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俳優をやめようとしたときでさえ
妻を通じて社会とつながっていた
― 松重さんは黒沢清監督の『地獄の警備員』(1992)で映画初出演を果たしてから、長らくコワモテな役を中心に演じてこられました。それが最近は、どこかかわいらしいおじさん的なイメージのある役柄を演じられることも多く、今回のヒキタ役も少年ぽさが漂う愛らしさのある役でしたね。
松重 : これは僕だけじゃなくて、たとえば同年代の遠藤憲一さんや光石研さんにも共通していることだと思うんですが、それこそ僕ら、若い頃には斬った張った、殺し殺されみたいな、ヤクザ、殺し屋、刑事ばかりを演じていたわけですよ。それが今や、おもしろいことをやって笑わせたり、はたまた若い子に恋したりとかいうことをやっていて。あげく、「かわいい」と言われている、と(笑)。
でも僕らみんな、それをわりと素直に受け止めて、楽しんでいる感じではあるんです。自分からそういう方向を目指したわけではないんですが、世間的になんとなくそういう流れになっていて、僕としてもそれに甘んじてるといった感覚ですかね(笑)。
― いつまでも見ていたいと思うほど、松重さんと北川景子さんが演じるヒキタ夫妻は魅力的でした。「不妊治療」という重いテーマに挑みながらも、夫婦の日常がコメディタッチでのほほんと描かれていましたよね。
松重 : 細川徹監督が、もともと笑いの要素が強い作品を得意とされている方なのでね。コミカルなシーンというのは、実は、演じる側が真剣に演っていないとぜんぜん笑えないものです。なので、“真剣であればあるほど笑える”という線で、僕は演じていくんですが、それに対して北川さんもまた、コメディエンヌとしてのすばらしいお芝居をされるので、スタッフ一同、すっかり北川さん演じるサチの大ファンになってしまって。
クランクアップの前日に、北川さんの撮影はすべて終了したんですが、最後の1日はもう、「おい、やる気あるのかおまえら!」っていうくらい、監督以下全員、腑抜け状態でしたから(笑)。まさに“サチロス”でした。
― 松重さんご自身は、若い頃に結婚されて、もうお子さんも成人しているのですよね。
松重 : ええ。僕は若くて貧乏な頃に結婚をして子育てをしてきたわけですが、俳優というのは人生をいろいろ着替えて“タラレバ”ができる職業ですからね。実際問題、今、僕が北川さんと何か問題を起こしたら世の中を敵に回すことになるけれど、映画の中で彼女と幸せな夫婦らしいところを見せれば見せるほど、共感が得られるわけじゃないですか。
でも屋外でのロケ撮影中に、どんな作品かを知らずに集まってきたギャラリーは、まさか僕らが夫婦を演じているとは思わなかったんじゃないですかね。ポスターにも使われている満開の桜の木の下で、いなくなった妻のサチ(北川)をやっと見つけて抱き合うシーンのときなんか、みなさん、「よかったねぇ、お父さん。娘さんが見つかったんだねぇ」みたいな顔をして見ていましたから(笑)。
― 劇中では妊活に向き合う夫婦の関係性を、約5年という長いスパンで描いていました。今作では、世の中で語られることの少ない「男性不妊」に焦点が当てられていましたが、当事者の方にお話を聞いたりもされたのでしょうか?
松重 : お医者さんとはけっこう話をしましたけど、経験された方にお会いすることは、原作者のヒキタクニオさん以外はなかったです。ただ、僕がこの映画に関わったことによって、「実は僕も不妊治療していました」とカミングアウトしてくださる方が意外といらっしゃるんですよ。なので、こういった悩みを抱えている方は予想よりも多いんじゃないかと思うんですが……だけどなかなか表立っては言えないという。
こういうことは秘めごとというか、みなさん、夫婦の中で処理しなきゃいけない問題だと思われているのだろうなというのが実感です。だからこそ監督は、男性の不妊問題に光を当てるため、切実な部分、悲しい部分に加えて、明るく笑える部分も混在させるかたちでこの映画を仕上げたんじゃないかと思います。
― ヒキタさんとはどういうお話をされたのですか?
松重 : ヒキタさんとは、北川さんと一緒にお会いしたんですよ。で、「うちの妻もかわいいんだ」っていうことをおっしゃっていましたね(笑)。「今日連れてきてないけど、妻もかわいいんだ。そりゃあ北川景子には負けるかもしれないけど」って、男性不妊についてのことを聞きたかったのに(笑)。そのヒキタさんが、とてもかわいくて。そこが、ヒントなのかなと思いました。
― 妻のことを語るヒキタさんが今作のヒントになったと。
松重 : 不妊治療に向き合った5年弱っていう月日の間に、挫折しそうなときもあったにしても、妻に支えられてここまでたどり着いたっていう物語だと思っています。だから、演じる上で、どうしてもやっぱり自分にとって身近な夫婦の関係を参考にしましたね。そうするとまあ、だいたい間違わないですむなって(笑)。
― それは、やはり松重さんが今に至るまで俳優を続けてこられたのも、そこに妻の存在があったからだと。
松重 : この仕事から足を洗おうと思ったときも、戻ったときも、幸いなことに女房がずっと横にいてくれたからじゃないでしょうか。そのときどきに、女房がどういうリアクションをしてくれたかによって、ここまでこれたというか。
― 松重さんは、『地獄の警備員』に出演する少し前に、俳優の仕事を休業されていたこともあったそうですね。
松重 : とにかく、いついかなるときにも、ひとりっきりにはならなかったということが、大きかったんじゃないかと思いますね。男というのは本当に、女房によってどうにでもなる、という気がするんですよ。僕の場合も、財布のヒモは向こうが握っているし(笑)、仕事に関しても、業界の人間じゃないからこそ「おもしろい/おもしろくない」とはっきり言ってくれますしね。
僕のように女房主導で生きている男は、ある意味、すごく幸せなんじゃないかなというのは、今回ヒキタを演じる中でも思っていましたね。サチの強さが、やっぱりこの物語のすべてだったと思うので。
― 素敵な夫婦観です。
松重 : でも、俳優を長くやっていると、もっと破綻した夫婦生活を送っている方がいいのかな……と思う時期もあったんですよ。たとえば、40代で別の女性に走って家庭を崩壊させた男が、70歳を超えて生き別れた子どもへの思いを滔々と語る、みたいなシーンを演じるとしたら、などと考えるとね(笑)。でも実体験がなくても、「もしあのとき俺が家庭を壊していたら」と想像できなきゃいけないのが俳優。やっぱりそういうのは想像するだけにして、私生活はあんまり波風が立たない方がいいですね(笑)。
それに、子どもも大きくなって家を飛び出しちゃえば、所詮、他人です(笑)。そういうことも考え合わせると、やっぱりいちばん大切なのは、何かに真剣に向き合う時間を共有してきたという“夫婦のありよう”なんじゃないかと思います。
松重豊の「心の一本」の映画
― 夫婦をテーマにした映画でお好きな作品がありましたら、教えていただけますか?
松重 : 夫婦の映画、ねぇ……。僕はふだん、夫婦の関係を考えさせられたいと思って映画を観ませんからねぇ(笑)。……あ、アキ・カウリスマキ監督の何だっけ……、『浮き雲』(1996)! この作品って夫婦の話でしたよね? この夫婦、好き!
― 質素ながらも幸せに暮らしていた夫婦が、ふたりとも失業し、あれよあれよという間に不幸になっていくという作品ですね。
松重 : カウリスマキ監督の映画って、不幸な境遇に置かれた人ばかり出てくるんですよ。とにかくどんどん不幸になっていくんですけど、悲しいときに「悲しい表情をする」っていうのではなく、淡々とね。『浮き雲』でも、人物の目線が右から左に動くだけでも、「わ、この人ものすごく悲しんでるんだ」っていうことがわかる。「悲しいときは、いかにその瞬間涙を出すか」みたいなことを表しがちなんだけれど、果たしてそれが真に「悲しい」なのかということを考えさせられる。
本当は、ものすごく淡々と運命を乗り越えている人の背中を見たときに、観客はとめどなく涙が出るんじゃないかな……と、そういう想像力を働かせてくれるので、カウリスマキ監督の作品が好きです。新作があると必ず観ますね。
― 以前、カウリスマキ監督の最新作『希望のかなた』の主人公を演じたシェルワン・ハジさんをインタビューした際、カウリスマキ監督は“マスター・オブ・ユーモア”であるとおっしゃっていました。そして作品を通して、ユーモアとは、相手を受け入れられるかどうかという「許容力」だと感じたと。
松重 : 映画ではないんですが、僕がいちばん繰り返し観ている作品は、TVシリーズの『Mr.ビーン』(1990〜1995)なんです。ローワン・アトキンソンが演じるビーンが持っている毒っけがすごく魅力的で。世の中を人と違うところから、すごく意地悪く見ているんですけど、それでいて笑えるという。そういう部分は役者として、すごくヒントになるものがあります。
僕は、『孤独のグルメ』(2012〜)をやっていることも関係しているのか、“ひとりで笑わせていく人”のおもしろさっていうのが好きみたいなんです。子どもの頃から、もちろんマルクス兄弟やローレル&ハーデイなどのコンビも好きでしたけど、バスター・キートンは彼らよりもっと好きでしたから。
― 『Mr.ビーン』を繰り返し観ているということは、DVDも持っていらっしゃったりするのですか?
松重 : ええ。それで少しでも時間が空いたら『ビーン』を観るという。短編なところもいいですね。僕は基本的に集中力がないので、2時間半とか言われると「無理無理!」って(笑)。そういえば、アキ・カウリスマキ監督の作品も、だいたい90分以内なんですよね。
カウリスマキ映画でずっと主演していたマッティ・ペロンパー(1988年『真夜中の虹』、1989年『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』など。1995年没)っていう役者さんが、僕、本当に好きで。最高の喜劇役者じゃないかと思うんです。劇中、決して本人が笑うことはないんですけど、アトキンソンの毒とはまた違う、無表情で何も語らないという毒っけがあって、それが最高におっかしいんですよ。
― なんとなくですが、先ほど「“真剣であればあるほど笑える”という線で演じていった」とおっしゃっていたヒキタ役や、松重さんの当たり役である『孤独のグルメ』の井之頭五郎役へのアプローチに通じるものがありますね。
松重 : 「他の人は笑っていないけど、俺だけ大笑いしちゃう!」っていう作品が好きなんですよね。たとえば視聴率でいうなら、20%を確実にとるような作品より、5%でも熱狂的なファンがいるような作品を大事にしたいし、つくりたいと思うんです。
僕のアンテナもだいぶ鈍ってきてはいるんですが(笑)、探っていきたいとは思っていて。そのヒントになるのが、ペロンパーやアトキンソンの演技だったりするんですよ。たぶん、そういうことが好きな人が、次世代の表現者になっていくような気がしますよね。