目次
若くして療養中だった5年間
映画を観ることが支えだった
田園都市線沿い、童話に出てくるような可愛らしい名前の駅で下り、道幅の広いゆったりとした住宅街を歩いていくと、家庭菜園が広がる大きな庭を持つ一軒家が見えてきます。「おじゃまします」と扉を開けてまず目についたのは、色とりどりのカプセルが入ったガチャガチャマシンや、動物や人の形をした愉快な置物たち。楽しげな玄関の奥には、たくさんの絵本が棚に並べられています。
今回ご紹介するのは、絵本作家・中垣ゆたかさんのDVD棚。棚があるという仕事部屋の机には、色鉛筆やマーカーなどたくさんの道具、そして壁側に置かれた大きな棚には、本や画集などたくさんの資料と一緒に、DVDがぎっしりと詰まっています。並んでいるのは、SFやアクション、カンフーやアニメーション、ヒューマンドラマやコメディなど、ジャンルを問わない映画の数々。
その幅広いラインナップに惹きつけられていると、中垣さんと一緒にこの部屋を案内してくれた娘のめいちゃんが、「この前、『もののけ姫』(1997)を観たんだよ―。今は『SING/シング』(2016)が大好き!」と、お父さんに抱っこされながら、棚を指さして教えてくれました。「最近、少しずつ一緒に映画が観れるようになってきたので楽しいんです」と中垣さんも嬉しそう。
「僕も子どもの頃は、家族と一緒によく映画を観ていました。母親が映画好きだったので、一緒にレンタルショップに行ってビデオを借りたり。『ゴーストバスターズ』(1984)とか『グーニーズ』(1985)とか、その頃に観た映画が大人になった今でもすごく好きで、結局、他の映画は敵わないんです。あと昔は、毎晩のようにどこかのチャンネルで洋画を放送していたんですよね。淀川長治さんの『日曜洋画劇場』や、水野晴郎さんの『金曜ロードショー』のような番組があった時代。高校生の頃は学校が嫌いだったので余計、家に帰って夜寝る前に、洋画を観るのが楽しみだったんです」
当時夢中になってた映画のひとつが、お兄さんと一緒に観ては修行の真似をしていたカンフー映画。今でも定期的に見返しているという、ジャッキー・チェン初監督作品『クレージー・モンキー 笑拳』(1980)の吹替版が入ったDVDを手に取りながら、「ジャッキーの声の吹き替えをしていた声優の石丸博也さんのファンで、実はお会いしたこともあるんです」と嬉しそうに教えてくれました。
同じカンフースターでも、完全無欠なブルース・リーよりも断然、茶目っ気のあるジャッキーが好きだと言う中垣さん。他にも、『男はつらいよ』シリーズの寅さんや、『モダン・タイムス』(1936)のチャップリンなど、優しくてユーモアもあり、とにかく人間味のある主人公たちに惹かれていたそうです。
子ども時代から、映画を観ることが大好きだった中垣さんですが、大学生の頃、あるひとつの転機が訪れます。突然原因不明の病に倒れ、5年もの間、実家で療養することになったのです。その時の中垣さんを支えたのも、やはり映画でした。
「病院の先生からは、家にずっと籠もるよりも、なるべく外を出歩くようにと言われていました。でも、気分転換に散歩という気分にもなれない。そんな時、近所のTSUTAYAに映画のビデオを借りに行くためだったら、外に出れるかもしれないと思って、毎日車を運転して行って3本ずつ借りるようにしたんです。観たい映画が貸出中だった時は、別のレンタルショップを何軒もハシゴして。映画を観ることが何よりも楽しかったし、励みになったんです。この頃は、年間で1,000本くらい映画を観ていました」
そして、借りてきた映画を観た後、欠かさずに記入していたという、当時のノートを数冊出してくれました。それは、映画のタイトルごとに5段階評価と感想が書かれた、中垣さんの映画鑑賞の記録。細かい文字でびっしりと埋まったそのノートからは、療養という期間でも塞ぎ込むことなく、映画を通してエンターテイメントや表現に触れ続けた、中垣さんの熱量が感じられます。
5年間の療養期間が終わった28歳の頃、中垣さんは今の仕事につながる、ひとつの決断をします。
「病気で就職という機会を逃してしまったので、今さら一般企業に就職するのは無理だなと思いました。その時ふと、“イラストレーターになろう!”と思いついたんです。落書き程度にしか絵を描いたことがなかったけど、自分の大好きな映画や音楽に関係する雑誌で、絵を描きたいと。そこからは、何とか仕事がもらえるように、著名なイラストレーターの事務所や、映画雑誌や音楽雑誌の編集部に、自分の描いたイラストを何度も持ち込みしていました」
時には、「向いていない」「君の絵は疲れる」など、厳しい言葉が返ってくることもあったと言います。それでも諦めずに何度もトライし続けたのは、5年間という療養期間を経てたどり着いた、“今から始めるのなら、自分の好きなことをやりたい”という強い決意があったからでした。
その後、『キネマ旬報』や『ミュージック・マガジン』など、様々な雑誌でのイラストの仕事を経て、ひょんなことから福音館書店の絵本シリーズ『たくさんのふしぎ』で、表紙から誌面までのイラストを全て担当するという機会に恵まれます。その仕事を転機として、児童書の道へと進むことになった中垣さんは、絵本作家としての活動をスタートさせました。
大胆な構図や個性豊かなキャラクター
映画の記憶が、絵本の中に息づく
人が並んでいる様子を、世界の名所を舞台に何ページにも渡って描いた『ぎょうれつ』、忍者の豆知識を紹介しながら絵を眺める楽しさも詰まった『にんじゃなんにんじゃ』など、大きな一枚の絵の中に、ページの隅々までアイデアが散りばめられた中垣さんの絵本は、子どもだけではなく、大人もつい夢中になってしまう楽しい世界観のものばかりです。
そんな絵本を仕事場で描く時、作業中のBGMとしていつも流しているのは、音楽ではなく映画だと言います。
「ストーリーを考える時はそれだけに集中しますけど、絵を描いたり色塗りをする時はもう作業の段階なので、何か音が欲しくなるんです。でも、音楽だとテンポがあり過ぎて気持ちが持っていかれるので、机の上のパソコンで映画を流しています。さすがに初めて観る映画だと気になってしまうので、何度か観たことのある作品で、ストーリーも構図も頭に入っているものから選びます。その映画のクライマックスシーンはちゃんと観たくて、その時を待ちながら手はペンを動かしている、という感じです」
子ども時代や療養期間、そして現在まで。仕事中にも流すほど映画にどっぷり浸ってきた中垣さんですが、絵本という創作において、映画からインスピレーションを受ける部分はあるのでしょうか?
「映画って、かっこいい構図の宝庫なんです。一枚の絵として成立するくらい視覚的に強い構図がたくさんあるし、“監督はこのシーンを撮りたいがためにこの映画を作ったんじゃないか”と思う時さえある。僕はイラストレーターから絵本の道に進んだこともあって、ストーリーよりも、“この構図が描きたい”というところからスタートすることが多いんです。そういう時は、これまで観てきた映画のシーンから、知らずに影響を受けているかもしれませんね」
上空から俯瞰で見下ろした絵や、パノラマのような横長に広い絵など、中垣さんの絵本には、大胆な構図の場面が多く描かれています。そして、その構図とともに印象的なのは、個性豊かなキャラクターたちが、隙間なくぎっしりと描かれていること。歌っている人や喧嘩をしている人、笑っている人や困っている人など、その表情や仕草を見ているだけでも、とても愉快なのです。
「黒澤明監督の『七人の侍』(1954)のように、日本人の心に刺さるわかりやすいキャラクターや、『スター・ウォーズ』シリーズに出てくる愛嬌のあるキャラクターなど、登場人物の個性の作り方は、映画を参考にしている部分もあります。寅さんやチャップリン、ジャッキー・チェンのように、自分の好きな映画の主人公たちは、どこかいつも頭の中にいますね」
絵本の仕事において、知らないうちに影響を受けていたという映画の存在。とはいえ、仕事へのヒントを得ようとして映画を観たことは一度もないと言います。映画に心躍らせていた子ども時代から、自身の家庭を持つようになった今まで、その観方は変わっていません。
「僕にとって映画は、いつも観客側として向き合っているもので、完全に娯楽なんです。いかに面白いものを観せてもらえるか、という一点につきます。だから他人の批評は知りたくないし、監督や俳優の情報もほとんど調べないし、メイキングやインタビューも観ない。学生の時から映画に助けられた部分はたくさんあって、家庭や子どもを持って仕事をしている今でも、やっぱりその存在は大きいです。僕は音楽や漫画も好きだけど、久しぶりに会った友だちとそういう話はしない。でも“最近何か観た?”と、映画の話はします。主人公に憧れたり、観た後にちょっと自分も強くなった気分になったり、こんなに別世界に連れて行ってくれるエンターテイメントは他にないですよね」
仕事のヒントとして直接は結びつかなくても、映画をたくさん観てきたことや、それに心躍らせてきた記憶が、創作や現実に向き合う自分自身を支えてくれる。そうして進み続けてきた中垣さんが、これからどんな映画と出会い、それを糧にどんな世界を絵本で描いていくのか、楽しみです。
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