2020年 4月27日。アメリカ国防総省は、米海軍のパイロットが「未確認の空中現象」に遭遇した様子を映した3本の動画を、機密解除し、正式公開した。
一昔前まで、UFOなんて都市伝説の中の話だったが、日本でも今回のことを受けて国会で話が出ているくらいだ。
ただし、必ずしも、UFOが地球外生命体を証明するものとは、限らない。
これはあくまで僕の意見なのだが、UFO は地球外生命体ではなく、地球の人類のテクノロジーが進化した、その先、だと思っている。僕らが1番身近な、スマートフォン。これだって、今では当たり前のような物になったけど、昔の人からすると想像も出来なかった事だと思う。だから、これから僕らも想像すらできないものが発明されたりすると思う。例えば、何千年後の飛行機がUFOの形だったり、それが、時空を超えられたり。可能性はゼロではないのだ。
僕はSF映画が好きだ。未来、過去、そして今。全ての時間軸において、存在する常識的な 考えを、見つめ直すことが出来るから。
映画『2001年宇宙の旅』は、最初の30分が、猿の映像だ。謎の黒石板が突然現れ、猿がそれを触れる事により、知能を得て、動物の骨を武器にして狩りをしたり、戦ったりということを覚える。人類の誕生だ。 映像は、宇宙空間へと移り変わり、人類は木星探索に出ている。 ここで起きるのは、人工知能であるコンピューターHALLの反乱。人工知能の進化によって、人類が窮地に追いやられるのだ。この映像を見たときに、フィクションとは分かっていても 本当にこんな未来がやってきてしまうのではないかという、恐怖を感じた。それくらい、 監督であるスタンリー・キューブリックの作り方は、繊細で、リアリティがあった。
そして、最近『あやつり糸の世界』という映画を観た。設定は近未来。人類は「シミュラクロン」というコンピューターを作り出した。 それは、コンピューターの中で人間が住まう仮想世界を作り出し、未来社会を厳密に予測できるようにしたのだ。研究主任であるシュテイラー博士はこう言う「データの中にいる人間は、僕らと同じ様に感覚や知性を持つ。これは人類が生み出した小宇宙なのだ。この宇宙に対して特定の刺激を与えれば、反応が返ってくる。つまり20年後の未来だって分かるのだ」。
物語は進み、シュテイラー博士の周りでは奇妙な出来事が起きる。急に、システムの警備をしていたラウゼ保安課長が消えたのだ。それも、自分以外の周りの人はラウゼの存在自体忘れている。 そして、シュテイラー博士は自分自身が「シミュラクロン」の仮想世界に入る。そこは、現実世界とそっくりの虚構空間で、消えたラウゼを発見する。さらに、すべての真実を知っているアインシュタインという人物と会う。彼は現実世界と仮想世界をうまく行き来し、ある野望を抱く。「俺は人間になりたい、これが第一歩。次の二歩目で現実世界だ。あんたが思うこの世界も、ただのコンピュータの中のデータにすぎないのさ」
ここで前編が終わる。自分が、現実世界だと思って生活していた世界が、実はデータかもしれない。1時間半かけて、日常が一気に崩壊するのだ。とてつもなく怖かった。
良い悪い、は置いといて、今の僕らの世界でも仮想世界というものは徐々に浸透し始めて いると思う。わかりやすく例えると、VR。
VR の進化とインターネットの進化を考えれば、VR の中に、もう一つの世界を作り出す事だって可能だと思う。『レディ・プレイヤー1』なんてまさにその世界。僕が思うに、あと20年のうちに、絶対、「VR 浮気」って言葉が世の中に生まれると思う。もう意味がわからない。
コロナウィルスの自粛期間中、僕は、これからの未来、人と会うことが、徐々に少なくなってしまうんじゃないかと不安になっていた。オーディションはリモートオーディション。 友達とも会えずに、飲み会もリモート飲み会。この家から出ないという生活により、今までの当たり前の生活が、画面越しでもある程度成立してしまうことが分かり、そしてそれ に慣れてしまうのではないかと思った。 誰かは、これを便利だと言う。果たしてそれは便利なのだろうか? 誰かは、これを人類の進化という。果たしてこれは進化なのだろうか? 自粛期間が一応終わり、僕は友達とソーシャルディスタンスの距離を保ち、公園で一晩中話した。朝になって、近くの丘で朝日を見た。本当に時間が一瞬で過ぎた。こんなにも人と話すのは楽しかったのか。こんなにも朝日は綺麗だったのか。どれだけ、時代が変わっていったとしても、人と自分の体を使って、会う、ということは絶対に無くなってはいけないと、僕は思った。
いつか、全てバーチャル上で済んでしまう日常がやってくるかもしれない。しかし、人類の進化といわれるものと同時に、「悲しいことも存在すること」をもっと考えていきたい。
以前、近所の立ち飲み屋で飲んでいたら、酔っ払ったアメリカ人に「100年後の未来はどうなっていると思う?」と聞かれたことがある。僕は、「自由なコミュニケーションが無くなってしまうんじゃないかと不安に思っているし、その為に、もっと考えていく必要がある」と答えた。
それから、僕らはお互いの思いを、片言の日本語と英語で話した。
「私には、2歳の娘がいる。娘の時代を作っていくのは君のような若い人たち。信頼している。強くなれ。」と言われた。その通りだ。次の時代を作っていくのは、確実に僕らだ。身体のコミュニケーションを大切にして、笑いも怒りも、すべて、直接共有していきたい。僕らは笑いながら、ありがとうと握手をして別れた。僕にとって一番きれいな、時間だった。