最近、僕は人生で初めての経験をした。
僕は昔から寝ていると結構な頻度で金縛りが起きるのだが、その日はいつもの金縛りと全く違っていた。いつもの様に、苦しみながらただ金縛りが終わるのを待っていたら、金縛りの最中に、体から自分自身が抜け出したのだ。
最初は抜け出した事にも気付かずに、僕はベッドの横に立っていた。なぜ気付かなかったかと言うと、見えている映像が完全に主観だったからだ。しかし、部屋の中の色んな物の輪郭がぼやけている事に気付き、ベッドを見てみるとそこには、寝ている僕がいた。
全く理解できない。
なんなんだこれは。
自分の寝ている姿なんて初めて見たし、なんか青色の湯気みたいなものがめっちゃ出てる。
その時の僕は、少し焦ってはいたものの、なぜか怖いという感情が全くなくてワクワクしていた。そしてとりあえず部屋を出て、リビングを歩き回ってみた。
リビングを見ると、いつものリビングと違う事に気付き、ここは“夢の中の世界”なのだと理解した。
これはきっと明晰夢なのだろうと思った。明晰夢とは、夢の中で夢だと理解することにより夢の中で動けるというものだ。昔、インターネットで見た事がある。だけど正直、ここまでリアルとは全く想像もしていなかった。
そしてリビングを歩き回った僕は、ふと昨日会った友達のことを思い出した。すると寝ている自分の体に吸い込まれるような感覚の中、目が覚めた。僕は目が覚めて、すぐにこの体験を携帯のメモに書き込んだ。
眠っているはずなのに、起きたら夢の中で動いている。これは『インセプション』状態ではないか。
『インセプション』とはクリストファー・ノーラン監督の映画だ。
主人公のコブは、ターゲットを眠らせて、夢を共有して、夢の中に映される潜在意識からターゲットの重大な秘密を奪うという仕事をやっている。映画の最初で、コブはサイトーというターゲットと夢を共有して、夢の中でサイトーと話す事により、金庫の在り処を探し出そうとする。
しかし、サイトーはコブと話している場所が夢だと気付き、必死に金庫を守ろうとする。なんとかコブは金庫の中身を見る事に成功したのだが、目の前の景色がどんどん壊れ始めていく。それは、現実世界で暴動を起こさせたサイトーの仕業。現実世界が不安定だと、夢の中にも影響するのだ。
目を覚ましたコブは、サイトーの部屋に戻っている。コブは、サイトーにまだ隠している事があると迫り、銃を向けて脅す。その瞬間、サイトーは笑い始めて「この部屋の絨毯はウール製だった。これはポリエステルだ。つまりここは私の部屋では無い。まだ夢の中とは」
そしてサイトーはまた、目を覚ます。
冒頭10分でこの内容が繰り広げられるのだ。最初観た時は理解するのに時間がかかった。
次の日、僕はまた金縛りが起きて、昨日と同じ様に体から自分自身が抜け出してしまった。今回は、昨日より映像が鮮明に映っていて、これは現実なのではないかと思ってしまい、慌てて自分が寝ている姿を確認した。
昨日と同様、リビングに行った。あまりにも鮮明な映像に、またしても「ここは現実ではないのか?」という気持ちになってきて、もう一度自分の姿を確認しに部屋まで戻った。ベッドには寝ている自分がいる。そうだ、ここは夢の中だ。
家の中を一通り見て回ると、外はどうなっているのだろうと思った。
頭の中で沢山の考え事が行き来するのが分かる。なぜなら、その度に夢の中の部屋が歪んだりするからだ。どうやら、僕自身が現実世界での出来事を思い出すと、夢の中の世界は少し崩れることに気付いた。
玄関まで行ったら、玄関のドアが実家のドアに見えた。どうして実家の玄関なのだろうと思いながら、扉を開くと、そこには実家の前にある道が広がっていた。一体これはなんなのだろう。
部屋よりも鮮明な映像ではなく、歪んでいる所がある。でも、頭の中で「ここにはこれがあったな」と思い出すと、目の前の風景がイメージによって作られていく。僕は深呼吸をして、落ち着こうとした。
玄関を出て、家の前の田んぼ道を歩いた。一面に緑が広がる景色の中、僕はひたすら歩いた。ガードレールを触った。手にはガードレールを触った感覚がしっかりと感じられる。ガードレールを触ったら手が白くなるんだよな、と思い出した瞬間に手が白くなった。
近所の家に咲いている花が綺麗だなと思ったら、綺麗な花が、いくつも急に現れた。
同時に、恐ろしいイメージを持たないように必死にいいイメージを考えている自分もいる。これだけ、イメージで世界が作られてしまうのなら、恐ろしい事を考えたらきっとそれが出てきてしまうだろうと思った。
きっと空くらい飛べてしまうのだろうと思った瞬間に、僕は空を飛んでいて、実家の周りの景色を一望した。そこで目が覚めた。
僕はなぜ実家に帰ったのだろう。
映画の主人公のコブは、夢の中で亡くなった奥さんと出会う。きっと夢の中では、現実世界で自分が抱えている問題が現れてしまうのだろう。こんな世の中で、実家には帰れなくて、僕は実家に帰りたかったのかもしれない。
帰れない寂しさは感じていないつもりでいたけれど、夢は正直だ。夢で見た景色は、実家の周りの本当の景色ではなく、ただの僕の幻想なのだ。きっと街や人も、世の中と共に変わっていくのだろう。
そんな中、信じられるものは、その場所に対しての「僕の思いが変わることはない」と信じることだと思う。
僕はいつだって、どこにでも行けると思っている。