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吹き替えの声、チラシデザイン…映画にまつわるすべてを楽しんでいた子ども時代
市川さんは、自身で創作したオリジナルの照明装置を使って、光と影で空間表現を行う特殊照明作家として活動されています。そのアトリエも兼ねているご自宅の玄関先には、銅板のオブジェや椅子が飾られていました。木の枝の奥からは小さなツリーハウスも顔をのぞかせています。まるでお庭の空間自体が、ひとつの創作物のようです。それはお庭だけでありませんでした。なんとお家にも、自身で手を加えているということ。
「建築家の両親が建てた家を、僕が少しずつ改築しています。リビングだった1階部分の床を抜いて、吹き抜けにしました。それは、巨大な僕の作品を地下のアトリエで扱えるように、天井を高くしたかったからなんです。あと、作業中に作品を移動させることができるようクレーンも設置しています。」
市川さんの言うように、橋のような渡り廊下が、床を抜いた場所に設置されていて、その下にはクレーンが取り付けられていました。作品だけではなく、創作のための道具や装置も自分でつくり出してしまうという発明家のような市川さん。アトリエには、たくさんの工具や機材、作品のモチーフとなるミキサー車のミニカーなどが並び、まるで秘密基地のような雰囲気です。
市川さんの作品は、ミキサー車のタンク部分をプラネタリウムに改造したものや、山奥にひっそりと置かれた金属製の大きなドームなど、作品を置いたその場所ごと異空間に変化するような、どこか物語を感じる魅力があります。このアトリエも、そんな異空間のようでした。
市川さんのDVD棚は、そんなアトリエを見下ろすように位置する、1階のワークスペースにあります。部屋の両側の天井付近にある棚には、ブリキのロボットのおもちゃや映画に登場する車のフィギアなどと一緒に、隅々までぎっしりとDVDがつまっていました。よく見ると、ホラー映画の金字塔『エクソシスト』(1973年)の隣に、松本清張の推理小説を原作とした『砂の器』(1974年)が並んでいたり、神秘的な映像詩で綴る『ざくろの色』(1971年)の隣にSF映画『ターミネーター3』(2003年)が並んでいたりと、多岐に渡ったジャンルの映画がランダムに並べられているのがわかります。
「両親が映画好きだったこともあって、子どもの頃から映画館によく行っていたし、テレビで放送されている日曜洋画劇場などもたくさん観ていました。声優さんの吹き替えで観る洋画が大好きだったんですよね。『空中大脱走』(1973年)とか『人類SOS!』(1962年)みたいなアクション映画やSF映画が、今でも思い出に残っています。そういう、テレビで何度も放送されていたような作品は、ネットでも配信されないし、レンタルに出てくることも少ないんです。だからDVDで出たら買って、手元に置きたいという思いがありますね。」
中学・高校時代も、毎週のように映画館に通っていたという市川さん。「こんなのばっかり集めていたんだよね。すごい量でしょう?」と、映画のチラシをきれいに収納した“お宝ファイル”も見せてくれました。なんと、ご両親も映画のチラシを収集していて、そのチラシをファイリングしたものも残しているというから驚きです。
映画雑誌で上映情報を入手し、前売りチケットを買って、それを手元に置きながら映画館に行く日を楽しみに待つ。映画館で観た後はパンフレットを買い、近日公開作品のチラシをもらって帰る。そんな一連の楽しみが、当時の映画体験にはあったと市川さんは語ります。チラシのコレクションを眺めていると、上映を待ち焦がれていた市川さんの想いが伝わってくるようです。
「スポーツもせずに映画ばかり観ている、『桐島、部活やめるってよ』(2012年)の主人公みたいな学生時代でしたね。あの頃は、近所の自由が丘にも映画館が4館くらいあったから、映画好きの友だちとよく通っていたな。『ROADSHOW』や『SCREEN』などの映画雑誌も愛読していたし、映画のチラシの大全集も暗記するくらい読んでいたので、頭の中が映画の知識でパンパンでしたね(笑)。」
皆で映画を観て、語り合う。それが創作のパワーになりヒントとなる
そんな学生時代の中で、思い入れが強い作品はありますか?と尋ねてみると、市川さんは椅子の上に立ち、棚からひとつのDVDを出してくれました。
「『フレッシュ・ゴードン』(1974年)というアメリカ映画かな。これは中学時代に渋谷の映画館まで、友だち皆と観に行った思い出があります。1978年に日本でも上映されたんだよね。何で皆んなで観に行ったかといえば、この映画は、スペースオペラの名作『フラッシュ・ゴードン』(1936年)をパロディ化したポルノ映画なんです(笑)。だから友だちの中で話題になってね。でも、特撮とかモンスターの造形にすごく凝っていて、本当に面白いんですよ。実はこの映画に出てきた宇宙船の造形が、大学時代に創った『ドームのないプラネタリウム』という僕の作品に影響しているんです。美大に入ったけど何を創っていいのかわからない、という人も周りには多かったけど、僕は入った当初からこれを創ろうと決めていたんですよ。」
学生時代も映画から多くのインスピレーションをもらい、創作活動をしていた市川さん。高校の文化祭では、映画好きの友だちと演劇を企画し、オリジナルの脚本も書いたそうです。
「『カッコーの巣の上で』(1975年)みたいに、人間の尊厳や自由をテーマにしたような話でしたね。今思うと、高校生が書くような内容じゃないけど(笑)。そうやって、同じ映画マニアの仲間とワイワイ話すのが楽しかったし、今も昔もそういう時間がすごく好きなんです。」
映画について語り合うことで、新しい創作のインスピレーションが生まれることもあると、市川さんは言います。そして、そんな時間をつくりだすひとつのきっかけが、DVD棚でもあるそうです。
「人の家に遊びに行くと、本棚やDVD棚って気になりますよね? ここに来た人たちとも、棚を眺めながら映画の話をすることもあるんです。美術大学で僕が非常勤講師をやっていた頃、年末に帰省しなかった何人かの学生たちが家に来て、映画を観たことがあったんです。アトリエに雑魚寝しながら、一人ずつ好きなDVDを選んで、それを皆で観るっていう。あれは本当に楽しかったですね。ああいう時間から、創作のヒントを得るんですよ。」
思わずジャケ買いした映画から、作品の魅せ方を学んだ
この日、アトリエの外には『マジカル・ミキサー』という市川さんの作品が置かれていました。この作品は、ミキサー車のタンク部分をプラネタリウムに改造して創られています。市川さんは、ミキサー車の「タンクという変わった形のものを車に乗せているのに公道を走ることができる」かつ「タンク部分は回転させることができる」というところに惹かれ、作品のモチーフに使い始めたそうです。日常の中に突然現れた巨大な作品と向き合っていると、まるで遠い宇宙からやってきた未知の物体と向き合っているような、SF映画の中に入り込んでしまったような感覚になります。
市川さんの作品は巨大なものが多いため、展示に向けたプレゼンテーションや告知用のチラシでは、屋外に作品を移動してビデオやスチール撮影をすることがほとんどです。そんな作品の魅せ方にも、映画からの影響が強く出ていると言います。
「一番影響を受けたのは、『フィツカラルド』(1982年)という映画。これは、パッケージの写真に目を奪われて、思わずジャケ買いしたDVDでした。巨大な蒸気船を人力で山の頂上まで運ぶシーンは、その熱量にただただ圧倒されたんだけど、僕は霧の中で男が蒸気船を見上る、このDVDのパッケージの写真がとにかく好きで。それを見て、霧が立ち込める演出はそこに置かれた物を大きく見せることができるんだな、と学んだんです。」
この魅せ方を自分の作品でもやってみたい、そんなアイデアを抱いていた頃、『ドームのないプラネタリウム』という作品を展示する中で、奇跡のような偶然が起きました。
「通っていた大学の近くの公園で野外展をやっていたんだけど、ちょうどその日の夜に東京中が濃い霧に包まれたんです。『これは、今しかない!』と思ってカメラ持って撮影に行きましたね。人工の霧じゃなくて、自然の霧の中で撮影できたんですから、運が良かった。よっぽど嬉しかったんでしょうね。今でも、興奮しながら撮影した時のことを、よく覚えています。」
ルーツを探りながら観ることで、映画表現を切り開いていった人を辿りたい
数年前まで“彫刻家”という肩書きで活動をしていた市川さんですが、“特殊照明作家”に変えたところ、他のクリエイターとのコラボレーションの仕事が一気に増え、30倍忙しくなったと市川さんは話します。
「彫刻家として活動していた時に、僕の作品の類似作が出てきたことがあって。その時に、僕がいくら主張しても誰も耳を貸してくれなかったんです。いろいろ葛藤があった末に『もう彫刻はやめよう。心機一転しよう』と50代になってから肩書を特殊照明家に変えました。そうしたら、これまでとはまた違う人とのつながりが生まれて、去年なんて50組の人とコラボレーションすることができたんです。今は人と一緒に創作することを楽しんでいます。最近は、知り合いのインダストリアルメタルバンドのお抱え照明師でもあるんです(笑)。」
ライブの空間を演出することについて、市川さんは笑いながら「ちょっと映画監督みたいな気分になるんです」と話します。DVDの棚を眺め、好きな映画のタイトルを見つけるたびに、作品のエピソードやストーリー、主人公の佇まい、監督の言葉などが市川さんから次々と飛び出してきます。
「この監督はどの映画の影響を受けているんだろうとか、この分野の映画を最初に切り開いたのは誰なんだろうとか、ルーツを探りながら映画を観ていくのも好きなんです。たとえば、僕は山田洋次監督の『馬鹿シリーズ』の中でも『馬鹿が戦車(タンク)でやって来る』(1964年)が一番好きなんだけど、この作中の主人公が田園風景の中で病院を目指して小型戦車を走らせるシーンと、『となりのトトロ』(1988年)でネコバスが迷子のメイを探して走るシーンがすごく似ているんですよ。同じ昭和30年代の日本が舞台ということもあるし、宮崎監督は影響を受けているんじゃないかなぁって思っているんです。」
エンターテイメントとして映画を楽しみながら、つくり手の表現方法も探っている市川さん。映画の常に表現が進化している側面だけでなく、多くの人が関わり、膨大なエネルギーの集まりによって作品が完成していく、そんな映画の持つ熱量にも惹かれると言います。
「いい映画が出来る時って、いくつもの奇跡が起こるんだよね。その時代の空気とか、集まった人のパワーとかも含めて、その映画になる。それは、ただの秀作とは違うんだよ。自分の作品について考えた時も同じように思うし、人と一緒に組むようになってから尚更そのことを強く感じるようになりましたね。」
自身が変化することにより、また映画の違う側面を感じ取り、その度ごとに創作に反映している市川さん。その姿を見て、子供の頃から変わらず息づく市川さんの確かな映画愛を感じとることができました。これからも、その映画愛によって、市川さんの作品はどんどん進化していくのだろうと思うと、新しい作品を見るのが今から楽しみです。
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