目次
VHS所有本数:30本
LD所有本数:30本
家族、友だち、仕事仲間…
大事な関係のそばには、いつも映画があった
好きな作家の小説本や、古本屋で購入したという昔の雑誌などに混ざって棚に置かれた、DVDやVHS…そして何と、今では見かけることがほとんどないLD(レーザーディスク)の姿も。
「両親が映画好きで、実家にはLDやVHSもたくさんありました。今の家にLDの再生機はないので観られないんですが、ジャケットがかっこいいものが多いので、何枚か実家から持ってきたんです。たとえば、この『ネバーエンディング・ストーリー』(1984)のジャケットとか…」
アナログレコードを探るような慣れた手つきで、懐かしのLDを取り出して見せてくれたのは、今回ご紹介するDVD棚の持ち主・松㟢翔平さんです。俳優業を中心に、モデル、リアリティ番組への出演、雑誌編集やコラム執筆など多方面で活躍している松㟢さんは、実は映画評論サイトでも連載を持つほどの、コアな映画ファン。
「家で映画を観るときは、ちゃんと座椅子に座った状態で観るようにしてます。寝っ転がって観ると、途中で寝ちゃいかねないので」
そんな松㟢さんのDVD棚にはどんな映画が並んでいるのでしょう。そして暮らしの中で、どんな風に映画を楽しんでいるのでしょう。オンラインでお話を伺いました。
「ステイホーム期間で、映画の撮影現場が完全に止まってしまって。今モヒカンなのは、その役の名残りです(笑)。家にずっといて時間があるし、夜更かしもできるので、映画はいつも以上に観てますね。この間なんて、“泣ける映画”ってネットで検索したんですよ。僕は映画でほとんど泣かないし、普段なら絶対そんな検索しないんですが、暇過ぎたんでしょうね…。そうしたら『クレヨンしんちゃん』の劇場版シリーズがヒットして、観てみたらおもしろかったので、歴代の作品を辿っているところです」
無闇な外出が憚れる現在は、もっぱら一人で映画を楽しんでいる松㟢さんですが、普段はそうではありません。
「よく友だちとDVDを貸し借りしたり、映画の話をするために集まったりするし、思えば自分の交友関係の周りには、いつも自然と映画があります。最近も、雑誌の仕事で一緒になった年上のスタイリストさんが“これいい映画だから観なよ”と、韓国のホン・サンス監督の『よく知りもしないくせに』(2009)を貸してくれて」
社交的な松㟢さんにとって、映画を介したコミュニケーションは気の合う相手を探るための大切なキーなのでしょう。DVD棚に並ぶ作品も、一人で黙々と集めてきたというよりは、実家から持ってきた分も含め、誰かとの思い出が残る作品が多いといいます。
「『千と千尋の神隠し』(2001)のDVDは、両親からの誕生日プレゼントです。本作の劇場公開中も両親にお願いして、映画館で観に連れて行ってもらった記憶があります。あと黒澤明監督作品『赤ひげ』(1965)のDVDは、亡くなった祖母から譲り受けた形見です。実家の近所にあった祖母の家にはなぜかこの1本だけDVDがあって、遊びに行くとよく祖母と一緒に作品を観ました」
食わず嫌いするジャンルはゼロ。周りからおすすめされた作品も柔軟に取り入れながら、自身の世界を広げてきた松㟢さん。その境界線を作らない映画の観方のルーツは、映画好きのご両親にあるそうです。
「両親は、作品の趣味はお互いに違ったんです。父が好きなのはハリウッド製の大作映画で、母が好きなのは『珈琲時光』(2003)や『パーマネント野ばら』(2010)のようなミニシアター系映画。正反対な趣味の二人だったけど拒絶し合わず、家族共有の棚には二人のDVDやVHSやLDが一緒になって、たくさん並んでいました。家ではいつも誰かが映画を観ていて、気づけばそれを家族全員で観ている、ということはよくあったように思います」
ステイホーム期間中、松㟢さんは「仕事相手とはオンラインミーティングが便利だけど、大事な友だちや家族とはやっぱり顔を合わせて話したい」と実感したといいます。お酒を片手に、仲間内で映画談義ができる日が待ち遠しいそうです。
監督志望から俳優の道へ
憧れの世界が仕事になるまで
映画好きが高じて、俳優業に就いた松㟢さん。幼い頃から今に至るまでに、どんな映画との日々を過ごしてきたのでしょうか。
ご両親が映画好きで、家にVHSやDVDがたくさんあったことは前述のとおりですが、実はそれに加え、実家のすぐ隣にはレンタルビデオショップがあったそう。さらに小学校高学年の頃には、地元駅の近くにシネコンがオープン。ときに家族と、ときに友だちと、毎週のように通っていたといいます。
幼い頃から恵まれた環境で映画を楽しんできた松㟢さんですが、中学生のときに観たある作品との出会いが、映画への向き合い方を一変させました。
「『トイ・ストーリー』(1995)を観たときに、1990年代当時のCG技術に“こんなの今まで観たことない!”と驚いて。初期のCG特有の、実写と3Dの中間のような独特の質感がおもしろいと思ったんです。“どういう人たちがどうやって作ったんだろう”と気になったことから、ピクサーの存在を知りました。それでピクサー作品も色々観るうちに、エンドクレジットに日本人の名前を見つけたんです。当時、炎のCGなどを日本人の方が作っていたみたいです。それで“僕もピクサーに入りたい!”と思いました」
ちなみに『トイ・ストーリー』と同じ理由で、『キャスパー』(1996)や『ジュラシック・パーク』(1993)のCGもお好きだそうで、DVD棚にはVHSが揃っていました。
映画ファンから、作り手の卵に変貌を遂げた松㟢さんは、夢を追うために映像科のある高校へ進学。そこでも貴重な出会いがありました。
「3年間担任だった先生が映画好きな人で、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『フィツカラルド』(1982)やベルナルド・ベルトルッチ監督の『暗殺のオペラ』(1970)など、ヨーロッパ映画をたくさん教えてくれました。高校生という若さで、そんな難解な映画を観ている自分が誇らしかったんですけど、内容は正直よくわからなかった(笑)。20代後半になった最近、自分なりにようやくおもしろさがわかってきたところです」
高校在学中はクレイアニメの自主制作なども行ったそうですが、担任の先生が教えてくれた様々な映画を観るうち、アニメーターへの憧れは次第に「映画監督になりたい」という思いへと変わります。しかし美大の映像科へと進学すると、またもや転機がやってきました。
「入学してからはよく、学生映画の現場にスタッフとして入っていました。担当する役割は持ち回りで変わっていくんですが、実際にやってみると録音機器はうまく使えないし、照明もバチバチに当て過ぎて怒られたり(笑)。でも、俳優として呼ばれる機会は多かったんです。その中で、演じることって楽しいなとだんだん思うようになりました」
それまで夢見てきたアニメーターとも映画監督とも違う、俳優としての映画との関わり方。何事もピンときたらまずは飛び込んでみる、そんな柔軟さを持つ松㟢さんは、俳優の仕事にも楽しさを見出し、大学卒業後も映画・ドラマやミュージックビデオへの出演など、現在も活動の幅を広げています。
ふと好きな俳優を聞いてみると、松㟢さんの口から名前が挙がったのは、コメディに定評があるアダム・サンドラーに、幅広い役を巧みに演じ分けるエドワード・ノートン、そして世代的にはちょっと意外な、石原裕次郎さんでした。
「大学時代、渋谷駅前のTSUTAYAに通っては、昔の日本映画をたくさん観ていた時期があったんですけど、その頃に『狂った果実』(1956)や『嵐を呼ぶ男』(1957)を観て、裕次郎さんを知ったんです。俳優としてという以上に、存在そのものがかっこいい人だな、と衝撃を受けました。無頼な役を演じていることが多いんですけど、裕次郎さん自身の人柄もそうだったのかなって思えるような迫力があって。世間からの評価に左右されるのではなく、自分の考えを基準に行動する人だったんじゃないかなって思います」
他人の目を気にせず、ものごとの判断基準は自分の中に持つ。裕次郎さんの姿に感じたその指針は、松㟢さんにとっていつも身近にあった、映画の楽しみ方に表れています。
「家で映画を観るとき、ネットの動画配信サービスもよく使うんですけど、便利な反面、“自分のもの”だという実感が持てない不安も感じるんです。たとえるなら、人のDVD棚から作品を借りて観ている状態なんじゃないかなって。だからその持ち主が“この作品は置かない”と決めた途端、もう観られなくなる。でも僕は、どの作品を観るかは自分の判断基準で決めたいし、本当に好きな作品は“観たい”と思ったときにいつでも観たれるようにしておきたい。だから、やっぱりDVDは手放せません」
そう言うと、憧れの裕次郎さんの生涯を描いたスペシャルドラマ『弟』(2004)のDVDボックスを、「これもやっぱり友だちから譲ってもらったもので、繰り返し観ています」と、大切そうに見せてくれました。
映画は本来、たった一人でも楽しめるもの。でもあえて殻に閉じこもらずに、仲間と情報交換しながら、世界中の、様々な年代の、多様な映画に触れていく。そんな松㟢さんの軽やかな映画生活は、とても素敵で、充実して見えました。
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- 本や映画という存在を側に置いて、想像を絶やさないようにしたい。