私が『震える舌』という映画の存在を知ったのは中学生のとき。『ここはグリーンウッド』という少女漫画の作中で、「ホラーよりも怖い映画」として紹介されていたのがきっかけでした。そのとき観てみた『震える舌』は確かに恐ろしい映画でしたが、「ホラーよりも怖い」が示している意味がつかみ切れていませんでした。しかし、今回コラムを書くにあたって再鑑賞した際、当時の記憶とは比べ物にならないほどの恐怖を感じました。考えられる理由はただひとつ。私が自分の家族を持ち、家族を失う怖さを知ったことです。
出産すると、ほとんど眠れない生活がしばらく続きます。子供がいない頃は、赤ちゃんはすぐに泣くから親は眠る暇がないのだと思っていましたが、実際は少し違いました。赤ん坊はふにゃふにゃとして頼りなくて、「目を覚ましたら息をしていないかもしれない」という恐怖を掻き立てる存在だったから眠れなかったのです。ずっと神経過敏になっていたので、誰かに「赤ちゃんを見ていてあげるから眠っていいよ」と言われても、ぐっすり眠ることなど私には到底できませんでした。
『震える舌』は、幼い少女が破傷風にかかって入院する話です。共に在宅勤務の両親は娘の異変に気付き、連日病院に連れて行きますが、ハッキリとした診断を下してもらえません。遂に痙攣を起こして自分の舌を噛み切ってしまった娘。口から血を流して悶え苦しむ様子に両親は狼狽しますが、搬送先の病院でも深刻さが伝わりません。明らかな娘の異常を目にして不安でいっぱいになった両親は苛立ち、いつ再び始まるかわからない痙攣への恐怖で一睡もできませんでした。そして紆余曲折の末、ようやく破傷風という診断が下るのです。
幼い少女のリアルな痙攣シーンで有名な作品ですが、なによりも丁寧に描かれているのは、死の危険に晒された娘を前にした両親の、こういった恐怖と葛藤です。娘の命が奪われるかもしれない恐怖は日に日に増幅し、ふたりの神経はどんどん擦り減っていきます。
中でも私が特にフォーカスしたいのが、父親の苦悩が描写された「無言の表情」です。『震える舌』を観ていると、父親の心情がダイレクトに心の中に流れ込んでくるような錯覚に陥ります。娘の不幸に対する自責の念や他責の念、快復への希望と絶望のせめぎあい、さらには、子供を失う恐怖がこれほど苦しいものならば、子供など持たなければ良かったとすら思ってしまうことへの罪悪感(この思いは母親からも語られます)。また、子供の命を救うためならば自分の命を投げ出してもいいと思っているのに、自分も破傷風に感染したかもしれないという死の不安に駆られてしまうジレンマ。
極めて台詞が少ない作品なのですが、あらゆる局面で映し出される父親の無言の葛藤があまりに強烈だったので、これほど複雑な感情の束が理屈抜きに私の心を直撃したのでしょう。それは、自分が産んだ子を前にして恐怖に震えていた数年前を想起すると共に、その恐怖が何倍もの威力で再び襲ってきたような感覚でした。
例えば、いよいよ娘の命も終わりだと半ば覚悟を決めた父親が、初めて一時帰宅するシーン。暗く閉ざされた部屋から出て、数日ぶりに太陽の光を浴びた父親は思わずしゃがみ込んでしまいます。帰宅後、点灯したままだったテレビのスイッチを消し、風呂を沸かし、グラスにウィスキーと氷を入れ、回したレコードの音量を慌てて下げてから、ハンカチに包んだ娘と妻の髪をレコードの上に落とし、回転を止めます。その様子をじっと見つめて涙を零し、酒を一気にあおったところで画面は次のシーンに切り替わるのですが、全く台詞がないこの一連の行動の中に、父親の心情の多くを感じとりました。
ときに人間は自分自身にさえも嘘をつくことがありますが、ひとりのときの動作には嘘がありません。久々に見る太陽の光への反応、精神的に疲弊した妻が消し忘れたテレビ、無音だった病室に慣れた耳が拒絶して慌てて下げたレコードの音量。また、切り落とされた娘と妻の髪によって中断された音楽は、家族の命が断たれることを暗示し、その様子を見つめて流す涙は、彼がずっと心に閉じ込めていた絶望と、家族を失う恐怖の発露。「私はとても悲しい」という言葉の何倍、いや何十倍もの悲しみが些細な動作に凝縮されているのを目撃して、私は驚きました。ひとりになってようやく、父親は涙を流すことができたのでしょう。
作中、抑圧された父親の感情が唯一爆発するシーンがあります。ある日、病室のベッドで仮眠を取っている父親は夢を見ます。沼地で遊んでいる娘に向かって、父親は「早く止めて! 手洗って!」と叫びますが、夢の中の娘は言うことを聞きません。仕方なく父親は娘を抱えて走るものの、途中で娘は舌を噛んで痙攣を起こしてしまい、自分も指を噛まれて負傷します。現実世界で声を押し殺している父親は、夢の中でだけ大声で叫ぶのでした。
『震える舌』で描かれるのは特別なストーリーではありません。普通の家庭に暮らす普通の少女が、破傷風にかかって治療を受ける。ただそれだけの内容です。しかし、克明な描写と、父親の無言の表現によって、身近な死に対する普遍的な恐怖がどんな作品よりも饒舌に描かれています。大切な存在を失う恐怖と、その恐怖に伴う複雑な感情のひだ。
私は自分の家族を持つことで、守られている立場から守る立場へと変化したような気がしました。そして、大切な存在を守る責任が増した分、それを失う恐怖も格段に大きくなったのを実感しています。自分が守らなければいけない存在の最たるものは、子供です。私が『震える舌』を見返して凄まじい恐怖を感じたのは、そんな自分自身の立場・心境の変化によるものなのでしょう。一人の子供を持つ私にとって『震える舌』は、確実に“どんなホラーよりも怖い”作品となりました。
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