目次
(前編はこちらから)
2022年冬
「片山慎三監督は、現場でみんなが『え?冗談ですよね』と思ってしまうようなアイデアの実現を、本気で考えている人ですよ」
映画『雨の中の慾情』で撮影を務めた池田直矢が、撮影の準備に入る前に同作の厨子プロデューサー(以降、厨子P)へ伝えた言葉だ。
池田は『岬の兄妹』(2018)『そこにいた男』(2020)『さがす』(2022)で片山監督とタッグを組み、片山監督の映画づくりを間近で見てきた一人だ。
「片山監督は、まさにその言葉通りの人でした」と厨子Pは語る。
片山監督の自由な発想は、撮影や仕上げの現場だけにとどまらず、こんな場面でも発揮された。
片山監督たちはプレロケハンとして台湾に訪れたタイミングで、台湾からのキャストオーディションを行うことにした。女性アイドル等が所属する事務所社長として立ち会っていた梁秩誠(リャン チーチェン 愛称:マコトさん)が、せっかくだからとオーディション後、スタッフ陣を食事会に誘ってくれた。
「マコトさんは、日系企業で働いていたこともあり、日本語が堪能で、食事しながら色々お話しさせてもらったんです。帰国後、オーディションを振り返りながら、キャスティングについて話す中で、片山監督から『X役、マコトさんどうですか?』と提案があって。驚きました(笑)」
オーディションを受けに来た俳優ではなく、そのマネジメント事務所の社長への出演依頼は、オファーする側としてはバツが悪く恐る恐るだったものの、梁は、自分にオファーがきたことを面白い!と快諾。X役は梁が演じることで、怪しげながらユーモラスな魅力が漂うキャラクターとなった。
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
また、竹中直人演じる尾弥次(おやじ)のキャラクターの在り方について、片山監督と今作の衣裳デザイン・扮装統括の柘植伊佐夫(『岸辺露伴は動かない』シリーズ、映画『シン・仮面ライダー』『はたらく細胞』等)が打ち合わせしていた際、柘植から「竹中さんの腕と足は不自由な設定にしてはどうか?」との提案があり「いいかもしれないですね」と取り入れた。
さらに片山監督は、その設定を物語に有機的に結びつけ今作の仕掛けの一部にまで発展させた。(尾弥次の腕と足がなぜ不自由なのかは、物語後半で明かされる義男の置かれている状況に起因していることが分かる仕掛けになっている)
2023年春
新型コロナウイルスの影響で延期になっていた台湾での撮影が始まり、いよいよクランクインとなる。
メインの撮影は台湾南部、台南の北に位置する嘉義市で行われた。
「当初は金門島での撮影を予定していたのですが、スケジュールなどの問題で断念せざるを得ませんでした。でもシナハンで偶然見ていた嘉義が候補にあがって、そのまま決定となりました」
2022年の秋に行われたシナハンの直前に、厨子Pは他作品の撮影で以前にロケ地としてお世話になった映画館の管理者・江明赫(ジャン ミンホウ)から、「台湾に来るならぜひ寄ってください」と連絡をもらっていた。片山監督に相談したところ、せっかくなので色々見ましょうということで寄ったのが嘉義だった。
シナハン最後の一泊で寄った嘉義は、片山監督が幼少の頃を過ごした「昭和の風情が残る大阪の歓楽街・十三」のような雰囲気が感じられる街だった。
嘉義は、主人公・義男の部屋や商店街など、今作のメインの撮影地となる。
また、主人公・義男が暮らす部屋や娼館は江(ジャン)の所有地一帯を借りて撮影が行われた。
「嘉義での撮影が決まりロケハンに行った際、江さんが、自分の実家も撮影場所として使用できるよ、と見せてくれたんですが、とても面白いつくりで。台湾の伝統的な家屋は、れんがづくりの平屋で、3つの棟がコの字型に並んでいるのが特徴なんですが、江さんの家は、さらにその横に2棟が連なっていました」
「ただ、ご両親が住まわれていたので、メインの撮影場所として終日使わせていただくのは難しいと思ったのですが、ご両親にもその場で丁寧に説明してくださり『OK!OK!ダイジョウブ!』と快く承諾してくださって。寛容でバイタリティ溢れる江さんじゃないと実現しなかったと思います」
片山監督からの「義男の部屋の一部の壁を取り払いたい」というオーダーにも、江は、ずっと空き家となっていて今後も使用予定のない部屋だったこともあり、快く承諾するなど、撮影へ全面的に協力してくれた。
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
架空性と現実感が同居する世界観を持った今作の舞台は、江の貢献なくしては実現しなかった。
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
片山監督の創造性を最大限引き出し、実現する環境として、台湾は適していた。日本だと法的に難しいことが、台湾であれば可能になるこということが多くあったからだ。また、単に法律の違いだけでなく、基本的におおらかで他者に対しての寛容さがある国民性ゆえの部分もあっただろう。
例えば、今作で映し出された美しい花火は、撮影直前に取り入れられたものだ。片山監督が撮影地近くであがっていた花火を見て「あれいいね」と言ったところ、その場で台湾スタッフは快くすぐ手配した。日本であれば関係機関各所に申請や届出を出し、許可をとるという事前準備が必要となり、今回のようにアイデアをその場で取り入れることは難しかっただろう。
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
もちろん、片山監督の創造性を最大限引き出したのは、環境だけではない。
2022年冬に準備稿、その後決定稿となった脚本は、撮影に入ってからも変化し続けていた。片山監督が撮影現場でさらにいいアイデアを思いついたら、修正が追加されていくスタイルがとられていたからだ。
義男の疾走シーンは、脚本には詳細な記載がなかったが、片山監督の現場で浮かんだアイデアに基づきディテールが明確にされた。
また、あるシーンでは、エキストラの女の子の演技が素晴らしかったことから、片山監督にインスピレーションを与え、急遽その場でその女の子だけのワンカットが追加撮影されることとなった。当初の予定になかったことでも、片山組のキャスト・スタッフは「監督が言うのであれば」と、すぐに切り替え要求にこたえる。そのカットは、映画終盤のあるシークエンスで、義男が、この映画の現実世界において自発的にとった唯一の行動の結果として、義男にささやかな救いをもたらしている大事なカットとなった。
一方、撮影中、片山監督からばかりでなく、スタッフからも監督に対してアイデアの提案はしばしばあった。喫茶ランボウで、「アマポーラ」の調べにのって義男と福子がダンスするシーンにおいては、撮影の池田から「このシーンの引き絵1カットだけ、35ミリフィルムで撮影してはどうか」との提案があり、片山監督が「面白いですね」とのって、劇中唯一のフィルム撮影が行われた。
義男の福子への一途な想いが成就したかのような多幸感溢れるカットとしての映像演出上の狙いはもちろんのこと、この映画そのものの作り・仕掛けとして、デジタル撮影の中に1カットだけフィルム撮影が混じることの作品上の演出の狙いもあり、フィルム撮影が選択された。余談だが、その際、撮影に使用された35ミリフィルムカメラは、池田が、黒澤明監督作品などで撮影を務め名キャメラマンとして名高い巨匠・木村大作さんより譲り受けたものである。
「片山組との映画づくりは初めてだったんですが、僕自身、多くのことを学ばせてもらいました。作品をよりいいものにしたい、観客により面白いものを届けたいというのは、監督だけでなく、全キャスト・スタッフも同じ思いですから。もちろん予算にしろスケジュールにしろ、制限はあります。でも調整できるのであれば、できる限り挑戦すべきだと思うんです」
映画は、多くの人が携わり、共同でつくりあげていく。そのため、それぞれの都合も考慮した上で、納得感を持って取り組んでもらうことも重要だ。しかし、作品は「より面白い、より観客を楽しませることができる」ところを一番に目指してつくりあげられるものだと厨子Pは言う。
「ものづくりって、そういうことですよね。その中心にいるのが監督であり、今回であれば、片山組の常連キャスト・スタッフから片山組初参加のキャスト・スタッフ、そして台湾のキャスト・スタッフにいたるまで、皆で作品に向き合った。日本と台湾の共同制作で難しいことはありませんでしたか?とよく聞かれますが、観客を驚かせること、楽しませることを一番の目標にしている現場や組は、言語が通じないとか文化が違うということは些細なことなのだと実感しました」
2023年3月3日にクランクインした台湾の撮影は、全30日の撮影を終えた。
©2024 「雨の中の慾情」製作委員会
2023年秋
当初、台湾でのオールロケが予定されていたが、スケジュールの都合上、撮りきれなかったシーンを日本で追撮することになった。
予定されていなかったスケジュールのため、撮影を務める池田が参加できない事態となる。そこで、片山監督および池田と相談し白羽の矢が立ったのが、台湾パートでBキャメとして参加していた、池田の旧友にして台湾で活躍するカメラマン・陳萬得(チェン ワンータ 愛称:アータ)だった。
日本での撮影で陳は、片山監督も満足するパフォーマンスを見せた。結果的に台湾では日本のカメラマンが撮影し、日本では台湾のカメラマンが一部撮影するという、本作ならではの撮影体制となった。
しかし、予定されていなかった撮影で、さらに台湾からスタッフが帯同するとなるとその分の交通費や宿泊費が増えることとなる。調整は難しくなかったのだろうか。
「細かなやりくりで解決できることでしたし、作品としても、そのほうが可能性が広がり面白くなると考えました」
2023年冬
片山組の現場で作品をアップデートし続ける方法は、映像を編集し、アフレコ、音やCG、音楽などを加えて完成させていく「仕上げ」段階においても行われた。
アフレコも、日本と台湾の両方で実施された。今作において出てくる言語は、日本語、中国語、ロシア語が混在している。キャストだけでなくエキストラの声も、日本語と中国語、それぞれの箇所でアフレコが必要となったためである。
そして、撮影現場で同録した台詞が聞き取りづらいという理由でのアフレコのみならず、片山監督は、編集したことで見えてきて気になった台詞の間やトーン、言い回しは、アフレコで全て細かく演出し直した。
通常、日本での映画づくりの多くはオフライン編集を経て、「ピクチャーロック」「グレーディング」「ダビング」といった手順を踏み、「初号試写」を迎える。
「ピクチャーロック」とは、画を固めること。各シーンや全体の長さがそこで決定され、整音や音響効果、音楽、CGの作業がそれにあわせて制作される。そのため、それ以降は尺の変更を生じさせないため、編集は行わない(※1)のが通例(※2)だ。
※1…色調などを補正するグレーディングは別
※2…ハリウッド映画はもちろんのこと、予算が潤沢にある製作体制では、映像や音をある程度完成させた上で一般客によるモニター試写を経て、再度仕上げ作業を行うことがある
しかし、今作においては、ピクチャーロック後も調整が繰り返し行われた。アフレコ、音、音楽、CGそれぞれが入った段階で見えてきたことがあれば、微細な再編集を行い、またダビングした後もグレーディングや合成作業も数カットやり直しが行われ、さらに、それに合わせての音響効果や音の調整を行い、ギリギリまで精度を高め続けた。
音楽もまた同様であり、この映画には合計39曲におよぶ多岐のジャンルに渡る劇伴楽曲が使用されているが、音楽プロデューサーの安井輝と音楽の髙位妃楊子は、約半年間、片山監督と度重なるディスカッションを繰り返し、音楽MAの直前まで微細な調整を続けた。
この規模の日本映画においては、異例ともいえるプロセスだった。それを可能にしたのは、片山監督の最後まで作品の可能性を求め続ける姿勢と、仕上げ作業に携わるスタッフが監督に全幅の信頼を寄せ、作品を高めるべく向き合ったからに他ならない。
「最後の最後までみんな作品と向き合ってました。実は、ラストカットのあるところも、ダビングを全部終えた後のオンライン編集で加えたんですよ」
2024年某月某日
『雨の中の慾情』に携わった関係者を迎えた、初号試写が行われた。
企画が立ち上がった2019年から約5年越しの完成となった。
「大変な制作現場だったので、キャスト・スタッフのみなさまにようやくお見せすることができて、ホッとしました。尽力してくださったみなさまのおかげで、驚きのある、そして熱を帯びた映画になったのではないかと思います」
2024年冬
生き物のように進化しつづけた映画『雨の中の慾情』が2024年11月29日いよいよ公開を迎える。