閉じこもっていた長い時間、一歩踏み出すと、思いがけない出会いが待ち受けているのかもしれない。今回のテーマは「映画の記憶」です。
事務所に台本を取りに行く予定があり、取りに向かった。それだけだと思っていたが、別の仕事が一つ決まった。大きい、小さいとかではなく今の僕にとって物凄く挑戦的な仕事だ。まだまだ先の仕事だ。ふと、思う、僕はそれまで生きているのだろうか? 想像がつかない。普段から、後も先も予定を決めたことがないからなのだろうか。よくわからない汗が吹き出てきた。
会社を出て、すぐにお婆ちゃんに電話をかける。
お婆ちゃんの寿命が長くなりますようにと、電話をかける。
「お婆ちゃん、仕事決まったよ〜。」
「何の仕事やぁ?」
説明をする。
「だから長生きしといてね〜」
「まだ死なへんわぁ。ありがとうなぁ。頑張りなぁ。またなぁ。ほななぁ。体気をつけなさないよ。頑張りなぁ。ほななぁ。」
電話を切り、永遠の「ほななぁ」に終止符を打つ。
電車に乗り,家に帰る。まだ変な汗が出ている。そういえば、こんなにフワフワするのは今の事務所から合格通知が来た夜に似ていた。自分にとって、昔から好きだった、今でも好きな映画というものに出られる事は、一生色褪せない喜びなのである。
最初に映画を観たのはいつだろう。何の映画だろう。
覚えてないけど、昔から家族と一緒に金曜ロードショーを観ていた気がする。
その中でもよく覚えているのが『アルマゲドン』。滅亡の危機にある地球を救うべく宇宙に旅立つ男たち。ラストシーンのブルース・ウィリスの言葉を録画して何度も観た。中学に入って、初めて学校をサボって観た映画は『20世紀少年最終章』だ。浦沢直樹さんの漫画が原作で、地球滅亡を企む悪の組織に幼馴染たちが立ち向かう。隣の学校の、同じ陸上クラブのメンバーと観に行った。そこで僕は主題歌の「20th Century Boy」を歌うT.REXと出会うのだった。家族にAmazonの使い方を習い、初めてロックバンドのCDを買ってもらった。中学の卒業文集には、「好きなバンドT.REX」と調子に乗りまくった僕が書いていた。そんな、みんなが知らないものを知るのが大好きだった。中学3年生の頃、東京に行きたくてしょうがなくなった。理由は分からない。とにかく東京で何かをしたかった。地元の高校ではなく、東京で一人暮らしをしたいと親に言うと「寂しいから高校までこっちにいてください」と言われたのを覚えている。
高校2年生の終わりくらい、寝ぼけた状態で東京の役者のオーディションに応募したら、書類審査が通った。そして両親に東京に連れてってもらい、芝居の養成所に入ることになった。学費は免除してもらったけど、とにかく東京へ毎週通うのにお金がかかった。アルバイトと、映画を観る毎日だった。
そんな頃、隣の学校の山際君と出会った。彼も映画が好きらしく、それで友達が会わせてくれた。初めて会った夜から意気投合。それからは基本的にどっちかの家にいた。山際くんと初めて映画を観たのはコーエン兄弟の『ノーカントリー』だった気がする。俺は吹き替えで観ようと思ったけど、あいつは字幕で観たいと言った。「字幕で観るんだね。」と聞いたら、「だって本人の本当の声、聞きたいじゃん」と言ってた。そこから僕も字幕で観るようになった。
「それ何の料理?」
「チリコンカン」
山際君は、鍋のままスプーンで頬張る。
「見て、『ベティ・ブルー』の真似」
そんな映画好きな高校生2人にとんでもない話が舞い込んできた。映画監督の外山文治監督が飛騨高山で『わさび』という映画を撮るらしい。山際君のお父さんにどうにか繋げてもらって、僕達はボランティアスタッフとして参加できる事になったのだ。僕らは、とにかく真剣に現場を観た。何でも運んだ。本当に楽しかった。
カメラマンの池田さんが、休憩中に僕の事を映画のカメラで撮ってくれた。そしてその後外山さんの映画にエキストラで出させてもらった。初めて自分が映画の中にいる。忘れられない。
東京に上京した。東京で最初に観た映画は、養成所の手続きをしに行った夜、石井岳龍監督の『ソレダケ/that’s it』を観た。母親と一緒に観たのだが、どうやら爆音上映だったらしく耳が壊れかけた。鳴り響くロックンロールで、手に持っていた買ったジュースが揺れているのを覚えている。底辺で暮らす若者がとにかく突っ走る映画に、僕は自分を重ねた。これから、東京で生きてみせると。
それから、長い時間が経ち、松田優作さんの映画を観る時期があった。今の事務所に入るオーディションの前だ。印象に残っているのは『ブラック・レイン』。そこに出てくる松田優作さんが本当にかっこよくて、釘付けになった。ハリウッド映画の中にいるのに、誰よりも目で追ってしまう。とにかく、集中して、エネルギーを持って、オーディションに参加しようと決める。
「落ちたら、死ぬ。落ちたら死んでやる」とずっと考えていた。体と心が壊れるかと思うくらい、全部出した。受かった。
4.5畳の家で、雄叫びをあげ、汗だくになりながら飛び跳ねて、街に出た。全てが綺麗に見えた。
それから6年経った。色々変わった。
久しぶりに、こんな文章を書いた気がする。
こんな文章とは、自分にとって赤裸々な、暑苦しい文章の事だ。
文を書きながら、心臓の動悸が速くなってくる。
あの時と、今事務所から帰ってきても尚続いている変な汗は、一緒である。僕は楽しみでしょうがないのだ。