして映すことができるんですよね。瞬間を積み重ねて映画を撮ることで、見えてくるものがあるのではないかと。

そこには、確実な時間が流れています。

上田そうですね。だから、儚さみたいなものが映るのだと思うのです。

映画『ライムライト』(1952)で、チャップリン演じるカルヴェロのセリフ「瞬間の命を生きればよろしい。すばらしい瞬間がいくらでもある」を思い出しました。でも、「いま、ここ」の瞬間の積み重ねが“生きること”なんだというのを普段の生活で感じ取るのはなかなか難しい。だからこそ、映画や写真で感じ取りたいのかもしれません。

上田捕まえられないから捕まえたくなるし、そこに真実がある。僕はそれを見つめていたいと思っています。

写真家・映画監督 上田義彦 インタビュー

上田義彦の「心の一本」の映画

では最後に、上田監督がご覧になってきた映画の中で、ふとした時に浮かぶような記憶に残る作品を教えてください。

上田なんでしょうね…。みなさんも好きだと思うんですけど、小津安二郎監督の『東京物語』(1953)はとても好きですね。それも、ストーリーが素晴らしいというのとはまた少し違って、どうしても頭から離れない場面があるんです。

どの場面でしょうか?

上田東京に出て戻ってきた後の笠智衆演じる平山周吉が、浄土寺の境内にある灯籠の傍らで、ひとり佇んでいる場面です。何でもないシーンなんですが、ずっと頭の中に残っているんです。何で出てくるんだろう、と思うんですけど(笑)。

それは、どんな時に思い浮かぶんですか?

上田仕事で写真を撮っている時に思い出すとかではなくて、普段道を歩いている時とか何でもない時に、いつも唐突にモノクロの風景として頭に浮かんでくるんです。少し前傾の姿勢で、ひとり境内に佇んでいる笠智衆のあの場面が。

好きなシーンだというわけでもないんですけど…。きっと何か自分にとっての理由はあるんでしょうね。頭で考えてもわからない。

意味付けではない、自分の心や身体が心地よいものとして記憶していると。

上田そうですね。前後のストーリー関係なく、ある瞬間がどうしても自分の頭から離れなくなる。でも、そういうことだと思うんです。普段の僕たちも、意味のあることばかりしているわけではないですよね。水を飲みたいから飲むとか、疲れたから椅子に座るとか、心地よいからそうするわけで。

その積み重ねにこそ、人の生理というものが映るんじゃないでしょうか。どうしてもこうなってしまったとか、どうしてもこの場所にいたかったとか。前後の何かを意味づけるための“いま”じゃなくて、“いま”という瞬間だけを生きている。そこにこそ、きっと生きるうえでの真実が潜んでいるんだと思います。

◎映画『椿の庭』から生まれた写真集


写真集『椿の庭』

INFORMATION
『椿の庭』
出演:富司純子 シム・ウンギョン
田辺誠一 清水綋治
内田淳子 北浦 愛 三浦透子 宇野祥平 松澤 匠 不破万作
チャン・チェン(特別出演)
鈴木京香
監督・脚本・撮影:上田義彦
製作:ギークピクチュアズ/yoshihiko ueda films/ユマニテ/朝日新聞社
配給:ビターズ・エンド 制作プロダクション:ギークサイト

4月9日(金)、シネスイッチ銀座他全国順次ロードショー
公式サイト: bitters.co.jp/tsubaki/
Twitter: @TSUBAKI_NIWA
©2020 “A Garden of Camellias” Film Partners
PROFILE
写真家・映画監督
上田義彦
Yoshihiko Ueda
1957年生まれ、兵庫県出身。写真家、多摩美術大学教授。福田匡伸・有田泰而に師事。1982年に写真家として独立。以来、透徹した自身の美学のもと、さまざまな被写体に向き合う。ポートレート、静物、風景、建築、パフォーマンスなど、カテゴリーを超越した作品は国内外で高い評価を得る。またエディトリアルワークをきっかけに、広告写真やコマーシャルフィルムなどを数多く手がけ、東京ADC賞最高賞、ニューヨークADC賞、カンヌグラフィック銀賞はじめ、国内外の様々な賞を受賞。作家活動は独立当初から継続し、2020年までに38冊の写真集を刊行。代表的な写真集に、ネイティブアメリカンの聖なる森を捉えた『QUINAULT』(1993/京都書院→青幻舎)、前衛舞踏家・天児牛大のポートレイト集『AMAGATSU』(1995/光琳社出版)、自身の家族にカメラを向けた『at Home』(2006/リトル・モア)、屋久島の森に宿る生命の根源にフォーカスした『materia』(2012/求龍堂)、自身の30年を超える活動の集大成的写真集『A Life with Camera』(2015/羽鳥書店)、近著には、Quinault・屋久島・奈良春日大社の3つの原生林を撮り下ろした『FOREST 印象と記憶 1989-2017』、一枚の白い紙に落ちる光と影の記憶『68TH STREET』、『林檎の木』などがある。2011年、Gallery 916を主宰し、写真展企画、展示、写真集の出版をトータルでプロデュース。2014年には日本写真協会作家賞を受賞。同年より多摩美術大学グラフィックデザイン科教授として後進の育成にも力を注いでいる。
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