目次
書の仕事場にDVD棚。
映画の題字が参考資料となる
「家にはもっとたくさんDVDがあるんですけど、このオフィスに置いているのは、特に思い入れの強い映画が多いです」
そう紹介してくれたDVD棚は、書道教室も行っているという和室の空間を抜けた奥の、前田さんの事務所内にありました。
見慣れたサイズの筆から、人の顔ほどもある大きな筆など、様々な種類の筆が壁にかけられた部屋。その横に置かれた棚には、書家たちの作品集や資料本、プレゼンテーションクリエイターである前田さんの著書などが並び、その一番上にDVDが並んでいます。
「書道教室の生徒さんたちが帰って、深夜ここで一人になった時、この棚からDVDを選んで、パソコンで映画を観るのが僕にとって何よりの贅沢な時間なんです。その時、映画は没頭して楽しむこともあるけど、大抵は客観的に、仕事の参考として観ることが多いですね」
タイトルを眺めてみると、ミュージカルやアニメーション、日本の歴史を描いた作品やドキュメンタリーなど、幅広い分野の映画が並んでいます。同時に、筆で書かれたタイトルのDVDが多いことにも気づきます。
書家として、商品ブランドのロゴや、企業理念など、その作品や仕事に込められた“人々の念い(おもい)を文字にする“という依頼も多いため、映画のタイトルを見ることはとても勉強になるのだと、前田さんは言います。
「もともと歴史ものが好きなんですけど、更に、その作品の顔でもあるタイトルを筆で書くとなると、どうやって表現するのかなというのは意識して見ます。自分の仕事の参考にもしますし、憧れとして、いつか映画のタイトルも書いてみたいですね」
映画を観て、
見る人の心をどう震わせるかを研究した
筆をつかってお手本通りに文字を書くことを「習字」と言いますが、これに対し、文字に念いを込め、筆と紙をつかって自己を表現することを「書道」あるいは「書」と言います。5歳から書を始めたという前田さんは、書の作品制作やライブパフォーマンス、書をつかったテレビ番組のロゴ制作など、様々な作品を制作しています。その他にも、全国15ヶ所に書道教室「継未-TUGUMI-」を開くなど、“筆で念いを書く”ことの大切さも伝え続けています。
「5歳から書道を習っていて、生活の中で字を書いている時間が圧倒的に多かった僕の日常ですが、その中でも映画鑑賞の時間は、外国の街並みや生活、食などの文化を知ることができる豊かな時間でした。子どもが勝手にテレビを見ちゃいけないという厳しい家だったので、見てもいいテレビ番組が決まっていたんです。それは、親父が好きな野球と、毎週水曜と金曜にやっていたロードショーでした。『刑事コロンボ』シリーズとか、『スター・ウォーズ』(1977)をよく観ましたね。夜、母親の仕事を手伝っていた時にテレビで一緒に観た『ローマの休日』(1954)のこともよく覚えています。オードーリー・ヘプバーンを観て綺麗な女の人だなと感動したり、イタリアのローマに行ってみたいなと憧れたりしていましたね」
中学や高校になると、友だちと映画館に行くようになりました。さらに大学で上京した前田さんは、ビデオデッキが内蔵されたテレビを買い、家でもたくさんの映画を観るようになったと言います。そして当時、自分の中で強烈に記憶に残っている作品として、あるアニメーション作品のDVDを棚から出してくれました。
「庵野秀明初監督作品の、『トップをねらえ!』(1989)です。人類が宇宙に進出するようになった時代に、宇宙怪獣と呼ばれる敵と対峙するストーリーのSFロボットアニメーション。このDVDは劇場版ですけど、もとは大学の時にバイト先の先輩に薦められてビデオテープを買った、全6話のOVAが最初でした。アニメーションの映画は、『風の谷のナウシカ』(1984)から好きになって、中学や高校でも観ていましたけど、この『トップをねらえ!』は、時間の流れやストーリーの構成がすごくロジカルに出来ていて、どんどん引きこまれていったんです。最終話だけ全編モノクロで描かれているというのも、書家としてはぐっとくるものがありました。最後に白と黒だけで表現するというのも、かなり挑戦的ですよね」
この映画は、エンターテイメントとして純粋に楽しむだけではなく、ストーリーの構成や演出の個性など、作り手側の存在を強く意識させられたと前田さんは言います。それは、5歳から続けてきた書道と前田さんの関わり方が、大学時代に変化してきたこととも、大きく関係していました。
「それまでは、先生のお手本をきれいに再現することしかやってきませんでした。それが大学生になって、“自分で好きに作品を書いていい”という環境になったんです。その時初めて『みんなは、どんな線で、どんな抑揚で作品を書いているんだろう』と気になりました。その時、僕が参考にしたのが、映画だったんです。映画を観ていると、悲しくなって泣いたり、怒りを覚えたり、感情が引き込れていきますよね。そうやって観る人の心を震わせるためには、どうしたらいいんだろう?という視点で、鑑賞していました。この頃から、映画を客観的に観るようにもなりました」
2時間の講演を飽きさせないための秘訣は
『ルパン三世 カリオストロの城』にあり
書を通した活動の一方で、“プレゼンテーションクリエイター”という肩書も持っている前田さん。阪神淡路大震災を経験から「つながる」ことの重要性を実感し、携帯通信会社に入社。その後、孫正義氏の後継者を育成するという名目で始まった、ソフトバンクアカデミアの第一期生として在籍し、初年度首席の成績を収めた前田さんは、孫正義氏のプレゼン資料作成なども担当していました。独立後は、そこで培った実績を活かし、様々な企業に出向いて、プレゼンテーションスキルについての研修や講演会を行っています。
「自分の念いを相手に伝えるためには、観る人の感情をどのように動かしたらいいのか。」映画を参考にして培われたというその視点は、前田さんのもうひとつの活動である“プレゼンテーションクリエイター”の仕事にも同じように活きていると言います。
「僕は2時間の講演をよく依頼されるのですが、それは映画とほぼ同じ長さですよね。人の集中力は15分間の積み重ねだとよく言われます。講演を2時間続けて、飽きることなく最後まで聞いてもらうためには、強弱のつけ方や間のとり方をどうしたらいいのか、ということをよく考えるんです」
情報量の密度も濃く満足感がありながらも、スピード感を損なうことなく最初から最後まで一気に駆け抜けていく。そんなプレゼンテーションを目指す時、前田さんはいつも思い出す1本の映画があるそうです。「多分、人生で一番多く観ていると思います」と言って棚から出してくれたのは、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)でした。
「何回観ても、スピード感がすごいなと思うんです。オープニングの巨大カジノを出るシーンから、一度も途切れることなく見せ場の連続で、“盛り上がり”が継続している。夜の静かなシーンも途中挟み込まれ、強弱がしっかりつけられているのもあって、あっという間のスピード感で映画が終わってしまうんです。それでいて、半日くらい映画の中の世界に自分がいたような満足感と余韻がある。いつ観ても、僕がプレゼンテーションで理想とするかたちはこれだな、と勉強になります。巨大なものに立ち向かっていくルパンの姿にも、シンパシーを覚える部分があって。ソフトバンクアカデミアにいた頃、孫さんの前でプレゼンをする時はいつも、僕は5分間で60枚くらいのスライドを使っていたんですけど、その時の情報量やスピード感は、この映画からの影響もあると思います」
ソフトバンクに在籍している間も、書を書き続けていた前田さん。最新テクノロジーの世界で活躍しながら、日本に古くから継承されてきた伝統文化にも身をおく。そんな自分自身に重ねあわせた、思い入れのある映画もあるといいます。
「細田守監督はどれも観ていますが、僕がソフトバンクで働いていた時期に公開された『サマーウォーズ』(2009)は特に思い入れがあります。この作品はテクノロジーの世界を描きながらも、勝負の場面では花札を使っていたり、長い歴史を持つ家族のドラマが丁寧に描かれていたり、ベースはとても日本的なんです。これからの未来を提示しつつも、人のつながりや温度が感じられる。そのバランスが絶妙で、IT業界で働きながら和の文化にも身を置いている、自身の姿ともすごく重なって見える部分がありました」
ネガティブな表現の伝え方を
映画の“悲しみの見せ方”に学ぶ
そんな忙しい日々を送る前田さんですが、実は昔から映画が大好きとのこと。今でも、月に何度かは欠かさず映画館に通っているそうです。それは、書家としても、プレゼンテーションクリエイターとしても、映画からの影響を多く受けとることができるから。それは論理的な部分だけではなく、表現者として、“感情をどうコントロールするか”という面においても、魅せられることがあるそうです。
特に衝撃を受けた作品として棚から出してくれたのは、アイスランドの歌手・ビョークの主演で話題となったミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2009)でした。
「ビョークの音楽がもともと好きだったこともあり、この映画を観たんですけど…本当に悲しい映画ですよね。ビョーク演じる主人公に“なんでこんな酷いことするんだ!”と思わせるような登場人物ばかり出てくるし、視力を失っていく主人公の境遇もあまりにも辛い。でも、その悲しさの中で、主人公やダンサーたちが歌ったり踊ったりして魅せていく空想シーンが素晴らしくて、現実とのギャップも相まって心に残るんです。悲しみの見せ方、という意味でも印象に残った作品ですね」
前田さんは普段、書を書く際、ネガティブな言葉は書家として選ばないようにしていると言います。それは、書道で書く文字が、英語のような音を表した“表音文字”ではなく、ひとつひとつの文字に意味がある“表意文字”である、という書道ならでは表現方法に理由がありました。
「言霊じゃないですけど、たとえば“呪い”とか“大嫌い”と書いたら、その書が嫌な感情に支配されてしまう。でも、書かなくてはいけない場面もある。そんな時は、言葉が持つそのままの意味を伝えるんじゃなくて“なぜ、そういう念いになったのか”“何がそうさせたのか”、という周辺の感情まで書として滲ませたいんです。例えば、自分が負の感情に支配されている時、その高ぶった主観のままに書いたら紙が墨で真っ黒になってしまうところを、意識的に感情を抑えて余白を残すことで、その言葉の背景にある念いまでが伝わるようにもなる。そういう“喜怒哀楽の感情”をどうコントロールして表現するのか、という方法も映画から学ぶことが多いです。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の空想シーンには、気持ちよさそうに歌う主人公の姿が描かれている。その姿が現実とギャップがあればあるほど、かえって心に刺さる。そういう表現を観るのは、自分の表現の引き出しを増やすことにもなるなと感じています」
依頼された言葉を揮毫する(毛筆で言葉や文章を書く)時、前田さんが大切にしているのは“上手に書く”ことではなく“念いを刻む”ことだと言います。JAXAの宇宙ステーション補給機『こうのとり』を揮毫した時には、無事にロケットが打ち上がってほしいという関係者の願いを刻むため、“り”という文字を本来の書き順とは変えて、下から上へと筆を滑らせました。
そんな前田さんの書家としての考え方には、あるドキュメンタリー映画の存在が関係していました。
「書家という立場からよく観ている映画は、『大きな井上有一』というドキュメンタリーですね。井上有一(1916—1985)は有名な書家です。このDVDの表紙には、彼が東京大空襲を体験した時の悲しみや怒りを書いた『噫横川国民学校』という有名な作品が載っています。彼が、空襲から50年経った頃に書いた作品なんですが、50年という歳月が経った後でも、筆に念いがこんなに刻まれている。もし戦後すぐに書いていたら、真っ黒で何も読めない作品になっていたのでないでしょうか。彼は作品にすごく感情を込める人で、書きながら“うあぁぁ”とか唸ったりするのですが、その姿もこの映画には収められています。“書は念いを刻むもの”、それを教わった作品のひとつが『大きな井上有一』なんです」
書道教室でも、いつも“書は、自分の念いを伝える手紙のようなものだ”と、前田さんは伝えるそうです。昔から残されてきた空海などの著名な書の作品も、誰かが誰かに宛てた手紙であることが多いそうです。映画も、作り手が自分の念いを込めた手紙のようなものかもしれません。このDVD棚に並んでいるのは、その念いを前田さんが受け取った作品たちであり、ここからまた、前田さんの筆を通して刻まれた念いが、手紙のように誰かのもとに届くのでしょう。
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