自分の体では、認識できない文字がそこら中に並んでいる街に来た。
自分はどこにいるのか。
自分がどこに向かいたいのか。
自分がどこに向かうべきなのか。
「電車」のマークのようなものが描かれた看板の方向に、歩く。
駅員さんに電車の場所を教えてもらおうとしたけど、英語が話せなくて結局適当に「YES」とだけ言って、どこ行きか分からない切符を買った。
電車の窓から外を見る。明らかに自分が住んでいる国とは違う風景。湿度。人間。
ヴィム・ヴェンダースの『まわり道』は、作家をやっている主人公のヴィルヘルムが何も書けなくなってしまい、母の勧めで旅に出て自分を見つめ直す話だ。僕は何かを書きたくて旅に出た訳ではないが、今までいた自分の場所から離れて、もう一つの世界を見たかった。
電車内の広告を、口を開けながら見ていると、家族連れのお父さんに話しかけられた。何を言っているのかよく分からなかったけど、「OK」と言ったら、それで会話は終わった。そのお父さんは、電車に乗っているいろんな人に話しかけていた。陽気なお父さんだ。
電車に揺られていると、お父さんの隣に居た(?)“お母さん”が先に電車から降りた。しかも、お母さんはお父さんに「さよなら」も言わずに降りていった。
「なんでなんだろう」と不思議に思っていると、相変わらずいろんな人に話しかけまくるお父さんの横にいる、“娘さん”と目があった。くすくすと笑っているのだ。
もしかして、この家族は家族ではなくて、陽気なお父さんのせいで家族に見えていただけだったのかもしれない。
最終的にはお父さんも電車を降りていき、僕はその次の駅で降りた。
駅の改札まで向かっていると、さっきの娘さんと目が合い、拙い英語で話をした。
ミャンマー出身のカトーちゃん。
さっきの電車での男性について話して2人で笑ったあと、僕が初めてここに来た事を伝えると「ついておいで」と言われた。また電車の切符を買い、カトーちゃんに連れていかれるがままに、どこかへ向かう。
大きなデパートに来た。
僕は1時間くらい、カトーが明日家族と会う時に着る洋服を見て回った。
「お腹が空いた」と言っても無視されて、「こっちとこっちの服はどっちがいい?」なんて聞かれたりした。
やっとデパートを出ると、音楽が爆音で流れるバーに来た。シンハービールを2本頼む。
マスクを外したカトーの顔を初めて見て、僕らはお互いの事を話した。
タイのビールの値段は日本ではいくらなのか聞かれた。この店がハッピーアワーだったのもあるけれど、調べてみると日本は四倍の値段だった。この国に来て思ったのは、物価がものすごく安い事。もちろんいろんな事情があって物価の違いがあるのだろうけど、純粋にお金の価値が違う事は、恐ろしいと思った。
酔いも回ってきたところで、マイケルジャクソンの低音が効きまくった『Billie jean』が流れ始める。するとカトーは、「ビリヤードをする」と言い、ビリヤード台の方へ踊りながら向かう。知らない人とビリヤードをしながら僕の元に帰ってきては、クールにビールを飲む。映画を観ているみたいだった。
『まわり道』でのあるシーンで、主人公が電車に乗っている時に、隣の電車に乗っている女性と目が合う。2人は見つめ合うのだが、彼もきっと「まるで映画のような景色だ」と思っていたと思う。
この時、主人公のヴィルヘルムがこの冒険を続行しようと決意した様に僕も決意した。これから冒険が始まるんだ。
カトーとお別れをして、空港に行く。
僕は、明日早い飛行機で少し離れた島に行く。ホテルに泊まっても仕方がないから、空港の椅子で寝よう。
1日が終わった。あと僕は9日間もこの国にいるのか。
飛行機に乗り、島に向かうフェリー乗り場までタクシーで移動。
途中二回、運転手のタバコ休憩があった。まったりした運転手だ。けど僕にはちょうどいい。僕もちょうどタバコを吸いたかったから。
フェリーに乗り、先端の椅子に座る。
眩しすぎてサングラスをかけたり、直接目で見たくなり外したり。
改めて思う。あたりまえだけど、海は広くて美しい。
色んな乗客が島に向かっている。観光客、その島で働いているであろう険しい顔をした同い年くらいの青年、ジミヘンドリクスみたいな格好のミュージシャン。
これからどんな出会いが待っているのだろうか。
僕が泊まった宿は海の家の近くのバンガロー。一泊1000円くらいだった。
到着して、Tシャツが汗で半分くらい濡れてる婆ちゃんが迎え入れてくれた。名前はピンク。出迎えてくれた時、ピンクがピンクフロイドを流していた。音楽の話をしたらやっぱり趣味が似ていて、日本のおすすめの音楽をスピーカーで流して一緒に聴いた。その後は、この島で気を付けることや、おすすめのお店を沢山教えてくれた。
今日は、ビーチでのパーティー。どこまでも踊り狂う人たち。朝方は、レゲエを聴きながらゆったり揺れる。隣にいるお婆ちゃんと目と目を合わせながら揺れる。お婆ちゃんが「朝日がこれから綺麗だよ」と言うのでビーチに2人で座る。ただただ朝日を待つ。綺麗な朝日だ。本当に綺麗な朝日だ。永遠に見ていられると思った。
すると、前の男女が喧嘩をし始めた。男性が、女性を自分のホテルに誘おうとしたのが嫌だったみたいで、そこから女性は色んなことに怒っていて、ビーチのゴミにも怒っていた。
女性が僕に話しかける。何を言っているか分からないけど、とりあえず今は「ルックサン。ルックサン」(太陽を見てください)と言っていた。
お婆ちゃんが、「私の家でマッサージを受けないか」と聞いてきた。僕はそのマッサージがどんなものなのか、純粋なものなのか、ビジネスなのか分からなくなり、断った。
綺麗な朝日の中、朝日を全く見ないで喧嘩する男女と、気付いたらいなくなっていたお婆ちゃんと、海にある無数の瓶ビールのゴミとそのゴミを必死に集める地元の人達と。世界には考えても分からないことが沢山あることを改めて知る。
綺麗な景色を沢山見たけど、やはり記憶に残っているのは人との繋がりだ。『まわり道』のヴィルヘルムも旅で様々な人と色んな話をした様に、旅の醍醐味は全く自分のことを知らない人とどれだけ話せるかだと思う。
次の日、ピンクが教えてくれたバーで、ミャンマー人のダンと出会った。このお店のバーテンダーがダンの昔からの友人で、5年ぶりに再会したこと。ミャンマーが今物凄く危険なこと。日本の問題を話した。いつのまにか2人でベロベロになるほど、僕らは少し似ている気がした。僕が次に行く街の話をすると、街でおすすめのホテルを教えてくれた。日本語で「ここは最高だよ、ヤバいよ」と言っていた。
僕はそれから、フェリーで街に戻り4日間過ごした。ダンが教えてくれたホテルに到着して一泊だけしようと思っていたが、そこでも新しい人達と出会い結局3泊した。
ここでは書ききれないくらいのまわり道をした。何も決めずに、人と出会い、人に紹介されて、また人に出会う。ただただそれの繰り返し。
旅の終わりに、出会った人達と別れて1人になったヴィルヘルムは
「僕は無意味なまわり道ばかりしているようだ」と言う。
確かに、意味などない。しかし、意味を求めたらまわり道など出来ないのだ。まわり道の先に、意味が生まれるのだと思った。