目次
この映画は“彼女そのもの”。
憧れていた友人の記憶を纏ったDVD
仕事場を兼ねた自宅の机に並ぶ、たくさんのDVD。シルヴィ・ギエムや熊川哲也など、バレエダンサーの名前が書かれた背表紙が多く並んでいる中で、『グリーン・デスティニー』(2000)や『君の名前で僕を呼んで』(2017)など海外の作品や、『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』(1986)や『天国にいちばん近い島』(1984)など80年代の日本映画と、幅広いジャンルの映画タイトルが見えます。
「25年くらい前からずっとクラシックバレエ鑑賞が趣味なので、好きなカンパニーから発売されているDVDは大切にしています。映画のDVDも、本当はもっとたくさんあったんですが、だいぶ整理してしまいました。それでもこうして手元に残しているものは、本当に好きな思い入れのある作品ばかりです」
そう話してくれたのは、今回ご紹介するDVD棚の持ち主の編集者でライターの波多野くみさんです。小説や漫画を中心に情報を紹介する文芸誌『ダ・ヴィンチ』編集部に長く勤めてきた波多野さんは、その後書籍編集部を経てフリーランスの編集者・ライターとなり、現在も数々の雑誌・書籍の出版に携わっています。
好きなバレエカンパニーの来日公演に13回連続で通い詰めたり、憧れていた文芸誌の編集を自身の仕事として実現させたりと、「好きな世界はとことん深めたくなる」気質だという波多野さん。そんな波多野さんの人生の中で、いつも傍らにあったという映画を観る時間。それは、どのような時間だったのでしょうか? DVD棚に並ぶ作品を通して、お話を伺いました。
「私はどんな映画が好きなんだろう? と考えてみると、魅力的なキャラクターが出てきて、なおかつロマンスが感じられる作品に惹かれることが多いんです。ロマンスといっても、二人が出会って結ばれてハッピーエンド、という展開のものよりも、お互いに愛はあるんだけど、最後はそれぞれの人生を選んでいくような話が好きなんです。特に好きなのは、『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)という映画で」
『ストリート・オブ・ファイヤー』は、ストリートギャングに誘拐されたかつての恋人を救うため、故郷に帰ってきたヒーローの活躍を描いたアクション映画。“ロックンロールの寓話”という字幕から本編が始まるこの作品には、迫力のライブシーンなど、音楽の演出も含めて熱狂的なファンが今も多くいます。
波多野さんが心を掴まれたのは、再会した二人がもう一度結ばれることなく、またそれぞれ自分の人生を歩んでいくというラストでした。
「主人公は自由を愛する男だし、ヒロインも歌手として成功したいという夢を持っている。だから、最後はそれぞれ別の道を選択するんです。80年代に撮られた作品で、すでにそういう自立した男女の関係性を描いていたという意味でも、とても好きな映画です。たとえ結ばれなくても、人生の中でひととき美しく輝いた瞬間があって、そういう特別な時間を描いた映画にロマンスを感じます」
棚を眺めてみると、『ローマの休日』(1953)や『君の名前で僕を呼んで』など、お互いの人生にとって忘れがたい特別な時間を一緒に過ごしながらも、最後は離ればなれになっていく、ビターエンドな恋愛映画が多いことに気づきます。
人が美しく輝く瞬間を見せてくれる、映画の魅力。それが自分に新しい世界を教えてくれるものであるほど、波多野さんは引き込まれるといいます。
「『ムーンライト』(2016)を観た時は、映画の中に映し出される黒人たちの肌の美しさに息を呑みました。カラーリストと呼ばれる映像の色彩を調整するスペシャリストが、映像加工の段階で特殊なブルーを足したりすることで、月の光の下にいるような、あの美しい肌が生まれたそうなんです。そういう、自分が知らなかった美しさを見せてくれるのも、映画の好きなところですね」
主人公たちの人生の選択や、人が輝く瞬間。映画が描き出す、そうした新しい視点に惹かれ、今も手元に置いているDVDたち。それは、作品そのものとしての魅力だけではなく、映画を観た当時の自分や、作品を教えてくれた相手とのエピソードなど、波多野さんの「記憶」も一緒に纏った大切な存在だといいます。
「形に残る思い出、という意味合いで持っているものも多いです。特に私は、人に勧められて作品を知ることも多いので、教えてくれた相手のことも一緒に憶えています。そういう意味で一番思い入れがあるのは、レオナルド・ディカプリオ主演の『ロミオ&ジュリエット』(1996)です。実は公開時に劇場で観ていたんですが、その時はあまり記憶に残らなくて…でも数年後に、ある友人を通じてもう一度観る機会があり、そこから特別な映画になりました。というのも、その友人が私にとって、すごく大きな存在だったからなんです」
流行やカルチャーに対するアンテナの感度が高かったという、大学時代の友人。その友人を通して、波多野さんは多くの芸術や音楽、映画に出会ったそうです。今や25年来の趣味にもなったクラシックバレエも、その人に紹介されたシルヴィ・ギエムの公演を観たことが始まりでした。
「彼女を通して知った世界があまりにも多かったし、私の憧れでした。彼女は大学を卒業したらすぐに結婚して専業主婦になったので、そのセンスが仕事として社会の中に出ていくことはなかったんですが、一度だけ“あなたがプロデュースするものを観てみたい”と私が言ったことがあったんです。その時に、“この映画はすごく理想に近い”と、『ロミオ&ジュリエット』を教えてくれました。それから、DVDをすぐに入手して。この映画は私にとって“彼女そのもの”という気もするし、彼女の見ている世界が少しわかるような、大切な作品なんです」
こうした人との関わりを通して、映画の世界を広げてきた波多野さん。一昨年は自分の中で“映画を本格的な趣味にする!”と決め、映画館で年間100本鑑賞するという目標を達成。それからも、人に勧められた映画は数多くチャレンジしてきたといいます。
「周囲の映画好きの人たちやSNS上で、同時多発的に盛り上がる映画ってありますよね。『ミッドサマー』(2019)もまさにそうでした。私は怖い作品が苦手なので、いつもだったら自分からは選ばない作品だったんですが、周囲の勧め具合が尋常ではなかったので、観に行きました。映画に限らないのですが、信頼できる人が勧めているものは、新しい世界が広がるチャンスだと思って、できるだけ受け入れるというスタンスでいるんです。昨年、人の勧めで『羅小黒戦記』(2019)【オリジナル(日本語字幕)版】を観たら、人生で初めてアニメーション作品にはまって、14回も映画館に通ったんです! その後に公開された日本語吹替版『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』(2019)は現時点で24回観ていて、まだ観る予定があります(笑)。イギリスの演出家・マシュー・ボーンのバレエ公演『白鳥の湖~スワン・レイク~』に13回連続で観に行ったことがあったのですが、その記録を優に超えてしまいました(笑)。アニメ作品にこれほどハマるのも、映画でこんな経験をするのも初めてで、今次々と新しい世界が広がっているところです」
遠い国の誰かも、同じ想いを抱えている。
そのことが自分を肯定してくれる
自分の知らない世界でも好奇心を持って躊躇なく飛び込み、「好き」だとわかると、掘り下げることをとことん楽しむ。そんな波多野さんのフットワークの軽さと「好き」の熱量は、ご自身の今の仕事にもつながっています。
もともと本が大好きだった波多野さん。地元の小さな出版社に勤めていた頃も、本の紹介コーナーを設け、その情熱を発揮していたそうです。上京する際も、愛読書であった文芸誌『ダ・ヴィンチ』を創刊号から全てダンボールに詰め、一緒に東京に連れてきました。そんな熱量が引き寄せたかのように、ある日突然、東京で働いていた友人から連絡があったといいます。
「友人が、偶然にも『ダ・ヴィンチ』の編集部の方と仕事で関わることがあって、私のことを思い出してくれたんです。そこから縁をつなげてくれて、当時の編集長や副編集長とお会いできました。私からすると、“神に会えるの!?”という感じで(笑)。まさか、憧れていた東京の出版社で憧れの雑誌を作っている方たちと話ができるなんて、夢にも思っていなかったんです。すごく緊張しながらも、地元では誰とも共有できなかった小説や漫画の話がたくさんできて、とにかく嬉しかった記憶があります。そうしたら、数日後に“一緒に働きませんか?”という連絡をいただいたんです! 最初はドッキリかと思いました。後から聞いたんですが、当時編集部に欠員があり、人員募集をしたいタイミングだったそうで、実は面接を兼ねていたそうなんです(笑)」
大好きな本の世界を広げてくれた、憧れの編集部で働く。就職のあてもなく上京、というスタート地点から、まるで映画のようなスピーディーな展開を経て就職が決まった波多野さん。この縁をきっかけに、『ダ・ヴィンチ』編集部で5年、その後は書籍編集部に異動し、13年間、憧れの出版社に勤めました。
「自分から積極的に行動していたわけではないけれど、やっぱり情報って手を挙げている人のところに集まるんだなと思いました。だから私は、好きなものを“好き”と声に出すことは大事だと思っています」
仕事として関わるようになった本や漫画、同じ来日公演に13回通い詰めるほど魅せられてきたクラシックバレエなど、波多野さんの「好き」という熱量が向けられているいくつかの存在。その中で、一番にはならずとも、いつも近くにあったという映画は、どのような存在なのでしょうか?
「出版の世界だと、極端にいえば作家と編集者とデザイナーがいれば本が作れるんです。けれど映画は大勢の人の力が結集しているからこその強さがあるように感じて、そこからいつもパワーをもらいます。監督の個人的な作家性に、大勢の人たちの能力や想いが加わり、それが画面に滲み出ていますよね。映画が終わった余韻の中でエンドロールを眺めていると、ひとつの作品に向けられた大きな愛が感じられて、ものづくりに向けられたパワーの量に圧倒される時があるんです」
そんな大きなパワーの中に、自分の価値観に通じるような、個人的な感情を重ねることができた時、さらに大きな勇気をもらうのだといいます。
「ひとりで悩んでいるような気になってしまう時も、映画の中に同じような価値観を持った人が出てくると、すごくほっとするんです。見知らぬ国の、知らない言語で作られている映画を通して、遠い国の誰かが、自分と同じ想いを抱えているということを知る。それって、すごいことですよね。私も自分が信じるこの道を進んでいいんだ、と勇気をもらえるんです。長い間オールタイム・ベストな『バベットの晩餐会』(1987)、3月についにDVDが発売される『タレンタイム~優しい歌』(2009)などは特に心に残る特別な映画です」
大勢のものづくりに向けられた熱量と、ごく個人的な価値観や感情。その両方を映画から受け取ってきた波多野さん。編集者・ライターという仕事柄、映画の原作者である作家や漫画家、監督や出演者へのインタビューというかたちで、映画に関わることが多かったそうですが、最近では、映画の「現場」に触れる仕事も経験したそうです。
「吉田大八監督の次回作『騙し絵の牙』(2021)は、出版業界を描いた映画で、雑誌の編集部が舞台となった作品です。原作が『ダ・ヴィンチ』で連載されていた小説というご縁もあって、小道具として使われる雑誌の中面を制作するお仕事に携わりました。作品にほんの少しだけ、画面に映るかどうかもわからない程度に関わった私にも伝わるほど、映画の現場は大変そうでした…! 動いている予算も、スケジュール調整しなければいけない人数も、規模が全然違っていて、一体どうやって現場を回しているんだろうと気が遠くなる思いでした。ひとつの映画を完成させることの労力と熱量を垣間見ることができた貴重な経験になりました」
これまで波多野さんが受け止めてきた、映画制作に注がれた大勢の人たちのパワー。そんな映画のエンドロールに、自分の名前が加わるような経験をしたからこそ、映画を観る視点にも少し変化が出てきたそうです。
「映画を観る時、以前よりも背景が気になるようになりました。何気ない主人公の部屋に映っている雑貨とか、小物とか。それまであまり気に留めていなかった、ひとつひとつの小道具も、全て誰かの手を通して準備されているんだな、映し出されるものには全て意味があるんだな、と考えるようになりました。映画制作の輪郭が前よりも少しはっきりと感じられるようになったことで、映画を観る時の楽しみがまたひとつ増えました」
興味の対象に突き進む自分をとことん楽しみ、好きなことを“好き”と発信し続けることで、プライベートでも仕事でも、新しい扉を見つけ続けてきた波多野さん。映画から受け取るものづくりへの愛情や熱量が、これからも波多野さんの探究心を後押しし、まだ見ぬ世界へと扉を開けてくれるのでしょう。
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