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繰り返し観たい映画、そばに置きたい大切な映画、贈りものだった映画、捨てられない映画……。いろいろな旅を経て、棚におさまっているDVDたち。同じものはひとつとしてない棚から、そのクリエイションのルーツに迫ります。
「映画館をつくりたい。」夢の第一歩が、この部屋から始まる
「今の家に引っ越してから2か月が経ちました。ようやく人を呼べる状態になったばかりで、実はみなさんが初めてのお客さんなんです」
その日編集部が向かったのは、東京の北端に位置する、のんびりとした雰囲気の住宅街。昭和のときから営業していそうな八百屋さん、布団屋さんが立ち並ぶのを通り過ぎ、角を少し曲がったところに河村さんのご自宅はありました。河村さんは現在26歳。ご自宅は、2階建ての一軒家。その1階で、近い将来お店を開店する準備を始めています。
「人とカルチャーの出会いに溢れたスペースをオープンさせるのが夢なんです。映画上映や展示など様々なイベントに活用できる場所にしたくて。店内の棚にはDVDや本を並べ、お客さんに手に取ってもらえるようにしたいとも思っています。そんなスペースを開くなら、1階に風通しのいい空間がある一軒家に住みたいと思い、2年くらい前から東京中のあちこちの街に行き、歩いて見ていました。自分にしっくりくる場所に出会えるまで探しましたね。今いるこの部屋は元々ガレージなんですが、まさにイメージ通りでした」
河村さんはそう話しながら、近くの商店街で買ってきたという柏餅と緑茶を、手際よくふるまってくれました。
実は中学校のときの卒業文集で「小さくてもいいから、自分のお店を持ちたい」とすでに書いていたという河村さん。その漠然とした夢が、具体的な自分の将来として立ち上がり始めたのは大学生のとき。最初は「映画館をつくりたい」と思っていたそうです。その背景には、祖父との大切な思い出がありました。
「祖父は職場の広報誌に、勝手に映画コラムコーナーを作っちゃうような“映画狂”な人で(笑)。小さい頃、祖父の家に行く度に、一緒に映画を観て、いろいろ教えてもらいました。たとえば『死刑台のエレベーター』(1957年)を観ながら、『この映画はマイルス・デイヴィスというトランペッターが即興で音楽をつけたんだよ』などと、相手は子供なのにすごい熱量で解説してくれるんです。祖父と過ごすこの時間が、わたしにとってはとても尊い時間で……、そういう人と人が接する中で、自然とカルチャーに触れることができる時間を過ごせる場所をつくりたいと、思うようになりました」
大学生当時、地元である宮城・仙台から、父の単身赴任先である東京に、頻繁に遊びに来ていた河村さん。都内の映画館に通いつめる中で、上映する映画に傾向がある、建物が個性的など、それぞれにユニークな特徴のあるミニシアターに、カルチャーショックを受けたのだとか。「その場に来るだけで自由な空気を感じられ、映画をもっと観たり知ったりすることができる場所をつくりたい!」という思いから、河村さんは大学卒業後に上京し、映画の配給・宣伝・上映を学べる専門学校に通い始めます。
「映画館をつくりたい、と思ったこともありましたが、資金面でハードルが高い。わたしがやりたいのは、映画を通してコミュニケーションをとれる場所を提供するということ。それなら、他の方法もあるのではないか、と考えるようになりました。その足がかりが、今みなさんといるこの場所なんです」
河村さんは、今わたしたちがいる部屋でお店を開くため、その参考になりそうな場所を巡ったり、実際に働いたりして、準備を進めてきました。
部屋で繰り返し観るうち、わたしの核となっていった1本
2階を生活空間として使っている河村さんですが、DVD棚はお店を開く予定であるスペースの1階に置いています。その棚は、りんご農家が出荷に使う木箱、いわゆる“りんご箱”が重ねられてできていました。並べられているDVDは、洋画と邦画のカテゴリー別、同じスタッフ・キャストの作品で並べるなど、手に取る人にわかりやすくなっています。今では珍しいVHSも並んでおり、その理由を聞くと「観たい映画がひと昔前の作品だと、残念なことにDVD化されていなくて、VHSしかないことも多いから」とのこと。
この中に、河村さんがお守りのようにしている1本はありますか?
「『人生はビギナーズ』(2012年)ですね。この映画の登場人物たちのコミュニケーションの仕方がすごく好きなんです。彼らはたとえうまくわかり合えなくても、わかり合おうとすることを決して諦めません。その中で、認め合おうとすることの大切さが描かれているんです」
河村さんはこのDVDを事あるごとに繰り返し観ていると言います。
「不安になったときや、落ち込んだときに観ますね。人と人は信じ合えるということを、この映画を観て確かめることができるからです。ここに引っ越す前にも観たし。最初に映画館の大きなスクリーンで観たときは、画の力に引っ張られ過ぎて、ただただ『イケてる映画だな』という感想をもちました。だけどDVDを買い、自分の部屋で何度も観るうちに『ちゃんと、わたしたち一人ひとりに向き合っている作品だ』と思うようになって。部屋の中で一人きりで観られてよかったなと思える、自分にとっては珍しい映画ですね。サウンドトラックも素晴らしいので、普段、部屋の中でただ流していることも結構あります」
この映画の主人公・オリヴァーは、アメリカのLAに暮らすイラストレーター。彼の父親は70代で妻を亡くしてから、ゲイだとカミングアウトします。オリヴァーは、年下の同性の恋人と過ごす父の姿に戸惑いながらも父を支え、父の死後も彼のことを理解しようと努力します。
「この親子のあり方は、世の中的には奇妙に映るだろうけど、二人はちゃんとわかり合おうとしていたし、ちゃんと愛し合っていたんだと思う。そういう一言で表すことができない関係や、100%通じているわけではないコミュニケーションを丁寧に描いているからこそ、この作品を信頼できるというか……、最近たとえばSNSでのやりとりに対して、『そこに“本当”はないな』と感じることがよくあって。そういう自分自身にもある伝わらない経験を通して、『この映画の登場人物なら、どうしたんだろう?』という視点で観ることもあります」
“実感する”ことを大切にしたい。その気持ちを失わないためにこの1本がある
河村さんは住み始めたばかりの街を知るために、歩いたりバスに乗ったりして実際に町内を巡っているそうです。すると、自分の中でだんだん街の輪郭が浮き上がってきて、ここに住んでいる“実感”が胸に湧いてくると言います。この“実感”を大事にしたいと河村さんが思うようになったきっかけの映画が、相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』(1990年)。
主人公である女の子は、無気力に毎日を過ごす高校生モデル。ある日、交通事故で死んでしまうのですが、死神をだまして現世に戻り、生前よりも生き生きと暮らし始めるというストーリーです。
「主人公が人生で楽しかったことを振り返りながら、『わたし、死んじゃった』と言ってしばらく黙るシーンがあるんです。“確かに生きて”楽しいという実感と同時に、“死んでしまった”という悔しさが、そこにはあって。現代のわたしたちは、スマホを片手に便利に過ごしているんだけど、その分“実感する”ってことが減っている気がします。この映画を観ると、『ちゃんと“実感”したい』という気持ちを思い出せるんです」
「相米慎二監督の作品が大好きで、最初は渋谷のTSUTAYAで借りてレンタルで観ました。それ以来、ずっと『手元に置けたらいいな』と思っていたのですがDVDは絶版で。そんなある日、偶然古本屋さんでこのVHSを見つけました。ときどきこういう出会いがあるから、実際に、いろんなお店に足を運んでみることも本当に大事だなと思います」
今は観たくない、でも手元に置き続けたい1本
河村さんは去年から、人気音楽レーベル“カクバリズム”所属のミュージシャンで友人の江原茗一(mei ehara)さんとともに、『園(その)』という文藝誌を制作しています。二人が気になっているつくり手さんに、取材をしたり、論文・エッセイ・小説・詩などあらゆるジャンルの原稿を依頼したりと、忙しい日々ですが、とても充実していると話します。
高校生の頃から、自分の文章や詩を載せたZINE(個人で作る本)をつくっては、一部の友だちと交換し合っていたという河村さん。「その当時、この映画と同じ名前のイベントを主宰し、ZINEをつくっていたんです。思い出すと、少し気恥ずかしいんですが……」と、はにかみながら棚から抜き取ったDVDは『ゴーストワールド』(2001年)。他のDVDに覆われ、半ば隠すように置かれていました。高校生のときに地元・仙台で購入して以来、ずっと手元に置き続けている1本だと言います。
「その頃は、この『ゴーストワールド』にとにかく夢中で、創作のインスピレーションをたくさんもらっていたように思います。映画についてコラムのようなものを書いたり、お気に入りのシーンの写真を切り貼りして、コラージュページをつくったりしていました。実家のプリンターを使いまくってコピーして、ホチキスでとめて冊子にして(笑)」
河村さんは当時、世の中に対してとにかく苛立っていたのだと話します。今作の主人公・イーニドも、当時の河村さんと似たフラストレーションを抱える、はみ出し者のティーンの女の子です。彼女はふとしたことから、冴えない中年男シーモアと出会います。世間で言うところの“負け組”のシーモアですが、実は音楽にすごく詳しくて、やはり音楽好きのイーニドは彼と仲を深めていきます。
「当時のわたしはテレビ番組を観ていても、“イケてる勝ち組/ダサい負け組”という価値基準を押しつけられているように感じ、『ねえみんな、本当にそれでいいの?』って思っていました。だからこそ、シーモアという登場人物に魅了されたんです。“勝ち/負け”の評価の枠外にいて、淡々と自分が興味あるものに夢中になっているシーモアの存在はイーニドにとっては尊く、ヒーローだった。また彼の存在はわたしにとってもヒーローであり希望であり、大きな救いでした。今思い返すと、シーモアのようになりたかったとさえ思いますね」
ところが河村さん、もう長いこと『ゴーストワールド』を観ていないそうです。「この映画を観返すのは今じゃないな」と思うのだと話します。
「わたしにとって、“終わりの始まり”の作品なんです。好きだけど、好きだからこそ、この先に進んで行かなければならないと感じます。だから今は観られません。わたしの根底には、世の中に対する怒りや疑問が今もあり続けているんです。でもいつか、そういう感情を自分できっちり受け入れて、また『ゴーストワールド』を観返し、高校生の頃の感情をなつかしく思い出せるときが来るんだと思います。以前好きだった映画と出会い直すよさも充分あると思うので、観返す日を楽しみに、この1本は大事にDVD棚にしまっておきます」
社会に対してどういう態度をとるべきかを自分なりに考えるうち、似た価値観の人同士の濃密でクローズドな関係性から、より多様な価値観の人たちが関わるパブリックな関係性へと、自分の興味が移ってきたと語る河村さん。文藝誌『園』の命名の由来も、この本をあらゆる価値観が集まる、開かれた場にしたいという思いからなのだそうです。
りんご箱でできたこのDVD棚には、そんな河村さんの歴史が詰められているように思いました。
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