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ピカソら画集と並べられているDVDたち
美術館や全国の百貨店などでの個展はもちろん絵本の出版や、アートイベントでのワークショップなど、活動の幅も多岐にわたる蟹江さんのアトリエは東京の東側、とある下町の駅にあります。駅を降り、花屋や魚屋などが並ぶ昔ながらの商店街を抜けると、住宅街の一角に“直角犬”(蟹江さんがサインでも使用されている犬のモチーフ)が描かれた建物が見えてきました。このアトリエは蟹江さんの事務所を兼ねています。
「母の実家が東京の東側だったということもあって、下町が好きなんです。それに、いつもこの作業着姿で外を歩くので、おしゃれな若者が多いような都心には住めないですね(笑) 。あとここは、もともと電気屋さんだった建物なので、家電を置くための地下室が設けられているんです。」
地下室への階段を降りると、ひんやりとした白い空間に版画用のプレス機が置かれていました。版画家として活動されている蟹江杏さん作品は、金属やプラスチックの板に、ニードルと呼ばれる鉄の針でひっかくように絵をつけていく「ドライポイント」という技法で描かれています。この技法は、印刷すると刻線の溝にやわらかいインクのにじみが生まれるのが特徴で、それがどこかファンタジックな味わいになり、蟹江さんの独特な世界観をつくりあげています。版画のプレス機はとても重く、大きなものだと600kgもあるため、床がコンクリートでないと設置できないなど、アトリエ探しには苦労したそうです。
登下校する小学生や豆腐屋さんの声など、生活音が響くアトリエ1階の事務所の本棚に、DVDは置かれていました。棚に使われている木の板は、蟹江さんが前に版画で使用したもの。よく見ると、削ったりこすったりした跡がわかります。ゴヤやピカソの画集、陶器や木彫りの置物などと一緒にDVDも並ぶその光景は、まるで蟹江さんの作品の創作へとつながる、発想の源を見ているようです。
「実は、映画はVHSでもたくさん持っていて、もっと自宅にあるんです。ここに置いているDVDは、作品としても好きだけど、発想のヒントをもらったり、資料としてもよく観たりしているものが多いですね」
学生時代は映像科に通い、また版画家としての活動と並行して舞台美術の仕事も担ってきたという蟹江さん。その背景には、俳優である叔父さんの存在があったといいます。
「叔父は、鶴田忍という俳優です。『釣りバカ日誌』シリーズでは、三國連太郎さん演じる“スーさん”が経営していた鈴木建設の常務役を演じたり、山田洋次監督の『虹をつかむ男』シリーズにも出演したりしています。今は70歳を過ぎていますけど、現役として舞台を中心にいろいろ活躍していますね。叔父は“俳優座”の16期生なので、私は小さい頃からいつも、叔父の周りにいる俳優さんたちに遊んでもらっていました。皆さんすごく情熱を持った人たちで、お酒を呑んだりすると、“映画とは…”とか“いい役者とは…”と激論を交わすことが多くて。子どもながらに何となく、それを隣で聞いていたんです」
そんな叔父さんの存在を通して、映画や舞台という華やかな世界を垣間見ていた子ども時代。一方で、仕事としてその世界に居続けるための厳しさも、その姿から学んでいたといいます。
「俳優業って、世間からは派手に見えるかもしれないですけど、ストイックに自分と向き合い続けなくてはいけない職業なんだなと感じていました。叔父は今でも毎日身体を鍛えていて、自分に厳しいというか、仕事に対して本当に真摯に向き合っていると思います。そういう大変さを知っているからこそ、私が舞台や映画関係に進みたいと学生時代に話した時、叔父はすごく反対しました。今わたしは絵描きとして活動しているので、なんだか安心しているみたいですけど(笑)。私が映画や舞台にのめり込んだのは、叔父の影響が強いですね」
建物も美術も衣装も、すべて挑戦的で美しい。
その色彩感覚に衝撃を受けた、特別な作品
現在は版画家としての活動がメインになっていますが、美術学校に通っていた頃は彫刻家の助手を担っていたこともあるそうです。そして、山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズにまつわる、こんなエピソードも教えてくれました。
「柴又駅前広場にある寅さんの銅像が手に持っているトランクは、私がつくったものなんです。当時、あの像を制作した吉田穂積先生の助手を務めていたので、その関係からお手伝いさせていただきました」
8年ほど前までは舞台美術の仕事も手掛けていた蟹江さん。大道具や小道具に、使い古された様な細工を施していく“汚し”という作業、舞台セットの設計図製作、衣装デザインなど、舞台美術にまつわる一通りの仕事を行っていたといいます。
自分ひとりで世界をつくりあげる“版画”と、演出家のもとチームで世界をつくりあげていく“舞台美術”。そのどちらにも影響を与えた、蟹江さんにとって特別な映画があるといいます。
「黒澤明監督の『どですかでん』(1970年)です。黒澤監督の映画は、創作の勉強のためにたくさん観ていました。その中でも特に好きで、自身の舞台美術の仕事や版画作品の色味に、一番影響を与えた作品がこの映画です。黒澤監督が初めて挑んだカラー作品ということもあって、色彩にすごくこだわっています。建物も美術も衣装も、すべて挑戦的で美しい。「絵描き」についても、“自分の内側から出てくる若い頃の色彩感覚の方がきれいで、年を重ねると色をつくり出してしまう”とよく言われますけど、まさにそれを体現した作品で、この年齢の黒澤監督だからこそ生まれた色彩だと思います」
それまで白黒映画にこだわってきた黒澤明監督が挑んだ、初めてのカラー作品は、地面やセットにできる影にも自らペンキを塗るなど、自由で大胆な色彩がスクリーンに溢れています。その色彩感覚には、蟹江さんが初めてこの映画に出会った頃と変わらない凄みを、今観ても感じるそう。
「映画を、純粋にエンターテイメントとして楽しんでいたのは、学生時代までだったような気がします。版画や舞台美術の仕事を始めてからは、ヒントを探すような感覚でも映画を観るようになりました」
映画でも美術でも描かれ続ける
“少女”という永遠のテーマ。
「バレエダンサーのように踊る少女」「星空に手をのばす女性」など、蟹江さんの版画作品には、さまざまな年齢の女性が多く描かれています。微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも映るその表情の奥に、鑑賞する人たちは自分なりの物語を思い描くことができるでしょう。そんな蟹江さんの描く女性のモチーフにも、映画からのインスピレーションが用いられていました。
「私は作品で女の子を描くことが多いので、映画を観ていても無意識に少女に注目してしまうことが多いのですが、その中でも“冒険する少女”が出てくるストーリーが好きなんです。『ロスト・チルドレン』(1995年)は大好きな作品で、ちょっとアンティークなSFの世界観もいいし、身体は大きいけど心優しくてピュアな男性と、幼いけど精神的に成熟した少女、という組み合わせもいいですね。他にも、女性が描かれた映画としては、『17歳のカルテ』(2000年)も好きです。主人公の二人が抱える闇みたいなものは、女性なら誰もが持っている気がするし。葛藤を抱え揺れる世代である “10代の女性”というのは、映画でも美術でも永遠の題材のひとつなんでしょうね」
そして、「この本には、そんな映画の影響がたくさん反映されています」と、本棚から見せてくれたのは、蟹江さんが『不思議の国のアリス』の世界観を描き、そこに“アリス研究家”である桑原茂夫さんの文章が重ねられた『あんずのアリスBOOK』という一冊でした。
「ディズニーのアリスに引っ張られないようにかなり意識しました。どこかドライでちょっとだけグロテスク、という世界観を出したかったんです。本来の自分の中にある要素ではなかったんですけど、ある程度コントロールして出さないとアリスの世界は描けないなと思って。そのあたりのインスピレーションは、『ロスト・チルドレン』とか『ブリキの太鼓』(1979年)からもらっています。生理的に強烈な演出が多い『ブリキの太鼓』には、精神を病んでしまったお母さんがニシンを生で食べるシーンがあるんですけど、私はあのシーンを観て一時期ニシンが食べられなくなりました(笑)。でも、色彩や美術が素晴らしく、かつ毒のあるファンタジーな世界観が唯一無二に感じて、そういう部分で影響を受けていますね」
他にも、ウェス・アンダーソン監督の出世作『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2002年)からは、“洗練されすぎない計算された脱力感”を参考にするなど、棚に並ぶDVDは、これまで蟹江さんが携わってきた仕事や作品にさまざまな角度からインスピレーションを与えてきた映画だということがわかりました。
感傷でも自己実現でもない。
“今だからこそ、表現すべきもの”を目指す
現在、版画と並行して蟹江さんのもうひとつの軸となっているのが、東日本大震災以降行っている、全国の子どもたちとアートをつなぐ「NPO法人3.11こども文庫」という活動です。蟹江さんはその理事長として、被災地の子どもたちに絵本や画材を届け、様々な分野のアーティストを派遣し子どもたちがアートに触れるワークショップを開催する活動などを行なっています。
「ある企業の文化事業部の依頼で、子どもたちに向けたライブペインティングを10年くらい続けていた中、2011年に東日本大震災が起こりました。いろいろな想いが私に沸き、ボランティアとして初めて福島の避難所に自分から絵を描きに行ったんです。でも、子どもたちは別に絵なんて描きたくないんですよね。本当は外で走り回ったり、サッカーをしたりしたい。そんな思いを感じた帰り際に、子どもたちから『来週も来てくれるの?』と言われて。こういう状況では“一緒にいること”がまずは必要なんだと思ったんです。“絵を描く”ことが目的ではなく、“一緒にいること”に結びつく糸が、私の場合“絵を描く”というだけ。だから、それを使って子どもたちと過ごす時間を増やそうと。その想いで、今もこの活動を続けているんです」
大きい紙を準備し、手首ではなく身体を使って描くパフォーマンスが、蟹江さんのライブペインティングで得意とするところ。最初は乗り気でなかった子どもたちも、室内に閉じこもっていたストレスをここぞとばかりに発散させ、身体を大きく動かして描くようになっていったそうです。 アートは、健康な身体と平和な毎日があってこそ楽しめるものだ、と実感した蟹江さん。そして、そんな経験をしたからこそ、心を打たれるひとつの映画がありました。
「私は映画監督として一番好きな人をあげるならば、エミール・クストリッツァなんですが、その監督作品の中でも特に強い思い入れがあるのが『ライフ・イズ・ミラクル』(2005年)なんです。ボスニア紛争が勃発したことで、平和な世界が崩れてしまう主人公たちを描いた作品なのですが、それはエミール・クストリッツァ自身が『アリゾナ・ドリーム』(1994年)を撮影中にボスニア紛争を経験して、家や父親を失っているんですよね。その時に、自分の国の状況をアートに還元して世界に発信する必要があると感じて、『アンダーグラウンド』(1996年)や、この『ライフ・イズ・ミラクル』を撮ったそうなんです」
苦しい状況下にあっても、日々をたくましく生きる主人公たち。感傷的にはならず、音楽や映像が持つ圧倒的なエネルギーとユーモアで魅せるこの作品が、蟹江さんが表現として目指す、ひとつのかたちなのだといいます。
「自己実現みたいな作品はたくさんありますけど、この映画は、どうして“いま”つくらなくてはいけなかったのかが、はっきりとわかる作品だと思います。この国の、この時代を生きた監督だからこそ、創造することができた映画だなと。ユーゴの国が抱える内情を、押し付けることなく世界に向けて表現されていて、誰が観ても嫌な気持ちじゃなく楽しむことができる。この映画が持つ力や、作品としての役割が、自分の目指すべきところだなと思っています」
色彩や世界観の閃きを刺激する存在として、自分が目指すべき表現のかたちとして、影響を与えてきたいくつもの映画たち。そんな映画に、近い将来自分も携わってみたいと、蟹江さんは最後に話してくれました。蟹江さんの描く世界が映像になって動き出したら、それはどんな作品になるのでしょうか。
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